Text
本文
3. Kanto Region
3. 関東地方
Kanagawa Prefecture
神奈川県
Paddling and Walking Around Kanagawa Prefecture
神奈川県を漕いで・歩いてめぐる(別ページ)
- 多摩川(神奈川・東京)を歩く 2022春
- 鶴見川・恩田川(横浜市)を歩く 2022春
- 帷子川(横浜市)を歩く 2024春
- 中村川・大岡川(横浜市)を歩く 2022春
- 境川(神奈川県・東京都)を藤沢から町田経由で城山ダム近くの水源まで歩く 2020秋
- 柏尾川に沿って藤沢から鎌倉・横浜市へ 2021年
- 引地川に沿って、大和市の源流から藤沢市の海岸まで歩く 2021年
- 相模川をカヌーで厚木から平塚まで下る 1988年
- 神奈川県随一の相模川に沿って歩く 2021年
- 金目川に沿って、大磯町・平塚市の河口から秦野市まで歩く 2021年
- 酒匂川に沿って、小田原市の河口から山北町まで歩く 2021年
- 早川(小田原・箱根)に沿って歩く 2021年
- 千歳川・藤木川に沿って湯河原町から歩く 2021年
- 江の島からカヌーで東へ、黄金海岸を腰越港から鮫島往復 1988年
- 江の島から東へ歩いて、黄金海岸を三浦半島まわりで横浜・川崎まで 2020年秋〜2021年初頭
- 江の島からカヌーで西へ、腰越港から大磯港まで大磯港から早川港まで 1988年
- 江の島から西へ歩いて、黄金海岸を神奈川県西端の湯河原まで 2020年秋
Working in Kawasaki, Yokohama, Fujisawa and Yamato
川崎、横浜、藤沢、大和で働き、西部の箱根などで遊ぶ
大学を出てから、私は日本では神戸で働いた短期間以外は、ほぼ神奈川県で働いて、現在もそこに住んでいる。
Kawasaki
川崎市
写真アルバムはFacebookの3K-Kw. Kawasaki, Kanagawa, Japanを参照
川崎時代。米国での仕事から日本へ戻って、川崎駅のすぐそばにあった東京プログラミングセンターで、ホストコンピューター中心のオフィスシステム(電子メールと文書処理)を開発した時で、この時には藤沢市に住んでいたのでそこから通った。春には会社ぐるみで、夢見ヶ崎公園で桜の花見をした。川崎駅脇の川崎事業所はいずこ?:日曜日は教会の帰りに、神奈川県図書館川崎分館(文学書中心の横浜本館に対して理工関係書籍を置いている)に行って、私の一番最初の本がすでに蔵書しているので今回の本を含めて残り3冊を寄贈してきた。川崎駅は以前に比べて格段にきれいになっていて、ここで私は1980年代後半に5年ほど勤めたことがあり、懐かしかったので銀柳街とかチネチッタとかも見てきて、駅に沿って日航ホテルの隣りのル・フロン(以前は右に丸井と左に西武デパート、今はBic Camera)の裏にIBM川崎事業所があり、ここは今風にいうとクラウド・サービス用の一大コンピューターセンターで(当時はサービス・ビューロー)、我々東京プログラミングセンターだけが最上階(10F)を占めていたところだが、そこはもうもぬけの殻だった。 (2013.05.27.)
夢見ヶ崎動物公園の花見:今週は鎌倉山、前日の引地川の花見に続いて、今日は横浜の大岡川桜まつりを見てから、南太田駅でまた京浜急行に乗り、横浜駅でJRに乗り換えて川崎駅まで行き、西口からバスで夢見ヶ崎動物公園へ行った。そこは田舎の桜見物風で(私が川崎に勤めていた4年間にはここで花見大会をやった)、動物園も初めて見たが面白かった。帰りに、川崎駅西口がLazonaというショッピングセンターになっていた中を、Bic Cameraに寄り、さらに 東口へ行き、そこは私が勤めていた所近くで、日航ホテルの隣の2つのデパートのうち西武デパートがヨドバシ・カメラに代っていたので(もうひとつは丸井デパート)、そこに寄り、ついでにヨドバシ・アウトレットにも寄るべく京浜急行川崎駅へ行き、そこから帰った。(2014.04.02.)
昔の仕事仲間が鉄鋼荘に集まる: 水曜日はもと勤めていた会社の、ある鉄鋼会社担当者の集まりが川崎の「鉄鋼荘」であって、始めて出席した。45名が集まり、私は実はその会社を担当ではなくて助けただけだった。助けたというのは、そこの本部でIBM System/360の売り込みのプレゼンに先輩のカバン持ちをした、その広島県福山市にある一貫製鉄所でプロセス・コンピューター1800のサポートに駆り出された、先輩からFORTRANが分からないから指導してなどとおだてられて、何回かいっただけだった。顔なじみと新しい顔の人々に会い、川崎の事務所には3年ほど勤めたことがあり、久しぶりに川崎駅へ降り立った感慨にふけった。 (2017.07.12.)
翌年、水曜日夕方、もとの会社の営業部(セールスとSE)でNKK(日本鋼管)&JFE(川崎製鉄と合併)担当者のOB&OG会があったので、一昨年に次いで二回目の参加。私は入社後4年間営業所に配属されて、横浜では日本鋼管(NKK)川崎製鉄所へSystem/360の売り込み(の先輩のカバン持ち!)、神戸営業所ではNKK福山製鉄所へFORTRANの指導(というより、質問者の話を聞いて彼が自身で誤りに気付くのを待つ!)で多少の貢献をしたという訳だ。場所は川崎駅そばの鋼友荘(多分NKKの所有)で行われ、私はその後開発研究所へ移ったので知り合いはほとんどいなくて、でも隣りに国連が中国の人口統計で設置したIBM System/360大型機のお守りで1982年から北京に滞在した人(小林慎太郎さん)が座り、しばし中国談義をしたりした。来年はJFE扇島製鉄所の見学もあるというので来たいが、オリンピックがあるので航空チケットが取れるか分からない。(2019.07.10.)
Sagamihara City
相模原市
初級中国語会話の講座。金曜日に、中国南昌で日本語を教えていた友人で、火曜日に横浜中華街へ集まった連中のひとり(堀江咲夫さん)が相模原で「中国語の初級会話」講座を去年からやりだして、私もそのホームページを作って応援していて、中国人の先生が来れないというのでサポートにいってきた。(行きは相模大野で下りてバスを利用したが、バスを待つ時間に相模原北口を見たが、Corridorなる繁華街と伊勢丹デパートができて様変わりしている様にビックリした。)私が大連で知り合った内モンゴル満州里出身の伊樺くんが近くの桜美林大学へ留学しているのを、友人も今年の春節行事に参加して知りあってこの会に招いたそうで、彼も入れてなかなかスムーズな内容の講座になった。講座が終って「民芸」で食事をして、やはり大連で知り合った日本人中小企業診断士さん(柴崎等)とも話し、そのあと伊くんが桜美林大学を案内してくれて、この大学はクリスチャンの清水安三が同志社、続いて米国オハイオ州のOberlin College(欧柏林大学)を出て、1921年に北京に貧しい家庭の女子教育に崇貞学園(現在の北京市陳経綸中学)を設立したあと、戦後町田市・相模原市にミッション・スクールとして設立したという歴史を学んだ。(2016.02.19.)
Yokohama City
横浜市
横浜市は私が住む神奈川県の県庁所在地であり、ここから一番近い大都会なので、毎月一度は行く。
横浜時代。社会へ出てすぐ横浜営業所へ配属になり、約2年をそこへ東京の家から通ったので、これを横浜時代と呼ぶ。仕事は横浜・川崎一円の製造業を担当するSEで、IBM System/360 Model 50売り込み(日本鋼管)、IBM 1440 FORTRAN(日本冶金)、Model 20のインストール(スタンレー電気)、Model 30(1401エミュレーター付き)インストール(モービル石油@横浜で初めて東京・大手町で)などのコンピューターのめんどうをみた。写真アルバムはFacebook:1965-69. Working in Yokohama and Kobe, Japanの前半。大岡川桜まつり:前々日の鎌倉山、前日の引地川の花見に続いて、今日は少し遠出して横浜市へ行き、桜木町駅から紅葉坂から掃部山公園(井伊直助の記念公園)で桜見物。ここは以前横浜に勤めていた時に来たことがあり、横浜港が見えたと思ったが、いまは見えない。次に、近くの京浜急行・日ノ出町駅から南太田駅まで電車に2駅乗り、その週末に「大岡川桜まつり」(南区&中区、04/05-06)が行われる所を、蒔田公園(中村川が分流する所)の歩道橋から下流へ向かって歩き始め、ここは初めて行ったが、太田橋で近くのMiniStopで買った簡単な昼食を太陽光の下で食べて、長者橋まで桜見物をした。(2014.04.02.)
教会と三渓園。日曜日は久しぶりに横浜山手聖公会教会へ。月に一度の日英合同礼拝で英国聖公会から来ている司祭(Andrew Dangerfield牧師)が司式・説教。木曜日が昇天日(Ascention Day)だったので、それに関しての聖書朗読で(使徒1:8、ヨハネ17:1)、旧約聖書はなかった。説教の終わりに「アラビの聖テレサの祈り」(Christ has no body but yours.)を引用して、これを初めて知った。愛餐会中に2人の人と話し、中国はいま明治時代の富国強兵の時期を経ているので、当時海外から暖かく日本を見ていて、日本人に友人を作り暖かく接していた外国人のようにふるまうのがいいという説を繰り返した。
午後は30度を超す地方が続出する暑い日だったが、教会員に車で送ってくれる人がいて(大連に来ている新聞記者の同僚だった!)、前から行きたいと思っていた横浜市にある名園・三溪園(入場料500円)へ行ってきた。行きたいと思っていたのは以前上海の豫園の九曲橋のレプリカを見たことがあるのでまた見たいためで、これは正門から反対側の南門のすぐ外の横浜市本牧公園内にあり、現在は建物が老朽化していて開放されていないことが分かり、外観の写真のみを撮った。三溪園は一回か二回行ったことがあるのみで知らなかったが、開港時に生糸商売で成功した原善三郎の処に養子で入った原富太郎(三溪)が財を尽くして造園したもので、自然景観が抜群であるだけでなく、様々な日本建築を主に関西から移設したり、新築したりしている。九曲橋を見てさっと帰るつもりが、興味がわいてきて、2時間ほど松風閣や三重の搭や合掌造りを見たり歩き回ったりで、さすがに疲れたので茶屋でずんだもちと甘酒を食べて休んだ。それから内苑も見て、大池と睡蓮池・蓮池を通りながら花菖蒲をめでて、出口へ出た。入場料が高かったけど、公益財団法 三溪園保勝会の管理がいいと感じた。出口でタクシーも数台待っていたが、帰り道は苦労する方を取り、まず10分くらい歩いて本牧通りまで出て、市営バスがなかなか来なかったが何とか横浜駅行き105路線に乗って元町は通り越して桜木町まで出て、JR横須賀線に乗って大船経由で帰った。(2014.06.01.)
三渓園再訪・中華街・横浜駅西口のミニ秋葉原。あまりにいい温かい日なので、昼前に家を出て、横浜の三渓園へ梅を見るつもりでいってきた。根岸駅でバスに乗り遅れてタクシーで三渓園南口へ。上海横浜友好園で九曲橋・玉蘭庁・湖心亭を見て、ここは自由に入れる所と知った、三渓園(入場料700円)へ入ってまず、以前は梅林があって初夏に梅の収穫を見たこともあるが、数年前の神奈川・千葉を襲った台風のせいで梅が大きく倒れたそうで、上海市寄贈の蘇州の緑咢梅と臥龍梅という珍しい梅の木を見る。臨春閣へ上がり、そこの小川は池の水を循環させているとボランティア?明員から聞いて、さらに松風閣と三重の塔へ登って、戦後すぐまでの美しい海岸風景はエネオスの製油所と高速道路になっているのを慨嘆してから、正門出口からバスで横浜駅方面へ。中華街バス停で降りて、生ピーナツを買って、石川町駅から横浜駅西口のミニ秋葉原のドスパラで外付けHDDのケースをもうひとつ買って、モノレール経由で帰宅。横浜へは毎月ギデオン協会の月例会で行くが、久しぶりの横浜散歩だった。(2022.02.28.)
横浜中華街で懇親会。[FrCh](FriendshipChina)というもと中国滞在者10人位が参加しているメーリングリストのメンバー4人で、水曜日昼に横浜中華街の「馬さんの店、龍仙飯店市場館」で食事会を行なった。ひとりが上海、南昌を経て現在蘭州で日本語教師をやっていて、そうした経験の本も出していて、いま横須賀市に住む人の歓迎会で、活発に発言しているだ。私は日時を間違えて大いに遅れた参加だったので、中華街の海側にあるコーヒーショップ「エル喫茶」でみなさんへおごった。 (2016.02.17.)
キリスト教会・媽祖廟・関帝廟
。日曜日は横浜の横浜山手聖公会教会へ。パンとぶどう酒は新型コロナウイルスが流行っているので主教の指示でインティンクション方式(Wikipediaにこのページがなかったので、帰宅後作った)になり、信徒がパンを貰って口へ入れたあとぶどう酒をカップから飲むのは止めて、ぶどう酒に浸したパンを牧師が信徒の口へ入れてくれる。礼拝の途中、中国赴任仲間で同じ系統の教会の信者の堀江咲夫さんが亡くなったことが、奥さんの友子さんから電子会議室に入ってびっくりして、生前の厚誼に彼と神に感謝し、翌日に彼女へ連絡した。教会では昼食も中止になったので、中華街へ下りて、媽祖廟わきの上海料理店「大三元酒家」でサンマーメンを食べてきた。関帝廟があるのは知っていたが、最近(2006年)媽祖廟ができたのを知らなかったので寄ったもの、30年前に台湾へ赴任した時、私は中国の歴史も漢文も習ったから中国文明はよく知っていると慢心していて、台北の関帝廟か媽祖廟で石を落としてその割れ具合での「ポエ占い」を初めて見て反省して、改めて中国文明を学びだした。(2020.02.09.)
国際ギデオン協会活動・ミニ秋葉原。土曜日は、午後から横浜へ出かけた。南太田駅前のドイツパン屋Cassel Cafeで急いで昼食後に、清水ヶ丘教会で行われるギデオン月例会へ。いつも奨励をしてくれる遠藤チャプレンが電動自転車で怪我をしたそうで欠席したので、彼が準備してくれた榎本保郎著『新約聖書一日一生』のマタイの出だしを皆で読んで、いつもの活動報告があり(コロナ禍で聖書配布は滞っているが、教会での証しおよび葬式での未信徒への配布は最近始めた)、この日は私が証しをして(内容はバハイ教、長野、中国、ハワイの経験などの後、超教派の活動としてのギデオンの会が大切というもの)、私が好きな「みよや十字架の」を歌って散会した。
帰りがけに横浜駅で降りて、西口の地下鉄駅前の五番街と呼ばれる「ミニ秋葉原」で、まずドスパラ(DOS Paradise)で外付けHDDケース(2.5” SATA SDD/HDD to USB 2.5/3.0 External Enclosure)を買って、昔よくこの辺りをブラついたのを思い出して、ビブレ・ビルにその後できたBic Camera & Sofmap Outletで中古ノートパソコンを見て歩いた。帰宅後にこのHDDケースを妻の壊れたノートパソコンのHDDを外してファイルをリカバーしようとして、ファイルは無事見えた。(2022.02.12.)
東急東横線の沿線:
東急東横線は、中学卒業の時に慶応大学付属高校受験で来たことがあり(受かったがこの高校へは行かなかった)、社会に出てから横浜営業所へ通うのに毎日のように通って、将来はこの沿線に住みたいなと思った時期もあった。東横線日吉駅付近:ゲーム会社「コーエー」が日吉駅の慶応大学と反対側にあり、大連ソフトウェアパークへの誘致活動の一環で訪問した。ゲーム会社はやはり上海を目指すので、無理か。(2004.03.xx.)
大連時代の先輩(牛島五郎)の家を訪ねた。東横線の日吉駅から坂を上がった所に住んでいて、この駅は慶応大学付属高校受験で来たことがあり、いまは大変大きな駅になっていてビックリした。駅ビルの「テルム」というイタリア料理店でパスタを友人と一緒に食べた。この先輩のホームページを私の使っている無料サイトに移動してあげているが、彼のWindows Live下のメールで「署名」欄に新しいサイトのURLを入れたいのに、どうしても旧来のURLしか出てこないのを直しにいったもの。2時間くらいいろいろWLをいじったが直らないので、URLを単語のかな漢変換の登録で「あいう」と入れると出て来る設定をして、めんどうだけど当面それをやってもらうことにした。 (2014.10.07.)
金曜日に昼食会が東横線日吉駅のレストランであって、牛島五郎・谷口恵さんと3人だけの集まりだったが、久しぶりに大連の話を聞いた。大連でもと勤めていた会社の2・3くらいが辞めるか、他の部署へ変わり、様変わりしていた。ハワイにいると中国人も少ないし、中国の話題も少ないので、久しぶりだった。 (2017.07.14.)
東急田園都市線の沿線。横浜市はとにかく広く、住民も多い。東急田園都市線は東横線のずっと後にできて、世田谷区を出て、川崎市・横浜市を通過して、神奈川県大和市へ来る。妻の実家が横浜の田園都市線沿線にあり、義理の親が元気なころは子供たちを連れてよく行ったが、義理の兄夫婦の時代になって疎遠になってしまった。
Yokosuka 2019
横須賀市
写真アルバムはFacebookの3K-Ys. Yokosuka, Kanagawaを参照
軍港めぐり・長井漁港のうな健で中国仲間の昼食会・荒崎シーサイド・コース 2019年:金曜日は中国仲間が横須賀へ集まった。仲間の最年長者(牛島五郎さん)が、以前家の近くでやっていたうなぎ屋が消えたが、横須賀で「うな健」として開店したとあいさつ状が来たので、行ってみたいと言い出したので。私はそこに集まる前に、いい機会だから横須賀市をもう少し理解したいと思い、朝早くから横須賀の「東京湾側」をJR横須賀駅前のヴェルニー公園、ドブ板横丁(米軍基地入口の国道16号線向かい)、三笠公園などをうろついて、11時からは「軍港めぐり」の船に乗って米海軍・海上自衛隊の艦船を見てから、京急の汐入駅から横須賀中央、堀ノ内、YRP野比、三浦海岸などの駅を経て、終点の三崎口駅へ向かった。うな健は三崎口駅から荒崎公園行きのバスで20分かかる「相模湾側」にあり、不断寺バス停で降りてすぐ。目の前が長井漁港で(対岸に江の島などが見えた)、刺身二皿と私は1.5人分ウナ重を食べながら(ウナギは台湾でなく、静岡県/愛知県一色)、中国語仲間6人が働いた大連および南昌、さらに様々なことを議論し、大変愉快だった。それが終ると、私だけはバスで荒崎公園へ行き、午後4時から荒崎シーサイド・コースを歩いた。そこは何十年も前に子供たちを連れていった所で、しかし結構タフな岩場コースで、「軍港めぐり」ではほぼ干潮時といっていたから6時間後の満潮時で歩きにくく、足でも挫いたら海岸で野宿かなと思い、半分位歩いた所の「ソレイユの丘」のフェリス・ホイールが見える所でリタイヤ。
バスで三崎口駅へ戻り、京急久里浜駅でJRへ簡単に乗り換えればいいのを知らずに、神奈川八景から逗子へ戻り、そこでソバを食べてからJRに乗り換えて、やっと夜8時少し前に帰宅した。私はこれまで横須賀市には車で何回かいったが、町を見るのは初めてで、また京急に乗るのは初めてで、品川〜三崎口の本線以外に、支線が浦賀へ行ったり、逗子へ行ったり、羽田飛行場へ行ったりする複雑さと、JRへはどこで乗り換えるかを、やっと理解した気がする。(2019.07.19.)
観音崎公園へ 2021年:土曜日は、ほぼ快晴。孫娘を連れて8時半には家を出て、三浦半島の観音崎方面へ。連休中で湘南海岸にはサーファーが大勢出ているので交通の渋滞を心配したが、鎌倉と逗子を経て、順調に移動。三浦半島縦貫道路(100円)と横浜横須賀道路経由(420円)で横須賀市馬掘海岸へ出て、1時間後には観音崎公園へ着いた(33km)。海岸を歩いてから、観音崎灯台へ登って上がり(近くに灯台より高いレーダー塔があるが無人で、横浜の大さん橋近くにある横浜東京湾海上交通センターの一部)、観音崎自然博物館は孫娘とじっくり見た。私は1月中旬に「江の島から海岸を東へ」(8日目)の途中に観音崎公園へ行っているが、3ヶ月半振りに寄っていい空気を吸い、その時は観音崎灯台の公開が中止中で見れなかったので、今回で満足。
そこから海岸のボードウォークをしばらく歩いて、10時半には横須賀美術館のレストランへ着いた。料理は11時からしか出ないので、レストランの外席に陣取って、芝生と少々のクロバーを前に、東京湾を行き来する船の「Ship Watching」で30分のヒマを潰し、11時にやっと昼食(ピザとラザニアを、りんごジュース・サラダで)。それから美術館に入り主題「糸で描く物語」の展示を見て、隣りの谷内六郎館で市民絵画展も見て、1時少し前にそこを出発。連休中で海岸線(国道134号線)が混んでいるかも知れないので、鎌倉の下馬から(長谷)観音大通りを経由し、右の県道を通り常盤口で左へ鎌倉山・蕾亭を通って、午後2時少し過ぎには帰宅した。(2021.05.01.)
大楠山登山 2023年:5月の月曜日、朝8時半に東京の娘と孫と家を出て、三浦半島の最高峰である大楠山(241m)へ。鎌倉海岸の7-Elevenでおにぎりを買って、9時半には逗子・葉山の湘南国際村の駐車場に到着。広い舗装道路を藤とウグイスの鳴き声の中を下り、10時には狭い道の階段を登り、10時半には大楠山頂上へ到着し、ここでおにぎり昼食。11時には近くの雨量レーダーで展望台へ登ってから戻って、11時半には下山開始し、同じ道を戻って、12時半に駐車場へ。帰路の1時にスズキ屋Hayama Stationで買い物をして、快晴になった空の下の外でHinode-Enアイスクリームも食べて、2時半には帰宅。(2023.05.01.)
Hayama City 葉山町
葉山には御用邸があるが、独特な景色の長者ヶ崎には独身のころ何回か行ったことがる。Zushi City: 逗子市
森戸海岸で孫と遊ぶ。日曜日、小雨は続いたが、しばらくして雨が上がり、前日から泊まりに来ていた東京の娘と孫を連れて湘南海岸を横須賀市までドライブして佐島マリーナ近くの「神代島自然教育園」まで行ったが、なぜか閉鎖されていた。仕方なく逗子市の森戸神社に駐車して、森戸海岸で十分遊んだ。しばらくして小雨が降り出したので切り上げて、海岸道路(国道134号線)に面した大衆食堂「まるわ定食」(背後は披露山)で昼食して、帰路についた。(2020.06.15.)Shonan Sea Coast, Tanzawa Mountains and Hakone 鎌倉・湘南海岸・藤沢・大磯・小田原・丹沢山塊・箱根は神奈川県が誇る観光地で、家の近くなので何度も行っている。湘南海岸は、以前はカヌーを漕いで東の逗子海岸や大磯・小田原海岸まで行ったり、自転車で東へ相模川まで行ったり、最近は独りであるいは友人たちとゆっくり散歩したりしている。 Kamakura
鎌倉市
写真アルバムはFacebookの3KKm. Kamakura - East, Center, Center West &Westを参照
鎌倉初訪問:学生時代に鎌倉へ行った記憶もないので、1980年代後半に私の勤務先が藤沢市北部にあったので、付近へ東京から引っ越すために鎌倉を調べたのが初めてか。鎌倉は道路交通が難だったので、藤沢へ引っ越してから、当時米国NY州キングストンにあった我々の製品の企画課のSean Ryan、Betty Smith、Bob Leeなどが来て、数人と一緒に鶴岡八幡宮で絵馬を奉納して製品の成功を祈ったのが、鎌倉の初訪問だった気がする。鎌倉:天園ハイキングコース。5月中旬の火曜日に、以前勤めていた会社の先輩(安藤敬夫さん)と北鎌倉駅で待ち合わせて、鎌倉の町の北側の山路をめぐる天園コースを歩いてきた。全体で10キロくらいになるコースで、明月院の横から山路へ入り、晴天下の太陽を浴びながら天園という所で手製のおにぎりも食べて、鎌倉宮へ出て、そこから鎌倉駅まで歩き、結構楽しめた。私は以前の会社では大型コンピューターに接続・使用される表示端末機シリーズの開発部門で15年くらい仕事をしていて、途中で他の部門へ移ったので、この先輩はその後退職するまでその部門にいたので、いくつかしっかり思い出せないことを聞きただした。(これらの端末機の詳細はWikipediaに載せている。)
また最近彼の紹介で、その頃の米国の同僚たちにも連絡が取れ、彼らが日本へ来た時に一緒に鎌倉の八幡宮へ寄り、端末機の開発が成功するように絵馬を奉納したり、ひとりは東京で石灯籠を買ったので、重い石灯籠を本当に持って帰ったかも聞いたりしたので(本当に持って帰っていてニューヨーク市北郊外の自宅の居間に置いてあるという)、こんな話題も天園コースを歩きながら話した。
鎌倉にはこれ以外に町の東側の山路を歩く大仏・銭洗い弁天・極楽寺コースがあるので、近々行ってみよう。 (2013.05.14.)天園コースで大丸山へ。それから随分経った2022年の真冬に、午前中は曇り空が急に快晴になったので、近所の木曜サロンは参加せず、妻と鎌倉市天園コースの大丸山(おおまるやま)へハイキングまで行ってきた。11時少し前に鎌倉駅から歩きだして、鎌倉八幡宮を通って鎌倉宮の前を行き、永福寺跡も見てから、ハイキングコースへ入り、熊笹の登りで獅子岩を経て、12時過ぎに「天園」茶店へ達した。そこから延々と峰歩きになり、左手下にある巨大な横浜霊園を見ながら歩き、(横浜市との)市境広場、関谷奥見晴し台を経て、直前130段を上がり、1時半前にやっと大丸山(156.8m)へ達して、ここは横浜市の最高の山で眺めがいい。ここから下山して、庄土という所でへ下りて、バスに30分も乗って港南台駅へ着いて、大船駅経由で3時過ぎに、すでに寒風が吹く中を帰宅できた。(2022.01.13.)
天園コースを明月院から。同じく2022年に、3月末の火曜日は一日中曇り空だったが、前年秋の活動に続いて「関東山の会」の2回目で、鎌倉ハイキングに出かけた。私は鎌倉駅の観光案内所で鎌倉の東(天園など)と西(源氏山)にあるコースの概観を聞いて思い出し、川口夫妻と斎藤さんを待ち、まず一緒に案内所でコースを検討して、まず老人も小町通を歩こうと行ったら中国・青島から日本の大学へ行っている中国人4人を見かけて、青島は行ったことがあるなど中国語で雑談。若宮通りの段葛へ移って若い桜も満開なのを見て、そこにある「紅屋」で最近人気の「クルミっ子」を買ってから、鶴岡八幡宮前へ。八幡宮の前庭の池の畔の桜が美しいのを見て、奥から左へ県道へ出て北鎌倉駅の方へ歩き、建長寺はパスして、明月院への道へ曲がり、しばらく行ってやっとハイキングコースへ出た。コース途中石段に座って持参のおにぎり昼食。そこから十王岩・大平山(159m)・ゴルフ場を経て、天園で東郷平八郎の別荘があった所を見て、瑞泉寺方面は一昨年の台風後に閉鎖されたので(実はそれを無視してそこを経て登ってくる人たちにも会った)、すぐ獅子岩を経て永福寺・鎌倉宮・二階堂へ下り(今年1月に大丸山へ妻と登った道)、八幡宮の鳥居へ出て、段葛の峰本ソバ屋が4痔で閉まっていたので小町通りの峰本ソバへ寄って、4人で個室の中でビール・冷酒(京都の松本と新潟の八海山)、ゴボーのフライ・シラスなどを取って、2時間半くらい大連その他の楽しい雑談をして、鎌倉駅・大船駅を経て小雨の中の帰宅は夜8時になった。(2022.03.29.)
鎌倉:源氏山・大仏ハイキングコース。ずっと上と同じ月(2013年の6月)の土曜日にここへひとりで行って歩いてきた。JR北鎌倉駅から県道を少し歩いて浄智寺から南の源氏山公園へ上がり、ずっと山路を歩いて、銭洗い弁天で団子とお汁粉で昼食。鎌倉大仏へ下って、街中を歩いて長谷観音へ出て、そこから成就院でアジサイ(紫陽花)と由比ヶ浜を眺めて(明月院のアジサイほどではない)、極楽寺も見て極楽寺駅から江ノ電に乗って江の島駅へ出て、歩いて自宅へ帰った。源氏山へは、昔子供たちと一緒に桜の花の時期にいったことはあったが、久し振りのハイキングコースで、次週の新疆旅行の身体訓練をしたつもり。 (2013.06.01.)
次女の結婚式:次女の結婚式が行われて、鶴岡八幡宮へ。領家の一族郎党が集まった訳だが、もういい歳だったので、親の役割は少なかった。(2014.05.17.)
天風会の体操と行修会。ハワイで天風会(ヨガ)の体操に参加を始めたので、日本での夏の日曜日、家の比較的近くの江ノ電・江の島駅から簡単に行けるので、早朝8時からハワイの会の親支部「天風会鎌倉の会」の活動に参加した。まず体操は妙本寺という、頼朝の子供の乳母で足利氏により滅ぼされた一族の敷地で、当時盛んだった日蓮宗の寺だったために生き残ったという歴史ある寺の大きな谷戸にある感じの所で行われ、そこの本堂の手水の脇のカエデの木陰に30人くらいが参加しただろうか。このお寺は行きには30分もかかって探したが、簡単な行き方は若宮大路の郵便局・スルガ銀行の間の小道へ(東へ)入り、右手の本覚寺(同じ日蓮宗だ!)へ入ってその正門を出て滑川を渡ると、真っすぐ前の道の向こうに妙本寺がある。
体操に続いて9時半から鎌倉商工会議所(JR鎌倉駅西口にある市役所の向かい)の会議室で「行修会」が行われて(鎌倉代表は天風会本部へ出張中)、講師が寺崎守孝さんで、ひとりマッサージが寺崎しずさん(鎌倉の副代表)で、ケーススタディーでグループ議論もあって(やっと一つのテーブルを見つけた混んだレストランで、ウェイターが頼んだビールも料理もなかなか持って来なかったら、あなたはどうする?)、ハワイ支部へも行ったこともある竹内美穂さんに会ったりして、なかなか面白かった。 (2019.08.04.)
以下は、その時の私の携帯へ入れたノートから:《鎌倉商工会議所102会議室で。 1.寺崎守孝講師:クンバハカ(肩の力を抜いて下腹と肛門を締める)、養動法、安定打座=無念無想<-多念多心-集中=一心。2.寺崎しず鎌倉副代表:ひとりマッサージ。3.寺崎守孝講師: (会報『志るべ』9月号の「暗示の分析」について)心身統一法(積極へ)、体操、養動法、感応性能の積極化、安定打座。1、観念要素のこうかいほう、2、積極観念の養成法 a、内省検討 b、暗示の分析 c、対人精神態度 d、取り越し苦労厳禁 e、正義の実行、3、神経反射の調整法。》
高校同級生の墓参り。水曜日、9時過ぎに家を出て、高校同級生の堀江朋子さんの墓参りに参加した。私は藤沢駅から江ノ電で移動して、12人が鎌倉駅で集まり、タクシーで巨大な鎌倉材木座霊園へ行き、堀江家の墓で般若心経を皆で唱えて祈り、草取りもした。八幡宮へ寄ったが宝物館を見る時間がなく、峯本そば屋で昼食(酒入りで5千円)。堀江さんは東北の歴史を書いた作家で、北上市への旅を毎年主催したので私らも1度参加。各自顔女おの思い出を話し合い、私は彼女の本は詳しすぎたがWikipediaに彼女のページを作ってあげことを話、散会した。私は江ノ電で帰り、南図書館へも寄って帰宅。夕方6時近くに帰宅したので、金星と土星からほぼ等距離に、弱い光で土星がやっと見えた。(2021.12.01.)
鎌倉市西部
私の住居は鎌倉市西部に接しているので、そこへは散歩にしばしば訪れる。
鎌倉山の桜が満開:今週の大半は、満開になりだした桜の花の見物に費やした。まず月曜日は、妻と車で近くの鎌倉山へ行き、駐車して、夫婦池公園を下りて、上がってきた。(2014.03.31.)西鎌倉の広町公園でホタル狩り: 鎌倉市が藤沢市に接するあたりを西鎌倉と呼んでいて、もちろん海岸線もあるが、そこから少し入ると谷戸や森林などなど手つかずの自然が残っている「広町公園」という土地っ子だけが知っている所がある。ホタルの季節なので、夕食後にハワイから来ていた孫たちにホタルを見せにいってきた。そんな多くは飛んでいないが、暗い夜道を「ホッ、ホッ、ホタル来い。あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ。」と皆で歌いながら、童心に返ってホタル狩りをした。近くの植物の葉に留まっているホタル一匹を見かけたので、両手で捕まえて、上の孫にも持たせて観察させて、しばらくして放させた。私の子供のころの長野県の田舎ではホタルが田んぼの上を乱舞していたが、その後都会へ来て見なくなったが、子供ができてからはこの広町公園へいったり、仕事上の先輩と箱根の川へ見に行ったり、横浜のこども自然公園ではホタルの群れが同期して光を放っているのを見たことがあり、梅雨の頃はホタル狩りがかかせない。 (2014.06.12.)
広町公園を散策:新コロナウィルス猛威を振るう初春の水曜日、快晴だったので。近くの広町公園へ妻と散策に行ってきた。記録に「9:20家を出発、9:30 Coopに駐車、9:45広町公園入口、外周路を歩き、11:30入口へ戻る、11:45 Coop、12:00帰宅」とあるので、1時間45分の公園散歩だった。この公園の入り口あたりは、以前夜に孫たちを連れてホタルを見に行ったことがあり、鎌倉・藤沢で一番自然が残るところで、脇に置か和が流れる谷戸(やと)を抜けて、丘へ上がり、大桜・大桐などを経て、相模湾を見下ろし、富士山を望み、いい散策路で、今回は桜が満開で最高だった。去年の台風で10カ所位に倒木があったが、全て処理されていて、鎌倉市の管理には感心した。(2020.03.25.)
鎌倉中央公園を散歩:土曜日、広町緑地よりいい自然公園があるというので、鎌倉中央公園へ妻といってきた。駐車場を高齢者用に予約して行ったが、モノレール町屋駅からは急な坂を登って行き、公園内でも急坂の登り降りがあり面白い。鎌倉市にこうした自然公園があるのは意外で、薄曇りの中を楽しんできた。(2020.10.03)
鎌倉中央公園を再訪:火曜日、春眠暁を覚えずで、いつもより遅い5時半ごろ目覚めて、この日は湿度も高くない。いい気候。午前中、鎌倉中央公園へ散歩に行ってきた。モノレールに乗って湘南町屋駅まで行くので行き帰りが片道30分かかり遠いのだが、「谷戸」をいくつか十二分に生かした自然公園。公園入口から左の上池・下池を過ぎて、小川に沿って反時計周りに散策路を歩き、田んぼを見たりして、東出口付近では山に登り、降りて広場に戻り、疎林広場へ上り・下りて公園入口へ戻り、2?3キロの外周路散歩が楽しんだ。記録:《905出発、915モノレール片瀬250円町屋925、7-11前の坂を登り6番通りで左へ鎌倉中央公園清水塚入口950(京急ハス鎌倉駅西口へ毎時2本)、上池下池、小川に沿って反時計回り、まず1010広場、石切り場、山崎の谷戸の田んぼ12枚、梅林、1020散策路東出口、坂を登る、ウグイスかガビチョウか、1030頂上、1035田んぼへ出て広場へ戻り、左へ登り疎林広場へ1045、1100入口、1105歩く、1120町屋駅、1155帰宅。》 (2021.05.25.)
Working in Fujisawa & Yamato The 5th Asian BBS Conference in Fujisawa 1993
藤沢市(&大和時代)。米国留学から日本へ戻って、藤沢市にできた製品開発研究所で(後に大和市へ移転)働いた時代で、初めは東京で、その後は藤沢市南部へ引っ越した。
写真集はFacebookの3KF. Life in Central Bluff's Four Seasons 2020-23
神奈川県中央の江の島から小動岬(こゆるぎみさき)を経て柏尾川・東海道・JR東海道線までの高台を、「神奈川県中央山手」(Kanagawa's Bluff)と私は呼んでいる。横浜港を見下ろす「横浜市の山手」(The Bluff)に習った命名で、丁度藤沢市と鎌倉市の境に当たる。ここの高台では晴れていれば西へ(藤沢市側へ)眼下の相模平野(鵠沼から小田原まで)と相模湾を見下ろし、遠くに富士山と箱根の山々、その左に伊豆半島が天城山まで、右に丹沢の山々を見ることができるので、私はしばしばここへ登り散歩に寄る。
写真集はFacebookの3KF. Life in Central Bluff's Four Seasons 2024参照:日本・藤沢生活の四季
中央山手は岩地なので、昔は森でそこの木を近所の人々が定期的に刈って炭を作ったりしていたが、麓の境川に沿った藤沢宿から江の島弁天への旧街道は江戸時代まで大山参りの帰路ににぎわったようだ。昭和時代後半には江の島ゴルフコースになって(獅子文六の『大番』では相場師のギューちゃんがここで芸者たちとゴルフ!)、その後三井不動産により宅地として開発されて、住民はほぼ藤沢駅へのバスや大船駅へのモノレールで、東京・川崎・横浜へ通勤している。域内には、2つの公園(新林公園・目白山公園)と5つの小公園が整備されていて、公立中学・私立女子高校・麓に小学校があり、郵便局・スーパー・薬局もある。新開地なので人々はお互いにそう交流はないが、市民センターと私的センターでいくつかの集会はある。
第5回アジアBBS会議 in 藤沢 1993
引地川の桜1):前日の鎌倉山花見に続いて、今日は小田急の湘南台駅へ行き、そこから引地川の湘南台高校(湘南台橋)から1km弱下流の曲がった所(円行新橋)までを、両岸の桜の花を見ながら2時間ほど歩いた。(帰りがけに、藤沢市中央図書館にも久し振りに寄った。)。(2014.04.01.)引地川の桜2):藤沢市には比較的大きな川が2つ南北に流れて相模湾へそそいでいて、家の近くの江の島近くの境川と、もう少し西の引地川。小田急江ノ島線の湘南台駅近くの引地川の中流に桜が植えられているので、月曜日午後になって今年もまた見にいった。湘南台高校の北側から円行公園まで歩いたもので、川の水辺へ垂れ下がる桜花がきれいだった。湘南台駅への帰り道を近所の女性に聞くついでに、「きれいな所に住んでいますね。」といったら、「いや、桜の花が咲き終わると、葉を食べる毛虫が出て、桜並木の下を歩いていると頭や首筋まで落ちてきて、大変。」ということで、実は我が家にも桜の木があったが、毛虫が出てイヤだと妻が切ってしまい、男性は毛虫を余り気にしないが女性は大嫌いなのを再度思い知らされた。円行大橋にキタムラ・カメラがあり、ニコンのCoolpix S610(NFC接続機能あり)というのもいいなと調査して、また円行公園にはめずらしく大勢の子供たちが遊んでいて、見事な竹林の中でタケノコも生え出しているのも見て、また駅の反対側で湘南台公園へも寄ってから帰宅した。 (2015.04.06.)
新林公園: 日本の我が家から5分ほど歩いたところに、藤沢市の自然あふれる新林公園があり、そこで午後散歩してきた。公園の下部に旧小池邸という江戸時代末期の名主の家が移転されていて、手入れをしている人がいたので、彼が説明してくれて、ゆっくり見る機会があった。興味あったのは、この家は私が戦時中から戦後にかけて長野県の農村に家族疎開で住んでいた家にそっくりだったことだ。入り口が土間になっていて、そこに洗い場とかまどがあり、そこから板敷の今に上がるといろりがあり、座敷と客間もあって、2階に上がる階段もあり、かまどと囲炉裏からの煙が家の屋根のカヤをいぶり、虫よけになっている。こうした家が日本の農村では太古の昔から60年前くらいまで標準だったのが、今はほとんどなくなってしまった。ここはいい保存状態で、感心した。(2012.10.16.)
2014年2月の大雪: 先週金曜日は朝から雪になり、夕方までに前週末に続いて大雪になり、交通は大問題になった。午後は雪が降りしきる中を、新林公園のヒノキ林までいってきた(詩「雪の片瀬山の森にて」を参照)。翌朝までには雨になると予報が出ていたが、少し雨があっただけだった。土曜日午後は近所総出で、道路の雪掻きをして、腰が痛くなった。近くのスーパーまで買い物にいったが、まだ雪?きを十分していないところ、水分を含んだ雪が水たまりをなしているところがあり、スニーカーがズブ濡れになってしまった。 (2014.02.14. & 15.)
新林公園を孫たちと散歩: 先週の木曜日は、孫たちを連れて娘と近くの森林公園(新林公園)へいった。林の中を歩いて、さらにヒノキ林を下って登り、「獣落とし」(ししおとし)の穴の跡を見て山道を下ると、下の平地にある江戸時代の屋敷を移設した茅葺の屋根の家を見る。そこからしばらく登って「冒険広場」で、上の子はロープウェイに滑車でぶら下がったり、ジャングルジムで遊び、下の子はウロウロそこらを走り周り、遊ばせた。近くのパン屋で買ったサンドイッチを食べて、よく晴れた日の太陽を沢山浴びて帰ってきた。 (2014.05.22.)
Hikiji River Park & Oba Castle Park 2020
引地川親水公園と大庭城址公園 2020
家へ一旦帰ったあと、藤沢市の桜の名所めぐりもしようということになり、海岸通りの国道135線へ出て、松波から引地川下流の土手にある桜の花を見て、さらに皮を遡って内陸へ向かい新しい「引地川親水公園」の桜を見て、ここは黄色の菜の花も沢山あり、きれいだった。(ひとり川辺へ下りたら、昔信州の疎開先では春一番に川辺でネコヤナギの芽を取って家へ持って帰ったとか、台湾では旧正月に梅の花とネコヤナギの芽をかざったとか、を思い出した。)近くに大庭(おおば)城址公園があるはずと探すことしばし、やっと探し出して丘を登ったら、ここも桜が満開で、大いに楽しんだ。近くに「湘南ニュータウン」があり、サイゼリアでピッツァを食べて、向かいの大庭市立図書館へ寄り、ここには私の本『大連の春』も寄贈してあるので、これを確かめて、Japan Times付録のNew York Timesを読んで、午後二時ころ帰宅したが、長らく不在だった藤沢・鎌倉の桜名所を妻に案内してもらった。(2020.04.02.)
Kugenuma: Lotus Ponds
鵠沼:蓮池
鵠沼の「はす池」へ、早朝から妻とハスの花を見に行った。第1池の白色のハス(舞妃蓮=まいひれん)は半分が開花していて、カルガモの親子も遊んでいる。第2池のピンクのハス(誠蓮=まことばす)はまだ開花していなかった。境川の蛇行がこの池になったようで、鵠沼のこんなところがあるのは知らなかった。(2020.06.13.)Viewing Around the Fujisawa City Hospital
藤沢市民病院からの眺め
梅雨が7月末まで長引いた2020年の8月初旬、藤沢市民病院に一週間ほど入院した。ヒマを持て余し、最上階に住んだので「藤沢市民病院の眺め」を書くことにした。藤沢市は神奈川県中部の都市で、海岸から1キロほど北を旧東海道が東西へ通り、そこの旧藤沢宿から少し北に入った所に1971年創立の市民病院がある。 この旧東海道部分は正月の箱根駅伝で遊行寺の坂を下りて藤沢橋で境川を渡る所で、その際は病院の人たちも応援に行くものと思う。藤沢宿は復元が進んでいて、そのあたりは電柱が取り払われていて気持ちがいい。往時、この病院の敷地は徳川家康の「藤沢御殿」だったはずで、その広大な敷地に病院が建ったと思うが、はっきりとは分からない。
病院は今エントランスホールを挟んで西館と東館で合計500ベッドの病棟はあり、1?2階は外来診療。病院の周りはほぼ二階建ての個人住宅なので、眺めがいい。私はこの病院の東棟最上階8階の南側の四人部屋の窓側だったので、南側がよく見える。眼下を藤沢バイパス(国道1号線)が通り、車の往来は時間にかかわらず多い。バイパスの橋の下を勢いよく流れる境川が大きく蛇行していて、上流に横浜水道水路橋、湘南台の境川遊水池公園があり、遠くには横浜ドリームランドとホテルエンパイア(現在は横浜薬科大学)と周辺の住宅地が見える。境川の東側脇に藤沢清流高校・大清水中学校&小学校があり、境川の西側は自転車道路になっていて、川は遠く町田駅を越えて相模湖近くが水源で、往時は相模国と武蔵国の境だったので、この名がある。
眼下のバイパスのすぐ向こう側に2メートル位の高さの石垣の下に池があり、いまハスが満開で、この池は多分境川の昔の蛇行部分が取り残された、鵠沼に2つある蓮池と同じものと思う。その隣りに滑り台やブランコを備えた小公園があり、午後になるとお母さんが幼児相手にサッカー遊びをするのが見え、隣りに病院職員の駐車場もある。目をさらに西へ転ずると近くに湘南長寿園病院の建物が見えて、遠くの丘の上に緑に包まれた聖園(みその)女学院があり、これはドイツの中西部から来た聖園テレジア会が経営している。こうして、病院の南側は東京?横浜の郊外都市らしく、緑が多い。
北側は、私がいる東棟の南側のAセクション廊下からエントランスホールを見下ろし、右に西棟(Cセクションがある)を見るようにしても見えるが、一番いいのは8Bスタッフステーションの前を抜けて北側のBセクションの8階ロビーに行くと良~く見えて、病院前の車寄せでバスやタクシーの発着を見下し、すぐ向こう隣りに妙善寺があり、旧東海道の向うには常光寺の緑地が見える。
そのずっと南は藤沢駅近くの商店街で、最近は住宅用ビルが増えてきて、そのずっと西は境川下流を越えて片瀬山の丘を望む。南側の正面遠くには江の島があり、そこから茅ヶ崎方面へ続く相模湾が見えて、また江ノ島の後方に伊豆大島がかすかに見えることもある。その右手前に大きな通信タワーがが見えるのは、藤沢警察署か湘南工科大学だろう。
西側は、やはり8階ロビーからで、藤沢バイパスが西方へ伸びて、白幡神社から町田を経て八王子へ向かう国道436がバイパスの下をくぐっていて、そのあたりに藤沢市の石名坂最終処分場と水泳プールがあり、向こうに小田急江ノ島線の橋が見える。右遠くの大きな茶色のいかついビルは、文教大学か慶応大学かな。晴れていれば富士山と箱根が見えて、右手には丹沢山塊が近いので見えることが多い。
東側は、朝焼けや遊行寺がよく見えるはずだが、8階Aセクションなので行けない。5日目になって8Aスタッフステーションの前を通ってこっそり見たら、隣りに藤沢市立看護専門学校を見下ろして、境川の向こうにテニス場があり、さらに向こうの丘は遊行寺から続く緑豊かな感じだった。(2020.08.06.)
Enoshima Island
江の島
我が家から江の島大橋の入り口(左が東浜、右が西浜と江の島水族館)
までは歩いて20分なので、私は旧江の島街道・スバナ通りを経て、よく
江の島へ散歩に出かける。
写真アルバムはFacebookのEnoshima: You'll Often Find Me There!を参照
高校同級生たちと江の島へ(2012年):高校の同級生たちが私の中国からの帰省に併せて、我が家近くの江の島へ散歩に来てくれた。小田急の江の島駅へ11時に集合し、歩いて橋を渡り、ひとり足を悪くしている人がいたのでなるべく階段を使わずに坂道をゆっくり歩いて、江の島の西端の魚見亭で昼食。私は海鮮ソバを食べ、なぜかみんなで東芝談議になってしまった。もうひとりが後藤新平の詩碑があるはずだといいだし、それを探す過程で児玉(源太郎)神社を発見、新発見だった。曇り空だったが、相模湾の向こうにかすかに富士山、箱根も見えて、風もなく、いい散歩になった。このあと我が家でみんなと飲み明かしだが、塩釜の吟醸酒を持ってきてくれた人もいて、なかなかよかった。江の島から歩いて家へ来る途中、龍口寺へ寄った。日蓮が捕えられて惨殺されそうになった時に、大いなる光が江の島方面から来て、殺されそこなったといういわく付きの日蓮宗の寺だ。なぜ龍口寺というのか通りかかったお坊さんに聞いたら、片瀬山は江の島から見ると龍のようで、龍口寺のあるところが口に見える。むかしここで五頭龍が暴れまわっていて、江の島の弁天さんを見染めて、嫁に来てくれと頼んだら、あなたは悪い龍だからいやだといわれた。それで改心していい龍になったという。始めて聞いた話だった。そういえば、小動(こゆるぎ)神社の夏の大祭では、みこしを担いで東浜の海を渡り、江の島へ往復する。 (2012.01.19.)
真冬の江の島散歩(2016年):先週月曜日は北日本で低気圧が通過して猛吹雪になり、このあたりも風が強い曇り空で寒かったが、午後になり多少暖かくなったので、中国からの帰省時に「海に比較的近い我が家滞在で海を見に一回もゆかないなんて。」と思い、江の島まで歩いていってきた。江の島へは歩いて30分の距離で、普段とは逆で、向かって左側のエスカーや児玉神社がある方から時計回りで、西側の稚児ヶ淵・岩屋洞窟がある所まで全体で1時間くらいで廻って、西側は風が強くて太平洋の荒波が逆巻いていた。おかげでIC系「Jawbone Up万歩計」(Bluetoothでスマホに接続できて、インターネットで目標値に対する実績値と指定した友人たちの成績も見える)で毎日1万歩目標に対して、169%達成になった、シメシメ。 (2016.02.29.)
江の島東浜で凧揚げ(2021年):正月二日は土曜日で、朝から東京に住む次女夫婦が子供を連れて里帰り。昼食後、モノレールと歩きで江の島東浜まで行き凧揚げをして、海岸では幸い風が強く大成功と言いたいが、四歳児には凧揚げは早すぎる。江の島大橋を渡って、大鳥居から右へ行く近道で稚児ヶ淵までいって、岩屋洞窟を見て、第二洞窟は最近の工事が終りきいれいに電飾が施されていて、孫は大喜び。家で夕食後、孫は疲れで寝る中、遅くまで四人で雑談して、娘一家は日帰りで帰った。 (2021.01.02.)
片瀬地区老人クラブ連合会で江の島往復(2021年):5月末の金曜日は温かいいい日で、富士見坂からは珍しく富士山や右の丹沢山地、左の伊豆半島の山々がよく見える。午前中8時半に家を出て、下町の「片瀬しおさいセンター」まで歩いて行き、片瀬地区老人クラブ連合会の江の島「さざえ島」(ヨットハーバーのシンボル)往復の「第18回歩け歩け大会ウォーキング」に参加した。境川に沿ってゆっくり歩いて、江の島大橋で江の島住人組と合同して40名位になり、大橋の途中でも「べんてん丸」船着き場で富士山を眺めながら休み、ヨットハーバーのさざえ島は閉鎖されていたので、向かいの聖天島広場で集合写真を撮って、参加した市高齢者支援課の人から「転ばない体作り」講義(スクワット・もも上げ・かかと上げを毎日10回)を聞いた。また帰途もゆっくりで、センターでお茶と小さな「本練羊羹」を貰って散会し、私は買い物をして正午ころ帰宅。記録《片瀬地区老人クラブ連合会の、第18回歩け歩け大会ウォーキングへ。905体操、915出発、930地下道、わかやぎ会の立脇さん、940べんてん丸、1005聖天島広場で集合写真(さざえ島へ入れないので)良真上人/源実朝、市高齢者支援課の転ばない体作り講義:スクワット/もも上げ/かかと上げを毎日10回、1035出発、1145しおさいセンターでお茶と羊羮、1120解散、ウルス、1200帰宅。》 (2021.05.28.)
Chigasaki City
茅ヶ崎市
Walking the Countryside from Chigasaki 茅ヶ崎から藤沢へ里山散歩。先週月曜日は、もと仕事上の同僚(安藤敬夫さん)と二人で神奈川県の中央部の里山歩きをしてきた。茅ヶ崎駅で10時に待ち合わせ、そこから出ている相模線で2つ先の香川駅で10時半から歩き始めた。まず熊澤商店(湘南ビールの発売元)へ寄り、11時半からしかレストランは空かないというので、ずっと相模平野の田舎道を歩き続けて、茅ヶ崎里山公園(県立)というこのあたりの典型的な里山を散策した。公園内は森と田んぼがあり丁度刈りいれた稲穂を干していて、「谷(やと)の家」(このあたりでは「谷戸」とは書かない)という古い木造農家の家屋を再現した所で持参したオニギリの昼食。 公園から出るとすぐ、相模川へ流れ込む小出川の両岸に彼岸花が満開を少し過ぎた時期で、彼岸花と農家の刈りいれ写真を撮りながら歩いた。さらに歩いて慶応大学湘南キャンパスを大回りさせられて、今年は9月末まで暑い日が続いた中で疲れ果てたが、友人は大学入り口で若い女学生を見たら元気がでたというのは冗談だったのか。さらに歩いて、私らが40年前に勤務した端末機開発研究所がある工場へ寄る途中でそのあたりに住んでいるもとの同僚(窪田正明)にも出遭い、この工場はその後ハードディスク(HD)の専門工場となり、それから日立のHD部門(HGST)へ売られ、さらに最近部門ごとウェスタン・ディジタルに売られたことを彼から聞いたりして、その工場の外形は我々が勤務したころのままで、看板だけがHGSTとWD両社の名称で立っていた。小田急線の湘南台駅へ午後3時半に疲れ果ててたどり着いて、この駅は相模線と地下鉄が乗り入れ、慶応大学生も大勢出入りして、昔と比べて様変わりした感じ。結局藤沢駅まで行き、私の行きつけの地下のソバ屋「ながつか」で15キロ・4時間に亘る里山歩きに祝杯を挙げた。(2013.09.30.)
Hiratsuka City
平塚市
平塚の写真展と小田原の梅林 2014年:火曜日に、仕事上の先輩(安藤敬夫さん)が素人写真家グループ「フォト四季」に属していて、平塚市美術館で写真展をしたのでいってきた。20人くらいが各自3〜4点を出していて、1年間の総仕上げらしく、素敵な標題でいい写真が沢山あった。平塚市にはこの美術館以外に近くに博物館もあり(競輪場があるので、それが盛んだったころの資金で建てたという)、時間があったのでいってみた。2Fにサイトバライという展示があり、街中では道祖神を祭る「お仮屋」を建てる習慣がある。ボランティアの説明員へ聞いたら、彼は田舎出で、平塚市城島(きじま、厚木小田原道路にまたがっている)の城所地区(南側)に、私が子供時代に経験した北信地方と同じようなドンドヤキをやるといい、私は一度いってみたいと思う(平塚駅からバスもあり。)小田原梅林へ続く。 (2014.02.25.)平塚市総合公園へ孫と 2016年: 中国からの一時帰国で、成田飛行場に荷物のひとつを忘れてしまい、娘が取りに行ってくれることになり、私ら夫婦で孫たちの面倒をみることになり、イトー・ヨーカドーで少々買い物をした後、妻が最近発見した平塚市総合公園へ連れていった。戦前は軍関係の火薬工場だったようで、広い敷地に野球場、陸上競技場(湘南BMWというプロサッカーチームの本拠地らしい)以外に、音楽堂付き広い芝生のフィールド、ふれあい動物園、わんぱく広場(遊戯施設など)があり、すべて無料だった。全体が森や樟の並木や芝生広場になっていて、いい公園だ。(2016.05.31.)
平塚のバラ園「花菜ガーデン」へ 2021年:月曜日はいい天気の日で、朝から平塚市北部の県立バラ園「花菜ガーデン」(正式名:県立花と緑のふれあいセンター)へ出かけた。8時過ぎに出発し、順調に海岸道路を進み、新湘南バイパスへの交差点で少し混んだが、平塚袖ヶ浜で右へ曲がり、金目川(花水川)左岸にある「花菜ガーデン」に着いた。
今はバラ園に世界各種のバラが真っ盛りに咲いていて、実は妻がこれを孫娘に見させたかったのに、おじいちゃんも付いていったもので、1時間ほど北に丹沢山地の大山が間近に見えて、遠くに富士山も見える「駿河の国」の大地でバラが香るいい空気を吸った。集会場「チャペックの家」があったのは理解できなかったが、帰りにお土産店「Dear Capek Shop」もあってあらゆる神奈川物産を売っていたので、小田原産の金目鯛西京焼き・こゆるぎ弁当・鶏弁当を買って、11時過ぎには帰宅できて、自宅でランチにして、いい小旅行だった。(2021.05.03.)
Oiso Town
大磯町
父と大磯の街を散歩 1988年大磯散歩 2014年: 以前3・4回いったことがある大磯町をまた散歩してみたいと思っていたので、金曜日に雨が上り、陽が指してきた午後に『神奈川さわやか散歩』の本を片手に行ってきた。JRの電車で4つ目の大磯駅で下りて、跨線橋から北側へ回ったのが1時半。まず湘南平の高台の一部の高田公園へ急坂を登って、大磯の町と相模灘を見下ろす風景を見て、下ってJR東海道線をくぐって島崎藤村旧宅を見学した。信州生まれの母が『若菜集』から始まって大の藤村ファンだったこともあって、そこの係員と「信州生まれで東京に長らく住んでいた文豪が、晩年になぜ大磯に住んだか?」の雑談をして、毎年1月14日夜に行われる左義長(ドンド焼き)を見て気に入って決めたのではないかという私の推察が正しいことを確認し、私も以前大磯に住む友人と各部落が集まって海岸で一緒にやるドント焼きを見て感激したことがあると話す。
次に、国道1号線へ出て旧東海道松並木を歩いて、「滄浪閣」から西湘バイパスをくぐって「こゆるぎの浜」(万葉集に出てくる歌で有名で、平塚から小田原の海岸をいうらしい)へ歩く途中で、大磯町のガイドをしている人に会い、いまは固定資産税逃れの駐車場がおもな業務の滄浪閣は伊藤博文の住居跡で、そのあたりは「元老街道」と呼ばれ、沢山の政治家・実業家の別荘地帯で、などと説明してくれる。以前友人と見にいった大磯海岸のアオバトはいまも来ているとも説明してくれたが、湘南平はタカの類が南へ渡る前の集合地だとは、知らないようだった。
海釣りの人たちがまばらに見える勇壮な海岸を歩いたあと、また西湘バイパスをくぐって1号線へ戻る時に、防風林の手入れをしている人たちが「いいカメラを持っているね。」と話しかけてきて、そこに黄色の花が咲く(実を付けた?)ウメモドキが珍しいから持って行けというので、貰ってきた。次に「旧吉田茂邸再建基金」の宣伝がかかる町役場の隣りの「鴫立庵」へ寄り、ここは西行法師が「心なき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」と詠んだところと伝えられている。鴫立沢の水音がいい庵だが、狭くて暗くて好きではなく、そこにある「湘南」という言葉な大磯が発祥地という石碑は、藤沢人としては納得いかない。さらに国道を歩き、大磯宿跡を通り過ぎて、井上蒲鉾店でハンペンを買い、高価なのですぐ反省。湘南信金で駅方面へ曲がると地福寺があり、島崎藤村と妻の墓がある。以前父を案内した時に、ここと駅前のコーヒーショップへ寄ったことがあるのは覚えているので、町立図書館をのぞいた後、駅前広場にレストラン「風月堂」があったので、パンケーキ付コーヒーを取る。文化の日に湘南国際マラソンがあるので、「大磯宿場祭り」もそれを避けて11月第3週に延期したなどの雑談に合いの手を打つ。隣りの歴史あるらしい風月堂洋菓子店は閉鎖していて、このコーヒーショップも10年前に持ち主が変ったそうで、そこも5時には閉まるというので、閉店直前にそこを出た。駅前のエリザベス・サンダーズ・ホームの聖ステファノ教会へ以前長野聖救主教会に人たちと隠れキリシタンの遺品の展示を見たことを思い出したが、そこへ寄る時間はなく、鴫立沢の係員が新聞紙につつんでくれたウメモドキをかかえながら電車で帰宅した。 (2014.10.24.)
Ninomiya Town
二宮町
Odawara City
小田原市
小田原市は独特の文化を持っており、小田原城・小田原梅林・北原白秋の「からたちの花の小径」などへ行っているが、藤沢南図書館主催の「小田原文学散歩」でも行ってきた。小田原市下曽我の梅林(2014年)を(上の平塚市からの続きで)、先輩の車で移動して見にいった。そこで梅を採る農家が梅畑を開放しているもので、梅の花は盛りをすぎていたが、梅の花の香りがただよい、今年は2月に大雪が降って開花が遅れたので3月5まで開放するという。久しぶりに搗き立てのモチ(アンコとカラミ)や甘酒を食べて、花より団子の体で、大磯駅で解散した。(2014.02.25.)
小田原文学散歩と北原白秋: 藤沢南図書館で「小田原文学散歩、白秋のからたちの花の小径」というイベントを先々週見つけたので申し込み、先週火曜日は午後に図書館の会議室で受講者24人の講演へ出て、翌水曜日には小田原で実際に散歩をしてきた。火曜日の講演は午後1時半から2時間行われて、講師は島津勝昭さんという方で、本業はお茶を濁していたがこうした文学散歩を有隣堂(神奈川県の本屋チェーン)の文化講座などでも手広くやっているようで、小田原文学館館長が書いた「童謡の故郷、白秋山荘」を資料として配って説明があった。我々の世代は北原白秋作詞・山田耕作作曲の童謡を沢山知っているので、大変興味があった。
水曜日は朝9時半に小田原駅に集合して、講師の案内でみんなして北原白秋ゆかりの場所を歩いて、城山公園で持参の昼食。そこは小田原駅の山側で、箱根登山鉄道の湯本駅に至る国道の右側の山の中腹にあり、「からたちの花の小路」(何の変哲もない小路だが、ある場所へ来ると丹沢山塊から江の島方面へのすばらしい眺望がある)と、彼が住んでいた伝筆寺(でんじょうじ)が主だった。このあたりは明治末期から大正時代にかけて宮家(閑院宮など)や大企業(山下汽船など)の社長などが別荘を持ったところで、圧巻は清閑亭という別荘で休憩してコーヒーを飲んだが、小田原の町と相模湾・三浦半島から箱根の山を見下ろすすばらしいところだった。
帰りに私は途中グループから分かれて「ウイロー」(外郎)を買いにいったが、ういろう本舗は水曜日で休み。そこから小田原駅まで歩いて、途中小田原城で菊展をやっていたので、そこへ寄って帰った。(ああいうとりすました日本の菊展は好きでなく、以前南京で見た菊展が華やかでよかった。)この神奈川県藤沢市に住んでいると県庁所在地の横浜は、私は社会へ出てすぐ横浜営業所で働いたのでよく知っていて、県内のその他の大都市では川崎もそこで働いたことがあり、まあまあ知っているが、小田原はいつもバイパスを抜けて箱根・伊豆などへ行くだけで、ずっと以前に寄った郊外の梅林以外はよく知らなかったので、北原白秋・山田耕作の話にひたって、私も日本人だなと感じるいい時を持った気がする。 (2013.11.13. &-14.)
小田原散歩:国立印刷局小田原工場の桜など: 土曜日は強風で雨模様という天気予報だったが、もと仕事関係の先輩を誘って、国立印刷局小田原工場の桜を見にいってきた。まずJR早川駅で待ち合わせて、歩いて2・3分の早川港の毎週土曜日の朝市へ行ったが、9時に始まった市が9時半にはほぼ終っていた。そこから早川橋を渡って小田原文学館へ寄り(250円、そこの北原白秋館の童謡の展示が多少面白かった)、国道1号線とJR東海道線の交差点へ出たら、そこの片野屋呉服屋で「豆相人車鉄道」(前世期始めに小田原まで来ていた鉄道からさらに人力で押す「人車鉄道)で熱海まで行けた)と小田原の歴史を説明してくれて、手間取った。「ういろう」本舗へ寄って2箱買い(以前藤沢でも買えたがこの20年位は買えなくなった)、さらに歩いて小田原城の満開の桜を見て(「小田原おでん祭」をやっていた)、和食レストラン「だるま」で30分も待って昼食中、先輩から私の本のコメントを3つ貰った。それが終ってバスに乗って鴨宮駅方面へ行き、印刷所前で下りて、国立印刷局小田原工場の桜を見た(小田原市総合ビジネス高校のブラスバンドの演奏会があった)。大阪の造幣局の桜並木通り抜けは有名だか、昭和16年に始まったこの工場の桜もなかなかのものだった。(2015.04.04.)
箱根・石垣山一夜城跡ハイキング: 木曜日は寒い風が吹くがいい天気になったので、箱根の一夜城へ妻といってきた。カレンダーに「8:15出発、850清掃バイパスのパーキングでトイレ、920一夜城1040、小田原早川漁港(さかなセンターの海雅Kaiga)でランチ1140、1230帰宅。」と記録があり、湘南バイパスを小田原早川出口から出て、小田原の西の小山へ向かい、河津桜が満開の駐車場に車を置いて、石垣山一夜城跡をハイキングしてきた。本丸の物見台からは、北は小田原の町から湘南の海岸と相模灘を見下ろし、二の丸の展望台からは西に丹沢山塊の大山からぐるっと箱根の神山などを見渡すことができ(東と南は見えない)、秀吉が小田原攻めの時にひそかにここへ城を築き、ほぼ完成した時に付近の森の木々を伐採して、一夜にして城を築いた風に見せかけたら、小田原の兵士たちは肝をつぶして戦意を失って、続く戦闘で連敗したという伝説のある、現在は小田原市立公園。
下山後、早川港へ寄って「さかなセンター」で寿司を食べる予定が、木曜日は休みで、レストラン「海雅」で食べたランチは冷凍品でいまいちだったので残念。(2020.02.17.)
曽我梅林・二宮町の吾妻山・大磯町の県立城山公園の三井家別邸地区をハイキング: 火曜日早朝、外気は10度、室内は16度で、まるで4月の陽気に誘われて、小田原市の「蘇我梅林」へいってきた。風が強い日で、車で湘南自動車道路を走ると、駿河湾は大波が押し寄せていた。今年はコロナ禍で小田原市では「蘇我梅林」以外2つある中河原梅林などは閉まっていたが、富士山・箱根山を背景にこの梅林をくまなく歩いて、梅の香りは風で飛んでしまっていたのは残念。
帰りは、まず二宮町の吾妻山公園(標高136メートル)で黄色の菜の花を背景に富士山と駿河湾と小田原の町を望んで、ローラー滑り台に乗ってから、そこを下山して二宮駅前でPizzeria Antica Cittaで昼食を取った。次に大磯町の「県立大磯城山公園」の旧三井別邸地区(隣りの「旧吉田茂邸地区」は、去年11月に訪問済み(3日目))へ登って、英気を養ってから帰宅した。記録:《915出発、快晴だが風が強く駿河湾は大波、1015蘇我梅林500円1055、1130生涯学習センター駐車場、1150中里口から上る、1210吾妻山頂上、1220ローラー滑り台、1245なのはなレストランはスキップ、役場口へ下る、1310Pizzeria Antica Cittaニ宮駅、1405出、1445大磯城山公園1500、1540帰宅。》 (2021.02.16.)
Manazuru Town
真鶴町
真鶴半島:日曜日、昼前に家を出て、「黄金海岸を西へウォーキング」(の6:)の神奈川県西端へいってきた。真鶴駅で降りて、観光案内所で地図を貰ってから、真鶴半島のケープ真鶴/三ツ石まで歩いて、海岸へ降りて潮騒遊歩道を歩いていい空気を吸ってから、バスで駅まで帰った。その後湯河原駅へ電車で移動して、湯河原の街と海岸を歩いてきたが、温泉街は内陸にあるらしくて、これはあまり感心しなかった。記録:《1030出発、富士そば、1123藤沢JR真鶴1200、1205観光案内状で地図、1325真鶴漁港、1250琴ヶ浜から登り坂、1320ケープ真鶴1340、1350三ツ石〜番場浦海岸のしおさい遊歩道420m1410、1434バス290円、1501真鶴駅〜湯河原駅1510、1535千歳川、1540湯河原海岸、1627湯河原858円藤沢1725、1805帰宅。》(2020.12.13.)
Yugawara Town
湯河原町
湯河原梅林と幕山:水曜日は、天気がいいので、8時過ぎに出て、神奈川県再生部の湯河原町の梅林へ行ってきた。途中に湘南バイパスの小田原出入口で工事のため一般道路へ出されたが、9時半過ぎには湯河原梅林に到着。新崎川が削る谷の北斜面に「花梅」(実は採れない)をたくさん植えたもので、ほぼ満開。背後の幕山(海抜629m)へ1時間かけて登り、頂上でおにぎり昼食。大石ヶ平面へ下山して、梅園に戻り、梅アイスクリームを食べたが、色が梅色だけで梅の味がしない。帰路は小田原港を跨ぐ有料道路が完成していてこれを通り(有料)、平塚のララポートへ妻の用事で寄って、自宅付近のCoop店で夕食用に寿司弁当を買ってから、4時半には帰宅できた。記録:《820出る、270+200、940湯河原幕山公園、1005梅林200円/新崎川、1030梅林の最高地点、1135幕山頂上で昼食1200、1236白銀林道/大石ヶ平、1315梅林へ戻る、1350駐車場へ戻る、1400湯河原、1450 Lalaport平塚/MontBell、1600 西鎌倉Coopで寿司弁当590円、1630帰宅》(2022.03.09.)
Isehara City
伊勢原市
いま彼岸花(曼珠沙華)が自宅辺りで咲き誇っている。きのうから話があり、9月中旬の火曜日(祝日)に「日向薬師の彼岸花」を見に行ってきた。丹沢山塊の大山の麓、伊勢原市の日向部落の傾斜地の田んぼのあぜに咲いている彼岸花が「彼岸花の里」としてこのあたりでは有名で、大磯の友人も昨日行ってきてすでに最盛期を過ぎていたと教えてくれていたが、トンボも含めて写真を摂ってきた。そのあと15分石段を登る日向薬師も見て、そこで(横浜線の)中山から来た人に聞いて、帰りは緩やかな道を大回りして下ってきて、総じていい空気を吸って帰宅した。記録:《810車で出発、840圏央道、国道129号、910に県道603/63、小野橋、930公民館に駐車1000、1005日向薬師入り口、彼岸花の里、駐車場1115、農協直売場1130、1155国道129号、1200湘南銀河大橋、1240帰宅。》(2021.09.21.)
Climbing Tanzawa Mountains, Hadano City
丹沢山塊で山登り(秦野市)
写真アルバムはFacebookの1999.-2021. Tanzawa is My Backyard!を参照
私が住んでいる神奈川県は北側に丹沢山塊があり、丁度東京人が中央線/西武線で高尾山/秋川渓谷などに行くように、我々は小田急線で丹沢の大山や鍋割山や宮ヶ瀬ダムや丹沢湖などへ行く。丹沢は私が藤沢研究所に勤めていたころ毎年5月に丹沢集中登山があり会社の同僚たちと登っているし(当時私は参加しなかったが丹沢ボッカ駅伝競走大会が毎年初夏にあり、我が工場・研究所グループも参加して、同僚の佐藤和夫さんなどがIBM JXと発電機を山に運んでBASICで組んだプログラムで大会集計に協力していたのは楽しい思い出だ)、東京・箱崎に勤めていたころもLAMN山登り会で塔ノ岳に登っていて、そのコースは下りがダラダラと長かったことを覚えている。二ノ搭・三ノ搭・塔ノ岳 1)。2012年真夏に、丹沢へ山登りにいってきた。この日はいつも通り家でオニギリ・卵焼きを作っていたら出足が遅れてしまい、8:40ごろ小田急線秦野駅で降りてヤビツ峠行きバスに乗ろうとしたら(下の注参照)、最終バスがなくなっており、タクシーに乗ったら4千円もかかってしまった。注:丹沢にはヤビツ、ユーシンなど不思議な名前がたくさんあり、以前朝鮮の新羅と戦って敗れた任那・高句麗の人たちが神奈川県に亡命してきた歴史があり、その頃の名前が残っているという説を私は信じている。
9:40にヤビツ峠から登山を開始して、二ノ塔・三ノ塔を抜けるいわゆる表縦走路「表銀座」を歩き、この日は下界が35度位に達する暑い日だったが、山は霧が出て涼しく、そのおかげで富士山は少ししか見れなかった。14:10に塔ノ岳(1491m)に達し、少し休んで、14:30に下山を開始して、以前経験した通りに眺めがいいがダラダラした山稜を歩いて、17:00過ぎに大倉へ着いたらそこに待っている感じの渋沢駅行きバスに乗って、相模大野・藤沢駅経由で自宅に帰ったのは19:00過ぎになった。登山コース上は6時間のところを、ほぼ連続で7時間かかって歩いたので、リュックサックもカメラも汗だらけになり、もう疲労困憊して、翌々日まで足が少し痛かった。 (2012.08.16.)
二ノ搭・三ノ搭・塔ノ岳 2)。2014年の秋の土曜日に、5人連れでまた行ってきた。金土の南アルプス・仙丈ケ岳(3033m)の登山計画が台風18号のための天候不順で中止されて、その代りに「丹沢表尾根コース」(二ノ搭・三の搭・塔ノ岳1471m)への登山を友人(櫻井直史さん)が企画してくれて、5人の仲間でいってきた。(彼がラジウスと水を持参して、コーヒー、味噌汁を手際よく作ってくれただけでなく、ワインもボトルで持ってきてくれたのには感心した。)曇り空で少し霧もかかり、晴れていれば間近に見えるはずの富士山は見えずで、でも涼しい登山だった。紅葉には早過ぎで、フジアザミは盛りが過ぎていた。私は2年前の夏には単独行で登っていて、下山路が長いのに閉口したが、今回は若い人のペースに大分遅れてついていくのがやっとで、殊に下山路がさらに長く感じた。大倉へ着くころは日がとっぷり暮れて、石畳の道もうまく見えず、疲れ果てて、正直にいって渋沢駅・相模大野駅・藤沢駅で階段を上り下りするのがつらかった。(しかも、これまでなかった翌日にまで影響していた!)
登山途中に友人は商売柄か議論好きで、本は読むべきか、読まざるべきか(本は読まないという学生がいた)など、面白かった。私も電子ブックはどうかと投げかけて、ウィキペディアは読むだけでなく、新設ページ作り・既設ページの更新を楽しむべしと述べた。記録:《30:30自宅で起床、4:45朝食後卵焼きを作ってから出発して駅まで30分位歩く、5:22小田急藤沢駅発の電車、6:05相模大野駅で乗り換え、6:40秦野駅。タクシーでヤビツ峠(ここは大山への登山口)のすぐ先の富士見橋まで5230円。7:30登山開始、8:50二ノ搭、9:20三ノ搭、10:10鳥尾山荘でコーヒー10:30、10:50行者岳(直前の上り坂がきつく、その後下りのクサリ場が3つ)、11:30政次郎の頭、12:05新大日茶屋で昼食、味噌汁を作ってもらう。12:30出発、12:50木ノ又小屋、13:30塔ノ岳で休息、ワインをもらう。13:30下山開始、14:10花立山荘、17:40「黒門」レストラン@大倉で無事下山の祝杯、夕食。18:38バスに乗り(200円?)、18:58渋沢駅発、19:48相模大野駅発、20:20バス@藤沢駅発、20:40自宅到着。 (2014.10.04.)
Hiking in Hakone
箱根でハイキング
写真アルバムはFacebookのHakone Is My 2nd Playground!を参照
金時山へ登山。金時山1213mへ登り、その時は晴天で、富士山が良く見えた。 (2006.11.18.)また金時山へ登山。先週月曜日は妻の非B日(ブリッジをやらない日)で、金時山(海抜1212m)へはもう何回目になるだろうか、ふたりで登ってきた。朝車で家を出たのが8:40で、国道134号線・西湘バイパス・国道1号線・国道138号線を車で走って仙石バス停付近の公時(きんとき)神社の駐車場から登り始めたのが10:05だった。登りの途中では箱根の神山・大涌谷・仙石原・芦ノ湖がよく見えて、頂上は富士山を見る名所だがこの日は曇り空なので遠くは見えず、でも箱根の外輪山の間に駿河湾と伊豆半島がわずかに見えるのを発見して、頂上小屋の人にも確認したので、新発見!そこで昼食のオニギリとミカンを食べて、駐車場へ戻ったのが14:00ころだったので山で4時間を過ごしたことになる。紅葉は始まったばかりで少なく、途中にヒノキ林があり、「ヒノキチオール」の芳香を十分吸ってきた。帰りは西湘バイパスの大磯あたりが混んでいて、行きの1時間半に対して2時間もかけて16:00ころに家へ帰った。夕食はスキヤキで栄養を補給した。 (2014.10.20.)
明星ヶ岳・明神ヶ岳へ。。中国の旧正月休暇で1週間日本へ帰っている。このところ日本へ帰ると、自宅から箱根へは車で1時間ぐらいで近いので、日帰りハイキングにいっている。おとといは箱根の外輪山の明星ヶ岳924mと明神ヶ岳1169mへ登るコースに、連れ合いといってきた。強羅(ごうら)温泉の下の方の宮城野あたり(@老人ホーム)に駐車して、すぐ急坂を登り明星ガ岳へ。そこから尾根を歩いて、おにぎり弁当を食べ、霧が晴れるのを見て明神ガ岳へ行き、そこから火打ガ岳の手前の鞍部からヒノキ林を下山開始。天気予報では午後から晴れるはずが、午後遅く小雨が降る中を宮城野へ戻ってきて、湯元温泉の弘法の湯あたりに入ろうとも思ったが、遅くなったので、そのまま箱根をあとにして、途中茅ヶ崎の大連菜館で夕食を食べて帰宅。(2007.02.19.)
また明星ヶ岳・明神ヶ岳へ。中国の旧正月休暇で1週間日本へ帰っている。このところ日本へ帰ると、自宅から箱根へは車で1時間ぐらいで近いので、日帰りハイキングにいっていて、今日は箱根の外輪山の明星ヶ岳924mと明神ヶ岳1169mへ登るコースに、連れ合いといってきた。強羅(ごうら)温泉の下の方の宮城野あたり(@老人ホーム)に駐車して、すぐ急坂を登り明星ヶ岳へ。そこから尾根を歩いて、おにぎり弁当を食べ、霧が晴れるのを見て明神ヶ岳へ行き、そこから火打ガ岳の手前の鞍部からヒノキ林を下山開始。天気予報では午後から晴れるはずが、午後遅く小雨が降る中を宮城野へ戻ってきて、湯元温泉の弘法の湯あたりに入ろうとも思ったが、遅くなったので、そのまま箱根をあとにして、途中茅ヶ崎の大連菜館で夕食を食べて帰宅。(2007.02.19.)
友人と箱根の明神ヶ岳・明星ヶ岳登山へ。今日は前日が晴天で、この日も晴れの予報だったので、雨のため1週間延ばしていた箱根外輪山の明神ガ岳(1123m)・明星ガ岳(923m)登山に仕事時代の後輩(分島孝樹さん)と行ってきた。朝4時起きでオニギリと卵焼きを久し振りに作り、藤沢駅で7時に待ち合わせて、6:57発の熱海行き列車に乗れた。下り電車なのに学生と勤め人で結構混んでいて、それでも平塚駅では完全に空いてしまい、小田原から7:48発の箱根鉄道大雄山線に乗って、富士フィルム前の次が終点の大雄山で降りて、そこは足柄高校の学生たちが大勢下りた。関山バス停で8:15始発の箱根登山鉄道バスに乗れて、8:15発の大雄山・最乗寺(道了尊)で下り、私はこの山登りは3度目くらいだが、初めて参道の左で大雄山みやげ「村上の天狗せんべい」を買って大雄山境内へ入ると、これは曹洞宗の大きな立派なお寺で、福井の永平寺・鶴見の総持寺に次いで格式があるお寺とは知らなかった。我が実家は曹洞宗で、法事にはいつも「般若心経」と道元の「正法眼蔵」を読まされるので、仏教の宗派は沢山あり戸惑うが、この宗派だけ興味があり多少知っている。
9:55には登山道を歩き出したが、晴れの天気予報が大いに外れて、霧が出る曇り空で、小雨まで降り出して登山道がぬかって歩きにくい。でも山道のすぐ近くでウグイスが啼いて、コジュケイが啼くのも時々聞こえて、日本の自然はいい。見晴らし小屋・清水を通過して、小さな変電所や滑車のある塔などロープウェイの跡らしき残骸があるのはどうしたのだろうか?11:50にはやっと明神ヶ岳頂上へ着き、霧の中で持参の弁当を食べた。12:30には尾根伝いに歩き出して、13:10には明星ヶ岳頂上へ。そこにはお盆の大文字焼きに使う笹が沢山干してあって、すぐ急坂を箱根方面へ下山開始すると大文字焼きの場所を通過して、16:00には疲れ果てて宮城野へ出て、そこから15分も歩いて16:15に勘太郎の湯へ入った。(1,000円、沸かし湯のような無臭の日帰り温泉だった)。30分くらい湯に浸かって、17:05発のバスに乗って小田原駅へ出て(790円)、17:58発の列車に乗れて、18:25には藤沢駅へ着いた。土日に北横岳へ登った別の友人は、すばらしい晴れの天気だったといていたのは日曜日だけのことだったのだろうか、いずれにしてもこの梅雨の時期の天気の変化は目まぐるしい。 (2015.06.30.)
The Western Shores of Lake Ashi (2015)
芦ノ湖西岸ハイキング(2015)
木曜日は予想に反して曇り空になってしまったが、予定通り宝永山へ登山して紅葉を見ようと7:45に家を出た(これは2年後の2017年の宝永山登山に実現)。茅ヶ崎に圏央道ができたせいか135号線と西湘バイパス経由が意外とスムーズで、8:35にはもう箱根・宮ノ下を通り、紅葉が進む国道138号線を抜けて、9:30には御殿場で国道246号線に入った。そこから県道と富士スカイラインを登って新五合目登山口まで行く途中も紅葉が進んでいてきれいだったが、やはり霧にまかれてしまい退散した。同じ道を戻って、箱根の湖尻へ着いたら箱根ビジターセンターを見かけたので、紅葉ハイキングはどこがいいか聞いて調べて、以前行ったこともある石畳の旧東海道は見晴らしがよくないからと、始めは外輪山の黒岳(1018m)へ登るつもりで湖畔をウロウロしていたら、芦ノ湖西岸ハイキングコース(芦ノ湖西岸歩道)を見つけて、前の週に榛名湖畔の散歩がことさらよかったのを思い出して、芦ノ湖湖畔を歩いてきた。11:45には駐車して歩きだして、すぐ早川の出発点の湖尻水門があり、次に湖畔にピクニックテーブルがあったので、対岸の神山の紅葉を見ながら持参のおにぎりを食べて、12:15にはこんな静かないい所はないといいながら歩き続けた。ハイキングコースは以前車道だったような広い道で、12:45には箱根疏水の深良水門に着きこの江戸時代の水利工事について学び、この施設のメンテナンス道路かなと思った。亀ヶ崎とか小杉ノ鼻あたりでは湖の湾越しに金時山などの外輪山も振り返って見えるようになり、そのうち道は細い山道になり、対岸の湖の上に箱根権現の赤い鳥居と対岸の前方に駒ヶ岳ロープウェイが見えるころ(14;15)に達して折り返し、15:15には駐車場へ戻って、そこから帰路についた。全10キロのうち1/3を3時間かけてブラブラ歩いたことになる。芦ノ湖遊覧船は湖の北側の桃源台と湖尻あたりから、南側の箱根町と元箱根までを結んでいるのが分り、次回は全線を歩いて遊覧船で駐車場へ返ることにしよう。神奈川県に住む私らには丹沢と箱根は「自分の裏庭」のように思っていても、知らないところがまだまだある。 (2015.10.29.)
Pola Museum & Komagatake (2020)
Pola美術館と箱根駒ヶ岳 2020
8時過ぎに車で家を出て、箱根へ行き、Pola美術館で「マチスとモネ」の展覧会を見てそこでサンドイッチ昼食のあと遊歩道を散歩して、箱根駒ヶ岳(1,356m)へケーブルカーで上り高原散歩して、夕方帰宅した。経過:《8:15出発46,356km、西湘バイパス270円、9:05小田原645、国道1号線から138号線へ入り、9:40Pola Museum、10:30地下展示室、11:30 Lunch at Museum Cafe、遊歩道を散策、13:15県道734/735/75号通って、14:20駒ケ岳Cable Car富士山と芦ノ湖と小田原・湘南海岸と愛鷹山のすばらしい眺望で伊豆半島・駿河湾はよく見えず15:20、元箱根、47,142km 15:45箱根新道(ここも国道1号線)/大観山IC、16:10西湘バイパス、Fuji Superで夕食の買い物、705帰宅46,662kmで走行距離は1,715km。》(2020.09.09.)Hakone Onshi Park (2020)
箱根恩賜公園で散歩 2020
水曜日は曇り空が徐々に晴れてきたので「きょうは箱根へでも行こうか」という話になり、西湘バイパスから箱根新道へ入り、元箱根の芦ノ湖岸に無料駐車して、ゆっりと散歩してきた。紅葉の盛りは過ぎていたが、「箱根恩賜公園」という芦ノ湖へ突き出た半島で外輪山の向こうに富士山の頭が見える海岸などの様々な「八景」が見れる、結構上り下りがある散歩道を歩いた。昼食は元箱根の町でソバを食べ、帰りはずっと以前歩いたことがある箱根旧街道を下り、畑宿からは箱根新道へ入って、午後3時前に帰宅した。(2020.11.18.) 記録:《840出発、1015元箱根、箱根恩賜公園、1210ランチ@大正だいまさ2200円、1300出発、1330旧東海道で畑宿、以降新道、1445帰宅。》
Hakone Museuam of Art & Other Places (2021)
箱根美術館その他 2021
朝8時過ぎに家を出て、箱根へ紅葉を見にいった。車で国道1号を延々と上がり1時間半後に箱根の奥座敷・強羅温泉の箱根美術館へ到着し、そこの苔庭は「神仙郷」と呼ばれていてカエデがきれいに赤く紅葉していて、よく見ると背後に大涌谷も見える。世界救世教の岡田茂吉が集めた美術品で、私はあまりという感じだった。次に仙石の長安寺に寄り、山へかけての広い境内の紅葉が美しい。そこの駐車場へ車を置いたまま、近くの「いなか屋」で昼食したが、すごい量の昼食。そこから箱根火山の裾野を通って箱根関所跡へ行ったのは、いま二人で杉本苑子著『鳥影の関』を読んでいるので、去年11月にここを訪れているのだが、またじっくり見たかったもの。帰りの箱根新道、行きの旧道を含めて、箱根の紅葉はきれいではない。(2021.11.16.)
Yumoto - Gora - Sounzan - Owakudani - Ubako - Togendai on Lake Ashi and Back (2022)
箱根へケーブルカーとロープウェイでお定まりのコース 2022
6月末の日曜日、東京の孫にも声をかけて湯本で会い、ハワイから夏休みで我が家へ来ている孫たちを含めて一家8人で箱根へ遊びに行ってきた。小田急の箱根フリーパス(5千円、2日有効)を利用して、箱根湯元駅で落ち合い、登山電車で3つのスイッチバック・大平台を経て強羅へ。ケーブルカーで層雲山へ、ロープウェーで大涌谷へ着いて、そこの極楽茶屋で昼食。芦ノ湖方面へのロープウェイの姥子で降りて、散歩路を歩いて芦の湖畔の桃源台へ達し、そこで白鳥の形をした船で遊ばせて、湖面に霧も出てこの猛暑の日に涼しく過ごした。同じ路線を帰り、大涌谷では黒アイスを食べさせて、小田原で東京組とは別れて、JRとバスで7時過ぎに帰宅した。(2022.06.26.)
Mt. Jimba (2020)
陣馬山登山 2020
木曜日、今まだ週暖かく晴れの日が続いたので、箱根行きを検討した後、相模湖の北で神奈川県と東京都にかけて高尾山・景信山から広がる所にある陣馬山(855m)へ行くことにして、登ってきた。上りは一ノ尾尾根を通ったが、なかなか頂上が現れず、付近の小学五年生の団体に危うく追い越されるところだった。頂上で西に道志・丹沢山系を眺めながらおにぎりを食べて、草原に寝転んで休んだ。下りは栃谷尾根を下って、駐車場まで延々と続く舗装道路を登山靴で歩くのに閉口した。久し振りの山歩きで疲労困憊したが、いい空気を吸ってきた。走行5時間、高度差600m。
記録:《815出発5,104.0km、845圏央道100×2+1660円、 1005上沢井で駐車し陣馬山登山開始・一ノ尾尾根コース1025、携帯、1110北藤野小学へ下りる所で平ら、1250小学五年生70人と一緒に登頂・倒れた?ランチ1345、1345下山は栃谷尾根コースで・栃谷川/沢井川(->相模湖)1545、1600中央自動車道、1615圏央道1,760+100円、1710Domino's Pizza@松波2×千円、1735帰宅5,239(125)km》(2020.10.29.)
To Japan Home Page - 日本ホームページへ
To Asia Home Page - アジア・ホームページへ
To World Home Page - 世界ホームページへ