Japan: 5. Kansai Region - 日本: 関西地方

Japan

The Contents

5. Kansai Region

To Japan's Other Regions

日本

目次

5. 関西地方

日本の他地方へ

Text

本文

5. Kansai Region

5. 関西地方

Kyoto-fu

京都府

京都市は中学・高校の最終学年前の春休みに京都・奈良へ修学旅行で2回行って寺社ばかりを見たのでイヤになり、それ以来京都には絶対行かないぞと思った。神戸時代にお客さんと、京都競馬場へ菊花賞を、また日本海側の天橋立を見に、また秋の保津川下りへいっている。

Kyoto in Autumn (2022) 京都の秋 (2022)

  写真集はFacebookのKyoto,Japan

秋の京都旅行1日目(往路・天王山・東寺):日曜日、いい天気の日、京都旅行4泊5日の旅へ。7時半過ぎに家を出て、8時前に新横浜で新幹線に乗り2時間後には京都へ着くと、すごい人出で迷子になりそうになり、LINE連絡で何とかそこの「都シティホテル近鉄京都駅」へチェックイン。11時半ごろ京都線に乗って山崎駅で降りて、昼食所を探してお好み焼屋で私は1000円「もちと三種のチーズ焼き」を、関東にいるとお好み焼きも久しぶり。坂を登って、1時過ぎに「アサヒビール大山崎山荘美術館」で紅葉の美を楽しむ。2時には天王山(270m)へ登山開始して、青木葉谷見晴らし地で少し休んで、天王山山頂へ。3時少し前に下山始め、宝積寺を経て、山崎駅へ。

 4時頃京都駅八条口(南口)から歩いて、4時半には東寺に着いて(庭入場料は800円)、五重塔を背景に沢山写真を撮った。そこが5時には閉まったのでホテルへ。買い物クーポンをもらったが、駅で夕食所探しに苦労して「いち藤」で私は食欲がなくて「ビールセットと味噌田楽」。部屋で居眠りを始めて、8時の「鎌倉殿の十三人」には起こされて、風呂に入り、機器の充電をセットして、9時半すぎに就寝。(2022.11.27.)

秋の京都旅行2日目(小倉山・二尊院):月曜日、月曜日は、6時半に起床、薄曇りで、温かい日だった。きのうの日記を書いて、7時半すぎに下のホテルのカフェテリアで朝食、私は和食。8自前にホテルを出発して嵯峨野の散歩へ。9時前に京都駅発の嵯峨野線に乗り9:20に嵯峨野駅。そこから歩いて渡月橋から、嵐山公園へ登って、保津川渓谷を見下ろす「トロッコ展望台」で9:19に上りのトロッコ電車を皆でワイワイいいながら、撮影。小倉山(386m、渡月橋は40m)へ登りだし、しかしへばって途中で折り返し、10時すぎに小倉山登山入口へ戻った。トロッコ電車の嵐山駅付近の御髪神社・小倉池から今年春にも通った京都散歩道で、11時半ごろ「アイトワ」のテラスで紅葉を愛でながら、「コンドルは飛ぶ」のケーナ演奏を聞きながらビールとピザで昼食。

 12時すぎにそこを出て、「小倉百人一首文芸苑」へ少し寄って、小倉山を背景にした「二尊院」では角倉了以一族や和算の吉田光由の墓などのそばの紅葉を見て、1時半ごろ藤原定家が小倉百人一首を選んだという説がある「時雨亭」跡まで登って、そこは京都一円が見渡せる展望台だった。妓王寺は春の旅行中に寄ってコリゴリなので入らず、午前中の山登りで疲れ切っていたので、清涼寺をほぼ素通りして、3時半ごろ嵯峨嵐山駅へやっとたどり着いた。4時には京都駅のホテルで休んで、今年8月から整備されたPorta Dininga(京都駅中央口前広場の地下街のレストラン群)の「銀座ハゲ天」の天ぷら料理で夕食にして、6時ごろにはホテルへ戻った。(2022.11.28.)

秋の京都旅行3日目(京都市美術館・三十三間堂):火曜日、この日は小雨なので、美術館巡りへ。ラジオ体操をしてから、9時半にホテルを出て、地下鉄烏丸線の烏丸御池駅から小雨中を歩いて京都市美術館へ。陽明文庫の道長日記などを11時半まで見て、そこの和紙の店へ入り、また亀岡の丹後山酒造で1升瓶を買って、「なだ万」で懐石料理(3500円)の昼食。

 地下鉄東西線に乗って、東山駅から歩いて、1時半には平安神宮前の「近代美術館京都別館」(momak)でNew Bauhausなどを見て、東山にもやがかかり、いい景色。タクシーで2時半には三十三間堂(600円)に着いて、堂内の千手観音と風神雷神と日本庭園(新発見!)などを見た。3時頃そこを出て、南大門を通り、塩小路を鴨川河原町通り高瀬川を超えて歩いて、京都駅へ帰り、伊勢丹の地下で、食料品を物色。5時前にPorta Dining(駅前地下街)の「金沢まいもん(回転)寿司」で夕食にして、5時半にはホテルへ帰還。夜ハワイの娘からマウナロア火山のすごい噴火写真が数枚届き、3枚をFacebookに載せて、物的・人的被害が出ていないのでニュースになっていないと紹介。(2022.11.29.)

秋の京都旅行4日目(平等院・宇治川散歩):水曜日、6時前に起床。kyoto-stationのインターネットにアクセスできて、日記を処理。下で朝食後、9時半ごろホテルを出てJR奈良線の都路快速(京都〜奈良)で宇治駅へ行き、駅から歩いて平等院へ。紅葉が綺麗で、10時少し前の堂内説明を聞いて、またしばしそこで過ごす。宇治川へ出て、中の島(塔の島)と本流と派流(派川)をウロウロして、11時半には観流橋そばの「まつもと茶そば」で昼食。

 午後は、興聖寺で広い境内の「七堂伽藍」巡りをして(道元の墓があり、彼は京都で亡くなってここに埋葬されて、永平寺ができてそこへ埋葬されたという)、近くの神社2つを通って、1時半から背後の仏徳山(大吉山、131m)へハイキングし、帰路私はひとりで興聖寺へ戻り、宇治川右岸を上流へ歩いて、2時半には吊り橋、続いて天ヶ瀬ダムと白虹橋に達して、そこの関西電力の工事現場の人と宇治川について会話したら、宇治川は琵琶湖の水で、瀬田橋付近から一部も分流して発電して観流橋の下で宇治川へ流れ込むという。どうやら、琵琶湖から瀬田川が出て、宇治川と名前を変えて、「淀」という所(天王山の裾野)で桂川と木津川と三川合流して淀川になるらしい。帰りは、左岸の結構交通量がある道の歩道を下流へ歩く中、寒気到来で急に寒くなった。3時半ごろ派流の観光案内所へ着いて、宇治駅へ。今度は普通電車で京都へ戻り、5時前にホテルへ着いて、すぐPorta Diningの「Sabrina」でランプいちぼ(牛肉の鉄板焼)の夕食で、6時にはホテルへ帰り、関西テレビを見て過ごす。(2022.11.30.)

秋の京都旅行5日目(伏見稲荷神社・智積院・帰路):木曜日、朝食は日本食を選び、その後天気予報を見ていた関西テレビで、モンゴル大統領がもと青森県で農業実習生でなどとやっていたのは、全国放送だったのかもしれないが、面白かった。そういえば京都市では公共交通機関で「泣いてもかましまへん!」という運動をやっていて、時々見かけた。9時にホテルを出て、すぐ奈良線稲荷駅に着いて、ほぼ駅前に伏見稲荷神社があり、稲荷神社というと田んぼの脇にあると思ったら壮大でびっくりした。月初の「月次祭」を古典音楽を演奏しながらやっていて、裏山の千本鳥居を登り、10時にはお玉ヶ池まで登り、ずっと千本鳥居が続いていて、そのせいか外国人が多く、ある老夫婦に写真を撮ってあげたらイスタンブールからで、また妻はタイから来ている若者が多いのに気づいた。景色のいい四ツ辻から下へ右回りで登り、11時前に山頂の一ノ峰に達して(眺望はない)、すぐまた四ツ辻へ戻り、12時には稲荷駅から京都駅へ戻り、また地下街のPorta Diningへ行き、「ここやねん」でAランチお好み焼セットで昼食。

 この後、バスで東山通りへ行き、1時半から智積院(ちしゃくいん)へ入って、そこの紅葉と名勝庭園で見事な日本庭園を鑑賞。ほぼ隣りの豊国神社では大きな鐘があった。勝手知ったるバス路線は混んでいた。帰りの新幹線を待つ間、春にはコーヒーショップ入ったが、今回はホテル1階の休憩所で過ごし(妻はIsetan屋上で抜群の景色を見て、地下食品売り場で昨日から予約していた「二重鯛ご飯の弁当をピックアップ)。こうして紅葉には少し遅い気味の京都滞在を終り、4時半に京都を「ひかり」で出て、6時半過ぎには小田原駅へ着いて、藤沢駅からのバスは瞬時で乗り損ねたのでタクシーに乗り、8時前に帰宅した。(2022.12.01.)

Kyoto in Spring (2022) 京都の春 (2022)

  写真集はFacebookのKyoto, Japan

春の京都旅行1日目:水曜日、春の京都へ2泊3日の旅行へ二人で出かけた。7時半に家を出て、バスで藤沢駅、普通列車で小田原駅から新幹線へ乗り、三島駅で富士山を見ながら30分待ちの乗り換え。車中ではデッキから富士川、残雪がある伊吹山を撮ったりして、11時半ごろ京都駅へ。駅前ビルのラーメン小路「たか松」で昼食後、リュックを担いだまま地下鉄烏丸線を使って琵琶湖疎水のインクラインでいい天気の下、満開の桜見物をし、疎水に沿っても桜見物。平安神宮は大したことはなく、鴨川を横切ってから、広大な御苑を歩いた。京都御所へ無料で入場できて、清涼殿・御常御殿などを見て歩いた。4時過ぎにはそこを出て、4時半には「ルビノ京都堀川」(下長者町橋の脇)へ投宿。夕食は京都式で、フリードリンクも取って、ビールと日本酒とワインで飲み過ぎた。(2022.04.06.)

春の京都旅行2日目:木曜日、6時半に起きて、ホテル付近の堀川の川底の散歩に出かけたが(京都は川底に散歩道があり、そこを散歩するのが好き?)、朝はやはり肌寒い。朝食後8時にはホテルを出て、市バス(230円)で嵯峨トロッコ駅あたりをウロウロしたが、嵐山駅でトロッコ列車で保津川に沿って登り、桜が山に咲くのを見て亀岡まで。11時過ぎの保津川下り船(4100円)に乗れて、私は2回目だが、渡月橋まで下った。全体にきれいだったが、水流が少なくて迫力がない。

 渡月橋の下船付近の町の丁字屋で私はニシンそばを食べてから嵯峨野を文字通り徘徊。清涼寺に寄って、桜が咲く美しい庭を拝見。次に大覚寺まで歩き、隣の広沢池が芭蕉も「名月や池をめぐりて夜もすがら」と読んだ位に綺麗だ。清涼寺配下の祇王寺を探すのに手こずり、大した寺ではなかった。4時半ごろ常寂光寺をやっと見つけて、これは藤原定家別荘だったといい、園内は最高にきれいだった。疲れてタクシーに乗って渡月橋近くの、「花のいえ(大阪の豪商・角倉了以の屋敷跡)へ達して、夕食は部屋で取る方式で、この日はビールと日本酒「花錦」でおとなしくして、8時半には就寝。(2022.04.08.)

春の京都旅行3日目:金曜日、快晴が続いて、昼間は暑いくらい。6時過ぎに起床、渡月橋まで散歩に出かけ、小川が流れ込む場所で、座禅らしい真似事。渡月橋を渡り、嵐山公園中之島部分で枝垂れ桜の写真を撮り、保津川のこの辺りは大堰川といい、すぐ桂川になり、淀川へそそぎ、亀岡から上流は何とかいっていた。7時半過ぎに朝食は1Fで取り、8時半にはホテルを出る。また歩いて、9時前には天龍寺へ寄り、ここは曹源池庭園という夢窓国師が作った日本庭園が美しく、その後ろは様々な桜やその他(ボケ・支那レンギョウなど)が咲いていて、裏山も雄大だ。嵐山駅で嵐電に乗って、10時には太秦広隆寺で暗い中で「半跏思惟像」その他を見たが、これは私の趣味ではなかった。市バスで堀川御池へ降りて、二条城を見に行った。二ノ丸御殿内をじっくり見て、そこの庭も見て、本丸御殿は改築中で(2022年完成予定)、天守閣跡へ登って、脇の清涼園公園から出た。

 二条城近くの三条会アーケード街の魂飯戎堂で、1時過ぎに台湾牛肉麺で昼食。西本願寺へ寄って境内案内の途中へ入り、「人生は結局ひとりぼっち。阿弥陀様にすがって暮らそう」といっていたが、これはイエスと共にと通じるけど本当か?疲れてしまい京都駅へ向かい、3時には京都タワーへ登って(800円)、駅ビルの「Caffera di Italia」で私はイタリア・ビール「Birra Moretti」を飲んで、これはいけた。5時過ぎの「Hikari516」で京都を離れ、熱海で「Kodama742」に乗るはずが、もう新幹線は止めて普通列車で藤沢駅へ向かい、8時半過ぎに帰宅した。(2022.04.09.)

A Choral Concert at Kyoto Concert Hall (2016) 京都コンサートホールで合唱コンサート (2016)。2016年6月末、ハワイのコナ合唱協会の京都公演に参加するため京都へ行った。新横浜駅の自動販売機で切符(片道13,050円)を買ったら8時過ぎ発の「こだま号」だったので、おや5時間後に大阪へ着くのかと思ったら、2時間後には京都へ着いてしまい、「こだま」(以前は東京〜新大阪間各駅停車で5時間かかった)、「ひかり」(東京〜名古屋〜京都〜新大阪で3時間)、というのは以前と違った意味で使っているらしく、「のぞみ」は何だろうか。各席でパソコン/携帯電話の充電ができるようになっている新型車両で、感激。京都は4回(中学・高校の修学旅行で来ていて、神戸時代に京都競馬場の菊花賞、保津川下り)で来ているだけで、よく知らない。

ニューヨークでレストランをやっていた大学の同級生(高木誠)が引退してNY北郊外に住んでいたのが、なぜかいま京都に住んでいるので、京都駅で会って、雑談。どうも奥さんが日本の静かな所へ住みたがったようで、近々京都から四国へ移動するようだ。駅で昼食後、地下鉄で山北駅へ行き、そこの植物園の隣に新しくできた京都コンサートホールへ行った。そこのムラタホール(小ホール)で、午後1時からリハーサル。コナ合唱協会とウィンドワード合唱協会(オアフ島)から約50人がジャパン・ツアーに来ていて、男性が10人位で少ないので、京都のEnsembre Musicus合唱団(どうやら京都大学卒業生が中心らしい)から15人位を借りる。私からは「アンコール」のときは何を?」と指揮者に指摘して、ゴスペルの一部を歌おうと準備してもらったりした。リハーサル後、みんなは弁当を食べだしたので、私は裏の道路にあった「ここ家」でお好み焼きをほおばる。

7時からの本番には、Mixiで知り合った京都人が聞きにきてくれて、聴衆はやはりゴスペルがよかったみたいだった。(アフリカ系アメリカ人のソロイストが参加予定だったが、来れなかったようで、オアフ島の若い女性がピンチヒッターでも力不足で残念。)京都の友人と四条烏丸駅近くのフランス風レストランでビールの雑談。彼女は海外旅行が好きで、英国の旅行業者のツアーを利用しているようだ。ホテルもこの駅近くだったので、歩いて見つけて、夜10時過ぎに就寝。 (2016.06.23.)

Rafting Down the Hozu River & Sagano "Torokko" Light Rail (1968 & 2016) 保津川下りと嵯峨野トロッコ列車神戸時代に「保津川下り」で亀山から嵐山へ行ったことがあり(秋の紅葉がすばらしかった!)、 上の合唱コンサートの翌日、京都滞在の2日目は早々とホテルを出て、地下鉄駅へ行く途中の四条通、烏丸通りが広くて整然としているので感激。荷物を京都駅東口のロッカーに預けて、コーヒーショップで朝食。JR嵯峨野線(山陰線)で亀山へ行き、途中の車窓から東に比叡山、大文字山、北に北山、西にも低い山が見えて、京都は地勢がいいとまた感激。

亀山駅に着いて保津川下りをしようとしたら(昔保津川下りをしたときは、晩秋の日差しの中、田んぼで稲わらを焼いている風景が印象的だった!)、前々日の大雨の影響で停船。仕方ないので馬堀へ一駅戻り、そこから保津川に沿った「嵯峨野トロッコ電車」(620円)に乗った。中国人が沢山来ていたので2組に聞いたら、台湾の北の台北と東海岸の宜蘭(イーラン)からだった。トロッコは意外と大きくて、綺麗に整備してあり、保津川に沿って下り、始めは左手に川が、終りのころは右手に川が見えて、終点の嵯峨嵐山駅で渡月橋などの嵐山散策を少ししようとも思ったが止して、京都駅へ戻り、すぐ滋賀県野洲の三上山登山に行った。 (2016.06.24.)

Amanohashidate & Suruga Bay

また、京都府の日本海側には丹後半島などのすばらしい海岸があり、神戸時代に、天の橋立へ行ったことがある。

Shiga Prefecture

滋賀県

Climbing Mt. Mikami 三上山。琵琶湖の南岸の野洲に三上山(近江富士、432m)があり、神戸時代に名神高速道路を通り、そこへいったことはあるが、山へは登りそこねた。俵藤太(たわらのとうた=藤原秀郷)が大津市の瀬田の唐橋から弓矢で三上山のムカデを退治したという伝説の地で、その後東海道新幹線でいつも見ているので、いつか登らねばならない。紫式部:「打ち出でて 三上の山を 詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」。松尾芭蕉:「三上山 のみ夏知れる 姿かな」 。

三上山へ登る (2016)

写真集はFacebookへ

ハワイのコナ合唱協会のコンサートで京都へ行った翌日、雨の天気予報でも天気が持ちそうなので、滋賀県野洲町にある三上山へ登ることにして、これは40年前の神戸時代からの懸案だったものだ。京都駅から新快速電車に乗り、以前は西明石〜大阪〜京都〜野洲を快速といっていたが、新快速は延長されて網干〜大阪〜京都〜米原で、この電車で野洲まで行くと、右手の車窓に三上山(近江富士、432m)が綺麗に見えてくる。駅では三上山の麓を通るバスが毎時一本なので、タクシー(1200円)で山の麓まで行き、運転手は元旦と秋の大祭に三上山へ登山する習慣があり、10月初めはマツタケが豊富に取れると説明してくれる。

三上山の登りは途中から左の表道(健脚向け)を行き50分、雨が降り出したので傘をさして、上の方は岩場を上る。頂上には小さな神社があり、晴れた日は生駒山も見えるという説明があるが、樹木が茂っていて、見晴らしはよくない。すぐ下山を開始して、帰りは(山へ向かって)右の裏道(一般向け)で、途中「苔が谷」を通って「西側から見ると山が割れているように見える所」とあったので、山全体は主峰と副峰があるようで、富士山のようではないようだ。下りは雨の中で足場を確認しながら下ったので、また50分もかかってしまった。山道は岩を砕いたような、土がぬかるようなことはなかった。

麓の御神(みかみ)神社は山から10分位歩くような少し離れた所にあり、もと官幣中社の大きな境内で、本殿を見ようと歩きだしたころはドシャ降りでずぶ濡れになって、最近中国でも日本でも梅雨前線が大暴れして、大きな被害が出ている。それでもタクシーを呼ぶのはやめて、バスを待って野洲駅へ戻った。晴れていれば「瀬田の唐橋」からも三上山がよく見えるはずで、平安時代中期に下野国の俵藤太(藤原秀郷)が唐橋から弓矢を射て三上山のムカデを退治したという童話を子供のころ聞いているので(どうやらそうではなくて、唐橋で竜の娘から三上山のムカデに苦しめられているのを聞いたということらしい)、瀬田駅で降りて唐橋を見たかったが、大雨なのであきらめて、そのまま京都駅へ戻った。「八ッ橋」をお土産に買って、15:12発の「のぞみ号」に乗って、座席で上の下着と長袖を着替えて、2時間後には新横浜へ行き、藤沢の奥田センターにある「とんこ」でトンカツを食べて栄養を取り、夜8時には帰宅できた。

注:以前神戸時代にできたての名神高速で三上山のそばを何回か通り、高速道路の西側(琵琶湖側)にあるのを覚えていて、新幹線で通過する時にも西側を探していたが、新幹線・在来線・国道8号線からは東にあるのを確認した。また三上山は独立峰と言われているが、このあたりには他の山が2・3峰あり、新幹線から見ても三上山の左に2つの峰が見えて、地図では三上山の裏にもいくつか峰があり、北東へ向かっていた名神高速道路はそこで三上山山塊に突き当たって東に曲がっていて、すぐ竜王I/Cがある。 (2016.06.24.)

余呉湖へ寄る。琵琶湖の北東に余呉湖がある。当時水上勉の『湖の琴』(うみのこと)という小説が流行っていたので、神戸転勤中か、東京から家族で気比松原へキャンプに行った途中に、見ている。小さな、寂しげな湖だ。(2019.04.11.記入)

伊吹山へ登りたいと思っている。この山は岐阜県との境にあるのだろうか、新幹線で京都・大阪へ行く途中に右手に大きく見える。関ヶ原の戦いがあった所もそばにあり、いつか登りたいと思っていたが、果たせていない。昔は、日光の「戦場ヶ原に初雪が降りました。」とラジオでいうのが関東地方の初冬の知らせで、神戸に住んでいるころは「伊吹山に初雪がありました。」というのが関西地方の初冬の知らせだった。

Nara & Wakayama Prefectures

Sarusawa Pond, Nara City

奈良県・和歌山県

猿沢の池。中学の最終学年前の春休みに修学旅行で行って、奈良市で泊まった旅館のすぐ前に会った猿沢の池について作文を書いて、先生に褒められてクラス全体へ読まれたのでよく覚えている。高校の修学旅行でも行った。神戸時代にも一度だけ、奈良市の若草山を見にいった。

Wakayama Steel Plant, Wakayama City 住友金属和歌山製鉄所へIBM 1050端末機システムをインストールする際に、神戸時代にセールスが春のコンベンションで不在で、和歌山市へ出向いて代理でめんどうをみた。

Visiting Wakayama, Tanabe, Shirahama Hot Spring and Nara Cities 和歌山、田辺、白浜温泉、奈良市を訪問

  写真集はFacebookへ

2019年7月初旬、木・金・土・日と和歌山県・奈良県へ旅行してきた。木曜日は曇り空で、小田原から新幹線で新大阪へ。以前はこうしたマイナーな新幹線駅から関西へ行くには静岡などで乗り換えるのが最短時間で大変だったが、今は結構便利になった。名古屋の次は岐阜羽島に止まる列車で、昔カヌーをやっている頃、関市から長良川を下り、河原のテントで一泊して、岐阜羽島のすぐ西の新幹線鉄橋で上がり藤沢へ帰った地点を、車窓から確認できた。新大阪からは普通列車で大阪駅へ行き、阪和線の鈍行で和歌山駅へ。タクシーで紀ノ川を超えて日本製鉄和歌山製鉄所へ行ったのが大失敗で(昔駆け出しの社会人の頃そこへコンピューター端末機を設置した経験があるので製鉄所の写真を撮りたかった)、門外からの写真では高炉も写せず、4千円をこえる料金を払っても、写真はロクでもなかった。和歌山城は戦災で焼けたので、コンクリート作りだったが大変良くできていて、脇の「わかやま歴史館」では徳川吉宗・南方熊楠だけでなく有吉佐和子(『紀の川』)・松下幸之助も和歌山出身なのを知った。

和歌山駅からまた鈍行で紀南白浜温泉方面へ向かい、鈍行ではワンマン列車を初めて経験して、御坊(ごぼう)と田辺とで二回乗り換えるハメになり、田辺の駅前ビジネスホテルで泊まった。田辺市は南紀の中心都市だそうで、時間があったので町中の闘鶏神社を見て、源平合戦中に熊野別当(熊野水軍の大将)がそこで白と赤の鶏を戦わせて占い、白が勝ったので源氏を応援して屋島から壇ノ浦までの戦いに参加して、彼の息子が武蔵坊弁慶であったという伝承で境内に弁慶社もあった。町には巨大な飲み屋街がある中で、やっとリーズナブルの寿司屋を見つけて、鯨が今月から解禁になったので、鯨の赤み刺身も食べられた。(紀南にはイルカを囲い込んで殺す太地湾もある。)それからコーヒーショップで油を売り、合気道の植芝盛平が田辺出身とか、戦後北方からの引き上げは主に舞鶴港だったが、南方からの引き上げは田辺の文里港(もりこう)だったとかの説を聞いた。(2019.07.04.)

金曜日は薄曇りの日で、田辺から朝の路線バス(明光バス)で白浜温泉のホテル「むさし」へ。チェックインし、まず白砂青松の「白良浜」を散歩したら、大阪の私立中学生がもう海の家で来ていて、遊泳。10時半から、聖書をホテルなどへ配布する日本国際ギデオン協会の全国大会が始まる。これは世界的な組織なので、アメリカ・ナッシュビルの本部からも国際部長らが参加して、総参加者300名で、どうしたら効果的に聖書を配り、読んでもらい、クリスチャン人口を増やすかの会議を行った。白浜のバプテスト教会の藤藪庸一牧師が、自殺志願者や家族が壊れた人たちを何人もめんどうをみてきてのプレゼンもあり盛況だったが、やはり会の参加者に若者がすくなくてく、これが大きな問題。(2019.07.05.)

土曜日は雨。日本の組織が6リージョンに分かれているので、各リージョンの代表者などの役割を選挙して決めて、それぞれから挨拶があり、前日に続いて朝昼晩に会食を行った。終わりに来年の全国大会は、夏はオリンピックで出来ず、11月に千葉県幕張で行う予定が発表されて、AIロボットが案内のプレゼンをした。(2019.07.06.)

日曜日は快晴になり、恒例の教会訪問を行ない、手分けして和歌山県から大阪南部(界市など)の教会を訪れて、共に礼拝をした後、ギデオン協会の働きについて説明して、祈り、人的参加、資金的協力をお願いして回った。私は他5人と共に和歌山市の日本キリスト教団の和歌山教会(県庁の裏)へ行き、ここは米国テネシー州カンバーランド長老教会が設立したところで(日本にも神奈川県大和市に大きな教会がある)、礼拝後出口に並んで寄付金を集め、集計して牧師に報告を残して退散した。

親切な方が和歌山駅まで車で送ってくれて、私はそこから天王寺駅経由で奈良へ行って観光し、大阪は曇っていたが奈良は西日が照り付けて暑くて、目指すは猿沢池。私は中学校の修学旅行でこの池のほとりに宿泊し、そのことを感傷的・文学的に書いたら、国語の先生が取り上げて授業でみんなの前で読んでくれたので、脳裏にその光景が焼き付いている。でもあまりに古い光景なので更新したくなり、JR駅のロッカーに荷物をあずけて、三条通りを経て20分くらい歩き、池を巡って写真を撮り、アオコが発生しているのを悲しんで、そこから興福寺へ上がって、有名な五重の塔を見ただけでなく、下方に三重の塔もあるのを発見して帰った。

関西の鉄道路線が奈良方面はよく分からず、荷物をあずけたJR奈良駅から天王寺駅へもどって新大阪から新幹線で帰った訳だが、近鉄奈良駅はJR駅から10分位離れていても、近鉄京都線で帰った方が近道だったようだ。新大阪駅はお土産屋とレストランですごく混んでいて、田舎者は正直生きた心地がしなかった。出発まで45分待ったが、新大阪から名古屋までは各駅停車(京都、米原、岐阜羽島)で、その後は小田原、新横浜、品川に止まる新幹線列車ひかりが見つかって、便利になったものだ。お土産は奈良の「みかさ」(みかさ山=ドラ焼きの大判2個入り)\1,080。(2019.07.07.)

Mie Prefecture

三重県

行ったことがない。

Osaka-fu

Computer testing in Osaka City

大阪府

大阪市。神戸時代に、IBMの大型コンピューターのテストセンターが大阪市内にあり、夜間かなり自由に使えたので、神戸時代には阪急電車(自宅から)、阪神電車(客先から)で、あるいは阪神国道を車で大阪市内へよく通った。御堂筋は銀杏のきれいな並木になっていて、晩秋には銀杏の実を採集する権利の競争入札があり、銀杏の実を採っている姿をよく見たのが印象に残っている。

豊中市。学生時代の九州旅行の帰りに、兄貴が大阪勤務で豊中市の独身寮に住んでいたので、泊めてもらった。また、神戸時代に、土曜日に神戸だか大阪で遊んだ後に同僚の高馬武史君の実家へ泊めてもらい、翌日曜朝は朝風呂に入った。周りが竹藪のすてきな所でてっきり京都と思っていたが、奥さんが長岡京市の出身の勘違いだった。その後、竹藪はすべて住宅地に変わったという。(2023.07.08.記入)

Hyogo Prefecture

Working in Kobe City

兵庫県

神戸時代。社会へ出て3年目に神戸営業所へ転勤になり、関西地方から中国地方までの鉄鋼業担当のSEになり、約2年を神戸で暮らして、関西の文化と人となりを多少理解した。住んでいたのは阪急電車の六甲駅から歩いて5分くらいのアパートで、そこから車で六甲山にはすぐ登れて、百万ドルの夜景を見ながらジンギスカン料理をたべたりした。写真アルバムはFacebook:1965-69. Working in Yokohama and Kobe, Japanの後半。

サンチカかいわい。会社の事務所は三ノ宮駅近くの日興ビルにあったので、三ノ宮の地下街には食事などでよくいった。このビルは当時オリエンタル・ホテルが道向かいにあったので、その地下の書店にアメリカの漫画雑誌が入るので、毎月楽しみで買いにいった。近くに神戸駅まで続くアーケード街があり、直後に米国留学を控えていたので、そこのCountry & Wester音楽の店に、入りびたりだった。

六甲山。阪急六甲駅から歩いて5分くらいのアパートに住んでいたので、夏の暑い夜は車で神戸大学を経て、六甲山へ登って、「百万ドルの夜景」を見ながら涼んだ。当時冬にはスキー場があったが、行っていない。

冬の松葉ガニ売店。神戸の冬に、日本海岸で採れる松葉ガニを道端で売る売店が店開きをする。東京・横浜では、新潟県などの日本海岸は遠いので、こうした風景は一切ない。いかにも関西風の風景だなと思った。

有馬温泉。六甲山の北側に有馬温泉があり、一度だけ行っている。共同作業をしていたお客さん(神戸製鋼所)がそこに宿を持っていて、ある週末に泊まりに誘ってくれて、宴会後にみんなは麻雀をやり始めたが、私はやらないのでほろ酔い加減で先に居寝た。玄関に鈴虫を飼っていて、その音色を聞きながら寝たので、関西はこういう伝統が生きているの所なのだと思いながらだったのが唯一の思い出だ。

Camping on Awaji Island 淡路島。夏には淡路島の五色浜へキャンプに行き、瀬戸内海(播磨灘)で泳いだ。神戸にいると夏はみなさん淡路島や日本海や琵琶湖へ行って泳ぐので、関西は東京にいるよりずっと自然に近いと思った。

Kakogawa Integrated Steel Plant 加古川市。加古川市に神戸製鋼所の加古川製鉄所の建設が始まり、厚板工場の管理に担当SEとしてコンピューターを収めたので、その準備はおもに神戸工場で行ったが、何回か車か山陽電鉄で行った。加古川市を流れる加古川近くに木造アパートに3か月住んだ。周りは田んぼで、隣りがヤーさんの2号の部屋らしく、深夜まで麻雀をやってうるさくて、明け方近くなるとウシガエルが大きな声で鳴くので、夜はよく眠れなかった。

Hirohata Integrated Steel Plant, Himeji City 姫路市。姫路市の南に富士製鉄(後に新日鉄へ合併)の広畑製鉄所があり、ここへ科学計算用のコンピューターIBM 1130システムを収めたのでしばしば行ったが、なぜか姫路城は見損なった。

Himeji and Mukogawa Cities for Gideons Intenational's Activities 姫路でギデオン協会の全国大会(2024年7月)
  写真集はFacebookの5H-O. Hyogo (Himeji-Kobe) & Osaka, Japan
日本国際ギデオン協会の全国大会2024(7月5〜7日)の前日に岡山市で後楽園と岡山城で観光したあと、夕方5時には姫路駅東口から、おみぞ商店街(小溝筋)を歩いて、5時にはAPA Hotelへ着いた。夕食を姫路のれん街の「おでんと串カツ姫路のお店」で生ビールと「姫路おでん」(生姜醤油をかけて食べる)で取り(2300円)、帰りにそばの山陽電車駅へ寄って日曜日の武庫川行き直通列車について聞いて、そこの大手前通りでお城がライトアップで見えたのでその方向へ歩いたが、疲れていたので途中で止めて、ホテルへ帰って、10時には寝た。(2024.07.04.)
 金曜日、5時に起床、昨晩は冷房が寒いくらいだった。ホテルの11階で朝食。9時少し前にホテルを出て、みゆき通りを経て、9時から開門の姫路城へ行き、9時半にはボランティア案内で(京都府福知山出身の女性)、何か2本の心柱中心の案内で最上階まで歩いて登り、遠くに瀬戸内海の家島群島と小豆島が見えて、しゃちほこも一緒に写真も撮れた。天主閣(本丸)だけでなく、くるわを少々めぐり、11時前には出口へ出て、そこで休んでいたら午後同じく商工会議所で会う堺支部長さんに偶然会った。出口向かいの「馬場の屋敷」で冷やしそうめんセット(播州そうめん「揖保乃糸」とおでん、1100円)と地ビール「姫路」(700円)で昼食。12時近くなったのでカンカン照りの暑い中を歩いてホテルへ帰り、シャワーを浴びた。
 午後は姫路商工会館2F大会議室で、日本国際ギデオン協会の全国大会第1日目へ。歩く距離を見誤って1時開会には少し遅れてしまい、福井副会長の司会で、奨励は全国チャプレン岩渕勲(川崎から)、高井会長の基調講演、小林婦人会会長、デュプレシ国際代表などの講演。3時少し前には新会員紹介、新参加者紹介があり、期待する、路傍伝道、魅力、5時前には若い声(50・60台のこと)。
 休憩をはさんで、この地域の牧師さんを招いて愛餐会。14教会の牧師紹介、デュプレシスのあいさつ(南アフリカのキンバレーから)、ウンボン国際婦人会代表(ナイジェリアから)、向日かおりの歌、実行委員長が会場も定まらず苦労した話があり、最後に「この一冊の聖書が」を全員で斉唱して、8時半には終了して、中型バスを姫路駅南口で降りた、9時過ぎにはホテルへ歩いて帰り、写真整理などをして、夜11ごろ就寝。(2024.07.05.)
 土曜日、9時半からギデオン全国大会二日目。召天者記念礼拝で始まり、本部報告へ続き、三浦事務員の退職問題でワーワーいう人が出て、大騒ぎ。国際代表の時、次の開催地(群馬県)が発表されて、細則改正、役員人事、武井会長、小方副会長、松尾会計、福井チャプレン、我々第3リージョンは若い代表。1230昼食弁当を食べて、1時にテーブルごとに分かち合いをして、1時半から報告。
午後は前日姫路城で偶然会った上原奈良支部長さんが「個人伝道を阻む要因」のプレゼン、3時からのバイブルアワーは「心に伝わる主イエスのアプローチ」by大田裕作牧師(脱色・信徒力・素朴な信仰)、来年の安中大会は内田和彦牧師の話と、磯部温泉で泊まり込み。シャトルバス駅で南口へ、途中 で「麺や・六三六」で「にぼし塩そば」の夕食後、7時にはホテルへ寄宿。しまった、明日教会訪問をする人たちの集まりがあったが、うっかりサボってしまった!(2024.07.06.)
 日曜日、4時起床、シャワーのあと、お菓子を食べて、5時半過ぎにホテル出て、6時発の山陽姫路駅から大阪・梅田行きに乗った(990円)、高砂・須磨などを経て、三宮でフラワーロードに出たが、すぐ阪神線甲子園へ。駅前のコメダ珈琲店で朝食後、宝塚行き阪神バスで稲葉荘1丁目バス停で降りたが、スーツケースを忘れてきたので、またバスで往復してから、日本メノナイトブレザリン教団武庫川キリスト教会で中田明義さんが迎えてくれた。
 10時過ぎの礼拝後にギデオンの「報告と証」(15分)を2つの例を挙げて行ない、集金後はカレーライスと「関西と関東の違い」などの雑談で過ごし、JR甲子園口駅まで送ってもらい、尼崎駅で乗換えて大阪で外へ出て、大阪城でも見ようとも思ったが、ロッカーがいっぱいで、すぐ新大阪駅へ。新大阪駅で少しお土産を買って、往路の経験で新幹線のインターネット接続は不安定で記述を失った経験から日記をパソコン直のSSDへワードを使って書いて(普段はインターネット上のGoogle Driveに書く)、5時過ぎのNozomi 240で新大阪を出て、名古屋駅でKodama 744へ乗換えて小田原駅まで。東海道線に乗り換えて、藤沢駅からはタクシーで帰宅(1400円)。(2024.07.07.)

To Japan Home Page - 日本ホームページへ

To Asia Home Page - アジア・ホームページへ

To World Home Page - 世界ホームページへ

To Logos Home Page


Prepared by Yoshi MIKAMI on July 8, 2024. Last update: Nov. 23, 2023.