The Americas - 南北アメリカ

 

 

The Contents

North America

Canada


Alberta & British Columbia
Quebec and Ontario

USA


New England & Mid-Atlantic States
Connecticut, Rhode Island, Vermont and New Hampshire
Massachusetts
New York
New Jersey
Pennsylvania
Delaware & Maryland
Washington, D.C.
South
Virginia
North Carolina
Tennessee
South Carolina and Georgia
Florida
Mid-West
Illinois
Mountain States
Colorado
Southwest
Texas
Arizona
Nevada
West Coast & Pacific States
Alaska
California
Hawaii

Living on Hawaii Island:
Moved to Live in Kona, Hawaii
Moved to Live in Hilo, Hawaii

 

Central and South America

 

目次

北米

カナダ


アルバータ州とブリティッシュ・コロンビア州
ケベック州とオンタリオ州

米国


ニューイングランド&中部大西洋岸
コネティカット、ロードアイランド、ヴァーモント、ニューハンプシャー州
マサチューセッツ州
ニューヨーク州
ニュージャージー州
ペンシルベニア州
デラウェア州・メリーランド州
ワシントンD.C.
南部
バージニア州
ノースカロライナ州
テネシー州
サウスカロライナ、ジョージア州
フロリダ州
中西部
イリノイ州
山岳部
コロラド州
南西部
テキサス州
アリゾナ州
ネバダ州
西海岸と太平洋諸州
アラスカ州
カリフォルニア州
ハワイ州

ハワイ島に住む:
ハワイ島コナへ移り住む
ハワイ島ヒロへ移り住む

中南米

 

Text

The Americas

I have been to North America only, not to Cetral or South America. I have visited four out of six provinces of Canada. I have lived in the United States for a total of twelve years. I remember I have been to Washington D.C. and fourteen of the fifty states, but may have been to several more other states.

本文

南北アメリカ

南北アメリカといっても、私が行ったのは北米だけで、中南米は行ったことがない。カナダには6州のうち、4州へ行ったことになる。米国には、私は下に書いた留学生時代、ローリー時代、キングストン時代、ホワイトプレインズ時代にそれぞれ2年ずつ、それからハワイに4年住んで、米国の首都ワシントンと50州の内、首都と23州へ行ったことになる。下のテネシー州のところに書いたように、そこ以外にも中西部のあと5州ぐらい行ったと思うがよく覚えていない。

North America

北米

Canada

Alberta & British Columbia

カナダ

写真アルバムはここに(Facebook album)。

アルバータ州とブリティッシュ・コロンビア州

ホワイトプレインズ時代に(子供たちはまだ小学生だった)、毎年日本へ帰ることができたので、途中我々家族4人でアメリカやカナダのいろいろなところへおもに夏に寄ることができた。ある年の夏には米国のコロラド州へ寄り、他の年の夏にはカナダのアルバータ州カルガリーへ飛んで、レンタカーを借りて、バンフ国立公園へ行きルイーズ湖というすごくきれいな所にも寄っり、山へ登ったらエルク(鹿)が自然の中で歩いていた。すぐ北にジャスパー国立公園があり、さらに西へ分水嶺を超えるとブリティッシュ・コロンビア州でグレイシャー国立公園があり、このあたり全体にコロンビア氷原が広がっていて、アサバスカ氷河では氷河の上を歩くこともできた。

Quebec and Ontario

ケベック州とオンタリオ州

ローリー時代に、妻と愛車フォード・マベリックを運転して、2度の大旅行をしていて、1度目はカナダのケベック州とオンタリオ州まで2週間いったもの。ワシントンDC、フィラデルフィア、ニューヨーク市へ寄って、アメリカとカナダの国境のセント・ローレンス川を渡り、モントリオールへ着いて、市内を見物した後に北郊外の小さな湖のほとりのリゾート地で2・3日を過ごしたが、どこだったかこの間からRand MacNally's The Road Atlas U.S./Canada 2004で探しているが思い出せない。そこから我らが最終目的地のセント・ジョン湖(フランス語でサン・ジャン湖)とケベック市へいった。セント・ジョン湖では車のエンジンが調子悪くなり、ガソリンスタンドへ持ち込んでフランス語で「ル・モトール・エ・キャセ。」などと叫んで、苦労した。帰り道にはオタワ、トロント、ナイアガラ滝へ寄り、バッファローからニューヨーク・スルーウェイを通って帰り、ワシントンDCを迂回してチェサピーク湾大橋を通る前にそこの海鮮料理屋で食べたムール貝料理は、何かもうその浜の砂にまみれて食べているようで最高においしかった!いまアメリカ・カナダの地図を見てみると、片道1600km の大旅行だった。 (2回目の旅行は、米国のフロリダ州へ。)

USA

I have been to 16 of the 51 political subdivisions ("states") of the U.S.

米国

米国は下に書いた留学生時代ローリー時代キングストン時代ホワイトプレインズ時代にそれぞれ2年ずつ、合計8年間滞在したので、日本、中国に次いで比較的よく知っている国で、特に以下の16州は住んでいたか、直接訪れている。米国の地方区分は、州名のABC順より、次のように東から9地方位に分けるのが分かりやすいと思い、そのように並べた。

New England & Mid-Atlantic States

Connecticut, Rhode Island, Vermont and New Hampshire

ニューイングランドと中部大西洋岸

コネティカット、ロードアイランド、ヴァーモント、ニューハンプシャー州

コネティカット州はホワイトプレインズ時代にグリニッジが隣り町だったので時々行ったし、他の3州は夏にマサチューセッツ州へ行った時に寄ったのか、秋に紅葉を見にメイン州まで行ったのか定かに憶えていないが、ロードアイランド州プロヴィデンスに泊まった時にミスアメリカか何かの州代表を決めるテレビ放送をやっていて、またニューハンプシャー州ポーツマスでは日露戦争の終結条約の会議室を見たことを憶えている。ポーツマスで「鯨捕り博物館」も見たと記憶しているが、果たしてメルヴィル著『白鯨』の冒頭に出て来るマサチューセッツ州ニューベッドフォードだったのだろうか。

Massachusetts

マサチューセッツ州

ボストン。私はマサチューセッツ州ボストンへは、3度ほど行っている。初めて行ったのはピッツバーグに留学している時で、MITに留学中の友人を訪ねたもの。2度目は多分ニューヨーク市北郊外に住んでいるときに、夏休みに家族でキャンプをしながら、タングルウッド(ボストン交響楽団の夏季キャンプ場)やコンコード(『若草物語』の里)を経由してボストンへ行き、南郊外にあるメイフラワー号を見たり、ケープコッドCape Cod)まで行ってテントを建てて2・3日泊まって、潮干狩り(clam digging)などをしたもの。3度目は多分日本からの出張の折に、ボストン郊外に住む大学院時代の米国人友人(Jim Cheng)を訪ねて、コンピューター博物館、ボストン・ポップス・オーケストラの音楽会などにも行ったもの。

New York

ニューヨーク州

ニューヨーク州では、まずニューヨーク市のマンハッタンに留学生時代の1970年夏休みに、International Houseに住みながら、IBM World Trade本社で3か月働いた。当時IBM U.S.以外は、まだIBM A/FEAmericas/Far East@Mt. Pleasant)とIBM E/ME/AEurope/Middle East/Africa@Brussels)に分かれていなかった。仕事上はすぐ近くの国連本部の図書館で調べたりして、装置工業用のソフトウェアプログラムの販売予測はどのようにしたらいいかについてだった。コニーアイランドや、ニュージャージー州のアトランテック市へ泳ぎにいったりもして、一番好きだったのは当時はイーストリバーから出る船に乗って、マンハッタンを反時計まわりにぐるりと回るCircle Lineに乗ることだった。これ以外に留学生時代に何回か車でマンハッタンへ行き、ハワードジョンソンホテルが駐車無料だったのでそこによく泊まり、リンカーンセンターの小劇場で歌劇を見たり(メトロポリタンオペラはシーズン外で見れなかった)、セントラルパークの自然博物館でプラネタリウムに行ったり、一度はカーネギーホールで母校・カーネギーメロン大学のブラスバンドの演奏会に巡り合わせた。そういえば、セントラル・パークの西にある自然博物館のヘイドン・プラネタリウムにはその後もよく行ったな。

ニューヨーク市の交通:NYCへの交通は、まず飛行場は海外からはロングアイランドのジョン・F・ケネディ国際空港、国内線はしばしばラガーディア空港ニューアーク空港を利用した。車で入る時には、ペンシルバニア州からは西側のニュージャージー州側のリンカーン・トンネルを抜けて、北側のクロス・ウェスチェスター・エクスプレスウェイからは、多分ブロンクス・リバー・パークウェイを抜けてマンハッタン島へ入ったと思う。鉄道を利用したのは数少なくて、北のノース・ホワイトプレインズ駅からメトロ・ノース線でグランド・セントラル駅に着いて、そこから地下鉄で各所へ。マンハッタン島内での交通はバス路線は複雑なのであまり乗ったことはなくて、地下鉄はInternational Houseに住んでいた夏休みに125th Street Stationからよく乗った記憶があるが、これはIRT Broadway線だったろうか。米国の東海岸を走るアムトラックペンセントラル駅から出ていて、一回だけフィラデルフィアへ出張する時に同僚と待ち合わせて使っている。

キングストン時代。ニューヨーク州の州都であるオールバニー(Albany)の少し南にキングストンという町があり、オールバニーへ州都が移る前に州都だったという触れ込み。そこの開発研究所でコンピューターの表示端末機(IBM 3270)の市場企画の仕事で2年ほど滞在した。キャツキル山脈に近くて、往時はニューヨーク市の金持ちたちはグランド・セントラル駅から汽車でラインベック(Rhinebeck)駅まで来て、馬車でハドソン川を越えてキングストンや隣町のウッドストックへ避暑に来たので、キャツキル山脈は別名ユダヤ人のアルプス山脈(Jewish Alps)といったらしく、空も水も空気もいい観光地だった。冬は少し南の湖でアイススケート、北のハンター山でスキーをした。ただし、1990年代初めに、この研究所は閉鎖されている。

ハドソン川でカヌーを漕ぐ。

ホワイトプレインズ時代。ニューヨーク市の北郊外のアーモンクArmonk)の一軒家に住み、近くのホワイトプレインズWhite Plains)にある通信製品部門(Communication Products Div.)の本部で2年ほど働いた。藤沢研究所(後の大和研究所)から金融管理のお目付け役で行ったが、2年目にはおもにコンピューターの表示端末機(IBM 3101)の市場企画をやり、完成間近の端末機をシステム・インテグレーター(S.I.)に評価してもらう仕事で、同僚のショーン・ライアンと全米の各地を回って、アメリカのS.I.業界の層の厚さには正直いって大変驚いた。丁度そのころ、フランスのラゴード開発研究所からフランス人がホワイトプレインズにきていて、あとでIBM3745通信制御機として発表される製品に関して同様な発表前の調査・研究をしていて、お互いに情報を交換したり、多少の競争もした。

秋にはこの周りはきれいに紅葉して、いいところだった。IBM PCが出始めのころで、1-2-3表計算ソフトの全盛時代だった。そういえば、ヨークタウン・ハイツにあるIBM基礎研究所はAPL言語の研修で一週間通ったことがある。子供たちは小学生だったので土地の学校で学び、土曜日には文部省がサポートしている日本語補習校に通わせた。

ロング・アイランド・サウンドでカヌーを漕ぐ。

上部ニューヨーク州Upstate New York)。NYCWhite Plainsも、Kingstonさえも、ニューヨーク州の最南部にあり、この州は上部(北と西)に広大な土地が広がる。州都オールバニーは、西からのモホーク川のハドソン川への合流点を見にいったが、町は州政府や州立大学の建物が多くて、よくわからなかった。オールバニーからシャンプレーン湖を経てカナダのモントリオールへは、ノースカロライナ州のローリー時代にケベックまで行った時に通っている。IBM発生の地Binghantonには大工場があったが行ったことはなく、その近くのコーニング(Corningには何かの機会に家族で寄ったことがあり、コーニング社(ガラス製造の大会社)の子会社Steuben Glassがクリスタル・グラスで有名なので、ビーバーか何かの小型置物を買ったが、どこへいってしまったか。

 

New Jersey

ニュージャージー州

留学生時代に、ニューヨーク市から南のアトランティック・シティーへ行き、ギャンブルはやらなかったが、海岸で泳ぎ、ボードウォーク(board walk)という海岸に沿って板製の散歩道があり、初めて見た。また、ホワイトプレインズ時代に、ハドソン川を越えて1時間くらい西へ、ポートジャーヴィス(Port Jervis)あたりに行くと、ニューヨーク州とニュージャージー州とペンシルベニア州3州が交わり、そこににデラウェア川リクリエーション公園Delaware Water Gap National Recreation Area)があり、近所の2人の友人たち(Seiki Ogura's & Jim Cheng's families)の家族と一緒に行って、子供たちと浮き輪につかまってゆらゆらと川の流れに任せて遊んだ。この時代、ニューアーク空港はニューヨーク市の三空港のひとつで、国内出張の際にはよく利用した。

Pennsylvania

Pittsburgh

ペンシルベニア州

留学生時代ピッツバーグ。ペンシルベニア州の西の中心都市がピッツバーグで、私はここでMBA大学院時代を過ごしている。2つの川が合流してオハイオ川となる所にあり、古くから舟運のおかげで鉄鋼業(U.S. Steelなど)、金属工業(Aluminum Company of Americaなど)、機械産業(Westinghouse)、石油産業(Gulf Oil)が盛んな地域だった。

フィラデルフィア。ペンシルベニア州の州都はハリスバーグで、州政府・議会と州立大学以外はほとんど何もない。東の中心がフィラデルフィアで、私はノースカロライナ州に住んでいた時に妻とカナダへ自動車旅行した時にここを訪れて、「自由の鐘」などを見ている。次にニューヨーク州キングストンにいた時に、フィラデルフィアのコンサルタント会社を使って、コンピューター表示装置の将来について電話による調査を実施したので、飛行機や列車で何回が行っている。

Delaware & Maryland

デラウェア州・メリーランド州

そういえば、ローリー時代にカナダへ旅行した帰りに、デラウェア州・メリーランド州からチェサピーク湾ブリッジ(Chesapeake Bay Bridge)を通って帰っただけ。また上のニュージャージー州で書いたデラウェア川遊びで、デラウェア州には入ったかな。

Washington, D.C.

Cherry Blossoms

ワシントンD.C.

桜の花

South

南部

Virginia

バージニア州

バージニア州はローリー時代にワシントンD.C.へ行く際に通るが、州都のリッチモンドへは寄ったことがなく、ただ寄ったのは2か所。まず、D.C.郊外でArlington Memorial Bridgeから国道1号線で南へ12マイル位の所にあるマウント・ヴァーノンMount Vernon @ Alexandria, VA)だった。これは米国初代大統領のジョージ・ワシントンの邸宅があった所。また、ノースカロライナからカナダのケベック州へ旅行した帰りにはおんぼろ橋のチェサピーク湾ブリッジ・トンネルを通り、北側の橋のたもとで貝料理を食べたのが極くうまかった。

North Carolina

ノースカロライナ州

ローリー時代。ノースカロライナ州の州都・ローリー(Raleigh)に2年間滞在した(初年度はケアリーに)。ローリーとダーラムとチャペルヒルに挟まれたリサーチ・トライアングル・パークResearch Triangle Park)で働いて、プリンター端末機(IBM 3767)の開発の企画をした。ダーラムにはデユーク大学があり、CMUMartin Bronfenbrenner&照子さんと豊田利久さんが移ってきていて、前者の家へ招かれて食事をした。チャペルヒルは行ったのかよく覚えてないが、中国で知り合ったKevin Quanがいまそこにいて、ハワイ滞在中にも来てくれたので時々連絡している。(2020.11.06.)

 

休日には州の西端のスモーキー山脈(アパラチア山脈の一部で春にドッグウッドがきれいに咲き、秋には紅葉もきれいでブルーリッジ・パークウェイの一部分を走って道路に出てきたアメリカ大陸の有袋類のオポッサムも見た!)、東端のウィルミントン(春に西洋ツツジAzaleaの花が町全体に美しく咲く)やハッテラス岬(ライト兄弟が初めて飛行機を飛ばしたところ)へも行って、南部の人柄についても多少分かってきた。ローリーだけでなくこれは南部一帯の話だったが、道が分からいので歩いている人に聞くと南部弁で答えてくれるので、さらに分からなくなったことを覚えている。

 

Dogwood

ドッグウッド

Tennessee

テネシー州

ホワイトプレインズ時代に、ある時の出張ではテネシー州ナッシュビル近くに行き、私はすかさず金曜日にそこへ泊まることにして、神戸営業所のころからそうしたカントリー・ミュージックのファンだったので、土曜日夕方に全米へ同時放送されている有名なカントリー&ウェスタンのラジオ番組「Grand Ole Opry」を見ることができた。残念ながらテネシー州以外に5洲くらい行ったと思うが、どこへ行ったかはよく覚えていなくて、ある時にはある中西部の州で天がにわかに掻き曇って大嵐になり、「オズの魔法使い」に出て来るトルネードー(竜巻)はこうして始まるのかと感心した。

South Carolina and Georgia

サウスカロライナ、ジョージア州

ローリー時代だと思うが、サウスカロライナ州海岸のマートルビーチ(Myurtle Beach)とチャールストンへ寄っている。フロリダ州へ旅行した時にはサウスカロライナ州とジョージア州を通らねばならず、ジョージア州アトランタへ寄って町中を少し見たが、巨大な町でよく分からなかった。

Florida

フロリダ州

ローリー時代の2回目の自動車大旅行は、ノースカロライナ州ローリーからフロリダ州キーウェストへいったもの。アトランタに寄り、フロリダ半島では東海岸でディズニーワールドがあるオーランド、マイアミに寄って、キーウェストまで行ってアーネスト・ヘミングウェイの家を訪ねた。これも大旅行で、片道1200km だった。帰りはフロリダ半島の西海岸を戻り、タンパへも寄って帰った。(1回目の旅行は、カナダ・ケベック州へ。) また、ホワイトプレインズ時代には、当時ボカ・ラトン(Boca Raton)にIBMの開発研究所があり、我々が開発中の端末機(IBM 3101)がそこで開発中のIBM Series/1コンピューターに接続するので、2・3回出張している。

Mid-West

Illinois

中西部

イリノイ州

シカゴ。シカゴにあるシアーズ社が我々が開発した端末機の一つ(IBM 3101)の最大の顧客だったので、ニューヨーク州ホワイトプレインズにいたころに同僚とシアーズ社を訪問している。また、妻のお兄さんがシカゴ勤務だったので、そこへよったこともあり、ミシガン湖畔を散策した覚えがある。

Mountain States

Cooado

山岳部

コロラド州

ニューヨーク州ホワイトプレインズに滞在中、ある年の夏に、コロラド州のデンバーまで飛んで、そこでレンタカーを利用して、ボウルダーを経由して、エステス・パークで泊り、ロッキー山国立公園で子供たちと山登りなどをして過ごした一週間はまるで天国へいったみたいだった。U.S. Highway 34を西へ、大陸分水嶺を越えて下る所の、コロラド川上流の川下りは特によかった。他の年の夏には、カナダのアルバータ州へ寄った。

Southwest

Texas

Attending the Texas Astronomical Society Monthly Meeting

 

The Planetariums In and Around Dallas, Texas, U.S.A.

 

南西部

テキサス州

ダラス。ダラス市の郊外のウェストレイク(Westlake)にIBMメールシステム(Profs)の開発本部があり、当時日本でホストコンピューターを中心にしたオフィスシステムの開発をやっており、将来のオフィスシステムがアジア言語を見据えたものになるように、お目付け役として3か月ほど滞在した。テキサス州は米国の中でも独立国のような雰囲気で、特殊な州と感じた。週末は、テキサス天文研究会の月例会に出たり、近郊のプラネタリウムへ行ったりした。

Arizona

アリゾナ州

ホワイトプレインズ時代のある夏だったと思う、米国から日本へ帰る途中、フィニックスで乗り替えて(山に囲まれたきれいな空港だった)、フラグスタッフへ下りて、レンタカーでコロラド渓谷を見にいって、渓谷まで下りて、また小型飛行機で渓谷の上を飛んだが、大いに揺れて気持ちが悪かった。

Nevada

ネバダ州

上のコロラド渓谷見学の後、ラスベガスまで飛んで、ホテルでスロットマシーンで多少のギャンブルをやり、誰だったかなのショーを見た。

West Coast & Pacific States

Alaska

西海岸と太平洋諸州

アラスカ州

アンカレッジ空港。アラスカ州に行ったことがあるというのはおこがましい、1980年代の日本〜米国の航空機はみな、給油のためにアンカレッジ空港経由で行き、そこで海産物などをお土産に買ったものだった。また、日本〜ヨーロッパの航空機もモスクワ経由以外は、アンカレッジ空港に寄った。

California

カリフォルニア州

ベイエリア。サンフランシスコをはじめとするベイエリアへ初めて行ったのは、米国留学へ行く途中にカリフォルニア大学バークレイ校に1年先輩(後の北城格太郎社長)がいたので彼を訪問して、その時に金門橋とかフィシャメンズ・ワーフなどへいったと思う。留学の帰りには、長躯ヨセミテ国立公園へ寄っている。私の会社はサンノゼのハードディスク工場、サンタテレザにソフトウェア開発研究所を持っていて入り口までいったことはあるが、私は仕事上関係なかった。しばしば行ったのはヒューマン・ファクターズ・サポート・センター(Human Factors Support Centerc/o Dr. Dick Hirsch)で、端末機の人間的なデザイン要素のコンサルティングを受けにに寄ったもの。

ロサンジェルス。米国東海岸から日本への帰路に、家族とディズニーランドやユニヴァーサルスタジオへ寄ったりした。また、米国出張の折は、帰りにサンタモニカの海岸に自転車が乗れる道路があるので、そこへ寄るのが好きだった。

サンディエゴ。妻の兄さんがサンディエゴにいたこともあったので、そこへ寄ったこともある。海岸の崖の上に家があり、冬には鯨が回遊しているのが見えるというが、見損なった。シー・ワールドの見世物は素晴らしかった!

Hawaii

ハワイ州

Oahu and Kauai Islands, Hawaii (1969-1985)

ハワイ州オアフ島・カウアイ島・ハワイ島(1969-1985

私は1969年に留学へ行く途中大学同級生がYale Univ.卒業後ハワイ大学East-West Centerで研究していたので、彼の手引で始めてハワイをあちこち見て以来、オアフ島へは何回か家族で寄り、ハナウマ湾に寄ったり、ダイヤモンドヘッドへ登ったりした。また、アメリカで働いていた期間に、毎年日本へ帰る時、必ずといっていいくらいホノルルへ寄り、オアフ島でハイキングしたり、ハワイ諸島の一番西の緑あふれるカウアイ島へもいったが、これらははよく覚えていない。そういえば、ハワイ島にも寄り、レンタカーでマウナケア山へも上り、でもその頃はまだスバル天体望遠鏡はなかった。

Oahu, Hawaii (March 16-22, 2001)

甥の結婚式でオアフ島へ(2001.03.16.-21/22.

甥がオアフ島で結婚式を挙げたので、妻と娘たちとで行ってきた。

  1. 羽田をCI-08119:20に出発、6:50にホノルル着。Prince Kuhio Hotelに宿泊。
  2. ダイアモンドヘッドへの登り、昼にRoyal Hawaiian Hotelに集合して、オアフ島西南隅にあるKo Olina Chapelで甥(隆ちゃん)の結婚式。
  3. 日曜日午前中はSt. Peter's Church、午後はWaikiki Chapelを訪ねた
  4. 午前中はハナウマ湾(Hanauma Bayへ行き、午後はマノア滝(Manoa Fallsへ散歩。
  5. 午前中は記録がなく、午後はContemporary Museumへ行った。
  6. 記録がない。多分、ヌウアヌパリ・ルックアウト(Nu'uanu Pali Lookout)へいったのだと思う。
  7. 記録がない。
  8. ホノルルをCI-0178:45に出て、翌日12:55に羽田着。

Molokai and Maui Islands, Due to My Daughter's Wedding (2004) & In Chinese

娘の結婚式でモロカイ島とマウイ島へ(2004 &  中文:瓦胡島和毛伊島

3年前の春に甥がハワイ(中国語での解説は百度百科で「夏威夷」)の主要都市、ホノルルがあるオアフ島(西南端のKo Olina Chapel)で結婚式をやり、親類中でハワイへ出かけましたが、今度は私の娘がホノルルからまたわざわざ飛行機に乗り換えて行くモロカイ島(Molokai Is.)で結婚式をやるというので、親類とお友達に来てもらいました。新婦はフラ・ダンスを熱心にやっており、モロカイ島はフラ・ダンスの発祥の地で、新郎もサーフィンでハワイに何回も来ているからでした。私は日本出発2日前に中国から日本へ帰り、翌日はDVC(ディジタル・ビデオ・カメラ)などの買い物をして、10月終わりの時期に1週間のハワイ旅行へ出かけました。第1日目(日曜日)は一家で22:00発のNorthwest AirlinesBoeing 747-400)に乗って、同日7:50ホノルル着。さっそくタクシーでみんな(ワイフ、もう1人の娘、ワイフの妹、私)でホノルルの町へ出かけ、アラモアナ・ショッピングセンターで私は昔アメリカ滞在中によく行ったRitz CameraRadio ShackSam Goody(昔のLPレコードはなくて、すべてCD & DVDに変っていた)などがどうなっているかを見て、昼食はみんなで3FのCalifornia Pizza Kitchenで遠く海岸を見ながら食べて、そこから分かれて、私はタクシーでWard CenterにあるBorders Books、ホノルル港のAloha Towerの近くにあるCompUSA(パソコン・ショップ、ソニーのDVD+RW2層記録ドライブが出ていた)へ行き、そこへ皆が集合して、ホノルル空港15:55発のIsland Airline37人乗りDehaviland Dash 8 Series 100)に乗り、30分後にモロカイ島に到着、レンタカー(Dodge Stratus)でカウナカカイのホテル・モロカイ(Hotel Molokai 808-553-5347へ。

第2日目はホテルの海に面したレストランで朝食を済ませたあと、10時からレイ・メイキング(首飾りにする花輪作り)をして、11時からホテルの海に面した庭で戸外結婚式。そのあとすぐレストランの一角を借り切ってルアウ(ハワイのパーティー料理)を食べて、娘が友人とフラを踊るのを見ながらの披露宴。私はDVC(ディジタル・ビデオ・カメラ)で撮影するのに忙しかった。午後の神殿遺跡ツアーが少し前の大雨で道路がふさがったためキャンセルされたので、あとはホテル近くでぶらぶらして、夕方には島の北のカラウパパ・ルックアウトまで行ってきました(ダミエン神父の救ライ・センターが見下ろせる)。第3日目は山の上のシェラトン・ロッジへ移り、ホテルのプールで泳いだりして、午後は結婚したばかりの娘も来て皆で乗馬をして、夕方はカウポア・ビーチへ行ききれいな夕日が海に沈むのをを眺めた。第4日目は午前中に、モロカイ島の東端のハラワ渓谷Halawa Valley)で結婚式を取り仕切ったローレンスの案内で自然観察をしながらモロカイの歴史と文化を聞いて、ポリネシア人はハワイへ2度に別れて渡ってきて、1回目は5世紀のマルケサス諸島人、2回目が12世紀の好戦的なソサエティー諸島人。帰り道にエルサレム教会やダミエン教会の写真を取ったりして、飛行場へ。午後6:40発の飛行機でマウイ島へ飛んで、またレンタカーで島の中央、南のキヘイ(Kihei)にあるコンドミニウム(自炊可能)、マウイ・バニヤン(Maui Banyanへ行き、泊まった。

第5日目はレンタカーで西マウイの西端のホノルア・ベイまで出かけ、少し戻ってラハイナ(Lahaina、ここは1795年にハワイを始めて統一したカメハメハ大王の時から1850年までハワイ王国の首都だった)のFront St.のロンギーズ(Longhi's)でイタリア料理を食べ、午後3時にキヘイのホテルへ戻って、太公望の星空教室に参加して、岡田典之さんが運転・案内するバンでハレアカラ山(海抜3,000mに一気に上って、雲の中を抜けて、頂上で夕日を見て、Visitor Centerで大噴火口を見て、少し下に歩いて下り銀剣草(Silversword)を観察して、夕闇が迫るころMeade 25cm反射望遠鏡とMiyauchi 20倍双眼鏡を使って、白鳥座のアルビレオ2重星、琴座のM57惑星状星雲、さそり座のM7散開星団などさまざまな恒星・星雲・星団を観察した。(日本の彗星観測家、木内鶴彦(Swift-Tuttle彗星の再発見者)本の「生き方は星が教えてくれる」に関する話が面白かった。)第6日目は、午前中にプリンス・クヒオ号(Prince Kuhioで小さなモロキニ島近くに行きシュノーケリング、船の中で昼食が出て、またマウイ・プリンス・ホテルの沖合いでシュノーケリングして亀を追いかけたりして、楽しんだ。午後はまたラハイナへ行き、キャネリー・モールで買い物、夕食はまたFront St.に行き、海岸側のFish Co.で。最後の第7日目は、朝4時半に起きて、カフルイ空港6:50Aloha Airlineでオアフ島ホノルルへ行き、9:40発のNorthwestで出発、東京・成田へ翌日(日曜日)の13:15に着いた。旅行の計画と予約はすべてワイフがやってくれた。ハワイへは若い時に米国留学途中で寄って以来、もう6回ほど行っているでしょうか、何回行ってもいいところと思う。(2004.11.28.)

Hawaii Island, Hawaii (2010)

ハワイ州ハワイ島 2010

5月連休を少し延長して、娘の家族(夫と娘=私の初孫)が住むハワイ島へ11日間いってきた。旅程は

  1. 夕方韓国・ソウルを出て、同日の朝ホノルルに着き、夕方4時ごろハワイ島のコナ飛行場へ到着。
  2. 街中のコストコ、ターゲットなどで買い物、アリイ通りなどをブラブラ。夕方、娘がフラダンスを踊る夕食会へ。
  3. 島の南の州道をドライブして、サウス・ポイント、ヴォルケーノーズ公園(キラウェア火山)、ヒロへ行き、ヒロのKen'sで夕食後、帰りはSaddle道で星空を見て帰宅。
  4. 娘婿の同僚にさそわれて、島の西北隅にあるハヴィ近くの教会で礼拝。午後、娘婿の四駆でマウナケア山に登り、落日を見た。

夕方5時出発で娘婿の四駆に乗って、日本の「スバル」などの世界の天文台が沢山あるマウナ・ケア山(標高4,205m)に登ってきた。途中は雨雲の中を進み、オニズカ・ビジターセンター(海抜2,800m)くらいから雲海を抜けて、南側にマウナ・ロア山(4,169m)の頂上を雲海の上に見て、頂上では18:00のすばらしい日没を見た。スバル天文台は予約すれば見学もできるが、うまくスケジュールが合わなかった。帰路にオニズカ・センターで望遠鏡をのぞいて、土星の環を観察したり、そこで英語の星図を買ったり、星の解説をしていたので北斗七星のシッポの先はアークチュールスで、その先のスピカはあれだと訂正してあげた。また、アークチュールスはハワイ語で「ホクレア」といって、マルケサス諸島から人々が船に乗って、この星を目標にして、これが頭上に来るとハワイだったそうで、こうしてハワイ人が誕生したそうで、なかなか面白かった。

  1. 町のウォルマート、ボーダーズ本屋などで買い物。午後、孫娘の子守り。
  2. コナ・コーヒー農場を見学、午後は深層水工場を訪問し、また孫娘の子守り。
  3. 家でブラブラ。午後、ワイフが到着。
  4. 町の図書館へ。アリイ通りで昼食、夕方はキヤベ木材でBBQ。
  5. フアラライ山をハイキング。午後、プルメリア摘み。夕方、コナ・ブルーワリーで夕食。

娘夫婦の友人夫婦(Michiyo & Paul)が近くに住んでいて、そのだんながノルウェイ人の末裔で、彼をガイドに彼の子供2人(Nao & Erika)と私の娘婿とワイフの6人で、ここのうしろにそびえるフアラライ山(2521m)にハイキングにいってきた。(高山なので、娘と孫は留守番。)始め行こうとしていた火口への道は土地の持ち主のビショップ・エステート(ハワイ王朝最後のリリウォカラニ女王の旦那のビショップさんがハワイ人のために作った基金会で、ハワイの土地の1/4くらいの所有者)に、不祥事があり危険なので閉鎖してしまっていて、そこの番人に聞いて、別のルート(Honoaula Forest Reserve)をハイキングしてきた。

 

途中オヒア・レフアという大きな木にハワイらしい赤い花がついているのが沢山あり、私の孫はこの木からミドルネーム(レイレフア=レフアの花輪)を取っているので、これを見て写真を撮ったり、バナナ・ポカと呼ばれるダイダイ色のミカンのような実を付けた植物があり、実の中はアケビのような甘いおいしい味で、これをみんなで採ったりして遊んだ。バナナ・ポカは外来種のツル植物で、オヒア・レフアにまとわりついて、枯らすので、しばらく前から問題になっているそうだ。空飛ぶ鳥も、最近南米産のオウムが逃げ出して、岩の崖などに繁殖して、ここでもロサンジェルスでもいろいろ問題になっているという。

 

2時間くらい歩いたあと、牧場のところで道が終わったので、そこに入り込んで、牧場の芝生の上で持参のオニギリを食べて帰ってきた。そこから太平洋も遠望できて、コナ飛行場も真下にみえたので、娘の家の真上をフアラライ山に登ったところみたいだった。娘の友人が大阪出身で、だんなも大阪にいたことがあり、その子供たちも日本語は大変な大阪弁で、不思議な気持ちだった。

 

ここでビールは米国で通常手に入るあらゆるブランドと、地元産ではコナ・ブルーワリーとメハナ(本社:ヒロ)があり、娘の家はコナ・ブルーワリーの小型瓶のものを飲んでいる。この会社が海岸近くのオールド・インダストリー・エリアにレストランを開いているというので、孫も入れて5人で行ってきた。私はサンプラ―という4種類のビールをオーダーできるのにして、あとはみんなで2つの中型ピッツァを食べた。まわりにかがり火を焚いて、テラス風のテーブルで、赤ちゃんが騒いでも気にならない所で、そういう意味で気楽なところだった。

  1. ワイコロア・ビーチで泳ぐ。母の日記念のフラダンス大会。
  2. ツーステップ(Two Step)でシュノーケリング。ロイズで母の日(前日)の夕食。
  3. 早朝の飛行機で、ホノルルへ。昼の飛行機で、韓国・ソウルへ。

で、結構何でもある便利な島で、忙しいオアフ島と比べてゆったりとした生活だった。 (2010.05.10.)

お勧め(Recommended)娘が働いているハワイ島オーガニック・コーヒー農園
マウンテンサンダー(Mountain Thunder Coffee Plantation

Hawaii Island, Hawaii (February, 2013)

ハワイ州ハワイ島 20132

2月末に、4冊目の本が出版されたので解放されて、それを取りに大連から日本へ帰り、ついでに娘の家族が住むハワイ島へ10日の予定で妻といってきた。旅程は

  1. 真夜中に羽田飛行場を出て、13時ごろホノルル着。16時半の飛行機で30分後にはカイルア・コナ飛行場へ着き、コナの娘の家へ。孫娘には前に会っているが、去年生まれた孫には初めて会う。
  2. 娘の家の車寄せで、孫娘の昼食兼誕生会。娘の連合いがアワビを入手してきて、それをBBQ.
  3. 孫娘をプリスクールへ送って行く。帰りにKTAスーパー、郵便局などへ寄る。ボーダーズ書店はすでに閉鎖されていて、残念!この晩からラナイ(屋内のベランダ)で寝る。
  4. 孫をプリスクールへ送る。すし屋「しまいち」で昼食、夕食を「まつやま」で買う。午後6時に家を出て、娘の連合いが4駆でマウナケア山へ連れていってくれて(珍しく雪が降った直後だった)、スバル望遠鏡のそばで夕日が沈むのを見て、帰路は星空観測(カノープスを発見!)。
  5. 米国・ヨーロッパ・ニュージーランドなどの友人へ献本するための住所書き。午後は海岸の公園で、孫とその友達と中国から買っていって凧揚げ。
  6. 朝家のあたりをひとりで散歩。午前中中国人のツアー客が娘が勤めるコーヒーファームへ来るというので、一緒に接待したら、台湾からのお客さんで、私が台湾にいるころの話などで話し込んだ。午後ワイコロア・ビレッジの広東料理店「麒麟」で昼食、ビレッジ内を見学。
  7. 朝家を出て、島の東海岸のヒロへ向かう。途中、コアを植林しているところへ寄る。ヒロでは去年夏まで大連で英語教師をしていたMikeと合い、簡易レストラン「Suisan」(水産)で一緒に昼食し、ヒロ港を散歩して(以前ここはアラスカの地震でほぼ全滅)、彼の家へも寄った。コナへの帰り道に、きれいな虹を見た。
  8. サウス・コナの日曜青空市場へ。Sam Choy's Kai Lanaiで昼食。海岸の目貫く通りアリイ・ドライブをぶらぶらして、ウォルマートへ寄ってから帰宅。
  9. 近くに住む娘の友達が「Bread fruits」を持ってきてくれて、試食。飛行場にKona Brewing社のレストランができていて、そこで昼食。12時半の飛行機でホノルルへ。午後5時半の飛行機でホノルルを出発。
  10. 夜10時に羽田着。夜中までに何とか自宅へ到着。

真冬の訪問で、海で泳ぐ気はしなかったが、ハワイはやはり常夏の国だ。 (2013.02.26.)

Hawaii Island, Hawaii (October, 2013)

ハワイ州ハワイ島 201310

10月末から11月にかけて2週間、またハワイ島へいってきた。旅程は

  1. 上の娘の家族が日本へ来ていたので(孫は4歳と1歳半)、帰りは一緒に夜9時に成田を発って、同日朝9時半にはホノルルへ着いた。私だけそこで用事があり、ハワイ大学寄贈した本を所蔵しないというので引き取りに行き、そこの電話で大学の同級生でハワイ大学図書館に勤めている人と長電話。夕方7時のハワイ航空で出発し、7時半にはコナ飛行場へ着いた。先発していた娘が迎えに来てくれた。
  2. この日は疲れていたので、娘の家でブラブラして、夕方孫たちとパインツリーと呼んでいる公園へ遊びにいった。
  3. 朝9時にホノコハウ港へ送ってもらい、ドルフィン・スイムのツアーに参加(170ドル)。港からボートで南の方向へ行き、イルカの群れが見える毎にツアー客7人が海へ飛び込み、リーダーと一緒にイルカを見に泳ぐ。帰りはコナの町の目抜き通りの沖合を通り、簡単な観光的説明を受けて、12時には寄港。
  4. 朝、家の南側の庭の雑草を抜く作業。娘婿が休みだったので、一緒に娘が勤めているコナ・コーヒー農場へ寄り、そこから近いところのトレッキングコース(Honoalua Forest Reserve)を歩く。午後は、娘と一緒に孫たちを連れて「黄色の公園」(Old Airport State Recreation Area)へ行き、遊ぶ。
  5. この日も朝は、雑草抜きで、南側の庭はきれいになった。午後4時から少し離れたケアウホウ・ショッピング・センターで、子供たちが100人くらい参加したハロウィーンコンテストへ行った。広場にバウンサーが沢山あり、子供たちは夜9時ころまで遊ぶので、終るのを待った。ハワイらしく水泳プールのバウンサーもある。
  6. 日曜日で11時から、モクアイカウ教会というハワイ諸島で一番古い教会の「伝統的礼拝」に出席。全体は英語だったが、「女王の祈り」など時々ハワイ語の祈りがあったので驚いた。Ba-leというベトナム料理店で昼食。
  7. 朝5時ころ外へ出ると満点の星空で、西に冬の星座であるオリオン座、大犬座、うっすらと天の川、北空にペルセウス座、カシオベア座があって、きれいだ。月曜日は朝は週間日記をまとめるので、これをやった。午後娘婿がサーフィンを教えてくれることになり、パインツリー公園の海岸でやったが、ボードごと横にくるりとひっくり返るし、背筋がないに等しいのでボードの上で待っているのがつらくて、サーフィンはほぼ全滅だった。
  8. 朝9時から、もう一回ドルフィン・スイムに参加して、今回は港から北へ行き、飛行場の海岸近くでイルカに遭遇。なぜか泳いでうまくグループについて行けなくて、でもイルカの鳴く声を聞こえるようになった。アニー(Annie)というハンバーガー店で、私はSouth Pointハンバーガーというアボカド入りのを食べる。ルート180 Kona Heritage Corridor)の先のKona Coast Nut & Candy Factoryのマカデミアナッツが一番おいしいというのそこへ行き、お土産買い。ルート180を戻って、UCCのコーヒー農場とドトールのコーヒー農場(Mauka Meadows)へ寄り、両方とも無料で、後者は特によかった。
  9. 西側の庭の雑草取りを始め、これは3日かかった。午後は郵便局へ行き、ニューヨーク州に住む友人へ送った本が行方不明になったので、再度送る。
  10. ハロウィーンの日。下の孫が少し皮膚病になったので、小児科へ連れていった。そこで待っている間に、向かいの本願寺に寄り、西本願寺派の海外布教を学んだ。夕方5時半に、Hualani Estateという所にある娘の友人宅へ寄り、そこは「Trick or Treat!」の名所で、広い道路と歩道があり、半分くらいの家が待ち構えている。その後、みんなでパーティー。
  11. 夜のサンライズ・ツアー出発を控えて、午後は少し寝て、夕食後夜の12時にダウンタウンのセーフウェイでピックアップを待つ。あと4つのホテルへ寄り、総勢12名でマウナケア山を目指す。高度2,500mのオニズカ・センターで少し休んで、コート・帽子・手袋を借りて、高地に体も慣らし、さらに進んで高度3,900mのところで星空観測で、ペルセウス座の2重星団、オリオン座の大星雲(散光星雲)、おうし座のすばる、木星と4つの衛星などをガイド持参の望遠鏡(口径20cmCelestron社製カセグレイン望遠鏡)で見る。車で少し寝て、7時少し前に山頂(4,200m)へ着き、7時過ぎに雲海の上を太陽が昇ってきた。しばらく遊んで後、下山開始、オニズカ・センターでサンドイッチを食べ、借りた服を脱いで、4つのホテルへ寄り、9時には家へ帰った。この日はブラブラするついでに、Home Depotハトウェアストアで上の孫と船を作って遊んだ。
  12. 日曜日は娘の友人たちを招いて、ギョーザ作りパーティーをして、中国人、長春に滞在したことがある日本人も来たので、「コナ・マンダリン・クラブ」の初会合だった。
  13. 月曜日はまた週間日記をまとめ、午後はウォルマートへ最後の買い物に行ったりした。
  14. コナ空港に送ってもらい、朝10時のハワイ航空に乗りホノルルへ。ホノルルを12時半前に出て、成田へ向かう。
  15. 翌日の午後4時半には成田へ着き、夜7時半には自宅へ戻った。

子どもが2人いてプリスクールへ行き出すと、母親は車でその送り迎えや昼寝、夜寝の準備、食事などで大変忙しい。おじいさんも孫と遊ぶのに、体力もいるし、忙しかった。 (2013.11.06.)

Hawaii Island, Hawaii (Summer, 2014)

ハワイ州ハワイ島 2014

5月に下の娘の結婚式で日本の我が家にきていた上の娘の家族を送って、6月末から7月にかけて2週間あまり、またハワイ島へいって来た。

  1. 深夜に羽田を出てホノルルへ昼ごろ到着、続いて30分でハワイ島コナへ。
  2. コハナイキ・ビーチ(旧名パインツリー)で女婿にサーフィンを教えてもらう。全然できない。
  3. フアラライ山へ女婿と孫たちとハイキング。町立プールで水泳。
  4. 庭の雑草退治、ラナイ(壁で囲まれているベランダ)の掃除。
  5. アリイ通りの海岸側にある教会(Living Stone Church)で日曜礼拝。インド料理店「Kamana」でランチ。
  6. 下の孫が飛び火にかかり、病院へ。寿司屋「しまいち」で夕食。
  7. 女婿が案内役の火山国立公園ツアーに参加して、サドル・ロードを通ってヒロへ行き、虹の滝、ビッグアイランド・キャンディーを経由して、キラウェア火山を見下ろし、火山をすレストランで夕食。夕方また火山を見に行き、帰路のサドルロードで星空観測して、真夜中に帰宅。
  8. 女婿の友達が父親の散骨に来たので、みんなで旧飛行場公園でプルメリアの花を摘み、孫たちを遊ばせる。夕方、この友人のコンドミニウムでパーティー。
  9. 独立記念日74日)で、マウラ・ラニ・ホテルで、オアフ島のSea Life Parkからあずかっているウミガメの「独立祭」Honu=Green Hawaiian Turtleを自然に返す)を見にいって、そこに娘が勤めているMountain Thunderコーヒー農場が店を出しているので、昼食。夕方、アリイ通りで花火大会を見にいった。
  10. さまざまな買い物など。アイスクリームショップで、ChobaniGreek Yogurt
  11. さまざまな買い物。Mountain Thunderコーヒー農園などで買い物。
  12. Living Stone Churchで少し遅れて日曜礼拝。コナ高野山大師寺で「きうり加治」に参加。
  13. 娘の友達を呼んで、去年い次いで「コナ・マンダリン・クラブ」の餃子パーティー#2をやった。
  14. 朝ハワイ島で出て、オアフ島ホノルルで日本行き飛行機を待つ間に、ダイアモンドヘッド登山をした。移動には公共バスに乗ったが、運転手が身障者への手助け、観光客への案内などで親切なので感心した。飛行機は夕方ホノルルを出て、
  15. 翌日夜間に、羽田へ到着。大船・藤沢行き最終バスに間に合った。 (2014.07.09)

ダイアモンドヘッドへ登る:

 写真集はFacebookのMountains of Hawaii

翌日は2週間のハワイ島滞在後に、日本へ向かった。あさ早かったので子供たちは起きていなくて、コナ空港へは女婿だけで送ってくれた。ボケっとしていて右側の窓にマウイ島やオアフ島が見える席を頼むのを忘れていたが、ちゃんといい席をくれて助かった。オアフ島のダイアモンドヘッドは雲が出ていてきれいには見えなかったが、ホノルル空港へ着いて夕方のJAL便(羽田空港到着)までに時間があったので、バスに乗ってワイキキまで行きそこで昼食用に水と海苔巻きを買って、2番バスに乗り換えて終点のハワイ大学KapiOlani Community Collegeで下りて、ダイヤモンドヘッドへ向かった。(ホノルルのバスは初乗り2ドル半で時間内は2回乗り換え可だった。)そこからダイアモンドヘッドは道向かいにあり、ここは初めて米国へ来た途中に登ったことがあり、13年前にも甥っ子の結婚式へ来た時に妻と一緒に登ったので、今回は3回目だが、随分昔のことなのでどんな所か完全に忘れている。全体は火山の噴火口の跡で、外輪山を貫くトンネルを抜けてビジターセンターに寄り、そこから頂上までは往復1時間半だということなので急いで登り、頂上は狭いけどそこで何とか昼食をほおばって、晴れた日で暑かったがいい運動だった。帰りはアラモアナ・センターでバスを乗り換えて空港へ向かったが、途中バスの前に自転車を載せてもらう人がいたり、身障者の人が自分で車いすに乗ってきて、運転手がそれを固定してあげて、私の質問にも丁寧にバスの運転手も丁寧に答えるのを観察して、いいバスサービスだと思った。

ホノルル空港で飛行機の出発までにさらに4時間の時間があったので、Pages&Pages書店でハワイのハイキング・ガイドブック

Stuart J. Ball, Jr.Hikers Guide to Oahu Revised editionUniv. of Hawaii Press, 2000

同「Hikers Guide to the Hawaiian Islands」(同、2000

を見つけて買って、次に来る時には役立てたい。Kona Brewing Co.レストランでFire Rockを飲んで、Kaluahe Nachosを食べてご機嫌になっている時に、飛行場に大きな虹が出るのが見えて、私は虹を見るのが好きだ。飛行機は夕方7時にホノルルを出て、夜10時に羽田に着き、最終バス(22:30発に)は15分くらいの差で乗り遅れ、鉄道(京急&JR)に終電までまだ余裕があったが、モノレールは最終で(23:50)で、深夜の住宅街でトランクを自宅までガラガラ押してきた。  (2014.07.08.-09.)

Hawaii Island, Hawaii (Winter, 2014/15)

ハワイ州ハワイ島 2014/15年冬

12月初旬からひと月余りの冬をハワイ島で過ごした。今回でハワイ行きは10回目くらい、ハワイ島行きは6回目で、今回の旅行をまとめると、

  1. 最初の1週間は貸し別荘を借りて、二人の娘の家族も来てもらい、孫たちも含めて家族全体でマウナケア山で夕日を見に行ったり、ドルフィン・スイムでイルカを探して泳いだり、一緒に食事を作ったりして楽しめた。
  2. 私がまだ行ってなかったハワイ島北部のワイメア、ハヴィ、ポロルー渓谷見晴らし台、ハノカアとワイピオ渓谷などへ行けて、北西部海岸で鯨の潮吹きも見れた。
  3. 大連で知り合った私の友人がハワイ島の反対側のヒロに帰国していて、訪ねてくれてた。
  4. ハワイ州をより深く理解するために、ハワイの新聞、銀行、エネルギー供給(電力会社とガソリンスタンド)を調べ、各新聞、各銀行、ハワイ電力工業、アロハ石油などのページをWikipediaに作って、世の中へも多少役立つようにした。
  5. 娘の友人が米国オライオン社の10インチ天体望遠鏡EQ-Gをくれたので、彼に指導を受けて夜の星空を探索した。
  6. 孫たちがPre-School、小学校に併設されている幼稚園へ通いだして、学校の行事を覗き見た。
  7. シュノーケル中に耳に水が入って抜けなかったのだろう、人並みに(中耳炎の)病気になり、コナには耳鼻咽喉科で開業している医者は無くて、緊急病院へ行き、ハワイ島の救急医療の実態も分かってきた。

事情が許せば、今年から毎年半分くらいをハワイで過ごしたいと思う。 (2015.01.12.)

Living on Hawai Island
Ref.: My Big Island of Hawaii Home Page</

Moved to live in Kona, Hawaii Island (July, 2015-Dec., 2019)

In summer 2015, the year when I left China, I moved to live in Kailua Kona, a dry area of western Hawaii Island, U.S.A.

ハワイ島に住む
参照:
私のハワイ・ホームページ

ハワイ島西部乾燥地帯」のコナへ移り住む(20157月〜201912月)

中国を引き上げた年の夏に、私は米国ハワイ島「西部乾燥地区」にあるカイルア・コナ(Kailua Kona)へ移り住んだ。

Moved to live in Hilo, Hawaii Island (Jan., 2020 - )

Further moved to live in Hilo, a wet area, of eastern Hawaii Island, U.S.A. (January, 2020- )

 

ハワイ島「東部多雨地区」のヒロへ移り住む(20201月〜)

その後さらに、ハワイ島東部の多雨地帯にあるヒロ(Hilo)へ移り住んだ。

Central and South America

I have never been to Central or South America.

 

中南米

私は中南米へは、行ったことがない。

 

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Prepared by Yoshi MIKAMI on October 20, 2009. Last update: July 22, 202.