Japan: 4. Chubu Region - 日本: 中部地方

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4. Chubu Region

4. 中部地方

Yamanashi Prefecture

Fujiyoshida - Mt. Fuji - Subashiri (1958)

山梨県

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吉田〜富士山頂〜須走 (1958)

Paddling a Canoe in Lake Motosu

本栖湖でカヌーを漕ぐ 1988年

Mt. Kushigata (1990)

櫛形山ハイキング (1990)

3人で櫛形山登山 アヤメについてBBSでこうした議論があった翌年に、櫛形山のアヤメ平(標高1900m)に仲間(安藤敬夫、及川欣也さん)と3人で登ってきた。車を運転した安藤さんが、当時のマニュアル・シフト車のシフトし過ぎと登山で足を痛めたというのを後でお聞きした。(右の写真は安藤敬夫撮影、コダック・リバーサルフィルム使用)(2019.07.12.追記)

Climbing Mt. Senjoh 2002

仙丈ヶ岳へ登る 2002

2002年夏の終わり、南日本アルプスの山梨県と長野県の境にある千丈ガ岳(3033m)へ妻と登った。
  • 初日は:千丈ヶ岳へ藤沢を出発6:18-1950円->8:46(130km)中央高速道路の甲府昭和-->10:00(172km)広河原10:30-往復1100円22人乗りバス->11:00北沢峠-->11:18大平山荘--> 13:10昼食13:46 --> 14:40馬の背ヒュッテ, 17:00夕食(カレーライス), 夏の星を見たあと、20:00消灯
  • 次の日は:4:00起床(外で冬の星と黎明を見る),5:00出発-->6:16仙丈小屋2880m-->7:00仙丈ヶ岳3033m7:45-->9:00小仙丈ヶ岳-->11:00北沢峠-*7:35,9:45,(11:15),13:15,15:10->広河原12:35-夜叉神峠で休み、工事中ということで、中央高速道路を大月で出たので、帰りが遅れた->18:20自宅 (2002.09.01.-02.) 

Mt. Ashiwada (2013)

河口湖・西湖を見下ろす足和田山へハイキング (2013)

先週は火曜日の他に木曜日にも山登りをすることになり、ワイフと神奈川県の山・山梨県の山(山と渓谷社)を調べて、結局富士山麓の西湖付近の足和田山(1355m)へ登ることにした。朝7:15に車で家を出て、西湘バイパス(250円)・箱根新道・国道138号・東富士自動車道(500+520円)で小田原・御殿場経由で、富士山北麓の鳴沢村一本木へ着いて、登り口が分からず少しウロウロしたあと、10:15には東海道自然歩道の看板があるところから登山を始めた。すぐはきつい上り坂で、尾根にたどりつくと河口湖が見えて、富士山は雲に隠れて見えず、11:35には五湖台(足和田山頂上)に着いて、途中の御殿場のセブンイレブンで買ったオニギリ弁当。眼下に西湖見えて、向かいに御坂山地を望む展望台がある。

昼食後12:10に出発して、途中林越しに西湖が下に見えてクロアチアのプリトヴィチェ湖群国立公園みたいだなどと話しながら峰歩きをして、13:15には三湖台という裸の地面で見晴らしがいいところへ出て(青木ヶ原樹海・大室山、遠くに精進湖が見える)、中学生が大勢写生をしている。13:30には紅葉台を通り(展望台は有料だったのでスキップ)、13:50には紅葉台入り口(@国道139号)へ下った。国道を歩いて一本木へ戻る計画だったが、14:27の富士急行路線バスがあったのでそれに乗り(290円)、一本木から車で14:45には出発し、帰路は国道139・138号を素直に通り山中湖・御殿場・小田原経由で、藤沢市へ帰宅したのが17:30だった。運転距離訳200キロ。夕食は藤沢駅南口の奥田センターの「とんこ」でトンカツ。 (2013.10.17.)

Autumn Leaves in Mt. Fuji: Aoki-ga-Hara & Bat Cave (2017)

青木ヶ原樹海・コウモリ穴 (2017)

静岡県から移動して、本栖湖、精進湖、西湖の脇を通って、この辺りは4年前に西湖と国道の間にある足和田山(東海自然道)へ登っている雨なので青木ヶ原樹海の「富岳風穴」に寄り、また近くの「コウモリ穴」でガイドを雇って「樹海」を案内してもらい、これは富士山(先小御岳、小御岳、古富士、新富士の4つの大きな噴火があった)、富士五湖(本栖湖・精進湖・西湖はつながった「セ(?=[戔リ])の湖」だった)、樹海(平安時代の864年の噴火でできた)について学ぶことが多くてよかった。ここは自殺の名所で、樹海内は暗いと思っていたが大変明るい森林地帯で、松本清張が『波の塔』を雑誌『女性自身』へ連載して自殺の名所となったもので、自殺者は女性が圧倒的に多いという(女性の大部分は薬で、男声は首つりもある)。コウモリ穴の案内所に秋田県の田沢湖で絶滅したクニマスがどうやって西湖に来ていたかの展示場があり、なかなか力が入っていて、多くを学んだ。

本格的雨になったので、富士スバルラインで五合目へ寄るのは辞めて、道の駅「鳴沢」で寒かったから暖かいソバの遅い昼食にして、その後の富士吉田からは東富士五湖道路経由を辞めて、山中湖・篭坂峠経由の国道138号線を走り、御殿場へ戻り、これで富士山を反時計回りに一周したことになる。国道138号線をさらにYMCA東山湖・箱根宮ノ下経由で、小田原から国道135号線の湘南道路経由で16:30には藤沢市の自宅へ帰宅した。 (2017.10.13.)

Three Days in Oshino Village (2019)

忍野八海の民家で二泊 2019

土・日・月は天気が雨模様だったが、一族郎党を連れて富士山裾野の忍野八海へ、2泊3日の旅行をしてきた。土曜日は上の娘の家族とNaviがしきりに圏央道・中央高速道路を勧めるのを無視して、新湘南道路・東名・東富士五湖道路経由で篭坂トンネルを過ぎて山中湖湖畔へ出たら、幸い雨が止んでいた。富士山麓の「さかな自然公園」で東京から来た下の娘の家族と会って、戸外で梅雨の合間に持参のおにぎりで昼食後、そこの山梨県立「湧水の里水族館」で小雨を避けて楽しめた。富士スバル・ラインで五合目手前の奥庭自然公園まで行き、霧の中を展望台までハイキングしても何も見えなかったが、二歳児が小学5年生と1年生に手を引かれて歩き、大分仲良くなったようだ。宿泊は敷地内を忍野八海駐車場にも提供している民家「鱒の家」で、茅葺の日本家屋で、日本庭園があり、前を清水が流れる宿。風呂の後マス料理などで夕食。テレビ番組「ぶらタモリ、阿蘇山」は10分遅れだが、私はしっかり見て、ベンガラ、前方後円墳、カヤ場、野焼きの意義などを理解。(2019.06.29.)

日曜日、私は朝風呂の後の散歩で土地の人に出逢って暮らしの様子を聞いたら、そこは海抜千メートルなので竹は根が凍るので育たず、柿も水分が多い幹なので凍って育たないという。朝食後に忍野八海の涌池・濁池などの場所へ歩いて見に行ったら(我々夫婦は去年に次いで二回目)、狭い池の周りを大勢の日本人・外国人たちが取り囲み、周りの商店もうるさくて、混雑とアジア人たちの自撮りで幻滅だった。(あとで調べたら、八海の中心地の地権者のひとりが中池と称する一番深いと宣伝する九番目の池を掘り、その脇に30軒からの商店があるビルを建て、そこを通らないと池に到達できないようにしているような、資本主義社会の無法地帯だった。)宿近くへ戻り麺処「びわ」でソバのランチ。ボートに乗るべく山中湖へ移動したが、雨に降られて断念。Lawsonでコーヒーやアイスクリームを買って宿へ戻り、孫たち(小学5年生、1年生、2歳児)を1年生持参のプラレールを使って室内で遊ばせ、大人たちはいろいろなおしゃべり。午後四時過ぎには東京組は仕事があるので帰っていったが、いとこ同士仲良くなったようだ。我々は少し離れた出口池へ行き、そこは閑静でよかった。風呂の後の夕食でヤマイモの「とろろ」が出た。食後子供たちが好きなテレビ番組「ワイルド・ライフ」を見て、グレートバリアーリーフの大潮の時のサンゴの産卵、アオウミガメの産卵の様子を見た。(2019.06.30.)

月曜日は朝風呂と朝食後、小雨模様なので、まず富岳風穴へ行き、ここへは我々夫婦は去年寄った所。そこから青木ヶ原樹海を20分ほど歩いて鳴沢氷穴を見たが、堂内の往路は10メートルほど這って歩くし、小規模で、土産店ばかりが立派で、好きでなかった。(風穴も氷穴も忍野八海もすべて私立の施設で、投資が小規模でダメだ。)国道の歩道を富岳風穴へ歩いて戻って、そこから河口湖方面へ移動して、道の駅「かつやま」で上の娘が「ほうとう」は初めてというのでそれと他で昼食。雨は止んだので、河口湖の河口湖大橋の東側にある船津浜で、私以外の4人は足漕ぎ「アヒルちゃん」ボートで繰り出して、私は岸部で居眠り。北口本営富士浅間神社を娘が見たいというのでそこへ寄り、帰路にまたNaviが中央高速を勧めるのを無視して、東富士五湖道路で出発。篭坂トンネルを過ぎて御殿場側へ出たら濃霧で、それでも何とか東名に入り、新湘南バイパスで平塚へ出た。国道135号線沿いの焼肉「さかい」で夕食後、19:00には自宅へ帰った。神奈川県から富士山麓へは車で1・2時間内に行けるので、我々は山の西(朝霧高原)・北(五湖)・南(宝永山)・東(山中湖)へと行くのが大好きで、今回の梅雨時の小旅行は小雨模様だったが、水族館などに助けられて何とか乗り切った。 (2019.07.01.)

To My Friend's House in Kobuchizawa & Nishizawa Valley, Nagano Pref. 2020

ウィルス禍が一段落して八ヶ岳南麓・小淵沢の友人宅へ、また西沢渓谷へ 2020

6月末の日曜日、前々日金曜日にコロナ禍の県境を跨ぐ出入りが解禁されたからという訳ではなく、以前から高校同級の友人が招いてくれていた旅行で、妻の運転で山梨県小淵沢と長野県野辺山へ二泊に出かけた。圏央道・中央高速経由で小淵沢で降りて、花パーク「フィオーレ小淵沢」駐車場で友人夫妻、他の4人に会い、まず「泉寿し」で自然食の昼食。ひとりが最近マリインスキー劇場ウラジオストク支部で上演した「ニコライ・ネフスキー人生の旅」の脚本・演出家だったので、その旨をウィキペディアに載せたのを話して、それをインターネットで見せたりした。

八ヶ岳の南麓にある別荘地帯にある友人宅へ行き(「えほんの村」の近くで途中収穫間近い麦畑が印象的)、そこは別荘というより2階建ての立派な家だ。落ち着いたあと主人の案内で4人で「信玄棒道」という往時の森を抜ける山道がハイキングコースなっているのを歩き、途中「棒道チャレンジコース」へ寄り道して、水源地で水を汲んで、また友人宅へ戻った。

それから、近くのパン屋「Paisan」へ行き、これは薪の炉で残り火でパンを焼く設備がある店だ。5時少し前から夕食になり、総勢8名の多少三蜜状態で飲むやら、食うやらで三時間を過ごし、雑談が続き、私は最近入手したEchoをデモして、YouTubeは高音質なのでそれをEchoの音源にするといいのを学んだりした。この夏至の日、私は10時頃に就寝。(2020.06.21)

翌月曜日は小雨模様。朝起きてすぐ「棒道」」を昨日とは反対方向へ散歩。砂防ダムががある大きな川を超えて、森の中を小川を渡り製材所まで歩き、木の香りで気持ちがいい。8時から、りんごジュースとコーヒーと朝食。 この後は、長野県野辺山へ。

西沢渓谷へ。翌々日の火曜日は雨が上がり、6:30に起きて、妻と八ヶ岳高原ロッジの敷地中の音楽堂・ヒュッテ方面へ散歩。朝食の食堂は外のテラスへ出て食べて、東方面へ遠く男山・天狗山が雲間に見えて(これは10年前に登った御座山のすぐ南に当たる)、いい感じ。朝食中忘れてきたリュックを友人が届けてくれて、すぐ出発。国道141号線、長坂IC、中央高速経由で一宮御坂ICで降りて、山梨市駅前の案内所で西沢渓谷について聞いてから、国道140号線で山梨県笛吹川上流の西沢渓谷へ。

12時丁度に三富川浦という所で駐車して(最近できた埼玉県秩父市へ抜けるトンネル入り口の手前)、笛吹川に沿って歩き始めて、初めは散歩道のようだったが、二俣吊橋からは山道になり、沢登りの東沢渓谷への分岐点を過ぎて調子いい感じだったのに、「三重の滝」以降は最近の台風の影響か、通行禁止。仕方ないので引き返して、ネトリ広場で持参のオニギリを食べてから帰り、私は妻から少し離れて歩き、周りに誰もいないので、沢から聞こえる水音に負けないようにカラオケ調に歌を歌って歩いた。

駐車場近くの東沢山荘でモグサ餅を買って食べて、モグサ茶も買ったのは子供時代にモグサを集めて経験があるため。3時少し前にはそこを出発して、カーナビが推奨の道を間違えたら「ぶどうの丘」の脇を経て甲府盆地を見下ろす感じいい「甲州市フルーツライン」という道を通る正解で、勝沼ICから中央高速・圏央道・茅ヶ崎経由で、5時前には帰宅。こうしてコロナ禍が一段落して、車では国内旅行ができるようになったのを感謝した。(2020.06.23.)

Shizuoka Prefecture

静岡県

Autumn Leaves in Mt. Fuji: Mt. Ho-ei, Lake Tanuki, and Asagiri Highland (2017)

富士山の紅葉:宝永山登山・田貫湖・朝霧高原 (2017)

The MOA Museum of Art and Kiun-Kaku in Atami City (2016)

熱海のMOA美術館と起雲閣 (2016)

Driving in Izu Peninsula on Weekends

週末に伊豆半島をドライブ

Izu Peninsula

伊豆半島

Taking My Chinese Colleagues to Izu Peninsula, on a Weekend (2004)

週末に中国の同僚たちを伊豆半島へ案内 (2004)

Hiking in Mt. Amagi (2013)

天城山ハイキング(2013)

Seeking Spring in the Izu Peninsula, in February (2021)

伊豆半島で2月に春を探す (2021)

Entertaining Makinohara House for the Handicapped and the Aged with Songs, Five Times (2013 & 2014)

牧之原やまばと学園を歌で慰問、5回 (2013 - 2017)

Shizuoka City (1966 & 2014)

静岡市(1966 & 2014)

Niigata Prefecture

Joetsu, Kashiwazaki and Niigata Cities

From Nagano to Yonezawa, via Naoetsu, Niigata and Sakamachi

新潟県

上越市: 春日山と直江津海岸。長野県の「信州の海岸」なので、長野県北部の小学校3年生の時の遠足で、上越市高田にある上杉謙信の春日城と直江津海岸へ行っている。このとき初めて海を見た。

また、長野市に住んだ時もしばしば行っている。毎週土曜日に日本酒「雪中梅」の丸山醸造所へ予約が電話して取りに行ったり、「日本のワインの父」川上善兵衛が作ったワイナリー「岩の原葡萄園」も訪ねたりした。

柏崎市鯨波:鯨波は有数の夏の遊泳海岸で、遠い親戚があったので、幼少の頃に訪れている。海岸の背後は崖になっていた。

新潟市。冬季オリンピックの信州時代に、NIFTY-Serveの外国語フォーラムの友人たちと新潟市でオフラインミーティングをやった。海産物がおいしかった。

長野から直江津・新潟経由で坂町へ。長野県松代で小中学校の同窓会へ出席した後、長野駅から私はJR列車「青春18切符」もどきの一人旅で長野〜新潟〜坂町〜米沢方向へ移動開始。(実は、新幹線で埼玉県大宮まで帰って、東北・山形新幹線で行った方が便利な世の中になっていて、慨嘆!)まず「しなの鉄道」で妙高高原まで(豊野〜牟礼〜古間駅あたりの鳥居川沿いが私の田舎での本拠地)、それから「えちごときめき鉄道」で直江津まで(二本木駅では昔ながらのスイッチバックがまだあった)行った。そこから信越本線で長岡まで行き、新潟へ着いて、新潟県がこんなに大きいとは知らなかった。新潟で時間がなくなり鈍行はあきらめて、羽越本線の特急「しらゆきに」に乗って、やっと坂町へ着いたが、翌々日に山形県高畠町で「熱中小学校」で講師をする予定が、もう米坂線で米沢まで行く列車はなくて(途中の小国行きはまだあった)、駅員に宿屋があるか聞いて、ほぼ駅前の旅館「いづみや」に入り、近くの割烹食堂「いそべ」で新潟の酒と魚の夕食と取ったらもう疲れて、寝てしまった。 (2015.05.19.)

Mt. Naeba 2001

苗場山 2001

8月初旬に、長野県境にある苗場山(2,145)へ2泊3日でLAMN山の会の仲間と越後湯沢から登った。代替案もあり実際どれを取ったか覚えていないが、神田健一さんが作った山行計画をそのまま書くと、コース概要:苗場山は山頂の広大な台地いっぱいに散りばめられた大小の池塘の美しさが魅力です。苗場山には登山コースが四方から集中していますが、今回のは東京方面から最も取り付きやすいものです。 川端康成「雪国」の駒子像が出迎えてくれる西口から、ジャンボ・タクシーにて和田小屋まで行きます。身支度、準備運動をしてコースタイム4時間を頂上まで。途中下ノ芝あたりで昼食を取ります。弁当は集合後、湯沢駅にて購入する時間を設けます。 翌日は朝の頂上湿原を充分に楽しんでから赤湯温泉に向けて出発。急降下4時間ですが、脚をいためないようゆっくりと景色を眺めながら降ります。2時ごろには着くので秘境の露天風呂を満喫することができると思います。 最終日は、旅館を8時出発、越後湯沢にて昼食後、13時台発の新幹線かと考えています。

集合日時場所:2001年8月3日(金)午前9時10分 、越後湯沢駅 西口改札。往路の交通:上越新幹線;たにがわ431号 東京駅発 7:16 --> 上野駅発 7:22 --> 越後湯沢駅着8:51。上越新幹線;あさひ307号 東京駅発7:48 --> 上野駅発 7:54 --> 越後湯沢駅着9:05 。行程計画:◆8月3日(金) 越後湯沢駅---タクシー0:40-->和田小屋(10:00) <手前で降りる場合もあり>。 ===登り1:10==>下ノ芝(11:40)---昼食0:40(12:20) 。 ===登り1:30==>神楽ケ峰(2:20)===登り1:10==>苗場山頂(4:00) 。 ◆8月4日(土) 苗場山頂(8:00)====降り0:25==>2068m地点(8:30)===降り2:00==>1570m地点(11:30) 昼食 0:40(12:10)===降り1:25===>赤湯(2:00) ◆8月5日(日) 赤湯温泉(8:00)===登降1:30==>林道(9:50)===登降1:00==>ゲート駐車場(11:10) ---タクシー0:30-->越後湯沢駅(12:00)。携帯品: 宿泊先 - 8月3日 苗場山頂ヒュッテ 0257−67−2202 8月4日 赤湯温泉山口館 0257−72−4125 費用 - 東京−越後湯沢(片道) 乗車券:3,260円、新幹線自由席:2,720円、新幹線指定席:3,430円 タクシー:1,000円程度(往路)、1,600円程度(復路)。 魚沼交通:0257−84−2025 宿泊(8月3日) 素泊り:5,500円、2食付き:7,700円、弁当:700円 ミネラルウォーター500ml:500円、ビール350ml:600円。 (2001.08.03.-05.)

Nagano Prefecture

長野県

信州時代。幼少のころ信州で過ごし、また長野冬季オリンピック(1998年)の時に1年3か月長野市に住んだので、これらを一緒に信州時代と呼ぼう。長野県(信州)は、北信(長野市あたりの北部)、東信(上田市から軽井沢の東部)、中信(松本市あたりの中央部)、南信(飯田市あたりの南部)に分かれる。

Northern Nagano

北信:

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北信(長野県北部)は、中央部(長野市から信越線の沿った地域)、東部(飯山市と千曲川に沿った地域)、西部(大町市と姫川に沿った地域)に分かれている。

The Days of My Boyhood in Iizuna & Shinano Towns
飯綱町:幼年時代は中郷村(後の牟礼村、現在は飯綱町)に住んでいたので、近くの土手でフキノトウを採ったり、八蛇川で春先にネコヤナギと取ったり、黒川(鳥居川の支流)で魚を捕ったり夏には泳いだり、夏休みは小学校の校庭で夕方にセミのさなぎを地中から捕って夜に虫かごの中でセミになるのを観察したり、秋には飯綱山の村有林でキノコを採って冬の前に学校全体で薪(たきぎ)を集めたりの、典型的な田舎生活をした。

サンクゼール。飯綱町芋川(もと三水村)のサンクゼール(St. Cousair)はワイナリーで、気持ちのいいレストランにもなっている。

信濃町:野尻湖があり、高原にあるので8月初旬の二週間のみが泳げて、家族で泳ぎにいった。柏原は小林一茶の故郷(参照:私の「一茶の俳句ホームページ」)。

Nagano City:
Worked in Nagano City for the 1998 Nagano Winter Opympic Games.
1998 Winter Olympic Games in Nagano: IT Supprt
Supporting the 1997 Winter Pre-Olympics' Ski Jump IT in Hakuba
Supporting the 1998 Winter Olympics' Main Press Center IT in Nagano
Living in Nagano 1997-98
Climbing the Mountains in Northern Nagano Pref. in 1997-98
長野市:1998年長野冬季オリンピックで、長野市で働いた。以下は、その時に書いたもの。

1998年長野冬季オリンピックITサポート
1997年長野冬季プレ・オリンピックで白馬スキージャンプITをサポート
1998年長野オリンピックでMPC(Main Press Center)ITをサポート
長野市に住む 1997-98
北信(長野県北部)の山へ登る 1997-98
信州の花(ネコヤナギ、福寿草、桜=高遠、アンズ、ハナミズキ、カタクリ、水芭蕉=飯綱・戸隠)と紅葉=松川渓谷
信州のワインとお酒


Nagano Prefecture People's Association in Dalian, China

中国・大連で長野県人会に所属 2001-2015

Homecoming to Iizuna Town for Two Days 2023

飯綱町へ2日間の里帰り 2023

 第1日目は金曜日、朝5時半に家を出て、私の育ち故郷の長野県飯綱町へ向かった。「関東いいづな町の会」のツアーで行ったもので、モノレール・東海道線を乗り継いで、東京駅で新幹線の「かがやき」金沢行(全車指定席)に乗って1時間20分で長野駅に8:40に着いてしまい(外は寒いと感じた)、しばらく待ってしなの鉄道北しなの線の牟礼駅に10時前には着いた。

 集合時間まで時間があったので、駅前の栄町を「牛落としの坂」(国道18号線)まで歩いて、中俣医院を見たりした。11時半の集合時間には12人が集まり、役場の高森さんの案内のミニバスでまず町役場で長峰町長さんと会議室で「ふるさと納税」が今年は10億円にせまるという話を聞いたりした。次に「ふれあい歴史館」で昭和初期の食事の展示を見て、家庭菜園を「せんぜ畑」というなどを学び、屋上からは北信五岳が見渡せて、近くに町民運動会用のグランドがある町民会館にも寄った。ことあと、牟礼村(昔の北国街道の牟礼宿からの名称)と三水村(芋川用水など3つの用水があるのでの名称)と合併でできた飯綱町(どこでも飯綱山1917mが見えるのでの名称)の旧三水村を回って、芋川氏の鼻見城跡へ車と徒歩で登り、新潟県角見村の名工たちが作った苔翁寺を見て(善光寺の山門とここの山門は「善光寺地震」1847年でも倒れなかった)、この時に私が習った先生は松雲寺住職の息子・沖大啓先生(東京の大学を出た手で大いに元気だった)と隣りに座ったふれあい館の小山さんから聞いて分かった。

 合併後の飯綱町立中学は外からのみ見て、田山花袋が英語塾同窓生の案内でここへ来て彼の作品に書いているとの碑を通り、三水第二小学校が「いいづなコネクト東」という貸事務所になっているのを見学して(近くに田山花袋が書いた「鎮守の森」)、そこから「いいづなスキー場」にある上倉荘(かみくらそう)へ着いて、7時半の夕食会の各自紹介で私は母の実家そばに家(西黒川地区の丸山医院のすぐ近く)を借りて家族疎開して5年生までいたので、幼年時代は田舎っ子だった件を話した。そのあと風呂へ入り、東北大卒業後に農林中金で働いて退職した人(渋沢さん)と相部屋で、10時半には就寝。(2023.10.20.)

 第2日目は土曜日、6時半前に起床し、ラジオ体操は下の食堂で。風呂へ入り、7時半には朝食で、2時間ほど散歩に出て、飯綱山は霧の中で、寒い。この日はもと牟礼村をおもに見学して、まず牟礼第二小学校が「いいづなコネクト西」で運動場・体育館で様々なクラブが借りにきている様を見学した。そのあと、西黒川地区の丸山医院(長野市から通っていたがこの7月で閉じたという)近くのもと我が家がある県道をを通ったので、写真タイムをしてもらい、次に児玉地区にある武州加州道中堺牌(加賀藩が参勤交代で江戸へ向かう中間地点)で、小玉古道(明治天皇も北国街道=国道18号線でなく、この古道を通って新潟県へ行った)、西黒川地区を見下ろす「そば処よこ亭」で天ぷら蕎麦で昼食、最高にうまかった!

 昼食後近くの横手特売所で地元産の農産物・山菜を見て、さらに三水村へ移り、「さんちゃん」でも買い物になり、私は渋柿を買って干し柿を作る予定。アップルミュージアムでは発達障碍者のリト@ADHDが木の葉切り絵展をやっていて、大勢の若者が来る人気展示で驚いた。有名なワイン・レストラン兼売店の「サンクゼール」で私はチョコレート・ポップコーンを買って(この辺りでは飯綱山は見えず、斑尾山が眼前にある)、4時過ぎには牟礼駅で解散した。

 私は天気が良ければもうどこかの温泉で1泊して帰るつもりで帰りの切符を買ってなかったが、寒気が押し寄せた週末だったので、すぐ帰途へ。東京方面へ帰る5人と話したら自由席切符を買うか、ただSuicaで入場して「あさま」の乗ればいいという話で、長野駅でSuicaを新幹線で使えるようにして、5時少し前発に乗って大宮駅で降りて、駅前のやまや広島お好み焼き店で夕食を済ませて、東京宇都宮線で帰り、夜9時には帰宅した。20数年ぶりに見る故郷が、こうして発展しているのを見るのは気持ちよくて、また新幹線を利用するのは妻がやってきたので、私は中国・ハワイ生活が長くてよく知らなかったが、やっと慣れてきた感じで、JR大人の休日クラブカードも便利と教えられた。(2023.10.21.)

In Matsushiro with My Primary & Middle School Alumni 2015

松代で田舎の小中学校の同窓会 2015

2015年5月のある月曜日、田舎の小中学校の同窓会が長野県松代で開かれて、参加してきた。私は小五までしかそこにいなくて、中学もそこで卒業していないが、毎年招いてもらっている。最後に参加したのは長野冬季オリンピックの時だから、もうほぼ約20年ぶりだ。午後三時に長野駅へ集まるのだが、少し前に着いたので善光寺へ行く大通りを昭和通りまで行き、そこの小林一茶の句碑4つの写真を撮った。飯綱町から来た専用バスで松代町へ行き、そこの国民宿舎で泊り、六時から宴会。何と椅子に座っての宴会で、中締めは私がやり、二次会はカラオケだったが、私ともう一人以外は歌う人が少なかった。 (2015.05.18.) 翌火曜日は同級生たちと9:30からバスで真田邸文武館などを見学してから、長野駅ビルMidoriの「草笛」でソバを食べて(クルミソバが良かった)、皆と別れて新潟県を経て、山形県で開催された「熱中小学校」へ行った。 (2015.05.19.)

Eastern Nagano

東信:

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Climbing Mt. Ogura 2010

御座山へ登る 2010

いま急用で中国・大連から日本の自宅に一週間帰っている。急用は一段落したので、金・土と一晩泊まりで妻と長野県の御座山(おぐらやま、2112m)へ登って、今の時期最盛期のシャクナゲの花を見てきた。車で外出するのは近ごろめずらしいので交通経路も少し書くと、金曜日藤沢市の自宅を出発するのが8時半ごろになってしまい、車で県道を通って用田を抜けて、門沢橋で相模川を渡って、厚木を抜けて国道412号線で相模湖へ行き、相模湖ICで中央高速に乗るまでが2時間20分もかかってしまった。高速の双葉サービスエリアで持参のサンドイッチで昼食を食べ、須玉ICで下りて、国道141号線(韮崎〜小諸)を小諸方面へひた走り、清里・野辺山を抜けて、松原湖で一休みして、湖畔を一時間ぐらい散策したあと(ミツバツツジ、レンゲツツジ、サラサドウダンなどが満開!)、車は141号線を佐久平へ下りて、海ノ口の千曲川源流あたりはこの時期ニセアカシアの白い花が満開で、車の中までいい匂いがただよってきて、中国・大連でいま満開なのでなつかしかった。

私は長野県北部(北信)育ちだが、中部(中信)のこのあたりはいつも通過するだけで、よく知らない。そこから相木川(あいきがわ)に沿って東へ入り、北相木村(きたあいきむら)で大きな滝(おみかの滝)を見て、そのあと目指す南相木村の民宿へ着いたのは、もう4時ころになってしまった。夕食まで時間があったので、近くの三滝といわれる所を見に行って、ここは冬には大禅滝が凍って壮観らしい。民宿は宮ノ平というところにある民宿でいろいろ土地のことも話してくれて(1月の成人の日にドンド焼き、3月3日に子供たちがお雛様を川へ流す、8月1日にお墓の掃除など)、食事も田舎風でなかなか良かった。

翌朝は快晴で、7時過ぎに出発し、農道を上がって、白岩登山口の4台分くらいある駐車場に無理して駐車して、7時半くらいに登山を開始した。セミやウグイスが鳴く森を、途中満開のミツバツツジを見ながら歩いてゆくと、いよいよシャクナゲが現れて、見晴台(1750m)で一休み、木漏れ日の木々の中をシャクナゲの群生に近いものを眺めながら前山(前衛山、1992m)まで行き、また一休み。そこから少し下りて、最後の急登坂がつらかったが、10時少し前に御座山の頂上(2112m)へ達した。360度のすばらしいながめの岩石の頂上だが、少し曇り始めて、遠くの八ヶ岳などが見えなくて残念。そこで写真を撮り、民宿で作ってもらったオニギリで昼食。

11時半ごろ下山を始めて、ただただ下へ歩き、足を棒のようにして午後2時少し前に駐車場に着いた。車での帰りは清里の道沿いの「マミイ」という所でソフトクリームを食べた以外は、国道141号線と中央高速をひたすら走って、厚木からは国道129号線で平塚へ出て、国道1号線で土曜日のせいか難なく相模川を渡って、茅ヶ崎で海岸沿いの国道134号線を江ノ島経由で、夜8時少し前に自宅へ戻った。行きはワイフが全部運転して、帰りは清里から談合坂までは私が運転した。御座山は「日本200名山」の一つで、日本には「日本200名山を登る」上・下(昭文社)や、「花いっぱいの山歩き」(成美堂出版)、「満開の山」(山と渓谷社)などが出ていて便利そうだが、御座山は「ベストハイキング100」(実業之日本社のブルーガイドブックス、1975年)に載っていたのを妻が発見したもので、いいところを見つけていくのは資料がそろっている日本でも意外と難しいと思った。(2010.06.12.)

Miyota & Mount Takamine 2022

御代田・高峰山へ 2022

5月中旬(水曜日)は、薄曇りで、9時少し前に軽井沢旅行に車で出発。圏央道の小倉山トンネルで渋滞になり、その後も高尾山、多摩川橋でも。関越道へ入るのに鶴ヶ島ICで一般道路へ入ってしまい、40分後にやっと入り(おかしいな以前榛名山へいった時はスムーズにいったのに!)、高坂SAで休んで、昼食に私はけんちんそばを久玄で取った。藤岡Jcnから上信越道に入り、1時過ぎに松井田妙義ICで出て、国道18号線の碓氷峠超えで(実は父がこの松井田町横川の出身)、2時頃に軽井沢へ到着。そこから中軽井沢駅を過ぎて御代田駅の浅間山直下の浅間サンライン上にあり、宿泊無料券を先日手に入れた高級ホテル「ひらまつ」へ到着。ホテルの部屋からは佐久平、八ヶ岳、蓼科山(立科山)がよく見えるが、ごく近くの浅間山・前掛山は背後に見えない。ホテル前庭のチップの道を散歩したり、Takibiラウンジやアネックス(ライブラリーやカフェやサウンドルームがありMcIntosh 252 & Denon DP-300FでLPレコードを聞いた)へ寄って、部屋内にある温泉風呂へ入り(菱野温泉から引いていると聞いた)、夕食は5Fの高級レストラン「ひらまつ」風で、8時には就寝。(2022.05.11.)

翌日(木曜日)は、起床してから、散歩したり、温泉風呂に入り、5階のレストランで豊富な朝食で八ヶ岳連峰や立科山に残雪が見えた。9時半ごろ出発して、つづら折れのチェリーパークラインで高峰高原へ(標高2,000m)。10時半に高峰山の登山開始、残雪を見ながら登り、峠からは峰歩きになり、富士山は午後になり霞んで見えず、残雪のグチャグチャ道を歩いたりウグイスの鳴き声を聞いたりして、11時半には高峰山頂上(2,106m)へ到着。しばらくして下山開始で、結構辛くなったが、12時半にはビジターセンターへ戻った。このセンターや高原ホテルは渡辺パイプが経営しているという。午後は雨が予報されていたので、1時半には小諸ICで上信越道に入り、途中で中部横断高速道路が一部できているのでびっくりして、横川SAは野菜そばで昼食にして、おぎのやの「峠の釜飯」などを買ってから出て、1505藤岡Jtnで関越道に入り、 鶴ケ島Jtnでは素直に圏央道へ入って、厚木あたりで小雨が振り出し、相模原からは故障車で渋滞。東名道路、海老名IC、新東名道路を経て、5時には茅ヶ崎に着いて(6220円)、普通道路へ出て、浜見平入口を経て、5時半には雨の中を帰宅できた。私の夕食はもちろん「峠の釜飯」をチンして。(2022.05.12.)

Central Nagano

中信:

  写真アルバムは、ここに(Facebook)

中信(長野県中部)は、松本市・岡谷市から茅野市・富士見町あたり。JR大糸線で行く白馬、栂池高原なども、松本市と関係が深いので、長野県北部にあるが、通常長野県中部扱いにする。

Trekking the Northern Yatsugatake Mountains

北八ヶ岳連峰を縦走 1962

大学生時代の1962年夏に、北八ヶ岳連峰を中学・高校一緒の友人二人(長野隆と斎藤某)と共に縦走した記録を、約60年後になって24枚の白黒写真アルバムに発見した。手書きの地図もあるのでこれをたどると、まず(多分夜行で)上野駅を国鉄信越線で出て、早朝に小諸駅へ着き、バスで蓼科牧場に行き朝食。そこから御泉水の脇を通り、将軍平で昼食にして、蓼科山(海抜2530米)を往復。大河原峠(2093米)、双子山を経て歩き、双子池の山小屋で宿泊。 翌日は、まず大岳へ登り往復、北八ヶ岳連峰の最高峰である北横岳(2473米)に登り、坪庭で(おそらく山小屋で用意してもらったもので)昼食。そこから、縞枯山(2395)と雨池はスキップして(南八ヶ岳連峰の最高峰の赤岳2899米、丸山2330米と白駒池には寄らず)、スキー場まで下り、バスで親湯に寄り(多分急いで温泉に入り)、蓼科湖の脇を通り、バスで中央線茅野駅へ出て、(多分夜行で)東京(・新宿駅)へ帰った。(1962.10.11.-13.)

National Route 141: Fom Sudama, Yamanashi Pref., to Komoro, Nagano Pref.

国道141号線:山梨県須玉〜長野県小諸

山梨県須玉〜長野県小諸の国道141号線は、東京都・神奈川県から中央高速道路を通って、小諸の後は国道18号線を通って私の育ち故郷の長野県北部へ行くのに、何回も何回も通った。そこでは西八ヶ岳連峰を見て、野辺山で国立天文台の電波望遠鏡、高原野菜、牧場、小海線の踏切と列車と出逢う、清々しい高原道路だった。

Tsugaike Plateau, Nagano Pref.

栂池高原へ

これは信州滞在から神奈川県へ帰ってからだが、小糸線で仁科三湖より北へ行き、南小谷駅からバスで北アルプスの麓に着き、大きなゴンドラとロープウェイを乗り継いで栂池高原へ行き、標高2,000mの高原でトレッキング。

From Omachi, Nagano Pref., to Mt. Tate, Toyama Pref. via the Tateyama-Kurobe Alpine Route

大町で扇沢から立山黒部アルペンルートを富山県の黒部ダムまで

長野県から富山県への立山黒部アルペンルートは一部、家族と一緒に長野県大町から黒部渓谷・黒部ダムまで日帰りで行ったことがある。

Staying at Otari Hot Spring and Climbing Mt.Amekazari 2000

小谷温泉に泊まり、雨飾山へ登る 2000

2000年秋のウィークエンドに、LAMN登山クラブの仲間と私が幹事で、小谷温泉に泊まり、信州北端の新潟県境にあり、紅葉真っ盛りの雨飾山(1963mm)へ登る。次のような予定と実際の記録がある。
  • 初日は、予定: スーパーあずさ3号 JR中央線 新宿 08:00--->11:55 大糸線 南小谷(みなみおたり)駅 (遅れた人は、スーパーあずさ5号 10:00発-->13:45着に乗る)。南小谷駅でバスに乗るまで時間があるので、小谷村郷土館(入場料300円、村役場0261-82-2001の紹介)などを見学、名物のソバなどで昼食をする予定。バスで、南小谷駅 14:38--->15:13 小谷温泉。(宿泊宿:小谷温泉 熱泉荘(0261-85-1241、太田さんに三上の名前で予約)
     実際: 6人が予定通りの8:00発のスーパーあずさに乗り、南小谷駅では郷土館で信州ソバなどを昼食に食べ、千石街道「塩の道」を30分くらい歩いた。神田さんが1列車遅れて南小谷で合流、14:38発のバスで、小谷温泉へ到着。木部さんは、あとから宿で合流。このあとは何もせず、温泉を楽しんだ。
  • 次の日は、予定: コース : 登りが3時間30分(標高差700m)、総合計で6時間30分。小谷温泉07:00 --(宿の車0:20)--> 07:20登山口駐車場 --(1:30)--> 8:50荒菅沢 --(1:40)--> 10:30稜線 --(0:20)--> 10:50山頂。頂上で昼食後11:30出発、3時間で下山、登山口駐車場で14:30に宿の車で小谷温泉へ、バス15:11発に乗る。バスで、小谷温泉 15:11 ---> 南小谷駅 15:44(次は、小谷温泉16:38発、18:03発) JR大糸線 スーパーあずさ14号 南小谷駅 16:51 ---> 21:01 新宿駅
      実際: 6:00に朝食、6:30宿の車で出発、6:45登山口駐車場(キャンプセンターがある)から登山開始。時々日が差す、うす曇りの空の下、急な登りをこなして、荒菅沢で休憩。あたりのすばらしい紅葉を見ながらさらに登って、9:50稜線に着き、笹平(北の新潟県方面へ降りる登山道がある)で荷物を置いて、10:10雨飾山頂上へ。しばらくして降りて、10:25から笹平で昼食、11:15下山開始。西方下に天狗原山から金山・焼山へ至るすばらしい紅葉をながめながら、くたくたになって14:00登山口駐車場へ到着。そこのキャンプ場センターで野ぶどうジュースなどを飲んで、14:30に宿のバンに乗り、小谷温泉の宿にもどり温泉につかり(やった!)、予定の15:14発のバスに乗った。帰りの16:51発スーパーあずさが、東京の中央線の人身事故で遅れ南小谷〜白馬がキャンセルになったので、鈍行で白馬に行き、時間をもてあまし信州ソバなどを食べて、無事白馬発のスーパーあずさへ乗り込み、30分くらいの遅れで東京へ着いた。 健脚向きの山だったが、信州最北端の山で紅葉を楽しんた。 (2000.10.14.-15.)

Mt. Norikura and Kamikochi Highlands 2011

乗鞍高原・上高地へ小旅行 2011

長野県育ちの私だが、有名な観光地の上高地へは2011年の10月に始めていった。ワイフと藤沢市の自宅から2泊で行ったもので、
  1. 快晴。車で6時間かけて神奈川県〜山梨県〜長野県乗鞍高原(海抜1500m)。シャトルバスで乗鞍岳畳平(2700m)へ行き、魔王岳(2764)、富士見岳(2918)へ登った。北アルプス穂高連峰がよく見えた。泊りは乗鞍高原休暇村で、夕食、温泉。夜は星空を観察。
  2. 曇〜雨。沢渡大橋からシャトルバスで上高地高原(1500m)へ行き、大正池から梓川に沿って歩き、途中ニホンザルにもあいさつして、ウェストン碑・河童橋を経て、明神池まで歩いた。曇り空で穂高連峰はよく見えず、午後は小雨が降り出したので早々に引き揚げて、乗鞍高原の別のホテル(山水館信濃)ですばらしい夕食、白色の硫黄温泉。
  3. 小雨〜晴。雨が何とか上がり、乗鞍高原を牛留池から善五郎滝(滝に虹)へ、かなり高低がある白樺林の中を散歩。車で下山して、梓川脇の安曇村の道の駅でトロロ・ソバを食べて、6時間かけて長野県〜山梨県〜神奈川県藤沢へ夜に帰宅。
この年の紅葉はいまいちだったが、いい山の空気を吸って帰った。 (2011.10.06.)

Spending Summer Vacation in a Loghouse in Fujimi-cho, Nagano Pref. 2017

富士見町のログハウスで夏休み 2017

2017年7月末、日本滞在の最後の週をハワイの孫たちを連れて長野県富士見町のログハウスで過ごした。
  1. 朝10時に出発。圏央道・中央高速を行き、パーキングエリアでランチの時、中国・大連の友人(大谷章夫さん)とご一家に遭遇し、こんなことは珍しい。小淵沢I/Cで降りて、道の駅「白州」で「天然氷のかき氷」を食べてからログハウス「Cara Bosco」へ。家主の案内で富士見町のA-Coopで買い物をして、家でBBQ。
  2. 早朝、セミの鳴き声で目覚める。全5日間天候には恵まれず、北の八ヶ岳連峰も、南の南アルプスも雲の中。午前中は国道141号線(須玉〜佐久)を清里を経て北へひた走り野辺山あたりの滝沢牧場で「乳しぼり」へ、午後は山梨県立「まきば公園」のふれあい広場へ。シャトレーゼ白州工場でアイス製品を食べ放題。
  3. 朝ログハウスを出て、八ヶ岳エコーラインをひた走り、車山高原へ。(ここは若い頃、車にスノータイヤを履かせて、妻と日帰りスキーに何度か来たことがある。)リフトで車山へ登り、昼食後車山肩へ降りて、そこはニッコウキスゲが満開。近くの八島ヶ原湿地帯で散歩しかけたが、霧が出て散歩を中止。富士見町A-Coop近くのコインランドリーを利用。
  4. 前夜下の孫が耳を痛がり、中耳炎だと分かり、近くの医院へ行った間、午前中はログハウス周りを散歩。午後は原村の八ヶ岳自然文化園へ出かけて、パターゴルフなど。
  5. 早朝、家主が下の畑へ孫たちを野菜の収穫に連れて行ってくれる。ログハウスを出て、南アルプスの入笠山へゴンドラで登り、林を抜けて、入笠山湿地へ。そこから少し下へ戻ると、そこはお花畑になっていて、きれいなアサギマダラ(蝶々)が舞っている。ルバーブ入りソフトクリームを食べて、ゴンドラで下山。遠路、藤沢へ帰宅。
富士見町は長野県でも山梨県堺にあり、両県にまたがって色々と見れてなかなか面白いところだった。また、富士見町の四つ辻で大きな病院を見かけたが、堀辰雄の小説『風立ちぬ』(1983年)が富士見町を舞台にしているので、そこに出てくる結核患者のサナトリウム『富士見町高原療養所』かなと思ったが、あとでその後身だと確認した。(2017.07.28.)

To My Friend's House in Nobeyama, Nagano Pref. 2020

ウィルス禍が一段落して八ヶ岳東麓・野辺山の友人宅へ 2020

6月末の月曜日、前日の山梨県小淵沢の友人宅滞在を出て、10時に長野県JR野辺山駅に集合して、もうひとりの友人に会い、八ヶ岳東麓の「八ヶ岳高原海の口自然郷」内の別荘というよりこれも自宅へ行く。国道141号線から延々と10キロくらい入る大きな別荘地の森の真っ只中の家で、傾斜地なので三階建になっていて、学者生活のあらゆる本や奥さんの音楽関係の本、CDなどを全て捨てることなく保管している。ほどなく昼食が始まり、前日に続いて、総勢10名の三蜜状態で飲み食い、雑談が始まり、外は本降りの雨で、外出することなく続いた。

5時になって、我々は八ヶ岳高原ロッジへ。週末は何人かが泊まったと口を濁していたが、客はまばら。旧館のベランダがある部屋に泊まって、私はもう夕食はなし。実は雨の中にあわてて友人宅を出て、大事なリュックサックを忘れてきてしまい、それについて連絡するのに手間取ってしまって、寝る前にテレビで「伊豆の踊り子」を少し見ただけで、9時過ぎに就寝。(2020.06.22.)

翌日の火曜日は、雨が上がり、6:30に起きて、妻と八ヶ岳高原ロッジの敷地中の音楽堂・ヒュッテ方面へ散歩。朝食の食堂は外のテラスへ出て食べて、東方面へ遠く男山・天狗山が雲間に見えて(これは10年前に登った御座山のすぐ南に当たる)、いい感じ。朝食中忘れてきたリュックを友人が届けてくれて、すぐ出発。この後は、山梨県笛吹川上流の西沢渓谷へ。

Azumino - Tsugaike - Matsumoto City, Fall 2023

秋の安曇野・栂池高原・松本市旅行 2023

  写真集はFacebook の 4Nce. Central Nagano Prefecture, Japanの1部分

秋10月、3泊4日で、安曇野へ行ってきた。  火曜日、小雨模様の一日だったが、後で雨は上がった。  8時過ぎに家を出て、長野県安曇野へ二人で向かった。茅ヶ崎で圏央道へ入り、八王子から中央高速へ入り、初狩PAで少々休憩。甲府の東側の一宮で普通道路へ出て、11時には武田神社でしばしば散歩して、山辺のいい空気を吸った。甲府西側へ行って昭和ICで中央高速へ戻り、高度900mを過ぎて、八ヶ岳PAで昼食に私は「ぶた丼」。  富士見を過ぎて中央高速最高地点(1015m)があり、諏訪湖PAで休憩後、普通道路を経て安曇野駅前の案内所で聞いて、近くの「烏川渓谷緑地」を事務所のつり橋から人面岩近くの清流橋まで散歩して、4時には国民休暇村ホテルへ帰った。  曇り空の下をホテル周りを散歩してから、温泉へ入る。「安曇野穂高温泉郷」を称しているが無味無臭なので風呂みたい。7時からの夕食はAzumino fruit aleと共に取って(他の国民宿舎のようにセルフサービスでなくて、料理を運んでくれる方式)、9時就寝。(2023.10.10.)

水曜日、6時半ごろ起床、部屋の入り口でラジオ体操。7時半に朝食。  8時半にホテルを出て、紅葉を見に栂池高原へ。県道306号を北へ向かい、仁科三湖を西(北アルプス側)に見て、佐野坂峠(860m)を超えて日本海へ向かう姫川沿いに走り、10時には栂池高原に到着。ゴンドラリフトで白樺駅へ、続いてロープウェイ(5分)。  11時には標高2,000mの「栂池自然園」でトレッキングを始める。ここはずっと以前夏に高山植物の花を見に来ているが、時々日が差す時に紅葉がきれいに見えるが、全体はそれほど綺麗ではない。ここにも外国人が結構来ていて、メルボルンからのオーストラリア人たち(中国の同僚が後に移民したと応答)、バンコックのタイ人たちに遭い、栃木県足利市からの老婦人と息子さんと「この世の見納めに毎月山へ登らないと。」と、しばし会話した。12時半には寒風の中を、途中の木製ベンチで皆とおにぎり昼食。直前の雨でぬかるみの道を歩きに歩いて、2時にはビジターセンターへ戻り、ロープウェイとゴンドラリフトを乗り継いで、3時には栂池駐車場を出て、4時半にホテルへ帰還。温泉。  夕食には、地元産の生酒で信州牛とトリュフのすき焼き、また温泉、9時に就寝。(2023.10.11.)

木曜日、早朝に風呂場でラジオ体操。サウナがあるのに気づいて入り、さっぱりした。  8時に出発して、前々日観光案内所でお勧めの「安曇野ひがし山」にある光城山(912m)へ登山。登山道は桜の名所で11時前に頂上の桜並木に到着。30分後に四阿からひとつ北側の尾根を下山し、12時に駐車場へ戻った。長峰山(933m)へ向かう途中の7-Elevenでおにぎりを買い、延々と5kmの道路を登って1時に長峰山展望台へ到着。おにぎりを食べながら巨大な木製展望台の上で、西は雲がかかる常念岳などの北アルプスと東は聖山などの山々など、360度の山岳眺望を楽しんだ。  午後は「大王わさび農園」に寄ってわさびアイスクリームを食べたりしてから、松本へ南下して、3時すぎに「松本丸の内ホテル」へチェックイン。外へ出たら松本の夜は結構寒く、女鳥羽川沿いの縄手通りを経て、5時半の約束で友人夫婦に「はしご横丁」のあぶり屋で会い、店の手料理を食しながら諸々の話しを楽しみ(小澤征爾の音楽会の話から友人のなりそめも聞いた、各自6,000円)、その後「想雲堂」ブックカフェでコーヒーをおごってもらい、眠くなり失礼したが、ホテルへの帰還は8時半ごろになり、9時には就寝。(2023.10.12)

 金曜日、朝5時に起きて、温泉の脱衣所でラジオ体操。サウナに気づいて入り直す。朝食前に、松本城周りを朝の散歩。  8時半にホテルを出て、松本城内へ(700円)。香港からの旅行客と狭い階段を5階まで上がり、降りる。場内を西に常念岳、東にやはり山を見て散歩。町を歩いて、10時には中町通りで松本民芸家具へ寄り(家具が重すぎる)、10:20になわて通り、四柱神社を経て、移転・新装なった松本市立博物館(1200円)へ寄ったが、松本市の歴史はそれほど興味なかった。  ホテル駐車場へ戻る途中、「そば処たかぎ」で十割天ぷらそば(1600円)で昼食後、12時半に帰路へ。  長野道・中央道へ入り、1時半に小淵沢ICで出て、付近で野菜と果物を探してウロウロしたが買わず、談合坂PAで休憩(30分)。圏央道の茅ヶ崎出口が、工事で県道43と国道467へ廻されて、やっと5時に帰宅。全走行距離、644km。玄関口左のキンモクセイが、この4日間でみごとに満開で、強い香り。(2023.10.13.)

Southern Nagano

Takato Castle Park in Ina City and Magome in Nagiso Town

南信:

南信(長野県南部)は、伊那市の桜の名所の高遠城址と南木曽町の馬籠(母が好きだった島崎藤村の故郷で、後で岐阜県中津川市へ編入される前)以外は、行ったことがない。

Toyama Prefecture

富山県

Tateyama-Kurobe Route to Kurobe Dam

Kurobe Dam, via the Tateyama Kurobe Alpine Route

大町で扇沢から立山黒部アルペンルートを富山県の黒部ダムまで

長野県から富山県への立山黒部アルペンルートは一部、家族と一緒に長野県大町から黒部渓谷・黒部ダムまで日帰りで行ったことがある。

Tateyama Plateau - Uozu Festival - Toyama Seaport

立山高原・魚津祭り・富山港旅行 2022

  写真集はFacebook の 4T. Toyama Prefecture, Japan

第1日目(8月初旬の水曜日)、朝早く家を出て、6時のモノレールに乗って、東京で7:05発の北陸新幹線「かがやき503」で富山へ。長野オリンピックの準備期間東京?長野は何回か乗っているが、それを超えるのは初めて。列車の速度が早いのと騒音対策の壁で浅間山や千曲川の写真も撮れないと思っているうちに日本海が見えだして、9:40に富山駅へ。電鉄富山で立山へ、そこですぐケーブルカーで美女平へ、そこからバスで天狗平へ着いたが、霧で立山高原ホテル(高度2300米)が見つからず、しばし立ち往生。

 曇り空の午後、近くの散歩道を往復1時間ほど歩いて、沢山のチングルマやコイワカガミを見たが、この日は石川県と新潟県に大被害をもたらした大雨に富山県も挟まれて、帰りは最後の行程のみ小雨に降られて、傘を差しながら。宿の温泉で休養。(2022.08.03.)

第2日目は、天狗平山荘で9時のバスに乗って下り、10過ぎに弥陀が原ホテルバス停から高原湿地「弥陀が原」を歩く。妻とはぐれてしまい、でも「餓鬼(ガキ)田」ですぐ会えた。11時過ぎにラムサル条約の石碑があって、沢山の池塘がある所へは入場禁止。大きな沢で左へ上がって戻り出して、チングルマに加えてウツボグサとナナカマドなども見えて、遠雷が聞こえだし、1140餓鬼田あたりで雷が近くに来て、12時近くにホテルの「大日レストラン」で昼食(氷見うどん、1500円)。

 午後1時半に弥陀が原でバスに乗って室堂へ上がり、下のホテルまで高原散歩。結句な石ころ道で、また雷が出だし、腹に響くような雷鳴。今回は小雨が降って、3時には高原ホテルへ帰り。また風呂に入り、そこにあった登山案内人たちが南極越冬に参加したなどの展示を見る。

 夕食中、食堂からよく見える南の大日連山と東の左から剱岳・立山連山の説明があり、夕日が見えるというので、みんなで夕食を中止して、外界が見える玄関先でしばし曇り空の中を夕日が沈むのを見た。夕食の後、集会室で「立山の自然」の解説があり、9時過ぎまで延々とあって、立山の地理の途中で居眠りをしたが。雷鳥の説明はしっかり聞いて、雷鳥は毎年3回羽を変えるとか(春と秋と冬)、雷鳥類の中で日本のだけが1夫1婦制とか、興味あった。(2022.08.04.)

第3日目は、快晴になり、8時半のバスで「雪の大谷」を経て室堂(2450m)へ上がり、半日中そこで高原散歩。室堂ターミナルで3階に上がり、そこからまずみくりが池・みくりが池温泉・エンマ台で、最近入場禁止になった地獄谷を見下ろす。全体は平原だが結構上下を繰り返すトレッキング道で、りんどう池を左下に見て雷鳥沢山荘まで達し、下のキャンプ場へは下だらずに折り返して、エンマ台から別道で、みどりが池・立山室堂山荘を経て戻った。雪渓を渡って遊び、急坂を降りて「玉殿岩屋」という昔はここで修験者たちが泊まったという洞窟を見て、また雪渓を経て12時には室堂ターミナルへ帰って、そばを立ち食い。

 午後、そば屋でカメラを忘れたので取りに帰った件もあり、2時前のバスで下山して、また美女平でケーブル、立山で電鉄富山で移動して、富山駅から「JRとやま鉄道」の魚津駅へ行き、駅前のマンテンホテルへ。夕食にさしみ定食を食べて、早速「じゃんとこい魚津まつり」へ無料バスへ行き、県道129号を末広町から港町までを通行止めにして行われる「せり込み蝶六(民謡名称)街流し」の各地区の踊りを見て、8時から海岸で花火大会30分を見学。諏訪神社前の「たてもん祭り」(各地区の山車をグルグル回す)を9時半まで見て、帰宅。田舎町のすばらしい祭りだった。(2022.08.05.)

第4日目は、魚津駅から富山駅へ移動して、荷物をそこのロッカーへ預けて、市電で岩瀬浜へ10時前に着いた。さっそく展望台へ登って富山港を見渡して、江戸時代に神通川と港を切り離した様を見た。昔の岩瀬の町並みを通って、北前船で財をなした馬場家、森家にそれぞれ入って見学。11半には市電東岩瀬から富山市街へ向かい、薬屋「池田屋安兵衛」の2階で健康膳「藥都」(2000円)で昼食し(結構でした!)、胃腸薬の反魂丹の作り方を覗いた。伝統的な飴屋「鳥川のあめ」で水飴などを買って、富山駅へ戻り、ロッカーから荷物を受けたりして、3時過ぎの北陸新幹線「はくたか568号」で帰路はコロナ禍でも旅行制限は緩和された週末なのでほぼ満員で、2時間位で東京に着いた。横須賀線で帰り、大船でスシ弁当を買って、夜10時前に帰宅できた。(2022.08.06.)

Ishikawa Prefecture

Watching Go-Jinjo Drum Play Inside the National Route 249 Tunnel

Staying in a Tent on the Wajima City Seacoast

石川県

国道249号線のトンネルで御陣乗太鼓を聞く。神戸時代に、ひとりで車を運転して、福井県の三方五湖などを経由して、石川県能登半島の日本海岸を通る国道249号線を走った。ある町で国道の交通を止めて、トンネルの中で「御陣乗太鼓」(ごじんじょうだいこ)を観光客のためにやっていた。トンネルから反響がすごくて、トンネルの中のある個所は海に通じていて波音も聞こえて、すばらしかった。

輪島海岸でキャンプ川崎時代に、車で岐阜県高山市白川郷を経て、輪島市の海岸へ家族でキャンプに行った。街でほぼ毎日朝市が開かれて、そこで買い物をしてのキャンプだった。

Fukui Prefecture

Eihei Zen Buddhist Temple

福井県

永平寺で座禅米国のアサインメントから帰って、日本風のものが欲しくなり、夏休みに永平寺へこもり座禅を組んだが、悟りには至らなかった。

また川崎時代には、敦賀湾の気比松原(けひのまつばら)海岸へ家族と車で行き、キャンプをした。

Gifu Prefecture

Paddling a folding kayak down the Nagara River

Stopping at Shirakawa Village

岐阜県

長良川をカヌーで下る。私は1988年5月連休に、30人の仲間と神奈川県藤沢市から小型バスで美濃市へ明け方に着き、そこから長良川をカヌーで下り、関市と金華山(岐阜城)の河原にテントを設営してそれぞれ一泊ずつして、羽島市の新幹線の鉄橋前で終り、新幹線で神奈川県へ戻った。

白川郷へ寄る。上記の輪島旅行の途中で、合掌造りで有名な高山市の白川郷へ寄った。

Aichi Prefecture

愛知県

Toyota City 1964 and Nagoya City

豊田市 1964 と名古屋市

私は愛知県をよく知らない。1964年に豊田市のトヨタ自動車本社へ入社試験にいって、しばらくして内定通知を断りにいった。名古屋市もよく知らなくて、南の海岸にある東海製鉄所へ会議で行ったこと、西郊外の南山大学へそこにIBM PCがお好きな教授がおられたので訪ねて行ったことがあるだけだ。

Mie Prefecture

三重県

私は三重県へは行ったことがない。

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Prepared by Yoshi MIKAMI on November 28, 2004. Last update: October 28, 2023.