Text
本文
4. Chubu Region
4. 中部地方
Shizuoka Prefecture
静岡県
See the Photo Album in Shizuoka Prefecture, Japan, in Facebook. 写真アルバムは、FacebookのShizuoka Prefecture, Japanを見てください。 Autumn Leaves in Mt. Fuji: Mt. Ho-ei, Lake Tanuki, and Asagiri Highland (2017)
富士山の紅葉:宝永山登山・田貫湖・朝霧高原 (2017)
前置き:実は2年前に富士山の山梨県側の五合目で紅葉を見ようという話しだったが箱根・芦ノ湖へ行ってしまい(2015年)、私も静岡県側の新五合目で宝永山へ登ろうとしたもので、ワイフは先週NHK−TVの「ブラタモリ」で宝永山を見たという。ハイキングの翌々日はその続きで富士山頂をやっていて、頂上のお鉢周りで回る峰々は昔の信仰登山ではお釈迦様の弟子たちで真ん中にブロッケン現象で自分の姿が見えたり、お鉢の深さは200mで八合目に相当するとか、富士山レーダーの施設では現在雷の発生メカニズムを研究しているなど、大変興味ある番組だった。 (2015.10.31.)
本番:木・金は妻と富士山へ紅葉を尋ねて、1泊旅行をした。まず湘南海岸、箱根経由で御殿場から国道138号線から国道246へしばし入ってすぐ富士山スカイラインへ入った頃は曇り空で、2年前の10月末に来た時は霧に巻かれてしまい箱根へ転進したので(そこは富士山スカイラインの手前の支線を2kmくらい登った「須走り新五合目」だった)、その再チャレンジもダメかと思った。ところがスカイラインの奥の支線を6kmくらい登った「富士宮新五合目」へ着く前に快晴になり、富士山の中腹にかけてすばらしい紅葉で、おもにカラ松だろう。駐車場は2,400米で、そこから登山を開始して、六合目を経て、宝永山とその火口を見下ろす所で休憩。登山道は火口へ少し降りて、次に急坂を上るのだが、その途中で疲れてしまい、また砂ぼこり対策でゴーグルをしてなかったので目に砂ぼこりが入り、断念。前日ハワイから着いた時差もあるが、歳の勢だろう。
下へ下って火口とその下の第二火口の間にベンチがあるところで、昼食。そこから六合目経由で駐車場へ戻る途中に、ドイツのドルトムントから来たドイツ人若者たちに遭い、富士山は外国人観光客が多い。駐車場で富士山ナンバーの車の持ち主がいたので聞いたら、富士宮市に住むガイドさんで富士山を登山した帰りで、このナンバーは静岡県・山梨県で富士山に関係した市町村で貰えるという。富士山スカイライン道路をさらに富士宮方面へ向かい、田貫湖湖畔の「休暇村富士」のコッテージ(ログハウス)で1泊。本館へ歩いて行き温泉(田貫湖の入り江に面して、晴れていれば富士山が見えるいい場所)、夕食はバイキング料理。 (2017.10.12.)
翌朝は6時に起きて、田貫湖湖畔を散歩。ここは子供たちが小さい頃、何回かオート・キャンプに来ているが、しばらく前にボーイスカウトの世界ジャンボリーがあり、最近も日本ジャンボリーがあったらしく、きれいな芝生になっている。スイス人のドイツ語と英語を話しテントで泊まったおじさんが日本の若者たちと話している仲間に入って、雑談。温泉に浸かって、朝食を終わる頃から小雨が降り出して、濃霧が出だし、国道139号線を運転するのが危険。道の駅「朝霧」で買い物をして聞いたら、この辺りは霧が多いという。山梨県へ移動。 (2017.10.13.)
The MOA Museum of Art and Kiun-Kaku in Atami City (2016)
熱海のMOA美術館と起雲閣 (2016)
3月の初日に仕事上の先輩で大磯住まいの友人と、静岡県伊豆半島の付け根にある温泉観光地・熱海へ散歩にいって来た。10:22藤沢発の電車で熱海には11:40に着き、駅前商店街の「だるま」(小田原の「だるま」とは無関係)にてカツ丼で腹ごしらえして、勇躍熱海駅の裏山の桃山へ30分くらいで登って、初めてMOA美術館を参観。入場料1200円で大々的なトンネルをくぐって、ヘンリー・ムーア作の「王と王妃」像がある広場へ出ると快晴の下に相模灘と初島、伊豆大島、伊豆半島が良く見える。美術館へ入ると尾形光琳の「紅白梅図」が目玉展示品で、まったくすばらしい構図で、去年は根津博物館の彼の「燕子花(かきつばた)図」と共にここで展示された時期があったという。茶室などを見た後の帰りに、バスで熱海駅へ下りる時の隣りの席は、この美術館を作った岡田茂吉が創始した「世界救世教」(ここにも説明有り)の信者で、今日は月の初日なので毎月福井県から来ていて、毎月6日には福井市にも200人位の信者が集まるといい、いまでも熱心な信者が全国に、またブラジルや東南アジアなどの海外にも多いらしい。私はハワイで自然農法に関係し始めていて、インターネットを見るとの世界救世教いづのめ教団の自然農法(長野県松本市)が必ず出てくるので、興味あって話しかけたもの。
この後、頼朝と政子の恋の舞台でもあったという「伊豆山神社」へ行くハイキング計画は止めて、熱海市内をしばらく歩いて「起雲閣」へ寄った。大正時代に海運王(内田信也)が3千坪の土地に母親のために2つの家を建てて別荘を作り、その後鉄道王(東武鉄道の根津嘉一郎)が「ローマ風浴室」などの様々な棟を建ててホテル風になり、谷崎純一郎・山本有三・志賀直哉などが滞在して作品を書き(太宰治が「人間失格」を書いた直後自殺したのは熱海市内のここではない根津の別邸で)、戦後は石川県出身の事業家(桜井兵五郎)が麒麟・大鵬などの部屋に大名だけに許された「加賀の青漆喰」の青色の壁などを導入して、高級ホテルとして発展した。1999年にはホテルは終り、その後熱海市が渡り廊下で時計回りで一周できるようにして観光施設として公開したという。大変興味がある和洋折衷の屋敷だった。市内の糸川に沿って河津桜より早く、日本で沖縄のヒカン桜と共に最も早く咲く「熱海桜」の花は2月中旬で終わっていたので、しばらく歩いて海岸そばの公園へ行って「大島桜」の満開を見た。熱海は有名な温泉町だが、私は子供たちを連れて伊豆半島へ遊びに行く時にはいつも素通りしていたのでよく知らなくて、今回も温泉へは入らなかったが、それなりに面白い町と見た。 (2016.03.01.)
The Kakita River Springs and the Genbei River, Mishima (2015)
三島市:柿田川湧水群と源兵衛川を訪ねる(2015)
10月初旬の木曜日、妻と静岡県三島の柿田川湧水群と源兵衛川を訪ねた。以前から行きたいと思っていたところで、朝8時に家を出て、バスで駅まで30分行き、8時半藤沢駅発の電車で熱海駅まで行き、そこで静岡行きに乗り換えて10時には三島駅に着いて、駅前から30分おきに出るバスで10時半にはもう清水町の柿田川湧水群公園に到着。第1展望台で聞いた話しでは、富士山・愛鷹山と箱根外輪山の間にある古富士の三島溶岩流の中を流れる水が10年を経てこの断崖に出てくるそうで、第2展望台、八橋などを経巡った。バイカモの小さな白い花は8月で終りだそうで、残念ながら見れなかった。
この公園を出て国道一号線を40分ほど歩いて、妻が以前行ったことがあるというので、三島市の源兵衛川へも寄った。これは三島駅南口前の楽寿園(もと小松宮彰仁親王の別邸)の小浜池から出る湧水を流した農業用水路だそうで、広小路駅付近の街中を流れる小川のほとりのベンチに腰かけて、近くの7-Elevenで買ったオニギリと持参のソーセージと卵焼きで昼食。川中にコンクリートの石や板を並べて、川中を歩けるようになっているところをしばし散策したが、今年は湧水が多すぎて、途中からは川中を歩けないようになっていた。楽寿園を反時計回りに大回りして三島駅へ戻り、1時過ぎの三島発の電車で帰ったが、何と熱海以西はJR東海の管轄で、そこでSuicaを使って乗車できるが、JR東日本の駅(東京駅)の下車では現金でしか清算できないのを始めて知った!
私は三島駅から東京・神田駅へ向かい、大連ITクラブの東京大会をやっているが、この日の夕方#5大会を神田駅のそばにある長城コンサルティングが開催してもらった。(2015.10.08.)
Izu Peninsula:
伊豆半島:
Driving in Izu Peninsula on Weekends
週末に伊豆半島をドライブ
横浜時代、仕事上の仲間と、自分の車でよく伊豆半島へドライブに出かけた。西岸の道路ができても、まだ舗装が完成していない時代で、ガタガタ道をよく走った。
Taking My Chinese Colleagues to Izu Peninsula, on a Weekend (2004)
週末に中国の同僚たちを伊豆半島へ案内 (2004)
中国人の方々を日本で接待して、商談の合間を見て国内旅行に連れていくのは、どんなにしたらいいのでしょうか。11月のウィークエンドが空いたので、東京からは北郊外の日光/鬼怒川温泉とか西郊外の高尾山ハイキングとか昇仙峡とか思ったのですが、木曜日に急遽JTBの知り合いに電話して、箱根か伊豆半島の温泉へ行くように頼んだところ、「今年は紅葉が遅れていて、丁度シーズンになって、土日は箱根や伊東などのいいところが空いてなが、熱海や下田なら空いている」ということで、下田温泉を頼んで翌金曜日に事務所へ赴いて、現金を支払って、チケットを受け取りました。土曜日の朝7:30に品川プリンスホテルへ4人(男性3人、女性1人)を迎えに行き(4人共約束通り、チェックアウトして朝食をすませていたので助かりました)、東京駅8:00発の特急「踊り子」に十分間に合い、快適な列車のt日で、10:30に下田に着き、まだホテルのチェックインには早いので、駅前でレンタカーを見つけて、借りて(丸1日距離無制限で1万円弱)、まず伊豆半島のドライブに出かけました。まず海岸を北へ河津を通って(「ここは2月に河津桜が咲くという」は説明はあまり興味はなかったみたい)、そこから天城峠方面へ行き(ここが川端康成の『伊豆の踊り子』(伊豆舞女)の舞台という説明は、皆この作品を知っていて興味があったようだ)、河津七滝(ななだる)で車を止め、そこの大滝庵で昼食のソバを食べて、大滝へ下りて見学して、写真を撮りました。また車に乗って、ループ橋・天城峠・浄連の滝を通り(もし女性の方が中ヒールで来てなかったら、山の中を少し散歩したかった)、修善寺へ入る前に西伊豆海岸の方へ抜けて、土肥へ入り(ここへ下るところの紅葉は、紅葉が全体的に遅れている今年は残念ながらまだ早かった)、ここから伊豆半島西海岸を南へ下り、堂ヶ島あたりで1、2回海岸の崖の上の公園で停車して(残念ながら富士山は見えなかった)、松崎を通り、17:00に下田温泉ホテル榮岬(はなみさき、0558-22-3111)へ入った。箱根の山の中のホテルとは一風変って、下田港と防波堤と岩の海岸が一望に見える、大変いいホテルでした。温泉も露天風呂から港が見え、良かった。食事は海鮮料理と例の伊豆の土地の料理で、皆さん大変良かったといってました。
翌日は8:00から朝食を取り、9:00にレンタカーで出発、下田港の防波堤で散歩して、石廊崎は遠いので止めて、爪木崎へ行き(2月に水仙が咲くというのには、あまり興味がなかったみたい)、写真を撮ったりして、11:00には下田駅へ帰り、レンタカーを返しました(135km走行して、ガソリン代は千円くらい)。ここで12:00発の東京行き「踊り子」に乗って、14:05に大船で降り、モノレールで藤沢市南東部(片瀬山)の我が家に寄ってもらい、我が家の中を案内して、車で近くの江ノ島のヨットハーバーを案内し(東京オリンピックのヨット競技が行われたという説明は、2008年北京オリンピックでヨットは青島で行なわれ、大連ではなくなったので、多少興味があったみたい)、これまた近くの鎌倉市南西部(鎌倉山)にある中国人の方の家へ行き(その週に東京でお会いした香港系会社の社長さん)、そこは茶室がある立派な家で、奥さんがここでお茶をごちそうしてくれて、もう1人の中国人の方も合流して、ワイフたちも一緒に七里ヶ浜のすし屋で夕食を食べて、食事後みなさんを藤沢駅まで車で送り、分かれました。費用はすべて含んで20万円くらいでした(すし屋での夕食は、我が家近くに住むこの中国人の方が払ってくれた)。(2004.11.14.)
Hiking in Mt. Amagi (2013)
天城山ハイキング(2013)
5月初旬の水曜日に、伊豆半島の天城山へ登山にワイフといってきた。家を朝6時少し前に車で出て、途中ターンパイクやスカイラインを通り、晴天なので富士山が大きく見えて、西の駿河湾にある初島や伊豆七島や三浦半島や遠くに房総半島らしいのが、東の駿河湾と沼津の町がよく見える。8時少し過ぎにはもう天城高原ゴルフ場へ駐車して(走行距離は106 km)登山を始め、天城山脈の万二郎岳(1,299 m)へ登る途中はマメザクラ(富士桜)が満開で、次に万三郎岳(1,406 m)へ登る途中は満開のアセビの花のトンネルがあり、頂上でおにぎりで昼食。(このあたりは6月にシャクナゲ街道になるはずが、季節が早すぎた。)そこから八丁池と天城峠(川端康成青年が「伊豆の踊子」で湯ヶ島から天城峠を通り下田へ向かった)へ行く縦走コースは全体で7時間も歩くので止めて、万三郎岳からすぐ南へ下り、ブナとヒメシャラの原生林を何度か通り、万三郎下分岐・涸沢分岐を経て、15時には四辻・ゴルフ場へ帰ってきた。午後のコースは何度も上下する予想外の難コースで、文字通りの健脚向きだと分かり、疲れ果てて18時少し前に車で帰宅した。 (2013.05.08.)
Seeking Spring in the Izu Peninsula, in February (2021)
伊豆半島で2月に春を探す (2021)
火(祝日)・水は1泊で、南伊豆半島へ早咲きの桜を見にいってきた。伊豆半島へは子供たちが小さい時には河津町の今井浜にあった会社の保険組合の海の家とか修善寺サイクルスポーツセンターなどへよく行ったが、最近は2013年に天城山登山以来なのと、西海岸経由で行きたかったので道順を多少間違え、有料の箱根ターンパイクを通って、三島市から国道136号経由で西海岸を南下。土肥(とい)の松原公園で「土肥桜」はもう12月に終わっていたが、そこの割烹店で天丼の昼食。「恋人の岬」で1時間程散歩して、強風が吹き荒れる駿河湾の向こうに富士山を見る。松崎では那珂川沿いの桜はソメイヨシノでまだだが、その近くでアフリカキンセンカの黄色とオレンジの花が満開。さらに海岸道路を南伊豆町へ下り、下賀茂温泉の青野川沿いの桜は前週に満開時期を終わっていた。休暇村「南伊豆」は弓ヶ浜に面していて、そこを散歩。夕食では、ソフトアイス自作機などもあり、飲み・食い過ぎだった。夜は窓を閉めても、潮騒が聞こえるいい宿だった。(2021.02.23.) 記録:《815出発、855橘270円、ターンパイク730円、1030アネスト岩田スカイラウンジ、1015三島国道136号修善寺有料道路、1100月ケ瀬道の駅、1130土肥松原公園、1150玉しげで天丼1200円1240、1250恋人の岬散歩1350、1425松崎の花畑アフリカキンセンカ@那珂川べりに桜の木1440、1415夕日が丘、1540下加茂温泉青野川の「湯の花」桜は終わり1555、1605休暇村南伊豆/弓ヶ浜散歩、風呂、1745夕食1850、2030就寝。》
水曜日は早朝、1人でホテル前の弓ヶ浜を散歩。朝食後下田港を通って、そこからは国道135号線を北上して、尾ヶ崎見晴らし台では伊豆七島のほぼ全体が見える素晴らしい景色。河津町の交流館に駐車して、まず河津城址公園へ登り、上から河津川沿いの河津桜が満開なのを見て、山を下って、人出が多い河津川沿いを散歩。妻も私も以前別々に来たので、河津桜を見るのは二回目だが、ピンク色の花と菜の花がすばらしい。次に、国道414号を北へ移動して、河津七滝の3つの滝まで散歩して、無料駐車場のそば屋で「わさびとろろソバ」で昼食にしたが、これはよかった。
ループ橋・天城トンネルを経由して、修善寺の手前で伊豆・十国スカイラインへ入るといいのを思い出し、そこを通り(景色は海岸道路に比べてよくなかった)、前日の往路より今日の復路は早く移動できて、箱根峠からは無料の箱根新道を下り、湘南バイパス経由で5時半以前に帰宅できた。今回も妻が全て運転した。JAFのルートマップ関東広域が2005年版で古く、何とかいう有料道路が1年前に完成していたり、伊豆縦貫道路も少し完成していたので、大いに道を迷った旅行だった。(2021.02.24.) 記録:《615起床、630タライ岬遊歩道、ホテルで木暮理太郎「山の想い出」を読み損ない、920出発、940下田港135号線、1000尾ヶ崎見晴らし台、1025河津交流館千円、1045河津城跡公園竹林180.9m登り1110下り、1155河畔の桜/交流館を出1240、国道414号線、1300河津七滝1350、1350だるま茶屋わさびとろろソバ昼食、続く、1350だるま茶屋わさびとろろソバ1430、1510縦貫道大平IC付近で県道349号/17号(修善寺の手前)、1525冷川IC伊豆スカイライン790円1545巣雲山、1610熱海ICから十国スカイライン、1620箱根峠/箱根新道/小田原1640、1720帰宅。》
Entertaining Makinohara House for the Handicapped and the Aged with Songs, Five Times (2013 & 2014)
牧之原やまばと学園を歌で慰問、5回 (2013 - 2017)
写真アルバムは、FacebookのShizuoka Prefecture, Japanを見てください。
2013年の訪問。大学の同級生(長沢道子)が静岡県牧之原市で身障者の学校・老人ケア施設・「 牧之原やまばと学園」を経営しているので、20人くらいの同窓生たちで近くに一泊して歌を歌い、お土産も持参して、慰問にいってきた。慰問が終って、同期生7人はJR六合駅まで車で行き、そこから汽車で静岡駅に移動して、夕方6時から駅前のセンチュリーホテル1Fの食べ放題(\3000)・飲み放題(+1600)で同級会をやって、毎年のこの会も3期の先輩たち(斉藤万里子さんなど)が中心だったが、これからは我々(飯田徹くんなど)が中心になり、また後輩も育てなければと談合した。 (2013.10.01.-02.)
2013年の牧之原の身障者施設を歌で訪問:詳細:大学の同級生(長沢道子さん)が静岡県で「「 牧之原やまばと学園)という身障者の学校・老人ケア施設をやっていて、12年前と今年8月に私は頼まれてそこの機関誌に中国事情の記事を寄稿したことがある。これまでも訪問したいと思っても行く機会がなかったが、今年同期生の電子会議室でそこをみんなで訪問しようという呼びかけがあったので(飯田徹さん)、先輩たちも含めて20人位(同大学卒業生以外も何人か参加)の1泊での歌の訪問に、先週火・水と参加した。準備はグリークラブ出の卒業生が中心になり、2回に渡って楽譜を郵送してきていて、一週間前に東京で練習会もあったが、私は参加できなかった。
静岡県への行きには、比較的近くに住んでいる先輩(渡邊一美さん)が車を出してくれて、JR藤沢駅に8時に集まり、トヨタ・プリウス(リチウムイオン電池の7人乗りモデル)に5人で乗って海岸沿いの湘南大橋から二宮町を通って山側へ向かい、秦野中井ICで東名高速道路へ入った。御殿場JCTからは新東名高速道路に入り、雨模様だったが先輩が時速120キロで追い越し車線を疾走する姿に感心した。新東名は去年三ヶ日JCTまでできたそうで、私はそこを通るのは初めてで、東名の山側を走っているので全体的に眺めがよくて、カーブはすべてゆるやかで、将来3車線目がいつでもできるようになっていて、トンネルは丈が高くまるでヨーロッパの王宮に入るような感じだった。途中太平洋が良く見える駿河湾SAで休憩したが、売店の建物がまるでデパートにいるような感じで、これも感心した。
新東名で静岡市を過ぎて島田金谷ICで下りて、大井川・大井川鉄道をさかのぼり中流の田野口駅そばに先輩夫婦(奥田恵二・万里)が移り住んでいる別荘風の家に行き、鉄道組を待ち、12時からみんなで持参の弁当で昼食を食べて茶菓のもてなしも受ける。そこからさらに大井川を遡り、川根本町営のペンション・ウッドハウス「おろくぼ」(三ツ星天文台付き)へ行き宿泊した。大井川の橋を何回か渡ったが、こんな南アルプスの山奥まで河床が広いので、今は水が少ないが最近の台風でも水害があり、昔は俚諺の「箱根七里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川。」とはよくいったものだと思った。宿の食事はフランス料理で(こんな場合に中国では絶対に中華料理なので、日本は本当に西欧化しているなと思う)、風呂はお湯がぬるかったがお客さんが極少の時期なので仕方ないかな。夕食前に1回目の歌の練習があった。
翌朝私は朝早く1時間くらい近くに散歩に行くと女性2人(齋藤万里子・富沢裕子)に会い、一緒に近くの白羽山(しろはやま)に登り、近くに蛇行する大井川と遠くにシルエットのような富士山が見えて、帰りに朝日が漏れるヒノキ林で朝霧が谷から上がってきてすぐ消えて幻想的だった。朝食後9時に車で出発して、10時半には金谷駅で日帰り組を待ち、そこの売店で予約していた弁当も受け取り、牧之原市の「やまばと」へ向った。そこの「グレース」と呼ぶ近代的な建物に着き、周りは一面の茶畑で、すぐ谷向こうに富士山静岡空港が見える。(茶畑には50メートル置きくらいに5m位の高さの棒に電動式の小さな扇風機が取り付けたものが並んでいて、つい最近できた遅霜除けだというが、のどかな茶畑が突然ハイテク機器に取り囲まれたような、私には異様な光景だった。)同級生とそのスタッフの出迎えを受け、ホールで昼食と2回目の練習。午後1時半から近くのいくつかの建物から身障者の方々が集まり、歌の会が始まり、プログラムは、
合唱:
栄えに満ちたる神の都は
夕焼け小焼け
翼をください
モーツァルトの子守歌
椰子の実
津軽海峡冬景色
荒城の月
森の水車
みかんの花咲く丘
やまばとの子守唄(奥田夫婦の作詞・作曲)
Do-Re-Mi(この歌だけ一部英語)
見上げてごらん夜の星を
独唱:
七つの子
待ちぼうけ
ピアノ連弾:
ポロネーズ
夕焼け小焼け
合唱(会場全体で):
北国の春(観衆も舞台に上がって)
茶摘み
ふるさとだった。私はコーラスでテナーを歌うということはできないが、歌が好きなのでカラオケ調子でメロディーを歌い何とか参加できた。「津軽海峡冬景色」はカラオケでもよく歌うが、コーラスにすると女声で「ヒューン、ヒューン」と風の音が入り、大変違ういい感じだった。「みかんの花咲く丘」で私は両親を思い出して、感情的に歌った経験もした。このあと茶菓を食べながら歌で花の名前を当てるゲームをやり、多少の交流もして、この間紙箱を回して自由献金もして、午後4時には散会。
我々同期生7人はJR六合駅まで車で行き、そこから汽車で静岡駅に移動して、夕方6時から駅前のセンチュリーホテル1Fの食べ放題(\3000)・飲み放題(\1600)で同級会をやって、毎年のこの会も5年ほどの先輩たちが中心だったが、これからは我々が中心になり、また後輩も育てなければと談合した。大井川の上流に有名な寸又峡があり、行こうかなと思っていたが、大井川は中流まで十分見たので、行くのは止めた。また私は社会に出たての頃に横浜営業所から配下の静岡出張所へできたばかりの新幹線で何か月か出張してきていて、沼津の大昭和製紙工場へ入れた中型計算機(IBM System/360 Model 40の国産1号機)のめんどうをみる先輩について見習いをして、でもこの町を飲み屋以外はほとんど見てないので、一泊して静岡市をよく見て久能山へでも行こうとも思ったが、暑い日で荷物も多かったので止めて、みんなと一緒に新幹線ひかり号に乗り、私ひとり富士で下りてこだま号に乗り換えて小田原へ向かった。そこで下りるつもりが居眠りをして新横浜まで行ってしまい、横浜地下鉄と横須賀線・江の島モノレールを乗り継いで帰るような失敗もしたが、10時半までには無事に家へ着いた。(ちなみに2日間の旅行の費用は事前の楽譜送付代を入れて交通費は除いて1万3千円で、私の交通費は行きが車で1000円、帰りがJRでいろいろ間違えて5870円。)(2013.10.01..-02.)
2014年の訪問。また2015年にも行って、静岡市中も見て、オペラ歌手もフランスから参加した。
先週の月・火と、大学の同期生が静岡県牧之原市で経営している障害者・高齢者の施設「牧之原やまばと学園」へ、大学のもとグリークラブが中心になっているグループと毎年恒例の慰問にいってきた。去年は行きに友人の車に乗り帰りは新幹線だったのを、今年は普通電車で行くことにして、朝早くなので近くのJR駅まで30分ほど歩き、6:08発の普通電車に乗り、熱海で乗り換えて、丹那トンネルを経て(5分で通過)、富士駅あたりで富士山も何とか見えて、静岡駅で下りて、静岡市中心部を見物した。もう何十年前のかけだしのシステムエンジニア(SE)会社員のころ、できたばかりの新幹線に東京から乗って静岡営業所へ行き、先輩SEと一緒に沼津までもどり、大昭和製紙の工場へ入れた大型コンピューター(IBM System/360モデル40国産第1号機)のめんどうをみに3か月ほど通ったことがあるが、静岡市内を見物した覚えはなく、ただ週末に静波(しずなみ)という美しい海岸へ泳ぎに行ったことのみを覚えている。そこで短時間でも静岡見物をしようとして、繁華街の紺屋町地下街と呉服町を歩いて、市議会ビルと県議会ビルを経て駿府城公園へ行き、徳川家康の像とお手植えのみかんの木を見て彼がそこに3度住んだ歴史を学び、公園内をしばらく散歩して東御門・巽櫓(たつみやぐら)から出た。静岡駅でまたJR電車に乗り、金谷駅で下り、大井川鉄道の始点でみんなに会い、この軽便鉄道で大井川を遡り、野田口という駅で下りて、大学先輩(奥田恵二・万里夫妻)の家で持参の昼食を食べ、歌の練習をした。この日は川根本町営のペンション(ウッドハウス「おろくぼ」、標高660m)へ泊り、フランス料理はまあまあだったが、夜私は星空案内をかって出て、まずみんなでカシオペア座から北極星(小熊座)を探し出し、天の川に浮かぶ白鳥座と脇の琴座(織女星)と鷲座(牽牛星)を説明して、頭上の大四角形のペガサス、ここから伸びるアンドロメダ、海上の岩に縛り付けられた彼女を救い出したペルセウス(ギリシャ文字ラムダλに似ている)も見て、またしばらく経つとスバルが東の空から出てくるのも見えて、もと天文クラブ員の面目を保てて、とにかく星空がすばらしかった。
翌日は6時半に起きて、15分くらい山へ入る展望台へ散歩に出かけ(富士山は見えなかった)、朝食後また大鉄に乗って金谷へ下り(途中SL列車に遭い、すかさず写真撮影)、そこからタクシーで「やまばと学園」の9月にできたばかりの聖ルカ・ホールへ行き、歌の練習。近隣の人たちも加わったので、「大井川ふるさと弁当」(大鉄フード謹製)の昼食を食べながら自己紹介・近況報告もして、中心になっている同窓生(斉藤万里子さん)の娘さんがオペラ歌手で、フランスで結婚して得た2人の子供も秋休みで参加していて、小さな子が宿題でシャルル・ボードレールの『悪の華』から「アホウドリ」(L’Albatros、"Souvent, pour s'amuser, les hommes d'?qipage ...")を暗唱してくれて、私はこの詩が大好きなのと、フランス(とロシア)ではまだこうした教育をやっているのを発見して、大変面白かった。午後1時過ぎに音楽会が始まり、我々は「主を愛す」、「紅葉」、「里の秋」、「この道」、「やまばとの朝の歌」(奥田夫婦の作詞・作曲)を歌い、独唱3曲(「エーデルワイス」、「待ちぼうけ」、「大きな古時計」)、またオペラ歌手の4曲(バッハ/ぐのーの「アヴェ・マリア」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、プッチーニの「私のお父さん」、山田耕作の「からたちの花」)、最後に観客も前に来てもらい「北国の春」、「みかんの花咲く丘」、「茶摘み」、「故郷」を歌った。
そのあと歌クイズなどをやってから、お茶を飲みながら観客と交流会を持った。私は4つある施設のひとつから来ている1925年生まれて静波の出身の人と話し合い、私も昔いい海水浴場だった静波へいったことを話したが、そこはもう砂利が多くていい海岸ではないという。「大井川ふるさと弁当」のカバーに静岡方言集が書いてあったのを保管していたので、静岡方言が「そうずら=そうでしょう、しぞーか=静岡、せんころ=この前、ごせっぽい=せいせいした、そらつかい=とぼけるひと、ばんげんしま=夕方、ばんたび=その都度、まめったい=まめに働く、そこらはっちょう=そこら中、そのいとに=そのうちに、わきゃーない=たやすい」とあったのを、彼にひとつひとつ聞いて確かめたりした。(この旅行のあと、静岡県出身夫婦者が大連にいるので、彼にこの方言を知っているかクイズとして出し、楽しんだ。)これが終って、聖ルカ・ホールの施設見学があり、4階建てで各階に4つのユニットがあり、各ユニットが10人で暮らし、個室はみなベランダがあり、各ユニットには共同食事場とお風呂場もあり、牧之原市一帯の高年齢の障碍者を収容する新しい形の施設と感じた。そのあと車で六合駅まで送ってもらい、みなさんは静岡から新幹線で帰ったが、私は普通電車で静岡・熱海乗り換えで、3時間後に藤沢駅へ着き、また歩いて家まで帰った。お土産は大井川中流の川根茶を買った。来年も参加する予定で、次は久能山、清水港、寸又峡へも寄ってみたいと思う。 (2014.10.27.-28.)
2015年の訪問。今回は、帰りに茅ケ崎で評判の海鮮料理店「えぼし」で祝杯を挙げから、帰宅した。
先週月・火と、毎年この時期に過去三年間恒例になっている、静岡県(島田市)牧之原にある身障者・老人介護施設「やまばと学園」で歌を歌い、慰問してきた。大学の同級生(長沢道子)が夫の亡くなったあと経営を引き継いでいる施設で、同じ大学出身者を中心に総勢25人参加だった。1日目は、私は朝6時過ぎに家を歩いて出て、7時の藤沢駅発電車に乗り、静岡駅で1時間待ち合わせて3人と合流し、10時半に金谷駅でその他と待ち合わせて、大井川鉄道で野田口にある先輩(奥田)の家に行き、合同練習。その夜は川根町の施設「おろくぼ」へ宿泊し、歌の練習もして、夕食後去年は星空が美しかったが今年は曇りでダメ。翌日は9時にそこを出て金谷駅へ向かい、さらに当日参加者と合流して「やまばと学園」へ到着し、さらに練習と昼食、みんなで自己紹介。午後2時から3時半まで、歌とバイオリン演奏の公演と歌クイズで身障者・老人たちと遊んだ。曲目は讃美歌「やすかれ我が心よ」(シベリウスの「フィンランディア」主題歌を讃美歌にしたもの)、『ハーモニーが美しい日本の歌』(男性はメロディーを歌う)から春夏秋冬の4曲、合唱「やまばとの朝の歌」・ソロ「You Raise Me Up」・ソロ「里の秋」・我々男性の四重唱「ちいさい秋みつけた」、バイオリン「川の流れのように」と「チャルダッシュ」、『主は私の歌』から2曲(バイオリンと合唱)。帰りは5年先輩が運転する車に5人で同乗して、新東名・東名で海老名から圏央道へ入り、茅ヶ崎海岸へ出て、7時半から評判の海鮮料理店「えぼし」で祝杯を挙げて、夜9時前に家の近くの坂下まで送ってもらって帰宅した。前の日記で圏央道を批判したが、今回も海老名で圏央道へ入るのが難しく、間違えて町田・横浜ICまで行ってしまい40分のロスしたので、標識が悪い!また、海老名から茅ヶ崎で行く部分は街燈がなく真っ暗で、ドライバーの先輩に「ヘッドライトを挙げたら?」といったくらいの安普請だった。この毎年の活動、2年前は参加同級生が総勢で8人になり、静岡で夕食会ができたのに、今年は3人で少なかったのは残念だった。ただし、鎌倉(カトリック)雪ノ下教会では定期的に「やまばと」へ献金が行なわれているそうで、そこから4人が参加して盛り上げてくれた。私はテノールをうまく歌う訓練ができていないのに、男性はメロディーを歌う歌集を使ってくれているので助かった。 (2015.10.19.-20.)
2016年の訪問。木・金と、毎年恒例の牧之原「やまばと」施設を大学同棲性仲間と歌で慰問にいった。妻がJRジパング・クラブに入ったのでそれを使って切符を買いたいというので、往復を買ってもらって、藤沢で朝7時過ぎ発の列車で、途中熱海・沼津乗り換えで、10時半には金谷駅へ着いた。そこで仲間に会い、大井川鉄道で田野口へ行き、先輩が住んでいる家で昼食、歌の練習をして、中川根町の「おろくぼ」という施設に宿泊。翌日、金谷駅で当日参加組と合流して、ルカホームで昼食、みなさんの近況報告。午後2時から2時間で次のプグラムをこなした:
オープニング 武義和作品集『主はわたしの歌』より水野源三作詞「朝静かに」
第T部 懐かしい日本の歌 『ハーモニーが美しい日本のうた』より
「紅葉」、「花の街」(女声合唱)、「浜辺の歌」(2番はソロ:工藤)、「川の流れのように」
第U部 奥田万里作詞・奥田恵二作曲(1995)「やまばとの朝の歌」 1番はソロ:関、2番・3番斉唱。指揮:奥田
第V部
ピアノ連弾 ブラームス作曲「ハンガリアン・ラプソディー」から「チャルダッシュ」(野田、冨澤)
男性ソロ(飯田) Sound of Music より「エーデルワイス」(英語)
女性ソロ(斉藤) アーン(R. Hahn)作曲「クロリスに? Chloris」(フランス語)
男声合唱(渡辺、飯田、河津、三上)「四季の歌」
第W部 楽しい歌クイズ(司会:関) 賞品を配る。
第V部 「北国の春」、「みかんの花咲く丘」、「茶摘み」、「故郷」
「川の流れのように」を初めて歌ったが、すごい詩だと思った。「四季の歌」は中国で日本語を習っている学生の十八番の歌で、カラオケで一緒によく歌い、今回暗譜できた。第V部の四曲はなつかしい歌で、歌いながら涙が出た。
帰りは六合駅まで送ってもらい、私は午後4時過ぎ発の鈍行列車で、沼津駅で乗り換えて7時半には藤沢駅へ着き、8時には帰宅できた。 (2016.10.06.-07.)
2017年の訪問。2017年には皆で川根温泉へ寄り、これが最後の慰問になった。
例年この時期、静岡県牧之原市にある身障者&高齢者施設「やまばと」へ大学の同窓生と一緒に歌で訪問している。月曜日の朝は小雨で、6:18発のバスで家を出て、藤沢駅で6:35発鈍行沼津行きに乗り、沼津経由で静岡駅に着き、そこの珈琲館でしばし休憩。そこから浜松行鈍行で金谷駅へ行き、大井川鉄道の始発駅でみんなと待ち合わせて、田野口駅で降りて、先輩の奥田恵二・万理邸で昼食兼ワインパーティー。そのうちに先輩の指揮者も着いて、合唱の練習。迎えのバンに乗って、川根本町にある宿泊所「ウッドハウスおろくぼ」へ。寝る前に、そこにあるタカハシ望遠鏡(40インチ反射鏡)、コンピューター制御赤道儀(2001年)付き、について説明があった。その夜は、今年の参加者は少なかったので、一人一室で寝た。注:川根本町から島田・牧之原市にかけての大井川に添った茶畑では「茶草場農法」をやっていて、草場から刈り取ったススキなどを茶園に敷いて、有機で良質なお茶を生産するもので、「世界農業遺産」に登録されているという。私はユネスコの「世界遺産」は大嫌いだが、これはいい。。 (2017.10.16.)翌日は8:00に朝食で、バンに乗って島田市立養護老人ホーム「ぎんもくせい」へ。大学の同級生で「やまばと」の経営者の長澤道子さんを囲んで、大井川鉄道の金谷駅から届けてくれた「大井川ふるさと弁当」で昼食。すぐに現場で練習を開始して、14:30〜15:30まで、
「朝静かに」(詩:水野源三)、「朧月夜」、「夏の思い出」、「ちいさい秋見つけた」、「ペチカ」、「やまばとの朝の歌」を歌い、独奏:ピアノ「さくら」、フルート「アルルの女」からメヌエット、独唱「椰子の実」、「待ちぼうけ」、「エーデルワイス」をがあり、最後はいろはクイズなどをやりながらみんなで「ドレミのうた」、「浜辺の歌」、「川の流れのように」、「茶摘み」、「故郷」を歌ってお開き。
施設の見学を30分ほどして、大井川鉄道新金谷へ。丁度、蒸気機関車を回転台で回転させていたので、写真を撮りまくった。有志で、大井川鉄道で川根温泉へ行き、コッテージに泊まり、夕食は3種類の鍋料理:シシ鍋、雑鍋、鶏団子鍋。NHKテレビでセリーグのファーストステージ、横浜ベイスターズ対阪神タイガースの野球(ファースト・ステージ)をやっていて、みんなで観戦し、横浜が6対1で勝った。各コッテージに付属の露天風呂に入って、夜11時ころ就寝。やまばと訪問は、初回参加が2013年で、5回参加してきたが、現在みんな高齢になり、今回で一応打ち切りになるのが残念。 (2017.10.17.)
島田市の3日目は、早朝の散歩、川根温泉ホテルで川根茶を買う。徐々に晴れになって、他の参加者は大鉄で大井川上流の遊覧にいったが、私は横浜で用事があるので遊覧には参加せず、10:05発の下りで金谷へ向かい、10:50金谷発JR登りで静岡へ、11:35発のひかりで新横浜に着き、12:30に地下鉄で横浜駅へ着き、そこで眼科医へ寄って、横浜駅西口地下街の有隣堂へも寄ってから帰宅した。 (2017.10.18.)
注:この時の合唱の経験は私にとって大変重要で、その後ハワイへ移住5年間にコナ合唱協会のテナー1で合唱に参加して楽しんだ。
Shizuoka City (1966 & 2014)
静岡市(1966 & 2014)
横浜営業所時代、会社員かけだしのころ、1966年だったと思う、できたばかりの新幹線に東京から乗って静岡営業所へ行き、そこの先輩SEと一緒に沼津市までもどり、大昭和製紙の工場へ入れた大型コンピューター(IBM System/360モデル40国産第1号機)のめんどうをみに3か月ほど通ったことがある。ただし、静岡市内を見物した覚えはなく、夜は先輩たちが飲みに連れて行ってくれて、ただ静岡鉄道で静波(しずなみ)という美しい海岸へ土日に泳ぎに行ったことのみを覚えている。2014年に上記の牧之原訪問の折、静岡駅で下りて、静岡市中心部を見物した。そこで短時間でも静岡見物をしようとして、繁華街の紺屋町地下街と呉服町を歩いて、市議会ビルと県議会ビルを経て駿府城公園へ行き、徳川家康の像とお手植えのみかんの木を見て彼がそこに3度住んだ歴史を学び、公園内をしばらく散歩して東御門・巽櫓(たつみやぐら)から出た。翌日牧之原の施設で歌を歌って慰問した後、観客と交流会を持ったが、私はもうひとつの施設から来ている1925年生まれて静波の出身の人と話し合い、昔いい海水浴場だった静波へいったことを話したら、そこはもう砂利が多くていい海岸ではないという。
「大井川ふるさと弁当」のカバーに静岡方言集が書いてあったのを保管していて、「そうずら=そうでしょう、しぞーか=静岡、せんころ=この前、ごせっぽい=せいせいした、そらつかい=とぼけるひと、ばんげんしま=夕方、ばんたび=その都度、まめったい=まめに働く、そこらはっちょう=そこら中、そのいとに=そのうちに、わきゃーない=たやすい」とあったのを、彼にひとつひとつ聞いて確かめたりした。 (2013.10.27.-28.)
To Japan Home Page - 日本ホームページへ
To Asia Home Page - アジア・ホームページへ
To World Home Page - 世界ホームページへ