Japan: 2. Tohoku Region - 日本: 東北地方

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2. Tohoku Region

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2. 東北地方

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2. Tohoku Region

2. 東北地方

Aomori Prefectures

青森県

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Aomori-Hakodate Railway Ferry 1993

青函連絡船 1993

大学3年生の夏休みの北海道旅行では、青函連絡船で青森〜函館の津軽海峡を渡った。現在私はカラオケでは石川さゆりが歌う「津軽海峡・雪景色」を歌うのが好きで、歌詞にある「上野発の夜行列車...」に文字通り乗って、翌朝青森駅で連絡船に乗り換えて北海道へ渡った。「ご覧、あれが竜飛岬、北のはずれと、見知らぬ人が指を指す。」にあるようにこの岬を見たかどうか覚えていないが、帰りもこの連絡船に乗って帰り、その時に「見知らぬ人」が「ビールはこうして黒ビールも混ぜて飲むとおいしいよ。」と恰好いいことを教えてくれて、その後はレストランに黒ビールがあれば混ぜて飲むようにしている。この連絡船は1988年に青函トンネルができて、廃止されてもうない。

Hakkoda Mountains 2012

八甲田山 2012

八甲田山大岳へ登り、登りに仙人岱(せんにんたい)湿地帯を通り、下りは毛無岱湿地帯を通った。

(八甲田山): せっかく東北地方へ妻と行くのだからどこかの山へ登ろうということになり、岩手県北上市旅行から新幹線で青森まで行き、レンタカーを借りて八甲田山へいった。ここは日清・日露戦争間に陸軍が耐寒訓練をした際に、参加者約200名のほぼ全員が遭難した事件で知られていてあまりいい印象はないが、高山湿地帯で有名なところ。八甲田スキー場がある酸ヶ湯(すかゆ)温泉のホテルに泊まり、翌朝は大雨だったがしばらくして曇り空になったので八甲田大岳(1584m)に上り、頂上手前の湿地(仙人岱=せんにんたい、岱=湿地のことらしい)でキンコウカなどを見て、下山途中で上・中・下毛無岱(けなしたい)に寄った。(2012.08.08.)

  • 八甲田ロープウエィで田茂萢岳(たもやちだけ)に行き、田茂萢湿地帯を通ってから赤倉岳に登り、午後新幹線で帰った。

    翌日は宿の目の前の八甲田ロープウェー(2460m)の9:00始発のゴンドラ(101人乗り)に乗り、終点に当たるある田茂萢岳(たもやちだけ、東北地方で萢=谷戸)に着いたら奇跡的に晴れていい景色になり、田茂萢湿地帯(ゴードライン、木道がヒョウタン=gourdのように8の字になっている)を歩いて、しばらくしてまた雲が出る中を赤倉岳(1548m)へ登って、またロープウェーで下山した。帰りはレンタカーで八甲田山をぐるりと回る周遊道路を通って遭難記念碑を見るはずが、道を間違えて青森駅へ早めに着いてしまい、15:42発の新幹線「はやて」で仙台を経由して19:10ごろに東京駅へ着いて、そのまま電車で自宅へ帰った。(2012.08.08.-09.)

  • Hakkoda Mountains, Oirase Valley and Lake Towada 2021

    青森県:再度八甲田山・奥入瀬川 & 秋田県:十和田湖 2021

    2021年10月、八甲田/十和田湖/奥入瀬川渓谷へ3泊4日の旅に出かけた。1日目(水曜日)、8時に家を出て、東京駅からは9時半発の「はやぶさ・北斗号」に乗って、途中車中では河川を見分けようとして荒川・阿武隈川・北上川は見たが利根川は見過ごして、曇り空が八甲田トンネルを抜けると晴れになった。午後1時少し前に新青森駅で降りて、JRレンタカーを借りた(Toyota Vitz 1300四駆ですでに7万キロ)。まず青森市内から県道40号で南へ向かい、雪中行軍遭難者銅像をやり過ごして、八甲田山東側の田代平湿原へ寄り、次に八甲田山西側に入り国道103号で睡蓮沼を見たかったが、駐車場が見つからずスキップした。前回泊まった酸ヶ湯(すかゆ)では、紅葉が真っ盛りで、ここへ泊まりたかったが満員だった。八甲田ロープウェーがあるところの寒水沢温泉の八甲田リゾートホテルへ到着して、時間があるので近くの沢へ向かって散歩。このホテルの温泉はぬるく、これはその後八甲田・十和田湖全体にそうだった。6時の夕食(山菜・長芋すいとん田舎鍋が出た)の後、8時には就寝した。(2021.10.13.).

    2日目(木曜日)、ホテルの2階ロビーで6時半のラジオ体操ができた!8時半には出発して、睡蓮沼では道路へ駐車できるというので、まずそこへ寄ったが、霧で不調。きのうから風で動かなかった八甲田ロープウェーが動き出したというインターネット情報で、早速これに乗って、田茂萢岳(たもやちだけ)の頂上へ。ゴード・ライン(8の字に巡るのでゴードGourd=ヒョウタン)という散歩コースを歩いてから、最近の雨でぬかるみの悪路の山道を苦労して下り、でも毛無岱(けなしたい)では太陽が出て、木道を広々としたいい眺めで歩く。九沼で八甲田連峰が曇りで見えなかったがおにぎり昼食をして、酸ヶ湯へ下ってバスに乗り、駐車してあったロープウェーまで戻った。睡蓮沼へまた寄って、今度は晴れていていい写真を撮って、八甲田山連峰の景色はよかったが、周りは闊葉樹が少なかった。次に国道103号を延々と更に南の十和田湖岸の子ノ口(ねのくち)まで行き、湖をぐるっと南周りで対岸の秋田県の十和田ホテルに投宿して、まずは温泉へ入る。このホテルは東京オリンピックの時の要請で改装されて、後に天皇も泊まった高級ホテルで、到着が遅くて夕食(だまっこ鍋が付いた)が6時でなく7時半になってしまった。(2021.10.14.)

    3日目(金曜日)、チェックアウトした後、十和田湖畔を散歩。十和田湖対岸の子ノ口へ戻り、ここは青森県だが十和田湖の西半分は秋田県でもあるので、土産物店前の路上で「きりたんぽ」を初めて食べて、そこへ来た三沢基地所属のアメリカ人夫婦と雑談し、フロリダ出身だというのでキーウェストまで行ってヘミングウェイの家を見たりしたのを話題にした。子ノ口からJRバスに乗り、奥入瀬川に沿って下り、雲井の流れバス停で降りて、上流へ向かってウォーキングし、雲井の滝・白糸の滝・不老の滝・九段の滝・調子大滝などを経て、水門・子ノ口へ戻った。車で蔦温泉へ行き、蔦の七沼(蔦沼・月沼・長沼・菅沼・瓢箪池など)を巡ってハイキングして、八甲田リゾートホテルへ戻って、温泉に浸かり、宿泊。夕食には八戸せんべい汁が出た。(2021.10.15.)

    4日目(土曜日)は小雨で、早朝温泉に入り、朝食後8時半に出て、大雨の中をまた酸ヶ湯の紅葉を見にいった。(ここは翌日に寒波が来週して、初雪が1センチほど積ったとNHK全国ニュースでいっていた。)。次に国道103号と交わる国道394号(弘前市?むつ市)の城ヶ倉大橋(アーチ橋で欄干が低くしてあり眺めがいい)に寄り、大渓谷のすばらしい景色に写真をパチパチ。帰路に入り、青森市へ下る途中で、岩木山展望所に寄ると、「八甲田春山除雪隊歌」が流れていて、威勢のいい歌だったので覚えたい。時間があるので、青森市西郊外の三内丸山遺跡(さんだいでなく「さんない」が正しい)で時間を過ごすことにして、室内展示を見た後、ボランティア・ガイドの案内で遺跡を1時間ほど見学し、すばらしい遺跡と感じた。昼食にはそこのレストランで「縄文うどん」(ドングリや栗などが練り込んであり六本柱建物のように並んだいくつかのゴボウの上にかきあげが乗っていた)を食べた。新青森駅でレンタカーを返却して(総走行距離238km)、4時少し前そこ発の新幹線で7時過ぎには東京駅へ、夜8時半には自宅へ戻った。(2021.10.16.)

    四日間の総括として9年前の夏の八甲田山登山に較べて、秋の紅葉を見たかったもので、今年は紅葉が例年より遅くて十分見れなかったが、国道103号を何度も行き来して車内から見た紅葉は抜群で、特に三度も寄った酸ヶ湯(すかゆ)の紅葉は素晴らしく、また城ヶ倉大橋の紅葉中の雄大な眺めもよかった。今回は初日だけが少し晴れで天候が全体的に悪かったが、奥入瀬渓谷のウォーキング、十和田湖、三内丸山縄文遺跡も加わった点と、最近の旅行でよく使った国民宿舎のバイキング式食事でなく必ず土地の海の幸・山の幸で卓上鍋料理が2点付く方式は、大変よかった。

    Iwate Prefectures

    岩手県

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    Tono, Mt. Hayachine (1,914m), Hiraizumi, etc., Iwate Pref., by JR Rail & Rent-a-car, 2001

    遠野、早池峰山(1,917m)、平泉:中尊寺、大船渡、釜石 2001

    2001年7月に妻と初めて「JRレール&レンタカー」を使い、岩手県は遠野駅上のホテルに泊まり、早池峰山(1914m)に登り、レンタカーで東は宮古市の浄土ヶ浜、平泉:中尊寺まで行ったもの。記録には、第1日目:8:52東京-11:20新花巻・遠野・物産館(民話)・博物館、第2日目:遠野・早池峰山(1917m)・デンデラ野・コンセンさま、第3日目:遠野・中尊寺・大船渡・釜石・大槌・早池峰神社宵宮祭、第4日目:遠野・宮古(浄土ヶ浜、津軽石川)・遠野(風の丘)・16:47新花巻(東北新幹線で帰還)とある。

    Kitakami City, Iwate Prefecture, and the Hakkoda Mountains, Aomori Prefecture, 2012

    北上市の夏祭り、東日本大震災被災地 & 青森県:八甲田山 2012

    2012年8月、妻と高校時代の同級生たちと一緒に、北上市の「しらゆり大使」も務めている作家の堀江朋子同級生の招待で、岩手県北上市の夏祭りを見に行き、東日本大震災被災地である陸前高田、大船渡も訪れて、そのあと妻と青森県の八甲田山へ登りにいって、5日間の旅行だった。

    (岩手県・青森県旅行):先週日曜日から5日間、東北地方へ妻と旅行してきた。まず高校の同級生で『三井財閥の時代』、『日高見望景、遥かなるエミシの里の記憶』(図書新聞、2012年)などを書いた堀江朋子さんが北上市の「しらゆり大使」をしている関係で、毎年北上市の夏祭りに同級生を招いているので、そこへ2泊し、そのあと妻と2人で八甲田山へ2泊したもの。私らは10年くらい前にこの付近の遠野へ行き(民話で有名)、そこを起点に東は平泉の中尊寺、東は宮古の浄土ヶ浜、すぐ北の早池峰山(海抜1917m)へ登っているので、このあたりへ行くのは2回目だった。 (2012.08.05.-− 09.)

      北上市など
    • 新幹線で北上市へ行き、ホテルへ。諏訪神社で東北地方の伝統的な踊りを見て、夕方みちのく芸能まつりを見学。

      (北上市の夏祭り): 北上市へは神奈川県の自宅を朝9時に出て汽車で東京へ出て、10:40初の東北新幹線「やまびこ」で仙台を過ぎて、13:40に北上駅へ着いた。駅前の大通りに面した草のホテルへ荷物を置いてロビーへいったら、釜石の虎舞のグループが来ていて、終って冷たいものをご馳走になっていた。すぐ近くの諏訪神社で早池峰神社の神楽などをやっていたので、厚い午後の日差しの中を見に行った。16:30からは大通りで「みちのく芸能まつり」が行われて、駅前の500mの道路に10組の鬼剣舞(おにけんばい)・鹿踊(ししおどり)・神楽・虎舞などが20分ごとくらいに行われるのを見て、私はやはり虎舞が一番面白くて、そのあと20:00からホテルで夕食になった。(2012.08.05.)

    • バスで陸前高田、大船渡を訪問し、昼食は大船渡で。夕方は北上川で花火大会を見た。

      (東日本大震災被災地訪問): 翌日は市役所が手配してくれたバスで、80キロ先にある2か所の東日本大震災被災地、陸前高田と大船渡を視察にいった。陸前高田ではバスから降りて、市役所あとを見学して、また川を隔てたところで「一本松」を見下ろしながら、町全体を見た。次に近くの大船渡へ行き、屋台村ができていたので、そこで昼食を思い、思いに食べて、行きも帰りもトイレ休憩で「産直 とこちゃん」へ寄って買い物もして、私はリンゴとトチの蜂蜜を買った。震災の被災地の映像はテレビで何回も見ているが、実際に行ってみると、心が大きく痛む。16:30に和食「きたかみ川」で早めの夕食で、今回堀江朋子さんが集めた三協信金・個人的友人とやはり同級生の山口善弘くんが声をかけた高校同級生・大学同級生すべて60人くらいの簡単な紹介があった。(2012.08.06.)

      (北上川の花火大会): 夕食後にみんなで北上川のへ移動して、19:30から花火が始まり、招待者席で対岸の花火を見て、21:00には滝の仕掛け花火で終わって帰った。トロッコ(灯篭流し)が北上川をゆっくりと下る上を、花火が上がるという趣向で、人出も東京・横浜や近辺の人でとは比べものにならないくらいの見物客で、私はゴザの上に寝そべって、星を観察しながらの見物で、大変楽しめた。(2012.08.06.)

    • トヨタ東日本岩手工場(小型ハイブリッド車Aquaを製造中)を見学。午後、新幹線で青森市へ行き、レンタカーで八甲田山へ移動。

      (トヨタ工場見学): 山口くんの大学同級生のひとりがトヨタ自動車出身で、彼から連絡してくれて北上市の北上南部工業団地(ヤクルト工場がある)を抜けて、その少し南の金ヶ崎町にあるトヨタの自動車工場を見学した。仙台のセントラル自動車の工場と東富士とここの関東自動車の工場が東北振興の関係で去年合併してトヨタ自動車東日本鰍ニなったようで、ここの岩手工場はおもに新しい小型ハイブリッド車・アクアAquaを製造していて、69秒ごとに1台完成するが、いま人気車種で販売店では3〜5か月待ちだという。自動車工場の見学は大学最終学年の就職を決めるころに豊田市のトヨタ工場を見たのが最初で最後だったから(コロナかカローラを作っていた)、約50年ぶりだった。まず会議室でプレゼンがあり、そこから板金工場は見なかったが(車台は下請けから納入されるらしいが、ドア・前方フード・後方荷物室のふたなどもそうか思ったら自作すると説明があった)、ペイントショップは詳しく見れて、洗浄してペイント漕に入れて、乾かす工程はなかなかのものだった。最後の組み立て工場は部品運搬列車が走る中に入って見せてくれて、最終のテスト工程も大変面白かった。最後に、会議室へ工場長も来て、質問にも答えてくれて、すばらしい工場見学だった。昼前には、団体旅行は解散になった。(2012.08.07.)この後は、青森県の八甲田山へ移動したが、東日本大震災被災地の訪問は特に心に残り、こうした津波はいま私が住んでいるところも含めて、日本のどこにでも起こり得ると思った。 (2012.08.09.)

    Akita Prefecture

    秋田県

    秋田県はいったことがないが、秋田聖救主教会の佐藤真実司祭がリーダーで「英国教会めぐり」(2001年)に行ったのが、唯一の秋田県とのつながり。鳥海山に登って、麓の湧水も見たいな。上に書いた八甲田山への旅行(2021年)で十和田湖西岸に宿泊したので、少々秋田県に入った。

    Miyagi Prefecture

    Went over the Ou Mountains and visited Sendai and Kamaishi Cities.

    宮城県

      写真アルバムは、ここ(Facebook)の山形県・宮城県

    仙台・塩釜。 下に書いた山形県米沢市への旅行ついでに、奥羽山脈を越えて、作並温泉に寄り、仙台(広瀬川と仙台城址公園)と隣りの塩竃市へ行って、日帰りで米沢へ帰った。

    Sendai & Matsushima, 2020

    .

    仙台と松島 2020

    山形県蔵王から山形道を経て、東北道に入り、「菅生PA」で十割せいろ(@丹誠庵、570円)で昼食、午後1時に松島の宿「一の坊」へ着く。町を歩いて無料駐車場へ行き駐車して、また町に戻って2時発の松島湾一周コースへ(50分、千円)。伊達政宗の菩提寺「瑞巌寺」の本堂のすばらしい襖絵を見学。5時過ぎにホテルへチェックイン、八百八島の湯?五大観の湯(露天風呂)。6時から夕食、8時からロビーで音楽会。10時就寝。(2020.07.29.)

    木曜日は晴れ、薄曇り。6時に起床、朝風呂、7:20ごろから朝食。ロビーにあった『伊達の国をめぐる大人旅』(Kappo)で仙台を学ぶ。ホテルは作並温泉でならした高橋征太郎の持ち物で、彼が好きな藤田喬平のガラス美術館を見て、11時前にホテルを出発。水産会社がいなr塩釜港へ経て、多聞山展望広場から松島の多島海を見て、岡山の鷲羽山と似ているがあちらの方が綺麗で。そこから国道45号線を一路仙台へ向かう。

    午後1時過ぎに伊達政宗が葬られた瑞鳳殿、彼の息子と孫の感仙殿?善応殿を見て、2時半には仙台駅でレンタカーを返して、全走行距離205km。駅前のよどばしカメラで買い物をして(店員は瀋陽出身者で親切)、駅弁を買ってから16:00発の「やまびこ」へ乗車、新幹線車中でIBM仲間のZoom会議に参加して、18:16に東京着。横須賀線、モノレールで、夜8時丁度に帰宅。(2020.07.30.)

    Yamagata Prefecture

    From Yonezawa to Sakata, down the Mogami River

    山形県

      写真アルバムは、ここ(Facebook)の山形県・宮城県

    米沢市から最上川に沿って酒田市へ信州時代に、聖公会教会の面倒をみている友人(小貫晃義@山形大学、20年後に再会)を訪ねて米沢市へ行き、ついでに山形県を最上川に沿って下り、山形市、山寺、最上峡(ここで「最上川舟下り」)などに寄り、酒田(土門拳記念館)までいった。また、山形市から奥羽山脈を越えて宮城県の作並温泉、仙台城址公園、隣りの塩竃市の漁港へ寄って、日帰りで帰った。(1998.)

    Teaching at a School in Takahata Town, Yamagata Pref. 2015

    高畠町で「熱中小学校」2015

    仕事時代の友人(堀田一芙)が東京・赤坂にオフィス・コロボックルを持っていて、2年前そこで『大連の春』の出版祝いをさせてもらったが、彼と山形市のNDソフトの社長が山形県高畠市の廃校になった小学校へ地元と都会の人々を招いて「熱中小学校」を開いたので、長野、直江津、新潟、坂町を経て、翌日米坂線で米沢に入った週に蔵王山の蔵王大露天風呂、上杉神社ばどへ寄って、磐梯山へ登った後の土曜日午後2時半から、様々な人が国語、算数、保健などの授業を行った中で、私は「スーパー用務員」で「近隣の諸国と仲良く」という15分模擬授業を3コマしてきた。開校式には山崎史郎さん(内閣官房ひと・まち・しごと創生本部)の記念講演があり、明治初期に「日本紀行」を書いたイザベラ・バードが山形県を訪ねて「日本は子供の教育を大切にする」と書いた話しが印象的だった。私の講演は自己紹介をして、中国でしてきた仕事を紹介して、政府が仲たがいしている間も我々は仲良くしていかなければならないことを話した。4時半から千葉大学関係の方ドローン(マルチコプター)の実演もあり、夕方6時からは近くのぶどう棚もあるレストラン「Fleures du soleil」で懇親会もあり、夜8時過ぎに高畠駅発の新幹線に乗って、2時間半後には東京駅に着き、深夜に帰宅した。私はほぼ20年前から山形県を見て来たが、こうして都会の企業を呼び寄せる多少の役にもたって幸いだった。 (2015.05.23.)

    Zao Mountains in Summer, 2020

    夏の蔵王へ 2020

    日曜日、7月末には梅雨が終わっている予想で予約していた東北地方旅行に出かけた。雨が上がっていたのでモノレール駅まで妻と荷物をガラガラ引いて行き、東京駅9:24発の「つばさ」に乗り、乗客は各車両に3、4人。仙台行きの「やまびこ」をつなげているので、両方の動画を撮ってLINEグループで孫たちへ送った。福島で「つばさ」を切り離し、板谷峠の急勾配を超えて、米沢を通過して、東京出発二時間半弱後には山形駅に到着。駅構内の老舗・三津屋のにしんソバで昼食。JRレンタカー(トヨタVitzで、結構キズがある5万キロ、不思議なナヴィ)で1時過ぎに出発し、2時には蔵王ペンション村の宿へ到着。早速車で蔵王温泉街へ出かけ、上湯から177段の階段を登って、蔵王スキー場へ。妻が「Zaoスーパースライダー」に乗ったので、その動画も孫たちへ。酢川温泉神社へ寄ってからまた階段を下り、上湯共同浴場(濃い硫黄泉)へ入る。ペンション村へ帰り付近を散歩し、5時過ぎからそこの庭でビールで乾杯。6時からの夕食は多量の料理で、Mona(Barcelona)スパークリンワインが出て、酔っ払い気味。宿の奥さんは土地の人で、旦那は天童の人で、十年前に知り合って、この30年前に建ったペンションの4代目だという。9時には就寝。(2020.07.26.)(上山市・蔵王のペンションエプロンステージ泊) 

    月曜日は蔵王のペンションで、6時起床、青空が覗く天気で、付近を散歩。8時朝食は昨晩に続いて、豪華なパン料理。そこを8時に出発し、途中Lawsonでおにぎりを買い、8:20に中央ロープウェイ(800円)で海抜1400mの高原へ。曇り空の下、展望台に寄ってから、9時半過ぎに蔵王中央高原のスカイハイクへ出発。10時過ぎに片貝沼へ、トンボが多量に飛んでいるが、すばしこくて動画は無理。目玉沼、うつぼ沼を通過して、五郎岳入口で休んで、11時に距離300mの五郎岳(標高1,413m)へ登る。そこからは大きく下り、近くに製材所の音がして、11時半ごろSangoro山荘に達し、11:40から美しいドッコ沼わきのベンチでおにぎり昼食。ここは山形から仙台へ抜ける蔵王古道が通っていたという。

    30分後出発しようとしたが、雨が降るかが気になって少し足止め。12:30には蔵王スカイケーブルの終点駅から、瀧山登山道コースへ行くのを間違えて、スキー場の高鳥コースを降りてしまい、残念。昨日と同じ177段の階段を降りて温泉街を通り、1時半にはもとの駐車場へ戻り、4時間のトレッキングを終了。雨が降り出す中、蔵王ライン&エコーラインを車でお釜(火口湖)方面へ向かい、2時過ぎには蔵王坊平高原(海抜1,000m)にあるペンションへ到着し、雨宿り。

    ペンションのインターネットで遊んで、鉱泉水の風呂に入ったりして、雨上がりのテラスからは飯豊山脈の雲海を遠望。6時半から夕食で、Medocワイン(Chateau Carcanieux / Cru bourgeois)のボトルを選んで、二人で持て余す。宿の主人は上山の人、奥さんは山形の人で、40年前に自分で設計して、材料を用意して建てたペンションで、冬の樹氷時期が一番忙しいという。9時頃就寝。(2020.07.27.)

    火曜日は、朝から雨、雨、雨で、完全にペンションへ閉じ込められてしまった。梅雨前線の雨雲が東北地方の山形県と宮城県に停滞気味に通過しているためで、朝から晩までひっきりなしの雨で、山形県では最上川の中流で洪水が起きている。ベッドルームと広い部屋を自由に使えて、インターネットがあり、テレビもありの快適生活だが、比較的寒い日だった。部屋にあった上野千鶴子著『男ひとりさま道』はほぼ読んで、近くの石窯ピッツァはこの両日開いてないので、ペンションにソバを頼んで昼食。Wikipediaの「蔵王」になぜ「ざおう」と読ませるかは、「ぞうおう」が発音しにくいので「ざおう」になったと、いたずら書きに近い追記をした。夕食は、Coteaux Bourguignonsワイン付きにして、二人で飲み干した。10時就寝。(2020.07.28.)

    水曜日は曇り、小雨・5時に起床、8時少し前に朝食、9時過ぎに出発。お釜経由の宮城県行きの県道が不通なので、まず山形県側の蔵王ペンション村へ降りてウォーングコース1000mを歩く。上山市で国道13号、11時には天童市で山形道へ入り、笹谷トンネルを経て、東北道に入り、宮城県仙台・松島へ移動

    Fukushima Prefecture

    Tagokura Dam, Bicycle Road Racing, Mt. Bandai and Aizu-Wakamatsu City

    福島県

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    学生時代に地学の課外授業で、奥只見の田子倉ダムのあたりで岩石の採取などをしたことがある。どうやって行って帰ったか覚えていないが、帰りは多分会津若松へ出たものと思う。

    ドロップハンドルのロードバイク(昔はロードレーサーといっていた)に夢中になっているころ、日刊スポーツ主催の白河ロードレースに出た。ゴール近くなると、あとから出発した女子チームに悠々と抜かれたので、その後ロードレースは諦めた!

    Climbing Mt. Bandai for the fist time

    1990年代だと思う、夏に子供たちとシロちゃん(犬)を連れて、裏磐梯のペンションに泊まり、五色沼や、檜原湖の西岸にある中瀬湖の周りの自然歩道を歩き、磐梯山へ登った。

    日本聖公会歴史研究者の集い(11回)が2001年5月に会津若松市の東山温泉「瀧の舞」で開かれて、会津城、聖アルバヌス教会などを見学した。

    Ura-Bandai, Japan, in Winter, 2005, for Nature Skiing

    Ref. National Park Resort Village at Ura-Bandai Highland, Fukushima Prefecture

    冬の裏磐梯で歩くスキー (2005)

    中国の春節休暇で日本へ一時帰国した時に妻が予約してくれて、2月の中旬にレール&レンタカーで、東北新幹線に乗り、郡山(こおりやま)で下りて、ホンダのフィット(Fit)を借りて、途中の猪苗代湖で白鳥の写真を撮って、裏磐梯にある磐梯高原休暇村へ行って、3泊4日してきました。2日目はスノーシューを借りて銅沼(1888年に大爆発があった火口)・イェローフォールへスノートレッキング(もくもく自然塾の池田睦宏さんが案内)、3日目には歩くスキーで中瀬湖あたりを歩き(同、清水秀俊さん)、4日目はまたスノーシューで五色沼(赤沼などの小さな沼の総称)を磐梯高原(西側)からビジターセンター(東側)までスノートレッキングで歩きました(同、高橋真希さん)。裏磐梯は12年前(1992年)の夏に家族で車で行き、磐梯山登山や五色沼散策をしたところで、なじみが深く、しかし今回は真冬で連日雪が降り、もう2mの雪に埋もれていて、近くにある磐梯山が見えたのは2日目の午後遅くからと2日目の午後のみでしたが、動植物の生態を観察をしたり、パン工房ささき亭(0241-32-2824)へ寄ってお土産を買ったりして、大変楽しい冬の旅でした。(2005.02.16.)

    Climbing Ura-Bandai Mountains, Fukushima, in Fall, 2014

    秋の裏磐梯で登山 (2014)

    2014年10月に妻と、まず初日に新幹線で郡山まで行き、レール&レンタカーでマツダ・デミオの新モデルを借りて、快晴下の猪苗代湖畔で弁当を食べて、レークラインを通って中津川渓谷に寄って(散歩道が十分整備されてなかった)、またレークラインを走りながら秋元湖・小野川湖を時々見て、檜原湖から奥に入った露天風呂付きペンションへ泊った。近くの曲沢沼で夕映えの紅葉がきれいだった。2日目は紅葉を見ながら磐梯吾妻スカイラインを走り、浄土平へ駐車して、この日も快晴下で一切経山(1949m)へ登り、頂上で五色沼(「吾妻の瞳」)を見下ろしながらおにぎりを食べ、酸ヶ平(すがだいら)の湿地帯へ下り、きれいな鎌池を経て、東吾妻山(1975m)に登る。3日目は雄子沢口(おしざわぐち)から「せせらぎ歩道」に沿って、雄国沼(おぐにぬま)へ登った。途中の紅葉とブナ林(紅葉はまだ)がきれいで、でも間もなく雲・霧の中へ入り、雄国沼休舎についたころは多少霧が晴れ出し、湖畔を反時計回りに湿地帯へ向かって歩き、でも時間がなくなり、急いで元の歩道を戻り、郡山でレンタカーを返して、新幹線で東京まで帰り、自宅へ戻った。 (2014.10.08.-10.)

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    Prepared by Yoshi MIKAMI on November 28, 2004. Last update: Dec. 14, 2021.