An Anthology of Poems 2 / 诗集 2 / 詩集2

A Morning Sky in February 2011

 

目次

旧正月の初の満月に寄せて

小鳥がおおぞらへ向かって

私の新しい生活

竹馬の友へ捧げる

不思議の国の老外

憶えている、この夏の星空を

雪の片瀬山の森で

In the Woods of Katase Hill

 

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旧正月の初の満月に寄せて

中国民謡「東北地方の子守唄」をバックグラウンドに。

 

月が明るく、風もない、

木の葉が窓にかかり、

よい子よ、ネンコロリン、

夢を見ながら、眠ってよ。

 

お月さま、お月さま、教えてよ、

私の故郷はどこにあるの。

私が生まれた東京なの、

学校を出たところなの。

 

小学校までは、長野県。

夏は川でさかなを捕り、

秋は山でキノコを採り、

冬は雪深いところ。

 

月が明るく、風もない、

木の葉が窓にかかり、

よい子よ、ネンコロリン、

夢を見ながら、眠ってよ。

 

お月さま、お月さま、教えてよ、

私の故郷はどこにあるの。

仕事始めは横浜の鉄工所で、

神戸にも住んで、経巡った。

 

月が明るく、風もない、

木の葉が窓にかかり、

よい子よ、ネンコロリン、

夢を見ながら、眠ってよ。

 

あとはアメリカでまで出かけ、

おもに東部の町々に住み、

日本への行き帰りに、

ハワイからロッキー山脈まで。

 

月が明るく、風もない、

木の葉が窓にかかり、

よい子よ、ネンコロリン、

夢を見ながら、眠ってよ。

 

神奈川県の海辺に落ち着いて

子供たちと過ごし、

一生懸命働いて、

ここが故郷かと思った。

 

でも、台湾で仕事をして、

いまは中国の寒い地域に。

お月さま、教えてよ、

私の故郷はどこなの。

 

月が明るく、風もない、

木の葉が窓にかかり、

よい子よ、ネンコロリン、

夢を見ながら、眠ってよ。

 

注:今年の元宵節(旧正月15日)は暖かい日で、満月が中空にかかり、いい日だった。実はこの日にそろそろ神奈川県人会でもやろうかという話になり、故郷は私が育った長野県なのかな、またはいま家がある神奈川県なのかなと思って、単純に上の多少ばかげた詩をつくった。以前採譜した中国・東北民謡の「揺籠曲」(子守唄)は大変美しい歌だ。(2008.02.23.)

 

 

小鳥がおおぞらへ向かって

内蒙古民謡「ガーダー・メイリン」に習って

 

小鳥がおおぞらへ向かって羽ばたいた、

春のあたたかい陽光を浴びて。

冬は極寒の北国に生まれ、

少し南へ移り、若い時を学んで過ごした。

さらに南へ下り、海のある町で、

日本語も泳ぎも学び、働いて過ごした。

 

自分より若い仲間は、みな東へ行ってしまっても、

自分にはいい機会がなかった。

英語もSAPも学び、欧州のプロジェクトで

自分を苦労して磨いた。

 

こうして、海のある町で十年を過ごし、

人を愛すことも経験して、成長した。

そしていい機会を自分で見つけ、

フランス語も学び、きょう旅立つ。

 

成鳥は羽ばたいて、東をめざす、

薄紫の桐の花が美しく咲く5月に。

 

おおぞらへ、世界へ向かって。そして、

故国へ帰ることは、もうないだろう。 (2008.05.11.)

 

 

私の新しい生活

フランスのJohnny Hallydayの歌「Pour moi la vie va commencer.」(1962年)に似せて

 

私の新しい生活が始まる、

この新しい国の新しい町で。

町は大都市の郊外で、

魅力あふれる田舎町。

 

私の新しい生活が始まる、

新しい仕事場で。

ここは見かけは古臭い工場、

中身はハイテク部品。

 

毎朝工場へ向かうバスで、

大きな川を渡りながら思う。

給料も悪くない、生活も故国とは

比べものにならない。

 

 

アパートも新しく気持ちいい。

交通の音が少しうるさいかな。

しっかりした情報システムも

構築して、いい経験を積もう。

 

私の新しい生活が始まる、

この新しい国の新しい町で。

あの西空の緑の山々の上に

大きな虹を懸けていこう!

 (2008.05.28.)

 

竹馬の友へ捧げる

鈴木忠男君の退職に当って

 

竹馬の友って、小さいころからの

友人は、私にはきみしかいない。

本当に得がたい友が、きょう

美しい5月に退職する。

 

お互いに戦後すぐの貧しかった

小学生時代。

なぜ、アメリカン・サーカスなどに

学校を挙げて行く余裕があったのだろう。

 

中学時代は数学部。豊田先生を

ふたりで、困らせたね。

千駄ヶ谷の津田塾に行って、

英語を習ったりしたね。

 

高校は名だたる受験校で、

模擬試験の結果が張り出される。

同じ中学から来た仲間が、

なぜか懐かしかった。

 

お父さんを亡くしても、がんばって

希望の大学に行けたね。

大学は別だったが、思い出は、

何といっても北海道旅行。

 

オホーツク海で同行4人が

フルチンで写真を撮ったね。

サラリーマン生活は

きみは選ばれて自動車関係へ。

 

私は自分で迷った末、

コンピューター関係へ。

その後、当時はインターネットが

なかったので。

 

お互いの連絡が途絶えた

時期も多かった。

きみは千葉県に住み、私は

東京都をはさんで南の神奈川県。

 

そちらはアメリカ西部へ、オーストラリアへ。

私はアメリカ東部へ、台湾へ。

でも、私はきみをずっと思って

時々思い出していた。

 

きょう、きみは退職を迎えて、

本当におめでとう! お互いに

まだ健康なので、ゆっくりと、

自由に、楽しく暮らそうではないか。

 

ブログもいい。ミクシィも面白い。

多彩な方面の意見を待っているよ!

 (2008.05.28.)

 

 

(続きは右上へ)

 

 

 

友よ、思い出しておくれ

大連を間もなく去る友人へ

Those Were the Days』と

神田川』の調べに寄せて

 

友よ、思い出しておくれ、あの楽しい日々を

我々がもう少し若く、隣りの国で一緒に暮らしていたころを。

 

その国は書き言葉は似ていても、話し言葉は

まるで違う国で、苦労しながらお互いに遊んだころを。

 

過酷な冬も我々長野県育ちには問題なく、春から秋にかけては

天国で、隔週土曜日に一緒に山へ登った日々を。

 

君は大黒山の岩場から転落して、大怪我かと思ったら、

背負っていたザックに守られてか、平気だったことを。

 

友よ、思い出しておくれ、あの光あふれる日々を

我々がもう少し若く、隣りの国で一緒に暮らしていたころを。

 

顔つきは似ているが、まるで違った気質のところもある人々と

何とか一緒に仕事をして、遊びもしたころを。

 

はじめ宝石はなかなか良さそうに見えたが、

しかし、それをなりわいにするのは難しい。

 

君は日本の資本も入れてソフトウェア会社を興して、

私は縁あって紹介された中国の会社で働いたころを。

 

君の会社も最近ついに私の会社が管理する地区に

来てくれて、本当にうれしかったよ。

 

友よ、思い出しておくれ、あの美しい日々を

我々がもう少し若く、隣りの国で一緒に暮らしていたころを。

 

君は日本料理に夢中になり、友人たちをしばしば

家に呼んだ。正月の大招待会は特によかった。

 

料理についての連載も日本語誌にして、

大いに楽しんだことも記憶にあるね。

料理と酒をやる君は、血管に支障をきたし、

大手術を受けた時には、大いに心配したよ。

 

そうしたおかげもあってか、私も最近いい中国の友人に

恵まれて、やっと中国料理を学ぶことができた。

 

 

友人が大連を去るに当たって

 

友よ、思い出しておくれ、あの希望にあふれていた日々を

我々がもう少し若く、隣りの国で一緒に暮らしていたころを。

 

君はカナダに長らく暮らして、私は米国で働いていたので、

そうした面でも、身近に感じたよ。

 

キリスト教会にもよく来てくれて、私は神様へ祈りに、

君は英語を話す様々な国々の人々に会うために。

 

こうした英語族へ料理を振る舞う度に、私は

しばしば呼び出されて、一緒に過ごした日々を。

 

 

友よ、思い出しておくれ、あのかけがいのない日々を

我々がもう少し若く、隣りの国で一緒に暮らしていたころを。

 

君は中国の西方のウルムチ、カシュガルへ

また北朝鮮国境の集安へ、みなを引き連れて旅行した。

 

近場の鉄嶺へ、遼陽へも行き、チベットと

アルタイ地方への旅行も計画したが、頓挫した。

 

黄海への釣りにもよく参加して、

獲物を一夜漬けなどの料理に用いた。

しかし、これらには私は参加していない。

 

でも報告書は楽しみで、よく読んだよ。

実は、君が旅行に連れて行く中国人パートナーとの関係が

前時代的と感じて、私は好きでなく、参加していない。

 

友よ、思い出しておくれ、あのすばらしい日々を

我々がもう少し若く、隣りの国で一緒に暮らしていたころを。

 

君は意思が強く、弱さを見せない、

女性たちも、どうやって接近できたのだろうか。

 

君は気も強く、宗教もいろいろ議論好きだが、

神様も、近づきやすいタイプだ。

 

そしてクリスマスの週に、君はこのすばらしい日々から去り、

故国へ、その後また多分新しい環境へ、旅立つ。

 

でも、覚えていて欲しい、一緒に過ごした我たちの思いと

神の愛は、今後も君といつも一緒にいるであろうと。

 (2010.12.21.)

 

注:上はここ9年来の日本人の大連先輩・岡田稔さん(新疆ウイグル自治区旅行記遼寧省集安旅行記を参照)がここを去る。上の詩を進呈した。(2010.12.19.)

 

 

不思議の国の老外

 

日本人友人(岡田稔)から「現代大陸浪人の詩

を書いてくれといわれて、「不思議の国のアリ

ス」にもちなんで書いたが、いつのまに外

国人教会DICFのことになった。

 

我らは老外(ラオワイ)、すなわち雇われ外国人、

または総経理、留学生、駐在員。

この不思議の国で奉仕していた、様々に

 

そこは東洋でも東の端の不思議の国、

音が上へいったり、下へ下がったりの不思議な言葉を話し、

かてて加えて象形文字をいまでも使う不思議の国。

 

国の北と南で言葉が違い、お互いに意味は通じず、

体格も習慣も気質もまるで違っていた。

それでもひとつの国としてまとめようと努力していた。

 

我ら老外からは連合国のように見えるが、

不思議の国はひとつの国語を定めて団結し、

唯一残る麗しの島を併合しようと頑張っていた。

 

我らは老外、すなわち雇われ外国人、

または総経理、留学生、駐在員。

この不思議の国で奉仕していた、様々に。

 

私は南のインド人、医学を学ぶ留学生、

この学費が格安の不思議の国に英語で学び、

故国へ帰り医者になる、国家試験を経て。

 

私は別のインド人、ITアウトソーシングなら任してね。

この不思議の国にも足を伸ばし、

世界の制覇を完成しよう。

 

ご存じ、我らは不思議の国と国境を接し、

過去にはドンパチをやった記憶も生々しい。

BRICsの主要メンバーとして競い合っていた。

 

我らは老外、すなわち雇われ外国人、

または総経理、留学生、駐在員として。

この不思議の国で奉仕していた、様々に。

 

紅軍と起居を共にしたベチューンの国が

私が故郷。そのおかげもあり不思議の国の

英語学部は長らく我が国民がリーダーを務めた。

 

政治的には対立する国が我が故国だが、

どうしたらそれと肩を並べるかを学びに、

我が国の評価は一般に高かった。

 

英語はやはり歴史ある、わが国に学びたい。

そうした希望は多くあり、

我が国の英語が評価されていた。

 

カンガルーとコアラの我が国も、英語は少し方言的。

そうした状況も、不思議の国では理解が進む。

農産物と資源の豊富さは、共感を呼ぶ。

 

かてて加えて北隣りの、一時政治体制を共にした

我が国の若者は、異質の言葉を学び、

将来は不思議の国と付き合う準備をした。

 

東隣りの北と南に分かれた悲劇の国も負けてはいない、

同じ民族の存在も武器に、多くの

老外が奉仕して、キリスト教さえ広めていた。

 

(続きは右上へ)

 

 

 

 

 

(左下から続く)

 

 

我らは老外、すなわち雇われ外国人、

または総経理、留学生、駐在員。

この不思議の国で奉仕していた、様々に。

 

一衣帯水の国、日の出る国が私の故郷、

日の沈むこの不思議の国にまかり来て、

総経理として頑張っていた。

 

私の仕事はまじめで、詳しいスケジュールに

基づいてやり、不思議の国の人たちの

おおまかなスケジュールと何とか合わせていた。

 

私は別の留学生、音が上下する不思議な言葉を

何とか学び、就職きびしき故国を離れ、

シャワーだけの寮生活に耐えていた。

 

耐えているものはもうひとつあり、

それは以前の侵略戦争を、不思議の国の

建国の敵として常に宣伝していたこと。

 

でも覚えておこう、いにしえの遣唐使の頃の

留学生の恩は、清末からいまでも続く

留学生の受け入れで返しているのだと。

 

我らは老外、すなわち雇われ外国人、

または総経理、留学生、駐在員。

この不思議の国で奉仕していた、様々に。

 

覚えていて欲しい。老外は男性だけでなく、

女性も多く居ることを。故国には活躍できる場は

少なく、この不思議の国で奉仕した。

 

不思議の国の女性はあくまでもやさしく、

男性はすばらしく雄々しく、老外の多くも

彼らと結ばれて、かの国に落ち着いてしまった。

 

我らは老外、すなわち雇われ外国人、

または総経理、留学生、駐在員。

この不思議の国で奉仕していた、様々に。

 

歴史は繰り返す、この不思議の国でも。

ローマ帝国と並んだ東のこの国も

多数の老外が活躍していた。

 

この国の北の民族に征服された時代にも

ざまざまな老外が活躍していた。自主独立を

旨とする現代も、老外は活躍を止めなかった。

 

この不思議の国では老外を常に必要としていて、

また不思議の国を離れても、老外は死ななかった、

ただ主舞台から去って、関係者の記憶に残るだけであった。 (2010.12.30.)

 

 

憶えている、この夏の星空を
       2008.08.07.高山村で一緒に

憶えている、この夏の星空を、
頭上に織姫、向こうに牽牛。
大都会の郊外の学園で、
ふたりで見ていたこの夜空。

きょうは日本で月遅れの七夕、同時に
中国の旧暦の七夕、オリンピックの前日。
牽牛が子供たちを、嬉しそうに
天秤で運んでいるのが見えるようだ。

あの春に、桜の花の並木を通る時も、
近くのプールに泳ぎに通った夏の午後も、
秋のけやきの紅葉の中も、
スケート場に通った冬も、

人を愛するのは、あれほど
力を感じるのを、はじめて知った。
でも、人生に輝く星があるのは感じて
いたが、まだ大部分は闇だった。

学園を離れ、世に出て、そして別れ。
ひとりは西へ、もうひとりは東にとどまり、
初めての海外でアメリカへ、家族と
混乱以前のヨーロッパの国へ。

お互いにどう連絡すればいいかは
分かっていたが、そうはしなかった。
冬のオリンピックのMPCでは、
会う可能性も多かった。

でも、それぞれの生活があり、
会わなかった。そして、いま断言できる、
忘れたことはなかった、あの学園での
幸せと愛の力強さを。

数十年経って、長い離別ののちの出会い。
この大きな天の川は、多くの輝く星に
あふれていることも分って、いまあなたの
そばで愛の強い力を感じる。

 

 

雪の片瀬山の森で

2014.02.14. 日本・藤沢市

 

珍しく続いて降った二度目の雪の中、私は北公園まで歩く。

車道は避けて、雪が厚く積もった

歩道を歩く、森を目指して。

 

公園の芝生の丘を

滑りながらも何とか上る。

次いで狭い道を、笹に積もった雪を

払いながらさらに登る。

 

そこは太平洋岸の大都会に組み

込まれた住宅街に残った緑の空間。

いまは大きな木の幹の黒と

一面の白さだけが残る雪景色。

 

山中の道を登山靴で注意して下って

私が大好きな檜の林へ。

眼を閉じて、風が林を

吹き抜けるのを聞く。

 

幼時を過ごした信州で見慣れた雪だった。

ひと冬溶けることがない雪だった。

それは、野沢菜と干し柿と

雪だるまとツララの冬だった。

 

別の道から帰ろうとして

見慣れた広場に出たので、

さらに進んで行くと、道に

迷ってしまい、不安がよぎる。

 

もと来た道へ引き返し、

多少残っている方向感覚で、

江の島を遠望できる見晴台を

やっと見付けて、安堵する。

 

北公園へ出てから安堵感からか

芝生の丘を滑り降りる時に、尻餅をつく。

公園に遊びに来ていた高校生たちに、

雪と風はさらに吹き付ける。

 

 

In the Woods of Katase Hill

2014.02.04. Fujisawa City, Japan

 

In the second snowfall within two weeks,

I go to North Park in my neighborhood.

I choose to walk on the sidewalk, covered by snow,

Toward the woods of Katase Hill.

 

I go up the sloping lawn of the park,

Trying to avoid slipping.

I then climb up the narrow path,

Among the snow on sasa bamboo leaves.

 

It’s the only green belt, surrounded

By the houses in the large city’s suburb.

It is now the winter scenery of

Large trees in black and snow in white.

 

I walk down the path carefully

To my favorite woods of hinoki trees.

Closing my eyes, I listen to the sound

Of wind that blows heavily.

 

It was the snow of my childhood in the northern countryside,

That did not go away all through winter.

It was the winter of Nozawa pickles and dried persimmons,

And snowmen and icicles.

 

Trying to return on a different path,

I come to an opening which I think I know;

I continue walking and suddenly feel anxiety,

Realizing I am lost in the woods.

 

I turn back on the path that I have taken

And with the remaining sense of orientation

Find the familiar viewing point of Enoshima Island over the Pacific Ocean,

Feeling relieved in this snow.

 

Getting back to North Park, I fall down

On my buttocks, out of my relieved feeling.

As the high school boys have come to play in the park,

Wind and snow continue to whirl on them.

 

 

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Created by Yoshi Mikami (三上吉彦 in Chinese/Japanese) of Asia Info Network. Please send your comments to mailto:yoshimikami@gmail.com. Created on June 27, 2017.  Last update on February 29, 2020.