汽車の旅 - Traveling by Rail - 铁路旅游

By  Yoshi Mikami / 三上吉彦

『飯綱山の初雪』(2012.11.21.)から

 

内容

アメリカ... 3

米国・ニューヨークの地下鉄と郊外電車... 3

米国・ニューヨーク~フィラデルフィアのAmtrak. 3

友人の米国・大陸横断鉄道の旅... 3

 

アジア.. 3

台湾巡礼中 高雄~花蓮 鉄道旅行... 4

中国・遼寧省大連~黒龍江省ハルビンの氷祭り.. 4

中国・遼寧省大連~黒龍江省漠河(中国最北端). 4

中国・遼寧省大連~内モンゴル通遼のナーダム.. 4

国・遼寧省 瀋陽~大連線 汽車の旅... 4

中国・遼寧省撫順へ旅行中 大連~瀋陽を高速鉄道で... 5

中国・福建省へ旅行中 福州~武夷山を汽車で... 5

中国・雲南省麗江へ旅行中 昆明~大理を汽車で... 5

 

日本・国鉄信越線 汽車の旅... 5

日本・国鉄 東京~九州/東京~北海道 汽車の旅... 7

日本・国鉄 東海道新幹線で東京~静岡へ行き沼津まで出張... 7

日本・国鉄 東海道新幹線で神戸~大阪~東京へ教育出張... 7

日本・国鉄 山陽本線で神戸~広島県福山へ出張... 7

本・国鉄 阪和線で大阪~和歌山へ出張... 7

日本・山陽電鉄 山陽線で神戸~加古川へ出張... 7

日本・JR 長野新幹線で東京~長野冬季オリンピックのサポート. 7

日本・JR 東北新幹線で東京~岩手県遠野/福島県磐梯高原へRail & Rental Car. 7

日本・JR東北新幹線で東京~北上市夏祭り・陸前高田・大船渡&青森県八甲田山... 7

韓国・ソウルの地下鉄で音楽会へ... 7

 

ヨーロッパ... 7

ヨーロッパ6か国出張中 イギリス汽車の旅... 7

イタリア鉄道でミラノ~ローマを移動... 7

フランス・パリ~ディジョンを高速列車(TGV移動... 8

ロシア・サンクトペテルブルク~モスクワ列車の旅... 8

 

 

アメリカ

 

米国・ニューヨークの地下鉄と郊外電車

 

米国の大学院へ2年間留学の時の夏休みか月間(1970年)、ニューヨーク市のマンハッタンのインターナショナル・ハウス500 Riverside Driveに住み、少し北の125番街駅125th Stationから地下鉄ブロードウェイ線IRT BroadwaySeventh Avenue Lineを利用して、国連本部の少し西にあったIBMワ-ルドトレード本部まで、さらに地下鉄か歩いて通った。またその15年後、北郊外のアーモンク(Armonk)に住み、普段は車で近くのホワイト・プレインズへ行き働いたが、その期間にひと月位その近くの駅(North White Plains)からメトロノース鉄道(Metro North Railroad)-ハーレム線でグランドセントラル駅まで行き、IBMニューヨーク営業所(590 Madison Avenue)までさらに地下鉄で通った。

 

米国・ニューヨーク~フィラデルフィアのAmtrak

 

私はニューヨーク市のペンシルバニア駅を何度か利用したことがあり、この上にマディソン・スクエア・ガーデンガあり、ビートルズの米国初演はここだったなと見上げた記憶がある。唯一の可能性としては、ニューヨーク州キングストンで働いた時にIBMグループの予測部署(Forecasting)を通してペンシルバニア州のフィラデルフィアのマーケット調査会社に仕事を頼んだので、その進捗を見にいった時にAmtakに乗って行ったと推察している。

 

友人の米国・大陸横断鉄道の旅

 

私は米国で中長距離列車に乗った経験はないが、小学校時代からの友人が2011年にアムトラック鉄道に乗りN..からS..まで5,500㎞のアメリカ大陸横断を達成した経験を綴っている。

 

アジア

 

台湾巡礼中 高雄~花蓮 鉄道旅行

 

中国・遼寧省大連~黒龍江省ハルビンの氷祭り

 

大連から冬に「氷祭り」を見にハルビンまで夜行特急で行く機会もあり、朝6時に目が覚めると、まわりはすべて雪に埋もれたタイガで、まるで映画「ドクトル・ジバゴ」の中のシベリアの情景のような中を列車が突っ走り、7時にハルビン駅に到着の直前に、タイガの松の木の間を朝日が上ってきたので、忘れられない光景だった。

 

中国・遼寧省大連~黒龍江省漠河(中国最北端)

 

中国・遼寧省大連~内モンゴル通遼のナーダム

 

中国・遼寧省 瀋陽~大連線 汽車の旅

 

大連に来てから7年間、中国鉄路瀋大線の大連~瀋陽の特急4時間の汽車の旅を3~4回したろうか。いまはもちろん、もう複線で電化されていて、2004年秋くらいから大連駅で往復切符を買えるようになっている。(以前は復路の切符は、向こう側でしか買えなかった。)大連駅へ入る時に荷物をX線チェックされて、2階の待ち合いホールから、階段でプラットホームに降りる。列車が大連駅を出て、金州駅近くで右手に大黒山が見えてきて、さらに大連広域市内の普蘭店、瓦房店、松樹駅で右手に老帽山が間近に見えて、いよいよ我々日本人が中心になってやっている「大連の山の会」が勝手に「大連アルプス」と名付けた山岳地帯に入るというのは多少ウソで、東北の平原に海抜1000m以下の山が時々見えるだけだ。

営口広域市に入ってすぐ、熊岳という駅の右手の小山、「望児山」の上に息子の帰りを待つ母の有名な石像が見える。しばらくして海城という町では(ここに大軍事基地があるという)、左に(西に)営口・盤錦・盤錦・錦州を経て北京に行く線路が分かれている。我々はさらに北へ進み、鉄鋼業の町・鞍山へ着いて、この駅に着く少し手前、線路の左手(西側)近くに馬の鞍に似た小山が見えるが、このために鞍山と呼ばれるようになったのではないだろうか。鞍山あたりまでは、周りはすべて畑で、トウモロコシやリンゴが作られているが、ここらあたりからは水田が多くなり、6月には田植え、10月はじめには稲の刈り入れが見える。遼陽などを経て、瀋陽の周回高速道路の下を通り、渾河を越えるといよいよ瀋陽で、汽車は瀋陽駅も止まるが、ここは小休止で、終点は戦後新しくできた瀋陽北駅になる。

瀋大線の特急は何本もあるが、毎日一往復だけ(大連駅11:34発T541、瀋陽15:35発T546)、日本の新幹線の列車に似た「長白山号」に乗れる。これは中国が開発して長春の列車工場で作った「中華之星号」で、通常4時間のところを3時間半で走るが、現在もう生産は中止されていて、中国高速鉄道用にはカナダ・フランス・ドイツ・日本の技術導入した列車を4つの工場で作っている。ハルビン~大連間の哈大高速鉄道を2011年までに完成するための起工式が、2007年秋に長春で始まっているので、こうした鉄道の旅も、しばらくすると大変化すると思う。瀋陽と大連は遼寧省の2大都市で、人の往来も頻繁にあり、もちろんバスでも4時間だが、私は乗ったことがない。飛行機では1時間で、初めて瀋陽へいった時に1回だけ利用したことがあり、道中上から見るとトウモロコシ畑が延々と続いているように見え、また瀋陽飛行場から市内に向かう高速道路上で、夕日が東北の大地に沈むのが見えて、まわりはすべて大豆畑で、大変印象的だった。

 

中国・遼寧省撫順へ旅行中 大連~瀋陽を高速鉄道で

 

中国・福建省へ旅行中 福州~武夷山を汽車で

 

中国・雲南省麗江へ旅行中 昆明~大理を汽車で

 

 

日本・国鉄信越線 汽車の旅

 

当時の国鉄信越線の汽車の旅について書いておく。東京から長野に行くには、1998年の長野冬季オリンピック直前にできた長野新幹線に乗れば、3時間後には着く。しかし、私の中学、高校、大学時代には直江津行きの鈍行列車(各駅停車の列車)で、上野駅から6時間くらいかかった。私はまず、国電で中央線中野駅から山手線上野駅まで秋葉原駅経由で行き、そこから8時か9時くらい始発の直江津行きの列車に乗った。急行とか特急列車もあったに違いないが、乗ったことはない。途中、家・家の都会を過ぎて、大宮とか熊谷あたりから畑が見え出し、利根川の鉄橋を超えて、高崎に着く前から「上毛三山」(上毛は群馬県のこと)と呼ばれている赤城山、榛名山、妙義山が見えてくる。群馬県出身のが一緒だと、これらの山は自然による侵食の過程を示していると、彼が得意になって、よく説明してくれた。

浅間山

浅間山

鈍行列車が横川駅に停まるところから、いよいよこの汽車の旅のハイライトが始まる。ここでアブト式と呼ばれる、スイスの山岳鉄道に利用された技術で、機関車の下に歯車が着いていて、鉄道の2本のレールの真ん中に歯車とかみ合う第3のレールが敷いてあり、それを使い碓氷峠を登って行く。そのための機関車を代えている間、みんなで横川駅名物の釜飯を買い、乗客はこれを食べながら、列車は連続するトンネルと谷を越えて行くのを見ると同時に、窓とデッキのドアをしっかりと閉めて、蒸気機関車の煙が列車内に入ってこないようにする。軽井沢に着くころは窓を開けて、右手の大きな浅間山を見上げて、ヒンヤリした信州の空気に触れる。そこからしばらくすると、御代田(みよた)という駅で、駅が高いところにあるので、一度後退するようにして駅に入り、それからまた前進するという「スイッチバック」という路線部分を通る。

小諸駅のあたりから、左手に千曲川が見えてきて、いよいよ信州の心臓部に来たなという感じがする。小諸城を左手の向こうに見て、しばらく千曲川に沿って列車は緩やかに下り、上田を通る。ここらあたりで、小布施の栗弁当を買う人もある。長野駅に着く前に、篠ノ井駅で松本線を合わせて、千曲川を渡り、ここが上杉謙信と武田信玄の川中島決戦の跡だ。長野で大勢の人が降りるが、私はさらに吉田駅(いまは北長野駅)、豊野駅(ここから飯山線が分かれる)を経て、3つ目の牟礼駅で降りて、そこから30分くらい歩いておじさんの家に行った。

その後1963年に、国鉄信越線の横川~軽井沢のアブト式路線は、緩勾配の路線にとって代られて、廃止された。また、JR長野新幹線が開通してからは、軽井沢~篠ノ井間は「しなの鉄道」が別経営で走るようになり、上野から直江津行きの直行列車は廃止されている。

 

日本・国鉄 東京~九州東京~北海道 汽車の旅

 

日本・国鉄 東海道新幹線で東京~静岡へ行き沼津まで出張

 

日本・国鉄 東海道新幹線で神戸~大阪~東京へ教育出張

 

日本・国鉄 山陽本線で神戸~広島県福山へ出張

 

日本・国鉄 阪和線で大阪~和歌山へ出張

 

日本・山陽電鉄 山陽線で神戸~加古川へ出張

 

日本・JR 長野新幹線で東京~長野冬季オリンピックのサポート

 

日本・JR 東北新幹線で東京~岩手県遠野/福島県磐梯高原Rail & Rental Car

 

日本・JR東北新幹線で東京~北上市夏祭り・陸前高田・大船渡&青森県八甲田山

 

韓国・ソウルの地下鉄で音楽会へ

 

 

ヨーロッパ

 

ヨーロッパ6か国出張中 イギリス汽車の旅

 

イタリアの鉄道でミラノ~ローマを移動

 

1984年の夏だったと思う、アメリカのニューヨークを出発して、イタリア、ギリシャへ寄り、日本へも寄ってアメリカへ帰る世界一周のの旅に出て、イタリアのミラノ~ローマのみを列車で移動した。

フランス・パリ~ディジョンを高い速列車(TGV)で移動

 

20076月末の2週間6月末に、2週間連れ合いとフランス東部・スイス西部旅行をしてきた。パリ郊外を観光するのに2・3日を過ごして、ある日の夕方パリの国鉄SNCF北駅(Gare du nord に行き、フランスご自慢の高速鉄道(TGV = Train à grande vitesseディジョンDijon, 第戎)行きの切符を自動販売機でVisaカードを使って何とか買えたが、多分ストライキだったのだと思う、窓口がすべて閉まっていて、多分イギリスのご婦人が手伝ってくれた。

 

翌日パリ北駅へ向かうのにタクシーが拾えず(パリではどうやらタクシーを予約しておくらしい)、業を煮やして地下鉄に乗って北駅へ着き、あの大きな箒のようになった多数のプラットホームで、どこの時刻にプラットホームで出発するかを電光掲示板で見て理解して、何とかTGVに乗った。高速鉄道といっても、在来線に高速電車を走らせているだけだった!列車がパリの街中を出るとすぐ田園風景が展開していて、白い牛を沢山飼っている牧場を見て、「これが有名な肉牛、シャロレー(Charolai)牛なのだろうか?」と考えているうちに、ディジョンへ着いた。そこからはレンタカーを借りて、まず市内とワインで有名なブルゴーニュ地方を見て、リヨンからシャモニーへ出てフランス・アルプスで遊び、スイスへ入りスイス・アルプスで氷河をみたりして、ジュネーブ車を返して飛行機でパリへ飛んだが、スイスで見た牛はほとんどが黒色で、大きかった。(2007.07.11.)

 

ロシア・サンクトペテルブルク~モスクワ列車の旅

 

20097月末から週間ロシア西部旅行をして、第9日目の夜、深夜00:20サンクトペテルブルク(SP)発の寝台夜行列車「メガポリス」に乗って、一路モスクワへ向かった。(チケットはSPの宿の人が息子にインターネットで苦労して買ってくれた。)宿の人がモスクワの友人を紹介してくれて、彼のところへ泊る予定。寝台車は寝台が2段になっていて、向かい合わせの4席が一室で、引き戸がついていて、寝ている時にはドアをロックしていた。深夜23:55発のクラースナヤ・ストレリャー(赤い矢)号が出発し、次に00:10発のエクスプレス、それから私のメガポリス号などのモスクワ行き寝台列車がいくつかあり、赤い矢号の出発の際には、先週シンフォニーで聞いたグリエール作曲の「偉大な都市にささげる賛歌」の音楽が流れたのが印象的だった。列車はモスクワのレニングラード駅へ09:07の定刻通りに着き、オレーグ(オレーグ・バレンチノーヴィッチ・マルコフ)さんが迎えにきてくれていた。

 

レニングラード駅で列車を降りた時に、プラットホームの前方に「МОСКВА」(モスクワ)と壁に大きく縦に書いてあるのを見つけて、この文字と前景に列車と乗客が下りてホームを歩く写真を撮ったら、出発・到着駅のホームに立って迎える例の美人の女性駅員にいきなり「駅で写真を撮ってはいけない。」と言われた。消せとは言われなかったが、後に飛行場でも出発機を撮ろうとしたら今度は乗客から同様なことを言われた。中国でも同じような制限があるに違いないが、今時そんなことをいうヒマ人はいないので、ロシア人は規律が正しいというか、劇場や博物館で外国人価格があるのでロシアは未開放だなと感じた(中国には外国人価格はもうない)。

 

友人の家へ2番泊まって、12日目の午後は友人の家で少し休んで、モスクワのレニングラード駅に行って、16:30発SP行きの特別急行列車に乗った。中央通路の左右にそれぞれ2席があるようなゆったりした列車で、ペテルブルグには予定通り22:30に戻った。列車内ではアメリカからのツアーの人たちと一緒になり、その中のミネソタ州から来たご夫婦と英語で話したり、隣のSP人と片言のロシア語で話したりした。アメリカ人ご夫婦の奥さんからは「休暇なのだから、パソコンで仕事などしてはダメ。」とたしなめられたが、これは仕事ではなくて、私の気晴らしだからと切り返した。SPのモスクワ駅に到着したとき、ちょうど車体に「セーヴェルナヤ・パルミーラ」と書いた列車も到着して、興味あったのであとで調べたら、これは黒海海岸のアドラー発で、ソチ、モスクワなどを経由してくる列車で、この「北のパルミラ」(パルミラは中東のオアシス交易都市)とはSPの別称らしい。 (2009.07.29.)

 

 

参照:

通勤

 

 

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Created by Yoshi Mikami on March 10, 2015. Updated on March 24, 2015.