Korea - 韓国

Korea

The Contents of Korea

韓国

韓国の目次

The Asian BBS Conference in Seoul 1991

アジアBBS会議@ソウル 1991

A Pilgrimage of Trust and Prayer 1997

韓国・信頼と祈りの旅 1997

An Extra Short Trip to Seoul, Korea 2009

韓国・ソウルへ超短期旅行 2009

最近大連の日本人の間で、日本へ行くのに韓国経由がはやっている。ソウルはインチョン(仁川)空港に着いて、スケジュールによってはソウルで一泊して、キンポ(金浦)空港へ移動して日本の羽田空港へ行くので少しめんどうなのだけど、JALやANAのバカ高い料金に比べて、とにかく安く、通常6千元するところを、4千元で済む。私は今回下の娘がマイレージを使っていいよということで、無料の往復だったが、私も帰りにソウルへ寄る気になり、2泊することにした。中国・大連滞在のこの8年間、そうしなかったのが不思議なくらいだ。

A.羽田空港の海外便 朝、家からガラガラと荷物を7分ほど引いて、5時半少し前の始発のモノレールでJR大船駅に行き、5:45発の湘南電車で横浜へ。そこで駅員に京浜急行の羽田直通を聞いて、少し待って、横浜6:17分発に乗り、蒲田駅で乗り換える必要はなく、6:42分にはもう羽田空港に着いた。羽田空港に来るのは何年ぶりだろうと思いながら(たぶん8年前にAS/400ユーザー・カンフェランス)、国際線乗り場を探したガ、分かりにくいところにあり、やっと第2ターミナルから無料の接続バスに乗って、まるでアフリカの小さな飛行場みたいなバラック建てに行った。立派なターミナルはいま建設中で、来年2010年秋にできるという。

ソウルへは、私はこれが3回目。1回目は20年くらい前に、パソコン通信の大会があって行き、オリンピック関係の施設でやり、ヨンサン(龍山)の秋葉原のようなところへ行った。2回目は10年くらい前で、教会の人たちとさまざまな教会を訪ねながら日韓の近代史を学ぶという旅行で、ソウル市内は3/1独立運動公園・市庁そばの聖公会大聖堂・南山公園のアンジュングン(安重根)記念館へいっただけで、観光地はほとんど見ていない。今回ソウルに寄ったもう一つの理由が、大連の教会での韓国人の友人が丁度旧正月休みでソウルへ帰っていたので、彼を頼っていった。

B.第一日目はソウルのイントロ キンポ空港には、友人Shim Yong Wooさん(申栄武 博士)が出迎えてくれて、彼の弟と車できてくれた。車はハンガン(漢江)の南側の自動車専用道路をさかのぼり、いろいろな橋の歴史を説明してもらって、まずはサンシル(蚕室)にあるロッテホテル・ワールドやロッテワールド遊園地の近くのホテル・レークへ向かい、そこが一泊12万ウォン(1万円くらい)は個人払いでは高いということになり、そこから少し東に離れたところで、オリンピック公園の正式入り口(地下鉄の夢村土城駅)の向かいのハンミ(Hanmi韓美)製薬ビルの裏にある、ビジネスホテル・アテネというところに行き、そこは2泊で12万ウォンだった。ビジネスの人も多いのだが、恋人を連れて車で乗り付ける人も多く、ソウルでは通常ビジネスホテルはラブホテルも兼ねていて、駐車中の車はすべてホテルがナンバープレートを隠していた。それでもさすがインターネット大国・韓国、こうしたホテルも各部屋にインターネットと接続したパソコン(大型液晶ディスプレイ付き)があり、私もそのインターネット・ケーブルを持参のノートパソコンにつなぎ換えて、自由に使えた。

昼食は、ロッテデパートのレストラン街の「ハンヌリHanwoori」で(この店は北京にもあるという)、私の友人、ロッテ・グループのある子会社の会長さん、大連の教会の韓国系米国人の牧師さんの4人で。牧師さんは、いま大連で陽光国際学校と英語で教育する学校を企画中で、その話があり、みんなで協力することにした。昼食代金は会長さんが払ってくれるのかなと思ったら、牧師さんが払い、まずい、韓国は米国と同じで、牧師さんは最大の敬意を払わないといけないのだと思ったが、後の祭りだった。

午後は、私の友人と彼の友人で日本語ができる人を通訳にして、江南区の大きな花市場のそばにある、お花をインターネット経由でオーダーして届ける会社(OK Flower)へ寄って、社長さんに会って、大連ソフトウェアパークの紹介もした。お花の国際的なオーダーはこの通訳さんが英語でやっているそうで、彼は韓国の南西端から北東端まで週末に何年かかけて歩いている最中で、ソラクサン(雪岳山、1708m)や他の山を地図で紹介してくれて、ソラクサンは秋の紅葉時期に登り、みんなでごろ寝を我慢擦れは山頂で泊まれるということで、いつかぜひ一緒に行こうというような雑談をした。お花をインターネットで届けるのは、日本にもJFTD,富士生花店、日比谷花壇、JFNなどがあるが、韓国では40社くらいがひしめいていて、韓国の方々はみんな見栄っ張りだからお花の需要も多くて、いい商売になるということだった。

夕方、この会社の社長さんが焼肉の夕食をおごってくれた。中国の朝鮮族の娘さんたちがウェイトレスでというのは日本と同様で、全体においしかったが、ブルーベリーの味が付いたワインも飲み、これは特にマッシソヨ(おいしい)。ただし、私が好きのユッケ(牛の生肉)は大連の味付けの方がよかった。夕食後、この日の昼食で会った会長さんがまた来てくれて、彼が我々男4人をカラオケにつれていってくれた。韓国語、日本語、英語の歌があり、日本語文字も中国の香港製ビデオのように間違いはなくて、音響もなかなかよかったが、韓国人の方々はひたすら画面を見て歌う習慣で、日本や中国のように、聴衆の方を見てジェスチャーもまじえて歌わないのが、少し違っていた。ビールは韓国産のCassかHiteで、普通だった。夜10時ごろ散会して、会長が送ってくれるはずで帰りかけたが、二人でもう一回カラオケへ行こうということになり、それが終わってホテルに帰ったのは、もう真夜中を少し回っていた。

C.第二日目はおもに市内観光 二日目は、午前中にタクシーで韓国ソフトウェア産業協会(Korea Software Industry Association)へ行き、そこの国際部の部長さん(曹永薫Cho Yong Hoon)を昼食前の30分間訪問して、大連のソフトウェア産業を十分説明した。午後は地下鉄でそこの江南区庁駅から乙支路入口駅へ行き(繁華街のミョンドン明洞のすぐ北)、途中日本時代の銀行の建物や鐘閣(鐘楼)の写真を撮ったりしながら、チョンゲチョン(清渓川)大通りあたりからブラブラ歩いて、YMCAの前を通ったときに、友人が

  • 韓国は以前田舎の農村だけだったが、日本が来て鉄道・港湾などのインフラを整えた
  • キリスト教、特にYMCAの役割が大きかった
という説を披露したので、拝聴した。(彼の父親は京都大学出ということで、割り引いて聞かねば...)。ついでに書くと、彼は農業博士で、私より3年くらい若くて、中国の東北地区でサツマイモを作り、北朝鮮に送るNGO活動をしていて、心が非常にいい。

そこから歩いてインサドン(仁寺洞)という韓国の伝統的なお店が沢山あるいまはやりのところへ行き、サンチョン(山村)という伝統料理屋で禅料理風の昼食。このあたりで歩いているのは、1/3くらいは日本人旅行客だった。さらに歩いて、キュンボックン(景福宮)という昔の宮殿へ行き、そこで15:45に偶然に衛兵の交代みたいな式(守門将交代式)に出くわした。ここは、前面にある日本時代の総督府が目障りだからといろいろ議論の末に最近取り壊したとこで、北の背後にプガクサン(北岳山)が見えるすばらしい景色のところで、私の見たところ、総督府はいい建物だったのかも知れないが、本当に目障りだったと思う。そこからはバスに乗り、トクスグン(徳寿宮)前のソウル市庁舎へ行き、これは大連にある関東州庁(いまの大連市役所)とそっくりで、左右に警察署と裁判所があるのも、大連とそっくりなのだが、いまみな外装工事中で、うまく見られなかった。そこで日本人ツアーグループに出くわしたので、韓国人ガイドの説明をもれ聞いたが、最近のサッカー試合の前にここでデモがあったとかのみで、上のような説明は一切なかった。

ここからはタクシーに乗り、途中あの文禄・慶長の役で水軍を率いて活躍したイ・スンシン(李舜臣)将軍の銅像、ソウル駅とその隣りのガラス張りの新駅(新幹線発着所)と、つい去年初めに気違いが火を着けて燃やしてしまった南大門の工事を車中から写真に撮り、三角地駅から地下鉄に乗り、2回くらい乗り換えて夢村土城駅へ着き、そこから歩いてホテルへ帰った。2日目の夕食は私がおごることにして、日本式牛肉のしゃぶしゃぶを食べた。鍋が海鮮と牛肉の2つの味付けに分かれていて、野菜も多くてよかった。

D.第三日目の朝、ソウルから大連へ 三日目の朝は、友人と会長さんが7:30に来てロッテホテルに送ってくれて、そこから10分おきに出ているリムジンで、丁度1時間かけてインチョン空港に着き、9:40発のアシアナ航空に乗り、50分後には大連へ着いた。ブルコギのような簡単な朝食が出たが、コーヒーはすみません出せませんということだった。実は、カメラを会長さんの車に忘れてきたのを、リムジンの中で気づき、インチョン空港で電話しようとしたが、うまくできなかったが、さっき大連へ電話があり、無事発見されて、来週友人が持ってきてくれるという。

これまで韓国へ寄らなかった理由は、韓国語ができないのと、ソウルをよく知らないからだった。今回の旅行で、ソウルの地下鉄にも慣れて(しかも65歳以上は無料!)、2つの空港の配置も分かり、有名な場所も大体分かったので、韓国語はこれから徐々に慣れることにして、これからしばしば韓国へ寄ろうと思う。特にソラクサン(雪岳山)には、いつかぜひ登ってみたい。 (2009.02.07.)

Another Short Trip to Seoul, Korea 2010

またまた韓国・ソウルへ超短期旅行 2010

5月、ハワイ行きの飛行機がソウル発・着だったので、去年春に続いて今年もこの火曜日から2泊の韓国短期旅行をしてきた。ソウルの南2時間くらいのテジョン市(大田市)という日本のつくば研究学園都市に似た場所(Daejeon Innopolisという文字が見えた)があり、そこの韓国電子通信研究院(ETRI)にいる科学者を訪ねてきた。ここはどうやら、以前の日本の電総研(いまの産総研=AIST)のような存在らしい。この韓国人科学者は日本の大学・大学院で「モット絶縁体」などを研究して、そこでも教え、1990年代に韓国へ帰った人で、その応用について日本の研究者とは違う分野を研究して、毎年アメリカ物理学会や日本物理学会でも精力的に発表している方。今回の訪問はそうした技術の工業化にどのくらい協力できるかを検討するに当って、その基礎知識を身に付ける目的だった。これ以外に、この研究所の中にはConvergence Components Laboratoryというところがあり、内部は見たわけではないが、韓国のIC関係企業(サムスン電子、ハイニックスなど)が共同で新技術を工業化直前に利用する施設だそうで、最近の韓国の半導体メーカーの強さの秘密の一つがこの研究所のようだった。

韓国滞在2日目は国立歴史博物館へ行きたいと思って韓国の友人とタクシーに乗ったら、2年前に景福宮からヨンサン(龍山)へ移ったという。そこへいってみたら、米国陸軍第八軍があったヨンサン基地(どうやら過去に朝鮮半島を占領したモンゴル軍も日本軍も朝鮮戦争初期の北朝鮮軍もすべてここを利用したらしい)から米軍が少し南のピョンテク市(平沢市)へ引っ越した跡地に、ここに近代的な国立中央博物館が建っていた。入場は無料なので、中央の吹き抜けの出入口に大勢の小中学生が集まっており、左側ウィングでは大英博物館との協力でギリシャ美術展があり(こちらは有料)、右側ウィングの一階が反時計回りに朝鮮(満州方面まで含めた大朝鮮)の歴史が時代別に学べるようになっていて、面白かった。残念ながら韓国の歴史上有名なものの知識がないので、これから韓国についても少々学んでみたいと思う。 (2010.05.13.)

Stopping in Seoul on a Japan-China Trip 2013

日本中国旅行途中にソウルへ寄る 2013

土曜日に成田を発って、インチョン空港に一泊して翌日大連へ。大連を出た時に成田への直通便が満員でアシアナ航空を使ったのでこうなったもので、ホテルからの迎えのバスを待っている時に「飛行機にKumho Asiana Group」と書いてあったので空港のデスクで聞いたら(「Kumho」というのは中国で自動車タイヤを売っている韓国の会社名)、延々と10分くらいかかってKumhoは漢字で「錦湖」と書くと調べてくれて、化学工業・貿易・航空業などを持つ財閥らしい。空港からバスで10分くらいの所にあるHotel Juneで(@空港鉄道の空港から2番目の駅Unseo雲西の近く)、何の変哲もない食・朝食付きの日本のビジネスホテルだった。11時にはもう大連の自宅へ着いた。(2013.11.16.-17.)

Stopping in Seoul on a China-Japan Trip 2014

中国〜日本旅行途中にソウルへ寄る 2014

4月、仁川空港近くに泊まる:月曜日に、成田を出て仁川空港へ寄った。隣の席には日本人でフィリピンへ行く人が座り、仁川は本当にアジアのハブ空港だと思う。搭乗中Financial Timesしか韓国語以外の新聞がなかったので、見ていたら、BlackRockだの、知らない会社が沢山載っていて、メリルリンチはいまBank of America-Merrill Lynchだという。空港を出て道路沿いに盛りを過ぎた桜が咲いていて、いまは黄色のレンギョウが花盛りだ。ホテルは仁川空港鉄道の雲西駅そばにあり、まるで監獄のような部屋だが1泊で夕・朝食も航空会社支払いで無料なのでどうでもいい。ホテルから駅まで歩いたところ、空気が冷たくて、ソウル市街地までは1時間半かかるようなので行くのはあきらめた。駅の向こう側に山があり「白雲山」(ペグンサン)だというから、次回は登ってみたい。 (2014.04.07.) 翌日の朝、仁川飛行場を発って、中国へ帰国した。第一印象は、大連の空気がきたなくなったこと。2年くらい前まではそうではなかったので、北京・天津あたりの悪い空気が押し寄せたのか。春の花は迎春花(黄色でレンギョウのよう)が主で、桜はまだ満開ではない。(2014.04.08.)

7月、ミョンドンに泊まる:この一年半ぐらい中国〜日本で、インチョン経由を使っていて、これが安くて予約が遅くまで取れる。帰り便は無料の一泊になるので少し韓国を見れるかなと始めたが、いつも空港近の航空会社指定の監獄のようなホテルに泊まってきた。今回初めてダウンタウンに泊まり、ホテル専用バスの出発が2時間後だったので、一般のバスに載せてくれて(6013路線だったか?)、あとで払い戻し(1万ウォン)をしてくれた。隣に座ったのが韓国の化粧品会社Amore Pacificのシンガポール支店に勤めるプサン出身の若者で、北京語の訓練を受けていて、シンガポールの写真集も出版している男で、感心した。繁華街・明洞(ミョンドン)のロイヤルホテルで、内装もホテル員も気持ちいい。「Vert Jardin」という、ガラス窓越しにすてきな小さな庭が見える1Fのコーヒーショップで、若い二人連れがいる中を独りで食べて、正調フランス語の店名は「Au Jardin vert」とすべきなどと考えた。夕食後近くへ散歩に出て、まず天主教聖堂へ寄って(ミサ中だった)、そこから明洞の歩行者天国を歩いて、2・3年前にソウルのインサドン(仁寺洞)へ行った時には日本人観光客があふれていたが、今回は中国語が沢山聞こえた。そこから小公地下街〜Lotte Dept〜Westin Chosun〜市庁広場〜英国大使館から、以前2回も行ったことがある聖公会聖堂まで行って(午後4時で閉まっていて残念)、帰路についた。ソウルのダウンタウンが少しずつ分かってきた感じだ。 (2014.07.16.)

11月、伝統的音楽舞踏会:水曜日に日本から中国へ移動する途中で、またソウルへ寄った。今回は仁川空港でホテル専用のバンが2時間後しか出ないので、1000ウォンで6015番バスに乗り、ミョンドンで下りて、イチョウが紅葉して真っ黄色にきれいになっている街中を5分位荷物をガラガラ引いて歩き、またロイヤル・ホテルに無料で泊まった。夕食を済ませて、今回は音楽会くらい行きたいと思ってコンシエルジェに聞いたら、4軒位隣に劇場があるという。行ってみると劇だけで韓国語は分からないから、またコンシエルジェに聞くと少し離れた所に「セジョン(世宗)文化会館」(世宗会館=Sejong Center for Performing Arts、東京文化会館に相当)で19:30から伝統音楽&舞踏の公演会があり、ソプラノ歌手の会と伝統音楽と踊り「楽しい私たちの会」があるとインターネットで調べてくれた。後者を選び、地下鉄で2号線の乙支路一街駅から乙支路四街駅へ行き、5号線に乗り換えて光化門駅で下りてすぐらしい。さっそく地下鉄駅まで歩いて行き、利用カード販売機では幸いそこに日本人がいたので日本語メニューで教えてもらい(ただし駅名は英語表記なのでホテルにあるソウル市地図で英語名称を調べておく必要あり)、千ウォン(+カード代五百ウォン)を払って利用カードを入手して、途中5号線から2号線への乗り換えもうまくいって、無事会場に到着。

伝統的歌と踊りの会は、このセンターの大中小ホールの中ホールで開かれていて、ほぼ満員だった。入場料は千ウォンで安く、伝統的楽器のオーケストラ(ソウル市国楽管弦楽団)の演奏、オーケストラ伴奏の男性の語り(成=ソン・シーヨン)、太鼓伴奏の女性語り(金=キム・ユルヒ)、ピンクの扇子を持った女性たちの踊り、太鼓を持った男性5人の演奏などがあり、言葉は分からなかったが、観客の反応を見たりして楽しめた。帰りの地下鉄ではカード代金五百ウォンを専用マシーンに入れて返してもらい、ソウルの地下鉄は乗り方をマスターしたので、もう怖くない。 翌日早朝には、ホテルの専用車で送ってくれて、朝食はサンドイッチをくれたので、車中で食べた。ソウルから大連へ着いて、飛行機の座席で隣りはインドネシア人の船員で、日本のMeiwa Maruにこれから10か月乗り組み、他の船員はすべて中国人だといい、半袖姿で飛行機を下りていったが、大丈夫だろうか。昼ごろさらに寒い大連飛行場に着いた。 (2014.11.12.)

Stopping in Seoul on a Japan-Chinan Trip 2015

日本〜中国旅行途中にソウルへ寄る 2015

冬1月の寒い日に、列車で成田空港駅に着き、途中千葉などで5分位泊まった時にはドアから寒い風が車内に入り、最悪だった。飛行機が1時間も遅れて出て、仁川空港へは夜の10時半に着き、ウス(雲西)洞にあるAsiana航空のJune Hotelでは何もする気が起こらなかった。翌金曜日にはソウルから大連へ着いて、飛行機の座席で隣りはインドネシア人の船員で、日本のMeiwa Maruにこれから10か月乗り組み、他の船員はすべて中国人だといい、半袖姿で飛行機を下りていったが、大丈夫だろうか。昼ごろ家へ着いた。(2015.01.15.--16.)

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Prepared by Yoshi MIKAMI on Feb. 7, 2009. Last update: Nov. 16, 2022.