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フランス語・ロシア語 – French and Russian – 法语和俄语

By  Yoshi Mikami / 三上吉彦

 

 

内容

フランス語の学習と使用... 1

大学でフランス語を学ぶ... 1

カナダのフランス語圏で遊ぶ... 1

出張でフランス語を使ってみたら... 2

旅行先でフランス語を使う... 2

ロシア語の学習と使用... 2

大学時代にロシア語を学ぶ... 2

ロシア民謡を歌う... 3

旅行でロシア語を習い使う... 3

その他の言葉と言語学も習う... 3

世界の言葉ホームページをインターネットに書く... 3

 

 

私は母国語の日本語や、その後かなり精通した英語中国語以外に、これまでいくつかの言語を習ってきた。その記録である。

 

フランス語の学習と使用

 

大学でフランス語を学ぶ

 

東京にある大学(ICU)で物理を専攻するかたわら語学に興味があり、いくつかの語学講座を取った。まず、フランス語。フランス語はおもにフランス語会話で、丸山圭三郎先生とか福井芳男先生から、上級フランス語会話までを習った。

 

カナダのフランス語圏で遊ぶ

 

米国ノースカロライナ州で働いていた時の1973年夏に妻と、はるばるカナダのフランス語圏まで小型自動車で行った。モントリオールを超えて郊外のきれいな湖のほとりに泊まり、長躯Lac Saint JeanLake St. John)まで行ったら車のモーターが調子悪くて、フランス語しか通じず、エンジンはle moteurというべきなのに「L’engine」しか思い付かず、説明して直してもらうのに苦労した。結局この旅行ではケベックシティーまで行ったが、ケベック州でスーパーに売っているものはチーズが豊富だとか海鮮類があったりとか(当時アメリカ人は魚類をほとんど食べなかった)フランス風で、米国のスーパーとはまるで違っていて、少しケベック・フランス語を研究すべく分厚い辞書も買ったが、少しも使う機会がなくて、40年後に中央大学に勤めるケベック・フランス語研究者へ譲った。

 

出張でフランス語を使ってみたら

 

米国に住んでいる時のヨーロッパ5か国出張で、フランスはパリへ初めて行った。パリのTCATのような所のそばにメリディアンホテルへ泊まって、フランス語で受付と話したら、流暢な英語で帰ってきた。フランス人はフランス語以外をしゃべりたくないというのはウソで、それ以来フランス語を学ぶ機会を失った。翌日は日曜日だったのでパリ観光のバスに乗り、おもに英語録音を聴いて、パリ中を回って、フランス語は使わなかった。

 

旅行先でフランス語を使う

 

中国に滞在していたころ、妻が2度のフランス旅行(東部2007年と西南部2008年)を計画してくれて、私はその前に久し振りにフランス語を勉強した。知り合いを通して大連師範大学でフランス語を専攻した卒業生に毎週2回ほど昼休みに会社まで来てもらい、会議室で3か月くらい中国のフランス語教科書で習った。おかげで2度のこうした地方旅行では英語を使えるフランス人はすくなくて、フランス語でスムーズにいった気がする。私が運転するレンタカーの自由な行動で、アルプス山脈ではシャモニーからスイスへ入ったり、ピレネー山脈ではカニグー山へ登ったりで、言葉が分かると本当に旅行も楽しかった。 2015.09.11.

 

 

ロシア語の学習と使用

 

大学時代にロシア語を学ぶ

 

高校時代に地学班(天文学は地学の一環で習った)に属していて、昼は太陽黒点の観察、夜は望遠鏡に写る月の絵を描いていて、ソ連がライカ犬を載せたロケット、ガガーリンが乗った有人宇宙船を飛ばしたりしたのに影響されて、私はソ連へ留学して宇宙開発でもしようかなと思い、ロシア語も一生懸命に学んだ。大学ではロシア語はそんなに教えていなかったので、代々木駅そばにある日ソ協会の学校へも通ったり、神田のナウカ書房などロシア語専門店へ通ったりした。しかし大学卒業時にそうした仕事には向いていないとのアドバイスを受けて、コンピューター会社へ入社して、普通のサラリーマンになり、ソ連のことはまるで忘れてしまった。 

 

ロシア民謡を歌う

 

私の中学・高校時代はアメリカに加えてソ連の影響も多くて、社会党左派や共産党の活動もいまよりずっと盛んだった。中国から帰った人たち、ソ連の抑留から帰国した人たちも多かったことが影響しているのかも知れない。中学校では日教組(日本教職員組合)の共産党シンパの先生が多かったのだろう、自習時間にはクラス委員(おそらく彼らの父兄が共産党党員だった?)がガリ版刷りのロシアの歌を配りだし、「黒いひとみの若者が」とか、「泉に水汲みに来て」とか、当時共産党など左翼系の人たちが熱心にやっていた「歌声運動」の一環で、ロシア・東欧民謡を歌ったりした。

大学時代にも、私は西部新宿駅前にあった歌声喫茶「ともしび」へ出入りして、居合わせた仲間と一緒になってロシア民謡を歌い、またナウカ書房あたりでソ連出版のロシア民謡集のLPを買ったり、ソ連赤軍合唱団の公演を聞きにいったりしたので、今でもロシア民謡が大好きでLPレコードも何枚か持っていし、現在新宿サブナードへ引っ越した「ともしび」へ寄るのも大好きだ。

 

旅行でロシア語を習い使う

 

しかし、中国滞在中にロシア旅行(2009年)を計画して、その前にまた大連師範大学でロシア語を専攻した卒業生に毎週2回ほど昼休みに会社まで来てもらい、会議室で3か月くらい中国のロシア語教科書で習った。おもにサンクトペテルブルクへ行き、そこで2回ほどロシア語も習ったが、モスクワにも2晩滞在した。大都会は大変きれいで、またシベリアへ行ってみたいと思う。 2015.09.11.

 

その他の言葉と言語学も習う

 

上に述べたフランス語とロシア語以外は、大学で中国語、ラテン語を習った。ラテン語はヴェルギリウスの詩集「アエネーイス」(Aeneid)を読もうとしたのか、よく覚えていない。これ以外に、大学では「言語学入門」の授業を1学期間取った。「Centum-satem isoglos」(ケントゥム語とサテム語)など、現在使われている言語からひとつの「先印欧語」(源インドヨーロッパ語、当時はProto Indo-European Language)を推察していく過程が面白く、言語学を専攻してもいいかなと思ったくらいだった。

またこれはごく最近だが、バリ島へ旅行にいく機会に、インドネシアで普遍的に話されているインドネシア語(とその片割れのマレーシア語)を少し習って、「サラマッパギ」(おはよう)などと言って得意になっていった。 (2015.09.12.

 

世界の言葉ホームページをインターネットに書く

 

1997年ごろ、インターネットの使用に慣れて、長野市に冬季オリンピックのために単身赴任した時に、「世界の言葉ホームページ」を立ち上げ、世界のおもな言葉の成り立ちを学んで、世界にも発信した。その後、このホームページは「Logos Home Page – 多言語Webサイト」と改名してこれまで習ってきた言葉の実践サイトとし、さらに英中日本語の本『Spring in Dalian / 大连之春 / 大連の春』(2013年、光陽出版)の母体となった。

 

参照:

世界の言葉をコンピューターとインターネットで

 

 

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Created by Yoshi Mikami on Sept. 12, 2015. Updated on Sept. 13, 2015.

 

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