ビザを替えて、会社を移る
2012年6月に日韓部の部長から話があり、ほぼ10年間勤めてきた会社(大連ソフトウェアパーク)を辞めることになった。中国では5年位前から外国人にも年金や健康保険の支払いが義務付けられて、そのため60歳以上、特に70歳以上の外国人には就労ビザが申請しにくくなり、ついに申請をためらったと理解した。本の出版を準備していたので引き続き中国に留まりたく(多分この件も会社へ原稿を見せて必要な修正をしたが、快く思っていなかったかも知れない)、急遽大連でひと月間ビザ延長の手続きをとって大連の友人たちに約束していた三峡下りの旅行へも参加した。8月には日本へ帰国して、友人たちから聞いていた東京・六本木にある会社(ウェストン ビザセンター)を通して2年間有効の商用ビザ(Fビザ=複数出入りが可能で6か月以内に出国する必要あり)を取った。その際、日本の会社で働いていて中国へ商用で出かける必要があるという手紙を準備したが、これは必要なかった。 (2012.09.01.)
大連開発区の工場を訪問
4冊目の本『大連の春』(英中日3か国語)を出版
a): 私の4冊目の本、英中日本語の『Spring in Dalian / 大連之春 / 大連の春』(東京:光陽出版社、アマゾンではここ、私のホームページではここ)が2013年2月に、日本で出版された。もともと大連の大学出版社から出るように2010年の12月から準備していたが、2011年6月にそれがダメになり、編集を大連高新園区にある友人の会社で日本の出版社の編集外注という形で行なっていたもので、私はほぼ毎日その会社へ出かけて、Adobe InDesign CS4ソフトを私も時々いじって、協力した。英語・日本語は自分で書いて、複数の友人に頼んで校正を見てもらったり、中国語は友人たちに手分けして翻訳してもらい、翻訳が不十分だったりなのでそれを指摘して再翻訳してもらいなどして、本の出版は2013年2月になった。 (2013.03.01.)b): 出版祝賀会。出版祝賀会・サイン会が米国・日本と中国で、何回か行われた:
- 米国の友人たちによる祝賀会@ハワイ・娘の家(2013.02.18.、孫の誕生会を兼ねて)
- 日本のおもにもとIBM社員による祝賀会@東京・コロボックル(2013.03.01.)
- 中国の友人たちによる祝賀会@大連・我が家(2013.03.09.、私の誕生会を兼ねて)
- 本の即売会@中国・大連のDalian IT Club例会(2013.04.25.、何徳・谷口さんの本とで3冊の即売会)
c): 大連の日本語雑誌のひとつ、月刊『Whenever大連』2013年4月号に載った「巻頭 Interview」で、『大連博倫徳電子有限公司 三上吉彦さん』として、この3か国語の本『Dalian / 大連之春 / 大連の春』を紹介してくれて、感謝している。また『Concierge大連』2013年4月号でも、小さな記事で紹介された。 (2013.04.01.) 英語雑誌『Focus on Dalian』2013年5月号で、C. Stambackさんが詳しく紹介(英語)してくれた。 (2013.05.01.)
d): 大連文学 大連の日本語雑誌のひとつ、月刊『Whenever大連』2014年9月号に特集「読書の秋、大連を読む!」(全5ページ、pp. 29-33)があり、全8冊が
のように紹介されて、また日本図書が読める場所として
- 松原一枝著『幻の大連』(新潮新書、2008)
- 鈴木スミ著『大連での悲しい思い出』(文芸社、2014)
- 鮎川哲也著『ペトロフ事件』(光文社文庫、2001)
- 清岡卓行著『アカシヤの大連』(講談社、1970)
- 司馬遼太郎著『坂の上の雲』(文春文庫、1978)
- 三上吉彦著『大連の春』(光陽出版社、2013)
- 西澤康彦著『大連都市物語』(河出書房新社、1999)
- 竹中健一著『大連歴史散歩』(皓星社、2007)
それにこの号の付録の「美食生活」には「日本語が読めるお店」が5店
- 在瀋陽日本領事館大連事務所の広報文化室(大連森ビル3F、8370-4077、2500冊とビデオ&CD)
- 永東書店(日本書籍販売専門店、上海路4号上鼎ビル915室:網通ビルの隣り、8259-4115、1万冊)
- 大連日本商工会の書棚(大連森ビル1F、8369-5639、1500冊)
も書いてあり、この雑誌の編集長・猪瀬和道さんでしかできないような総合的ないい特集だった。私の作品がこのように紹介されるのは、正直言って大変嬉しかった。この日は私の本『大連の春』の紹介が載るのを聞いていたので、やりかけの仕事(この本の電子版の作成準備)を放りだして、午後に高新園区から2時間かけて市内のラマダホテル(九州飯店)へ行き帰りして、この無料雑誌を多く置いているホテルのロビーから10冊失敬してきた。なお、また、この7、8月に夏休みの宿題のようにして集めてきた読後感想が優に100人を超えたので、これも一つのいい里程標としよう。 (2014.09.01)
- 「M-café」マンガ喫茶(市内、0411-8272-1979、コミックだけで1万冊)
- 「かっちゃん」お好み焼き(市内、8000冊、8280-1445)
- 「安ちゃんの店」coffee & bar(市内、微信:573-307715)
- 「隠れ家」串焼き(開発区、200冊、8782-2755)
- 「Chai」Café & Restaurant(開発区、2000冊、8763-8643)
日本人は1894/95年の初恋以来、大連に関して様々な書籍(最近はホームページ&ブログ)を出していて、「大連文学」(Dalian Literature)を作ってきたといってよく、今までは日本語だけであったので、私の今回の本はその一端を中国語・英語でも読めるようにしたという訳だ。そろそろ「大連国際作家クラブ」(Dalian International Writers' Club)を作って、数多くのブログ作家も含めて、お互いに研鑽するのもいいかも知れない。大連に関して、中国語の本では、
や他の写真集、大連紹介書籍などがある。英語、ロシア語の本は大連紹介書籍以外は見たことがない。 (2014.09.24.)
- 馬玉金『大連文化之旅』(大連出版社、2007)
なおその後、この本は増補版電子ブック(Kindle版)『Dalian in Spring / 大連之春』が英語・中国語簡体字・中国語繁体字・日本語の4か国語で発行されて、その読後感想はここ。 (2017年7月)
大連ITクラブ東京大会
中秋節2014と軽軌202路延長線
我が社(というより私は居候をしている会社)の会議室で、中秋節(09/08=旧暦8月15日)の祝賀会が開かれた。会議室に30人位が集まり、最近行われた新しい社員バッジをデザインするコンペの発表・表彰があり、みんなで月餅と西瓜を食べるだけだったが、社長の奥さんが担当した会で、社員への愛があふれているような会だった。 (2014.09.05.)9月8日(月)が中秋節で、私は旅順口区に住む友人に招かれて一晩泊まってきた。昼ごろ迎えに来てくれて、国道201号(旅順南路〜郭水公路〜旅順新港)を車で通り、渤海に面した和平広場へ2・3分の距離の家へ行き、夕方庭でBBQを食べた。子供3人も含めて一族郎党9人が集まり、その日は秋の清々しい天気で、夕方7時ころ満月が東の空へ登ってきた。旅順は街燈が少ない勢か、星空もよく見えて、ゆったりした時を過ごした。私は三峡旅行のお土産(三峡のお菓子と武漢のお菓子)を持参して、2歳児には黄鶴楼で買った風鈴をあげた。以前同じく旅順へ来た時に軽軌202路延長線に沿った国道201号を自宅近くまで車で送ってもらう時、これは本当にいい観光路線だなと思うと同時に、ふと旅順と大連市内の関係は横浜から第三京浜道路(または東急東横線)を経て東京へ、神戸から阪神国道(または阪急・阪神電鉄)を経て大阪への関係に似ているなと思っていたが、今回は翌日去年5月に完成した軽軌202路延長線に乗って帰り、203高地・旅順駅(旅順北路の水師営近く)・東鶏冠山・藍湾・龍王塘・老座山ダム・黄泥川(IBMがある)などを通り、開発区行きの軽軌に較べて、海あり、山ありの大変いい観光路線だと実感した。 (2014.09.08.-09.)
軽軌202路延長線に関して、上に書いた大連ITクラブ東京大会#3で簡単なプレゼンをした。がその後、大連の友人が日本語広告誌「LOOK」2015年2月号に特集「大連科技学院 橋本俊一先生と202延長線に乗って」を載せてもらい、彼もいい観光路線だと評価している。 (2015.04.04.)
2015年4月に中国を去る
月日は過客の如し、ほぼ14年間過ごした中国・大連を2015年に去った。この間に中国も大きく変わり、大連にも車が増えて、空気も悪くなった。4月に日本へ戻り、7月には米国ハワイへ移動した。
リンク:中国の会社で働く1、中国の会社で働く2、中国の会社で働く3、中国の会社で働く4、中国の会社で働く5
Changing My Workplace
Published My Fourth Book, "Spring in Dalian"
Moon Festival 2014 in Dalian & Lüshun
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