ジョギングと散歩

Jogging & Walking – 跑步和散步

By  Yoshi Mikami / 三上吉彦

『飯綱山の初雪』(2012.11.21.)から

 

内容

アメリカ.. 1

米国・ピッツバーグでジョギング.. 1

米国ハワイ島でジョギングと心身統一体操... 1

アジア.. 1

台湾・台北でジョギング.. 1

中国・大連でジョギング.. 1

日本・藤沢でジョギングと散歩... 1

パークラン(神奈川県)の経験... 1

ヨーロッパ... 1

イギリスで、フランス、スペイン旅行でジョギング.. 1

 

 

アメリカ

 

米国・ピッツバーグでジョギング

 

私は20才台の後半の1969年に米国の大学院へ行く途中に、大学の同級生・神沼二真がハワイ大学のEast-West Centerに勤めていた時に会い、その時に「ジョギングはいい運動で、米国空軍のケネス・クーパー(Kenneth Cooper)が『エアロビクス』(Aerobics1968年)という本を書いているので読むといい。」と勧められて興味を持ち、この本も買い、ジョギングを開始した。始め1マイルを走って、その距離を徐々に長くしたり、頻度を高めたりして、健康増進に努めるというものだった。

それで、大学院はペンシルベニア州ピッツバーグにあり、1年目は大学院で寮のMudge Houseから外へ出ると駐車場があり、自分の車を確かめてから少し準備体操をやり、信号でForbes Ave.を渡って、カーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)キャンパス内に入ってそこの芝生を走った。私の大学院は1番奥にあり、キャンパスの外にはシェンレイ公園(Shenley Park)があったが、そこは広大で少し危険なので走ってない。2年目は歩いて15分位のところのスクイレル・ヒル(Squirrel Hill)に友人Jim Chengと住んだので、そこらへんを走ったと思うが、詳しくは覚えていない。ほぼユダヤ人街と言われていて、そこにピッツバーグ唯一魚屋があり(当時アメリカ人は冬に冷凍して出てくる淡水魚Smerts以外に魚を食べなかった)、水曜日にはフレッシュと思われる魚が入荷したのを憶えている。

この後、アメリカ大陸には3カ所に住んだが、子育てに忙しかったのか、ジョギングをしたかはよく覚えていない。ノースカロライナ州は夏に凄い暑さで、ニューヨーク州の2か所は冬に雪と氷で、ジョギングをするのは困難であった。エアロビックスはもともと空軍少佐が始めたのでそう呼ばれていたが、いつの間にかおもに女性が優雅にも激しく踊る「エアロビックス・ダンス」のことになってしまい、少し悲しいというか、言葉の変遷に慨嘆している。(2015.03.07.)

 

米国ハワイ島でジョギングと心身統一体操

 

ジョギング:

ハワイ島ヒロで:2020年1月からハワイ島ヒロへ引っ越して、そこのジョギングをしている。この土曜日朝は近くをジョギング、二回り。ジョギング・コースは全体で8分位のコースで、Hale St.から出て、静かな住宅街のPunawai St.を反時計回りに、まず西へ緩やかな登りの静かな道を走り、Piihonua Well Station No. 3という下の井戸から水をくみ上げて貯めている巨大な水道用タンクで南へ向かい、すぐに小振りのガスタンク脇を通る。これはPropane Flammable “Holder Station”とあり、直径1.5m、長さ4m位の円筒形を横にしていて、この近辺にガスを供給していて、日本のように港近辺の誇大なLNGガスタンクから横浜市および近辺の市へガスを供給する方式とまるで違うらしい。ここでWaianuenue Ave.へ出て、これは旧州道200号線で車の交通が多いが、両側に歩道があるので安全だ。ここを東へ緩やかに下ると遠くにヒロ湾の突堤と太平洋を遠望して、704 Waianuenueの家の庭に水流が湧き出て日本風の庭園にしているのが気持ちよく見えて(こうした光景は乾燥地帯のカイルア・コナでは皆無だった)、Komohana St.との交通信号を過ぎて(ここから南へ曲がると州道2000から州道200でカイルア・コナへの道路になる)、すぐ位にHale St.へ戻るという、ほぼ長方形のコース。続いてこのコースを逆に歩いたら14分かかったので、ジョギングはほぼ倍のゆっくりした速度で、こうしてゆっくりだが心臓と身体へ適度の負担をかけるのはいい健康法と心得ている。ジョギングの前には、スクウォッティングを10回、天風会体操で苦手だった片足で立つ練習を各100まで数え、腕立て伏せ風(腕を完全には曲げない)を30回やっている。朝夕に毎日二回やるべきなのだが、いまの所一回で終わっているのが正直な処。(2020.02.29.)

 

ハワイ島カイルア・コナで:2015年の夏に米国ハワイ島のカイルア・コナKailua Kona)へ移住したので、朝と夕方の日課のジョギングコースを書いておこう。ここはハワイ島を作っている5つの山のひとつ(Hualalai山、海抜約2500m)の中腹約450mの地点なので、坂道が多い。そこで家の前のLoloa Driveを山へ(東へ)向かって30mくらい上るとHolu Streetがあり、これは山の中腹を南北に横断して走る比較的平らなコースなので、1mから5mくらい上下はするが、何とかそれに沿って走っている。まず北へ向かい、左(=海側)に赤・白・橙・青のブーゲンビリアの花と右に黄色のハイビスカスを見るが(プルメリアもあるのだがいまは開花の盛りを過ぎている)、朝は9時ごろになると右手の山の上から強い日差しがじりじりと照りつけるので、野球帽子のヒサシを右に寄せる。Alihilani Dr.を横切り、さらにMahilani Dr.を横切る時には左に南太平洋とハワイ新エネルギー研究所の太陽光発電の細長いガラス屋根がよく見えて(いま夏の終りの夕方はそこの右側へ陽が沈む)、そこを過ぎて真っ直ぐ少々下り、さらに少し登った所でもう登るのは止めて折り返す。

もと来た道を戻り、途中左手(山側)に大きなアフリカン・チューリップの木の橙色の綺麗な花も見ながら、もとのLoloa Dr.を超えて、さらにAhulani St.を超えると、いまツーバーフォーで建築中の家があり、そこからは南太平洋と左の方にカロコ公園とホノコハウ港が遠くによく見えて、さらにAhikawa St.を超えるとその道はKeokeo St.になり、少し登り下ると海側にハイビスカスがまばらに咲いている所で折り返し(そのまま行くと飛行場へ下る大きなKaiminani Dr.へ出るがそれ以上行くのは犬が吠えるので嫌いだ)、そこから折り返して、もとに戻るという大体1 mileのコースで、これを1回か、気分が乗れば2回走る。

走る時は道路の左側を走るのは、運転免許証を取る前の学習書に事故の場合に道路を歩く場合は左側を歩くことと書いてあり、こうすると車は右側通行なので後ろからハネられる危険性が少なく、このあたりは路肩が芝生になっているから、そこへ踏み入れる場合もある。途中で6羽の野生の七面鳥の家族に会うこともあり(どうやらこの辺りに定住しているらしい)、小さな雀位の黄色い小鳥(Yellow finch ?)をよく見る。道で出会う人があれば、お互いに声であいさつするのは、日本では知らん顔をしているので違うというか、日本では見ず知らずの人と路上で会っても挨拶しないので、それぞれの国の習慣を守っているということか。横切る道はすべて相手が一時停止なので、車の運転者へ譲ったり譲られたりする場合は、少し距離があるので手で挨拶している。 (2015.08.14.)

上を書いてからしばらくして、我が家近くのジョギング・コースを拡張した。すぐ上の南北道路のHolu St.を北へ向かい、坂の途中で引き返していたのを、この高度差20メートルくらいの坂を上のOluolu St.まで行って引き返し、南はKaiminani Dr.Dr.という名前だが飛行場へ下りる大きな道)まで行って引き返す、全部で25分のコースを試みてみた。 (2015.09.08.) 翌日は前日水泳もしていて疲れていたので、しっかりと歩き、35分のコースだったから、ジョギングも散歩も所要時間は大して変わらない!(2015.09.09.) この拡張したコースで時間を測ってみたら、Loloaの出発から坂を上がってOluoluから引き返すのが約10分、そこからKaiminaniを超えてひとつ先のIhumoe St.までが10分、そこからLoloaへ戻るのが10分で、全部で30分位のジョギング・コースだった。いまはハイビスカスが所によって赤、ピンク、白、黄と咲いて、大輪の花なのできれいだ。何しろ年相応のゆっくりジョギングなので、若い女性がどんどんと抜いていく。Oluoluの手前では日本語を碌に話せない日系人Jerryに会ってヒロから引っ越してきたと聞いたり、Ihumoe付近では娘と同じ四輪駆動車を持っている人が隣りの空き地のキアベの木を切り倒したあとの丸太をこの車で車道近くまで引いてきたりして、「An amazing car!」などと自画自賛して話しかけてくる。  (2015.09.2.) 

私がいる家の番号に近い73-113773-1138が少し離れたHolu St. @ Ahikawa St.の角にあるのを発見し、アメリカの比較的新しい地域でも、番号制度はうまくできてないのを実感。(2015.11.17.) 最近おばあさん(私はおじいさん)が比較的大きな犬を連れてゆっくり歩いているのに出くわすので、坂を下りる時に立ち止まって話しかけたら、父親は山口県大島の出身で、彼女も弟もアメリカ生まれだが、弟は親類の葬式で日本へ帰った時に選挙をしたら米国籍を失った、などの日米戦争中の話をしてくれてりした。 (2015.11.23.)

 

心身統一体操:

「天風会」ハワイ支部:この支部の心身統一法の会の早朝体操会に、ハワイでの生活4年目(2018年)から参加している。日本へ初めてヨガを紹介したという中村天風が始めた会で、ハワイでは毎朝7時(5月~9月は6時半)に「Blue Park」(Puapuanui St.)の野球場で約40分、体操と宣言をみんなで唱和して、やっている。ハワイ支部は日本の鎌倉支部の延長として設立されたもので、参加者は毎回5人位で、旅行者が参加する時は10人くらいになる。体操・宣言が終って、ダウンタウンのコーヒーショップへ行く時もあり、日本人たちのいい情報交換会になっている。中心になっているのは、神戸から来る天風会師匠の南方哲也・和子さんと地元の藤田豊・紀子さん、田所耕一さんなどで、餅つき大会や歓迎会などは後二者の家へ集まる。(2019.12.01.) 

 

「天風会」鎌倉の会この支部の活動に、日曜日藤沢市の我が家の比較的近くの江ノ電・江の島駅から湘南の海を見ながら簡単に行けるので、早朝8時から参加した。まず体操は妙本寺といい、頼朝の子供の乳母で足利氏により滅ぼされた一族の敷地で、当時盛んだった日蓮宗の寺だったために生き残ったという歴史ある寺の大きな谷戸にある感じの所で行われ、そこの本堂の手水の脇のカエデの木陰に30人くらいが参加しただろうか。行きには30分もかかって探したが、簡単な行き方は若宮大路の郵便局・スルガ銀行の間の小道へ(東へ)入り、右手の本覚寺(同じ日蓮宗だ!)へ入ってその正門を出て滑川を渡ると、真っすぐ前の道の向こうに妙本寺がある。続いて9時半から鎌倉商工会議所(JR鎌倉駅西口にある市役所の向かい)の会議室で「行修会」が行われて(鎌倉代表は天風会本部へ出張中)、講師が寺崎守孝さんで、ひとりマッサージが寺崎しずさん(鎌倉の副代表)で、ケーススタディーでグループ議論もあって(やっと一つのテーブルを見つけた混んだレストランで、ウェイターが頼んだビールも料理もなかなか持って来なかったらあなたはどうする?)、ハワイへ行ったこともある竹内美穂さんに会ったりして、なかなか面白かった。

以下は、その時の私の携帯へ入れたノートから:

鎌倉商工会議所102会議室

1.寺崎守孝講師:

クンバハカ(肩の力を抜く下腹肛門)

養動法

安定打座=無念無想<-多念多心-集中=一心

2.寺崎しず鎌倉副代表:

ひとりマッサージ

3.寺崎守孝講師:

 (会報『志るべ』9月号の「暗示の分析」について)

心身統一法(積極へ)

    体操、養動法

感応性能の積極化

安定打座

1、観念要素のこうかいほう

2、積極観念の養成法

a、内省検討

b、暗示の分析

c、対人精神態度

d、取り越し苦労厳禁

e、正義の実行

3、神経反射の調整法 (2019.08.04.) 

 

アジア

 

台湾・台北でジョギング

 

1990年に台湾・台北で暮らした時にも少しやったが、何しろ暑いのであまり意気が上がらなかった。アパートは台北市の北郊外で中山北路の北はずれにあり、そこの広場あたりを走っていた。4月になると外はもう暑くて、梅雨が7月まで続く。6月には広場でライチーが売られていて、初めて食べたがそれはおいしかった。会社でアメリカン・クラブの会員権をくれたのでおもに妻とテニスをしたり、子供の図書を借りたりしが、その敷地をウロウロ走り周りもした。

 

中国・大連でジョギング

 

私は2001年から14年間、中国の遼寧省大連で生活して、始めはジョギングも市内の実験小学校の校庭などで200メートルくらいがせいぜいで、あまり真面目でなかった。2回目の引っ越しをして、中山公園の交差点向かいのビル(万達華府)に住んだ時頃から、公園には1周1キロの歩道があり、まじめにジョギングをやりだして、ひまさえあれば1キロ~5キロを走っていた。余勢を駆って、20084月にはANA協賛の大連マラソンの5キロレースにも出て、当時は人民広場の南から出発して、そこにあった大連運動場の中のトラックがフィニッシュで快適だった。翌年と翌々年は出張などで参加できず、その後は大連マラソンが開発区へ引っ越し、フル・マラソン以外はなくなったので、参加していない。

2010年から西郊外の大連高新園区へ引っ越してからは、そこが珪谷暇日(Silicon Valley Resort)という住宅地だったので、そこの後ろの急坂を反時計回りに回って、走っていた。時には七賢東路(路面電車の万達広場の道)を海岸寄りへ走っていって、海岸の丘へ登るのも楽しみだったが、ここは常に建設用のトラックが行き来していて埃が舞ってすごかった。

 

日本・藤沢でジョギングと散歩

 

Aコース:2001年の退職の少し以前から始めていて、特に大連時代に神奈川県藤沢市の家へ帰ると、一生懸命ジョギングをしていた。コースは、家を出て、まず近くの公園(西公園)から急坂を下り、反時計回りにもとの公園で帰り(これは最近追加した出だしの寄り道)、そこから近所の人たちが「富士見坂」と名付けた坂を下りながら、特に晴が続く冬は鵠沼から大磯を眼下に、遠くに左から伊豆半島、箱根、富士山、丹沢山塊を眺めながら走り、もう一つの公園(南公園)の脇を通って、白百合学園のそばを通り、バス道を超えて、大船~江の島へのモノレール片瀬山駅のそばを駆け抜けて、3つ目の公園(東公園)のそばまで行き、もとの自宅へ戻るという、大きく反時計回りに走る1.5キロ(1マイル)である。

 

Bコース2020年初頭の新コロナウィールス騒ぎでハワイから日本へ帰り、すぐ上を散歩「Aコース」と名付け、散歩「Bコース」を追加した。コースは、家から西公園(海抜54.5m)を経て、すぐ下へひとやすみ広場」を経て(または、富士見坂と南公園を経て片瀬2丁目(13.5m)へ下ってからまた82段の階段を登って)、47段を降りてバス道を渡り、140の階段を一気に片瀬山1丁目(39.2mへ上り(オプション:片瀬山憩いの森から上がる)、海洋公園あたりから引き返して(オプション:鉄塔の場所へ登り新林公園へ入って北公園へ出る)、北公園(52.3m脇を通り(オプション:新林公園へ入り江ノ島を望む展望台へ寄る)、そこからスーパーYamaka・片瀬中学校40.1mを経て、元へ帰る時計回りのもの。(2020.04.07., 07.22. & 12.10 update)

 

Cコース:自宅から西公園・富士見坂を経て、旧江の島参詣道へ下り、モノレール江の島駅、龍口寺、龍の口商店街で買い物:上州屋・高清・鈴傳・豆腐屋など。(ここで江の島東海岸へ行くオプションあり。)そこから折り返し、国道467号線に沿って藤沢駅方向へ片瀬郵便局などを経てずっと歩いて、片瀬山入口(スーパーFujiからパン屋Pinyを経て、坂を上がり、片瀬中学前から自宅へという散歩コース。(2010.04.15.)

 

Dコース:自宅から湘南白百合学園の下の門へ下り、モノレール目白山下駅へ上り、片瀬山公園へ。公園の一番奥の龍口寺の五重の塔が見える所から引き返し、モノレール直下の道路を片瀬山駅方面へ上り、片瀬目白山交差点で左折して、帰宅する。(2021.05.23.)

 

藤沢駅コース:藤沢駅へはよく行くので、書いておこう。急坂・階段を下りて、バス道の新屋敷橋で境川を渡り、右岸の緑道に沿って文化会館を越えて、ヨーカドー脇を通り、駅前広場へ。片道歩いて35分。

 

鎌倉広町緑地コース:行き帰りにモノレール片瀬山・西鎌倉駅を超えて歩くので30分かかるのだが、「谷戸」(やと)と呼ばれる地形を見事に生かしている公園(以前、孫たちを連れてホタルを見に何回か行っている所)。御所谷(ごしょがや)入口広場から外周コース2〜3キロを反時計回りに、小川・田んぼ、石切場、相模湾眺望、富士見坂を超えて、元の入口広場へ戻って、また歩いて帰宅する。記録:《0905出発、915モノレール片瀬山駅、西鎌倉改革派教会、925西鎌倉駅、ガストで左、五郎丸橋で二俣川を渡り、940鎌倉広町緑地入口広場、左の小川・田んぼに沿って外周コースを反時計回り、1000石切場、鎌倉山入口、浄化センター入口、外に七里ガ浜小学校が見える、1035相模湾眺望、びわの木、1040七里ガ浜入口、1050富士見坂/室ヶ谷入口、1105小竹ヶ谷入口、1110御所谷ごしょがや入口へ戻る、1115公園を出発、1125ガストで牛カルビ焼きごはん目玉焼き添え9891200、西鎌倉・片瀬山、1230帰宅。》(2021.05.24.)

 

鎌倉中央公園:モノレールに乗って湘南町屋駅へ行くので行き帰りが遠いのだが、「谷戸」を十二分に生かした自然公園。公園入口から左の上池・下池を過ぎて、小川に沿って反時計周りに散策路を歩き、田んぼを見たりして、東出口付近では山に登り、降りて広場に戻り、疎林広場へ上り下りて公園入り口へ戻り、2〜3キロの外周路散歩が楽しめる。記録:《905出発、915モノレール片瀬250円町屋9257-11前の坂を登り6番通りで左へ清水塚入口950(京急ハス鎌倉駅西口へ毎時2本)、上池下池、小川に沿って反時計回り、1010広場、山崎の谷戸の田んぼ12枚、梅林、1020散策路東出口、坂を登る、ウグイス、1030頂上、1035田んぼへ出て広場へ戻り、左へ登り疎林広場へ10451100入口、1105歩く、1120町屋駅、1155帰宅。》(2021.05.25.)

 

江の島コース:江の島旧街道、スバナ(洲鼻)通り、江の島大橋(途中に東浜・西浜間地下道)を経て、江の島(350人が居住、片瀬小・中学校)の広場(バス停・モース碑・トイレ)に着く。江の島アイランドスパと貝作で(左へ行くと、ゑびすホテル、Moke'sハンバーガー、ヨットハーバー&湘南港、かながわ女性センター)、真っ直ぐに大商店街(岩本楼・郵便局など)を通り、大鳥居前で左へ登り(男坂、江島神社辺津宮をスキップ)、児玉神社、エスカー乗り降り口いくつか、ヨットハーバー・小動岬などを見下ろして「御岩屋道」(外周道)を通り、中津宮、山ふたつ(西山と東山に分ける断崖絶壁)、コッキング苑・展望台(南端)・観光塔Sea Candle、小商店街(中村屋など)、奥津宮・龍恋の鐘・トイレを経て、魚見亭・富士見亭・見晴亭を下って、岩屋洞窟、船着き場まで。小商店街へ戻って、中村屋で羊羮を買って、左折の近道(女坂)をして、大鳥居へ戻って、帰宅、2時間。(2021.05.18.)

 

パークラン(神奈川県)の経験

 

「パークラン」Parkrun)は、イギリス発祥の毎週土曜日朝に行われるジョギング&ウォーキングのイベント。

   写真アルバムはFacebook3Kwalk. Parkrun in Kanagawa, Japan

 

辻堂でパークラン:土曜日、早朝6時半に家を出て、辻堂海浜公園へイギリス発祥のジョギング&ウォーキングのイベント「パークラン」に行ってきた。同じ市内なのだが、いい直通バスがないので、藤沢駅まで35分歩き、隣の辻堂駅まで5分電車に乗り、そしてまた20分歩いてこの公園の「サザン・セール」(Southern Sails)というシンボルマークに集合。初参加の人たちへ解説があり、総勢35人位の参加で(内ボランティアが15人で多い)、みなさん8時出発でジョギングをしたが(4x1.25キロコース)、私だけはウォーキングで、5キロを56分台で歩けたのは、この週は火・木に「柏尾川沿道を歩く」を2回して準備運動をしていたおかげ。後で私の結果は今日は1回目のparkrun参加で、辻堂海浜公園パークランの第1回で、17着の男性で、VM80-841位でした。」というようなメッセージを貰い、この日の年齢別評価新記録だった!

https://www.parkrun.jp/results/newcategoryrecords/

お互いの連絡はFacebookでやっていて、我々老人の参加はほぼ皆無のようだ。(2021.06.05.)

 パークラン4回目、辻堂で2回目は、梅雨が明けて夏の快晴の天気で、1日中暑い日だったが、、ウォーキングで4周目の後半をジョギングで、5229秒だった。最後尾の伴走者の徳永さんから、彼の娘さんは北アイルランドに留学中にパークランを知り、辻堂のイベントの創始者の一人だという話を聞いた。また、イギリス人のJon150回目のパークランで表彰されて、AshleyKaizen Runner でブログを書いているという話。(2021.07.17.)

パークラン9回目(辻堂で7回目)は、11月朝寒くなって行われて、最近は家からバスで藤沢駅へ行き、そこの北口から藤沢団地行きに乗り、高砂小学校前で降りると、10分で辻堂海岸公園の正面入口へ着くのが分かり便利になった。7回目(辻堂で5回目)の参加で得た4618秒はなかなか敗れないが、特に気にすることはない。今回も前回もTail walkerをしてくれているが厚木の若者で、南アフリカでパークランを経験したといい、パークランはやはり英連邦の国々で盛んなようだ。(2021.11.13.)

 

大磯でパークラン:土曜日、朝早く家を出て、大磯のパークラン5kmに行ってきた。大磯運動公園というJR大磯駅からバス(磯14:馬場ばんば経由二宮行き)で行く所にあり、現場到着に手間取った。20人位が参加していて、コースが800メートルの平坦地に加えて駐車場への上下するコースだったが(1x860m グランド + 3x1,393mグランドと駐車場へ往復 = 5,039m;途中で遠くの大磯プリンスホテル越しに相模湾と箱根・伊豆半島の山々が見え、河津桜と「おおいそ小桜」の若木が植わっているいいコース)、先週の平らな辻堂海浜公園で59分に対して54分で、

https://www.parkrun.jp/oisoundokoen/results/latestresults/

上下する所の歩き方のコツを会得したので、大いに短縮だった。(2021.06.12.)

 

馬堀海岸でパークラン:梅雨が続く7月の土曜日、早朝晴れの模様なので、横須賀市馬堀海岸で行われたパークランで5kmウォーキングに行ってきた。世界的なネットワークの中で、私は神奈川県での辻堂と大磯は6月に参加しているもので、今回もシニア8084クラスで5310秒で、1位だった:

https://www.parkrun.jp/maborikaiganyuhodo/results/weeklyresults/?runSeqNumber=21

JR横須賀線で、逗子から京浜急行を金沢八景へ行き、そこから浦賀行きに乗換えて、横須賀中央経由で馬堀海岸駅までの不慣れな路線を行った。また、集合場所が定かでなかったが、電車の中でパークランに参加する親子連れに遭って案内してもらい、助かった。曇り空が晴れて、すごい暑さの中で、沖合に猿島と大型船が通るのを見て、太刀魚漁が盛んに行われているのも見える初夏の海岸で、ボトルの水を飲みながら、大いに汗をかいた。(2021.07.10.)

 

2022年のパークラン:その後の辻堂海浜公園での参加は、2021年の冬は寒いのでサボっていたが、2022年の春4月末の10回目参加から再開した。5月はこの公園へいったらボランティアが充分集まらないのでキャンセルが2回あったので、参加11回目の6月11日は初めてボランティアとして参加し、4人のコースガイドの一人を勤めた。その後は普通の参加者として、ほぼ毎週土曜日、始めの3周は歩き、最後の4周目は走るようにしている。(2022.06.18.) あさ6時過ぎに家を出て、辻堂海浜公園へパークランに。記録は、00:51:27。帰りにまた公園近くの牧野青果店へ寄り、アメリカン・チェリーと枝豆を買い、枝豆は正解だった。(2022.06.25.) 7月最初の土曜日、6時半に家を出て、8時から辻堂公園でパークラン。快晴の暑い日でも、三周を歩いて四周目は走ったが、記録は00:49:15で遅い方だった。帰りがけに青果店で信州産のアンズを2袋買って、藤沢ではヨーカ堂でマヌカ蜂蜜を買い、海からの南風が涼しいので途中でアイスモナカを食べて家まで歩いた。そうしたら、やはり疲れていたのだろう、炎天下を30分歩いて帰宅時に玄関でつまずいて、右手にスマホ・鍵などを持っていて、特に左手はザックを下そうとしていたので両手が伸びず、左側顔面を打ち付け、鼻と鼻下から血を流す始末。次に、風呂場では不覚にもすべり、ここでもまた転んだ。(翌々日神経外科医でCTスキャンとX線検査をやってくれて何事もなかったが、やれやれ、パークランもいいが、度を過ぎた運動は辞めよう。)(2022.07.02)

 

ヨーロッパ

 

イギリスで、フランス、スペイン旅行でジョギング

 

ヨーロッパのイギリス旅行フランス東南部旅行西南部旅行スペイン旅行ロシア旅行した際にも、ジョギングは少々している。ただし大部分は自分でレンタカーを運転するなど忙しい旅行だったので、それで疲れていたからか、ジョギングした例はよく覚えていない。その代り、アルプス山脈やピレネー山脈の山へ登ったりしている。 (2015.10.05.)

 

 

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Created by Yoshi Mikami on March 7, 2015. Updated on August 22, 2024.