Japan: 8 Kyushu-Okinawa Region - 日本: 九州・沖縄地方

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8. Kyushu-Okinawa Region

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目次

8. 九州・沖縄地方

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8. Kyushu-Okinawa Region

8. 九州・沖縄地方

Nagasaki, Kumamoto, Oita, Miyazaki and Kagoshima Prefectures

長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島県

A Summer Vacation in Six Prefectures of Kyushu, 1963

夏休みに九州六県を旅する、1963

最初に九州へ行ったのは、大学4年になる直前の春休みの九州旅行で、小中学校からの友人である鈴木忠男くんと長野隆くんとで、当時国鉄が1か月有効の九州周遊券を出していたのでこれを利用して、あらかじめ各地のユースホステルを葉書で予約して九州旅行へ行った。東京からまず長崎へ行き、熊本、阿蘇山、湯布院、青島、霧島などを経て鹿児島へ行き、そこから船で種子島まで渡って、そこの最南端にある鉄砲伝来碑を見た。当時沖縄の日本返還は1972年なので、当時そこが日本のほぼ最南端だった。北海道旅行も参照のこと。

Fukuoka Prefecture

A busines trip to Kita-Kyushu City 1968

福岡県

北九州へ出張、1968

2度目に九州へ行ったのは、神戸時代に住友金属工業の和歌山製鉄所にIBM 1050端末システムを導入することになり、福岡県北九州市にある八幡製鉄所で同種のシステムを使ってもらっていたので見学にいったもの。博多駅近くの飲み屋街「中州」とはどういうところか見に行ったのだけしか覚えていない。

Kumamoto & Miyazaki Prefectures

A Trip to the Imperial Family's Homeland 2020

熊本県・宮崎県

天皇家のふるさと訪問の旅、2020

2020年晩秋、夏に妻が図書館から借りてきた梅原猛著『天皇家の”ふるさと”日向を行く』(2000年)に影響されて「天皇家のふるさと訪問の旅」へ出かけてきた。

旅行1日目(日)、早朝家を出て、羽田飛行場へ。熊本飛行場へ飛ぶ途中左側の席に座り、房総・三浦半島、浜名湖、渥美半島、淡路島と本四三架橋、佐多岬半島がよく見えて、阿蘇山の根子岳がゴツゴツしているので認識。バジェット・レンタカーで阿蘇の外輪山を周り大観峰936mで散歩。阿蘇神社は先の熊本地震で壊れたので改築中で十分見れず。南阿蘇の休暇村で宿泊し、夕食後に星空観測会で木星・土星・火星などの位置を説明してくれて、白鳥が織女・彦星を抱えながら天の川を舞う姿が見えた。記録:《11.08.日 藤沢~羽田~熊本~阿蘇山 715出る、130モノ、747東海道線、横浜から815京急羽田行き急行|第1&2ターミナル駅、905搭乗口1、9:50 Jal627 羽田発 737-800 3&3 seats、ジュース、11:40 熊本着、12:00 バジェット・レンタカーDemio古い57,000kmの車、(溶岩石窯ピザ轍0967-48-6011)、1415大観峰(遠見ヶ鼻)1615、1600阿蘇神社、1630休暇村南阿蘇@根子岳、クーポン\1000x5、色見しきみの湯、夕食肥後三昧会席~秋0~、1930星空観測会、2200就寝。》

旅行2日目(月)、朝食前にロビー広間から阿蘇五岳の根子岳1,433m、高岳1,592m、中岳1,506mが見えて、中岳の頂上から少し左に白い噴煙が見え、そのうちに朝日が昇り、このホテルは根子岳の山懐に抱かれている感じで、最高にいい。朝食後、草千里ヶ浜へ車で上がり、そこから阿蘇五岳のひとつ烏帽子岳1,337mへ登山して、登りながら中岳の噴煙が見えて気持ちいい。頂上では360度の眺望で遠く雲仙岳までが見えて、福岡から来た家族の山登りおじさんから九州の山登りに関して雑談し、九重連山・祖母山など聞き慣れない山々について聞く。
 草千里ヶ浜で昼食後、高千穂町へ向かい、ここから「天皇家のふるさと訪問の旅」の本番が始まり、高千穂町の高千穂神社からそう遠くない日本風宿に投宿し、部屋のめんどうをみてくれたのがネパールからの女性で、しばしカンチェンジュンガについて会話し、後の食事中のバクグランド音楽はモーツァルトなのでこうした伝統的な宿も大分変ったのを実感。夕食後、高千穂神社で行われた夜神楽を見に行った。この辺りで神楽をやっている村々のひとつが、全33番の内4つを踊ったもので(手力雄Tajikaraの舞、鈿女Uzumeの舞、戸取Totoriの舞、御神躰Gosintaiの舞:イザナギとイザナミが酒を飲んだ後に抱き合う)、大変面白かった。記録:《11.09.月 烏帽子岳ハイキング 600起床、風呂、730朝食、845自然学習歩道930、草千里ヶ浜、1030烏帽岳1130山頂福岡の山登りおじさん雲仙岳が見えた1200下山、1300昼食熊本ラーメン1340、下山国道325、1440宮崎県、高千穂町、1510 高千穂離れの宿神隠れ クーポン\1000x9 、1600神社まで散歩1640、内風呂、1745夕食、20:00 高千穂神社夜神楽見物2100、4場面 \1000x2、2150就寝。》(2020.11.09.)

旅行3日目(火)、まず高千穂峡でボート遊びをして、この五ヶ瀬川に沿って自然歩道を歩く。次に数年前台風の被害で廃止になった高千穂鉄道(延岡?高千穂)のほんの一部をグランドスーパーカーが走っているので、これに乗って遊んでから、ニニギノミコトが天孫降臨したという?觸(くしふる)神社に寄り、ここに梅原猛の本の宣伝があった。それから天の岩戸神社に寄ってアマテラスが隠れたという天の岩戸も見て、ソバ昼食の後、神々が集まって対策を協議した天の安河原へ行き、古代日本の神話を体験。午後遅く「国見ヶ丘」という景勝地へ寄って、遠く阿蘇五岳までが涅槃図のように見えて、この日は雲海の宿千木(ちぎ)に泊まる。記録:《11.10.火 グランドスーパーカー 740朝食たまごご飯、風呂、905出発、925から貸しボート 30分\3000 955、自然歩道あららぎ橋1030、帰り1100、1140高千穂あまてらす鉄道スーパーカー1500円、1230くしふる神社四皇子峰高千穂遥拝1315、天岩戸神社駐車場、1400高千穂牛そば@あまてらす隠れCafe、1420天安河原、駐車場1500、1550国見ヶ丘1615、(鶏の炭焼き吾平店?0982-82-2353 )、16:30 雲海の宿旅館千木 クーポン\1000x4 、1800夕食1650、2000就寝。》(2020.11.10.)

旅行4日目(水)、朝6時過ぎに目覚めて外を見たら雲海らしきものが見えて、すぐ妻を起こして、国見ヶ丘へ行くと、すばらしい雲海に囲まれていて、しばらくすると6:50に太陽が登ってきて、神々しいまでの景色で、このために様々な神話がここで生まれたと感じた。朝食後出発して、延岡辺りを経て、宮城県の海岸を西都まで下り、西都原(さいとばる)遺跡群へ。そこは広大な敷地なので迷ってしまい、「このはな館」で案内資料でガイドしてもらい、考古博物館で昼食後、「鬼の円墳」と「13号前方後円墳」だけを中まで入って見た。そこから宮崎市へ向かい、青島のANAホリデイインへ投宿。夕方、さっそく青島まで歩いていってきたが、私は学生時代の九州旅行でにこのあたりへは来たのを覚えている。 記録:《11.11.水 西都原遺跡 620起床、635国見ヶ丘の雲海、650日の出、740朝食、900出発、雲海橋、国道218、945九州中央自動車道@延岡@東九州自動車道2,030円、1110西都原遺跡群、1200このはな館と考古博物館3Fランチ1300、西都原を散歩し鬼の円墳と13号前方後円墳1410、東九州と宮崎自動車道2060円、1545ANAホリデイインリゾート宮崎@青島 クーポン\1000x5、風呂、1810竜王伊勢海老コースで地元の初御代冷酒1920、2100就寝。》(2020.11.11.)

旅行5日目(木)、朝食後ホテル前の海岸を散歩して、レンタカーで海岸をさらに南下して、堀切峠経由で鵜戸神宮へ行き、岩場の奥まで歩いてじっくり見る。飫肥(おび)へ移動して、飫肥城址とその城下町をブラつく。宮崎空港へ向かいレンタカーを返し、総走行距離は461kmだった。17時過ぎの飛行機に乗り(飛行機はほぼ満員で、すぐ太平洋へ出て紀伊半島の沖から伊豆大島まわりで、暗くなっていたとで何も見えなかった)、夜11時近くに帰宅した。

今回の旅行で梅原猛が著書『天皇家の”ふるさと”日向を行く』で主張する「天皇家は中国南部あたりを出て縄文時代(狩猟採集文化)の九州・鹿児島県野間半島へ上陸して、日本人が住んでいない高千穂あたりで稲作を指導して弥生文化(農耕時代)へ導き、後に日向の平地へ移り日本人と交わり、神武の東征などへ至る。」という説への理解は深まった。旅行費用はGo to Travelキャンペーンから補助が出て、また宮崎県のコロナ感染者は連日ゼロだった。

また宮崎県の北でも南でも、木材を積んだトラックや山の一部で木々が伐採されとぃるのを見かけて、製材業が今モ盛んなのを見て、家に帰って翌週にNHKの「日本人のおなまえっ!」で宮崎県では黒木(飫肥杉などの別名))という姓が一番多く、また奈良東大寺の梁は日向の国(宮崎県)産の杉だったというのを知った。記録:《11.12.木 鵜戸神宮と帰還 600風呂、830朝食、ホテル前の海岸を散歩、1015出発県道377、堀切峠、国道220、1110鵜戸神宮1155、1245おび城620円レストランおび天藏1315、城下町歩き1445、1615宮崎ブーゲンビリア空港461km、19:10 Jal698 宮崎発 19:10、羽田着 20:40、2111京急、2152東海道、2215モノレール、2245帰宅。》(2020.11.12.)

Kagoshima Prefecture

Hiking in Kirishima & Ibusuki 2023

鹿児島県

霧島と指宿に泊まって、周りでハイキング 2023

5月末に天候に恵まれて、東京羽田から鹿児島空港へ飛んでレンタカーを借り、鹿児島県北部の霧島温泉に2泊して、えびな高原などでハイキングして、南部は指宿温泉に2泊して薩摩半島と大隅半島でやはりハイキングして、鹿児島市も少し見る旅行を妻としてきた。コロナ禍後のインセンティブ各自8千円をもらい、またホテルでの受付からレストランの従業員のほとんどがアジア出身なので、感心した。

旅行1日目(月)、7時半前に家を出て、4泊5日の鹿児島県旅行に妻と行ってきた。モノレール大船駅で、羽田行きのリムジンバスに乗って公田(くでん)など横浜のぐちゃぐちゃ町を抜けていくが、高速道路で横浜港の大橋を渡る時は本当に美しいと思う。羽田空港からJAL便で20分遅れで出て、伊豆半島上空で富士山を見て紀伊半島を横切って紀伊半島も横切った以外は全て海上を通って、2時間後には山の上(海抜260m)の鹿児島空港に到着。

 すぐトヨタレンタカーを借りて、霧島の美しいい容姿の高千穂峰(1574m)を目指し(左に新燃岳1421mなど)、大きな杉がある霧島神宮を見て、霧島民芸村神宮亭で山菜そば昼食。神宮内の亀石坂を御手洗川までをハイキングして戻って、霧島温泉近くの旅行人山荘に泊まる。旅館の広い部屋からは、眼下に国分(こくぶ)の街から遠く錦江湾と桜島が見えるすばらしい景色が見えて、旅館構内にいくつかの家族向け外湯があり、林間の「赤松の湯」に入った。6時半からの夕食はサーブしてくれる方式で、広島の酒「酔心」と霧島の焼酎「ぶっぽうそう」に酔って、居眠りした後にロビーでピアノ演奏会の最後(ショパン「別れの曲」)を聞いて、10時ごろ就寝。(2023.05.22.)

旅行2日目(火)、私は5時半に起きて、持参のChromebookで遊んで、ラジオ体操もやり、朝風呂は鹿児島の人で今は広島に住み毎年2〜3度来てこの風呂からの美しい眺めを見にに来るという人に会った。7時半の朝食後は9時前に出発して、10時前に「えびの高原」エコミュージアムに駐車し、風もあり寒く感じる。二つの峰があるように見える韓国岳(からくにだけ、1700m、九州最高峰)と白鳥山の下の高原で池巡りコースを歩き、えびの展望台で見下ろし、途中ピンクのミヤマキリシマが満開で、カッコウも鳴いている。また二湖パノラマ展望台を経て、11時には白鳥山(1368m)へ登って山頂でLawsonで買ったおにぎり昼食。

 下へ戻り、白紫池(びゃくしいけ)を経て、六観音堂御池の展望所まで歩くと、途中で別々に遭ったオランダ人カップルとフランス人に再会し、しばしばおしゃべり。えびの展望台を経て(途中ニューカレドニアから来た夫婦に遭い)、午後2時に駐車場へ戻り、気持ちのいい高山ハイキングを終えて、旅行人山荘へ帰った。旅館近くの散歩で「花房の滝」を見に行って、屋外の家族湯「ひのきの湯」へ入り、6時半の夕食時にはまた生ビールとぶっぽうそうを取り、9時過ぎには就寝。(2023.05.213.)

旅行3日目(水)、530起床、ラジオ体操もして、Wikipediaにパリ・サントゥスタシュ教会も完成した。朝食後は9時前に出て、途中嘉例川駅(かれいがわえき)という古い無人駅を見て、空港I/C付近から九州高速道路へ入り、内陸の知覧で武家屋敷を見て、そこでそば昼食して、特攻平和会館は修学旅行の子供たちで混んでいたので素通りし。  薩摩半島南端の,b>開聞岳では「ふれあい公園」に止まらずに、1時半過ぎに指宿休暇村に到着し、ブーゲンビリアとハイビスカスの花がありいかにも南国風で、部屋の大きな窓の前面は錦江湾で向かいに大隅半島の山々。すぐ、干潮時に歩いて渡れる近くの知林ヶ島へ「チリリンロード」(800m)を歩いて(満潮時は3m深くて船が行き来できるそうで、冬に歩いて渡れるのは2時間だけ)、島の展望台へ苦労して登って、帰りはそこでガイドをしている人から色々お説を拝聴。4時には知林ヶ島を出て休暇村指宿へ戻り、指宿で有名な砂風呂で温まり、6時半の夕食には薩州正宗(冠岳の水使用とあった)、9時半には就寝。(2023.05.24.)

旅行4日目(木)、起床後に日の出の写真を撮って、ラジオ体操は1階の部屋でやっていたらもう一人の人と一緒にやり、朝食後は、近くの魚見岳の展望台へ行くと、360度の抜群の眺めで、昨日のチリリンロードはほぼ海水に埋まっているのが見えた。ホテルのバスで指宿駅へ行き「指宿たまて箱列車」に乗って1時間後に鹿児島中央駅へ到着。さっそく鹿児島City View観光バス(190円)で市内見物。午後1時前に「仙巌園」という島津家の庭園で降りて、園内の桜華亭でそば昼食。さらに御殿へ上がり込んで、桜島と錦江湾を借景した庭園を見て、裏山でハイキングなどもして過ごす。そこを出て尚古集成館少し、切子館も見て、また観光バスで鹿児島駅へ帰り、普通列車で指宿駅へ帰ったらSuicaで出れないのが分かり、とにかくでホテルのバスで帰り、夕食には焼酎「利右衛門赤」にして、デザートに薩摩ぼっけもんも食べて、8時半には就寝。(2023.05.25.)

旅行5日目(金)、この日も5日連続で晴れで、Wikipediaの「浦島太郎」に南薩地域の伝説がなかったので書いた。朝食後、8時にホテルを出て、指宿駅で昨日Suicaで出れなかったので解除証明書を貰い、山川港へ向かい、山川港の「生お海道路の駅」でキンカン蜂蜜などを買って、10時発の山川・根占フェリー(3700円)に乗ると、途中で智林ヶ島もよく見えて、屋久島と種ヶ島がうっすらと見えて、50分後に薩摩半島から大隅半島側へ着いた。早速「雄川の滝」を見にハイキングで、水が少ないときに滝壺が緑になる現象を見て、駐車場のAqua base cafe店でホットドッグの昼食。

 そこから錦江湾に沿った国道・県道68号線を北へひた走り、桜島の麓の「有村溶岩展望所」で園内を照りつける太陽の下を汗かきハイキング。3時ごろ鹿児島空港に着いて、トヨタレンタカーを返し(343km走行)、空港でKirin一番しぼりビールを飲んで、40分遅れでJAL650で出発して、羽田着はそう遅れはなく、8時前発のリムジンバスで(1955)、大船でSuicaロックを解いてもらい、モノレールに乗って、帰宅は夜9時半だった。(2023.05.26.)

Okinawa Prefecture

Around Okinawa Island in 2018

沖縄県

沖縄島一周 2018

ハワイ時代の一時帰国の二月に、二泊三日で妻と二人とも初めての沖縄旅行にいってきた。初日は全体に曇り、8時少し前に家を出るゆっくりスケジュールで、羽田から10:35発の全日空機(B777-300、座席は3-4-3)で3時間もかかって那覇空港に着き、さらに15分もかかってオリックス・レンタカー事務所へ(Honda Fit 1300)。沖縄島西海岸の国道58号線を北上し(この国道は沖縄島の南から一番北までいって、海上を経て奄美大島、種子島を通り鹿児島市まで続いている珍しい国道)、途中普天間基地は国道から離れているので見えなかったが(移転予定先の辺野古は東海岸なので勿論見えない)、嘉手納基地までは片側3車線の道路。「かでな道の駅」の4階建て建物で屋上からこの米軍基地を眺める。17:00にやっと恩納村谷茶ビーチのRizzan Sea Park Hotelへ到着。どうやら日本へ帰化したインド人が社長のHMI(Hotel Management International)のホテルチェーンのもので、駐車場が国道向かいにあり有料500円なのが気に食わない。時節柄か中国語と韓国語のお客さんも多い所で、目の前の海岸を散歩して、沖縄の海岸は一般的に海岸からしばらくは(サンゴの?)浅瀬で、波は1キロ位沖合で砕けているのを観察し、いかにも沖縄。

18:00に予約して車で「しまぶた とんかつ」レストランへいって、ゆし豆腐や沖縄風漬物を食べて、私が帰りに運転することにして、妻に飲んでもらった。とんかつはまあまあだが、ひとり300円のカバーチャージを払わされて、6,000円超の出費。19:30からホテルのロビーで琉球舞踊の実演があり、宮廷の静かな踊りと現代風の威勢のいい踊りがあって大変面白くて、最後はみんなでもろ手をあげて「エイサー」との掛け声で踊った。 (2018.02.21.)

いつもは早起きだが、木曜日は起きたらもう6:50分で、曇りのせいかまだ薄暗いので、関東地区より1時間位遅いと感じた。(あとで首里城の日時計で標準時より30分遅れだと説明あったので、関西は東京より30分遅れて夜になるので、そういう計算。)7:15から二階ロビーの奥にある和洋食のレストランで朝食。海岸をしばらく散歩してから、9:30に車で出発して。国道58号線をさらに北上し、10:00熱田森林公園で森林学習館を見たあと、熱田山へ登山開始。10:30にはもう頂上(海抜165m)へ着いたが、途中眺めは万座毛(まんざもう)などの海岸風景がまあまあだが、頂上はあまりよくない。11:15にそこを出発して、11:40には「許田(きょだ)道の駅」へ寄って「アテモヤ」などの果物をおみやげに買い、国道を離れて本部半島の山へ向かい、12:30には森の木々に囲まれた「Café Ichihara」で「いちゃら・ピッツァ、ゴーヤ・ピッツァ」で昼食。

そこを出て、グスク(城)を見たいと思っていたので、13:40には「今帰仁(なきじん)城址」をゆっくり散策し、これは素晴らしい所だった。15世紀ごろだろうか、沖縄が山北/山中/山南に分かれていて次第に山中へ統合された三国時代の山北の中心地。15:00にはそこを出発して、「備瀬のフクギ並木」を見に行く。海岸の民家の周りが台風除けのフクギという大きな木々に囲まれている所で、3キロあるというのを1/3に省略。霧雨の中を14:15には万座毛と呼ばれる断崖絶壁(海に突き出た岩が象の鼻のような形)に東シナ海の荒波が寄せる岩海岸を見物して、そのあたりのLawsonで夕食用の食料を買って(沖縄は7−11が一切なかった)、17:50にはホテルへ到着。風呂に入って、部屋のベランダで簡単な夕食。(2018.02.22.)

金曜日は朝起きたらもう7時。2階の和食レストランで、おもに沖縄料理の朝食。8:25にホテルを出て、この日は国道58号線を南へ向かい、中泊から東へ向かい石川インターで沖縄自動車道(高速道路)に入り、制限速度80キロを100キロで突っ走り、9:30には首里インターへ。県営駐車場が満車だったので右へ向かい左の安国寺の駐車場を500円/日で使ったが、終に集金に来なかった。9:30から首里城公園を散策し、首里城に入って正殿、南殿、北殿の順に見学し、庭園も見て、展望台から首里と那覇港と東シナ海を眺める。11:00から「舞への誘い」という琉球舞踊の実演があり(玉城流七扇敏風会)、これは退屈で、前々日のホテルの実演の方がよかった。

そこから沖縄の東海岸へ出て、国道331号線を時計回りで東から南へ向かい知念岬を過ぎて、ニライ橋・カナイ橋を通過して、13:10に奥武島(おうじま)入り口の「くんなとう」で「もくずソバ」をガジュマルの木の下で海を見ながら食べる。次に沖縄戦の激戦地である「摩文仁の丘」にできた平和祈念公園で「平和の礎(いしじ)」を見学し、ここの海岸は南の太平洋からの荒海が崖にぶつかるような様だった。時間がなくなって「ひめゆりの塔」は省略して、Naviがおかしくなり苦労してレンタカー返却の場所を探して、全走行距離は263キロメートル、ガソリン代は2,760円。空港で夕食の弁当を買って、16:00には搭乗口に着き、17:00発の全日空機に乗り、羽田では19:50発の大船・藤沢行きバスに丁度間に合い(1250円)、大深からはモノレールで20:30には帰宅できた。 (2018.02.23.)

沖縄旅行感想: 今回は初めての沖縄旅行だった。休暇でゆっくりするというより、日本人がよくやる新しい土地に関して見て聞いて満足するという感じだった。読んだ本も含めて、沖縄は本土とは違う歴史と通商に携わる人たちで、薩摩藩に征服されて日本に併合されるが、アイヌの北海道と比較しても大いに独特の文化がある。第二次世界大戦の激戦地、日本・アメリカの基地を多く抱えてニュースではよく聞いて、市町村の名前もよく聞くが、やっと大体が分かり、米軍基地がドカッと居座る沖縄は大変だ。天候が曇り空で、約二十年前に過ごした台湾・台北の冬も雨が多くジメジメしていたな、と思った。

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Prepared by Yoshi MIKAMI on November 28, 2004. Last update: June 7, 2023.