Japan: 7. Shikoku Region - 日本: 四国地方

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7. Shikoku Region

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7. 四国地方

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7. Shikoku Region

7. 四国地方

Kagawa Prefecture

Shodo Island

香川県

小豆島。瀬戸内海に浮かぶ小豆島へ、神戸時代に会社の毎年のリクリエーション活動か忘年会で、多分姫路からのフェリーで行った。意外と広い島だが一晩泊まりだったので、『二十四の瞳』の学校やマルキン醤油の造穣所や寒霞渓などは見ていない。

高松市。すぐ下の「本四架橋旅行」で、高松市の高松城址、栗林公園などに寄って、讃岐うどんも食べて、高松空港から飛行機で羽田へ帰った。(2019.07.26.)

Tokushima Prefecture

Naruto City

徳島県

神戸へ転勤した1967年に、よく吉川英治著『鳴門秘帖』という分厚い本を読んでいて、四国に関して多少知るようになった。その後四国への橋が三つ掛けられても、通ったことはないので、いつか神戸から淡路島を通って鳴門市までは行ってみたいと思っていたが(車で行って足を延ばして岡山市から帰ってもいいな!)、果たしていない。四国巡礼には、あまり興味はない。

つい最近もハワイで、NHKテレビの先週・今週の番組「ブラタモリ」を見て、それぞれ徳島市と鳴門市で、これも面白かった。徳島の城下町が狭くて、阿波踊りが大きな輪で踊る普通の盆踊りでなく、町を行列して踊り、橋の上で両町が見せ合う盆踊りになり、それは吉野川の氾濫で肥えた地味が藍染の染料とその大商人が財政的に支えて、最近今のような躍動的な踊りになった過程をやったもの。鳴門市は、鳴門海峡の大渦を避ける撫養港(むやこう)が四国の玄関口になり、そこに四国巡礼の第一札所があり、中央構造線断層の上の撫養道路を西へ歩いてゆくもので、巡礼者にも土地の人にもおもてなしが大切で、第一次世界大戦後のドイツ兵収容所のせいで、ベートーベンの第九「歓喜の歌」が東洋で初めて歌われたというもの。(2019.03.15. & 16.)

Travelling Honshu-Shikoku Bridges (Tokushima, Ehima, Okayama and Kagawa Prefectures) 2019


Three Honshu-Shikoku Routes


Akashi-Naruto East Route


Onomichi-Imabari West Route


Kojima-Sakaide Central Route

四国・中国架橋をレンタカーで(徳島県・愛媛県・広島県・岡山県・香川県)2019

本四架橋(東から神戸淡路鳴門自動車道・瀬戸中央自動車道・西瀬戸自動車道)ができても渡ったことないね、鷲羽山からの眺めが随分変わったみたいだ、という話から、四国・中国地方へ四泊五日のレンタカー旅行へいってきた。時期は7月末の、梅雨中から梅雨明けの時期だった。

1)月曜日(1日目)は、徳島県。出発前の神奈川県は梅雨がまだ明けない濃い曇り空。早朝家を出て、大船駅からバスで日野IC経由で羽田空港へ。9:45発のJAL便(B767-300、座席2-3-2)で、雲で下界は何も見えず、11:00には徳島空港へ到着。白のトヨタVitz 1300レンタカーをETC付きで借りて、小雨の中を鳴門公園へ行き、神戸から明石海峡大橋・淡路島経由で来る神戸淡路鳴門自動車道の大鳴門橋を見て、自動車道の下部にある海上散歩道「渦の道」(450m)を歩いたが、渦潮が始まる2時間前なので、渦はわずかしか見えない。公園で名物「鳴ちゅるうどん」で昼食(500円)。

大雨の中を吉野川に沿って徳島自動車道を走り2時半には今は美馬市の一部になっている脇町へ着き(私は神戸転勤直後には吉川英治著『鳴門秘帖』を愛読していたので徳島城址へ寄りたい気持ちもあったがそれも叶わず)、この徳島県西部の脇町は往時に藍(あい)の商家が軒を連ねて、うだつ(卯建、「うだつが上がらない」の語源)という防火壁で始まって後に財力を示すものに変わった屋根の装飾品のある家並みが残っている。4時前に、剣山(つるぎさん)の麓の「つるぎの宿:岩戸」(つるぎ町一宇)へ到着。宿は水量豊富な貞光川(吉野川の支流)に面している。近くの部落を散歩して、出光ガソリン・スタンドの家が昔風で良かったので話しかけたら、この辺りで盛んな「急傾斜農業」(今年春に農業遺産へ登録)について説明してくれた。風呂に入って、6時に山の幸・海の幸の味噌煮鍋の夕食、この日は8時前には就寝。(2019.07.22.)

2)火曜日(2日目)は、また濃い曇り。朝食後に近くの「藤かずら橋」を歩いて渡った。国道438を遡って、剣山リフトへ。15分もかかるこの長いリフトを降りて、三つある登山道のうち一番やさしい方を歩いて、10:25大剣神社まで来たら霧雨になり、雨の中を傘さして、「刀掛の松」で近くのキレンゲショウマの花を探したがまだで、リフトで戻って、登山は中止。国道439号を走り、奥祖谷(おくいやの)二重かずら橋を歩いて渡り、そこの「野猿」と呼ばれる手動トロッコで遊ぶ。落合三叉路のソバ屋で昼食(800円)。近くの落合集落と呼ばれる急傾斜農業(「耕して天に至る」)部落を見る展望所に寄り、しばらくして県道32号を移動して、4時半ごろ徳島県祖谷(いや)の大歩危(おおぼけ)渓谷にあるホテル「大歩危峡まんなか」に到着。ここは露天風呂から水量豊富な藤川谷が吉野川へ合流しているのが見える所にあり、風呂後、山菜料理を食べ過ぎ、また風呂へ入って腹ごなしをして、20:00には就寝。(2019.07.23.)

3)水曜日(3日目)は、出発前に大歩危峡(おおぼけきょう)の吉野川の川辺を散歩し、近日の大雨で今日も観光遊覧船は雨で出ない。国道32号、国道319号(Naviがこのひどく狭い国道を推奨した)をひた走り、やっと新宮ICで高知自動車道に乗って、短時間徳島自動車道を経て、愛媛県の松山自動車道を西へ。石槌山SAで少し休んで(四国第一に高い石鎚山へ登る時間がなくて、残念!)、今治市(いまばりし)方面へ。11時過ぎには西瀬戸自動車道「しまなみ海道」へ入り、しばらくは左の側道に家族連れを含む自転車族を大勢見かけたが、その後全然見かけなくなったのはなぜ?大島南ICへ出て、大島の亀老山展望公園へ登ってこれまでの橋の素晴らしい景色を見る。そこを降りて、漁村のそばに16世紀頃活躍した村上水軍の博物館があったので寄って(妻が出発前に「村上水軍の娘」という本を読んでいて理解が深まったようだ)、13:10にその前の能島水軍というレストランで、さざえ丼・海鮮丼で昼食。

午後、さらに同じ島のカレイ山展望公園でこれからのしまなみ海道と村上水軍の本拠地・能島(のしま)を眺めたが、景色はいまいちで、観光客も少ない。大島北ICでしまなみ海道へ戻り、瀬戸田PAで休んで、たった今通った多々羅大橋の綺麗な景色を眺める。

広島県。因島南ICで因島(いんのしま)へ出て、ここで広島県に入り、フェリーで生名島の立石港へ渡り(近くに中型の造船所を見る)、二つの大橋で佐島から弓削島上島町のホテル「フェスパ」へ15:50に投宿(正確にいうとここは香川県かも知れない)。ホテルは高台にあり、部屋の窓から綺麗な海岸が見下ろせる。夕食は鯛釜飯を中心に有り余る海の幸だった。(2019.07.24.)

4)木曜日(4日目)は、薄曇りで始まり、午後晴れて暑く、中国地方が梅雨明けになったという。朝風呂で海岸を見下ろす露天風呂へ入ったら、トンボが飛んできたので、人指し指を立てるとそれに留まり、昔子供のころよくやった様にトンボと遊ぶ。ホテルが東向きなので、朝日がやっと雲の上に出たのをパチリ。朝食は珍しくバイキングでも充分で、コーヒーも久しぶりに飲んだ。昨日通った弓削大橋・生名(いきな)大橋を通り、立石港でフェリーに乗って、因島へ戻って因島北ICからまた「しまなみ海道」へ入り、向島(むかいじま)ICで出ようとしてそこにある料金所を出てしまい、係員にETC処理してもらうのに20分待って、車をバックしてICへ出て(間違う人が多いのだろう、係員は異常処理に慣れていた!)、向島の高見山国立公園で抜群の景色を見てから、また「しまなみ海道」へ戻って最後の橋で尾道へ渡ったが、うっかりと橋の写真を撮りそこなった。尾道まで行ったのだが、そこで「文学のこみち」へ寄ろうとして、たまたま止まった映画資料室前で聞いたら、尾道では駐車が大変でという訳で、尾道はほぼ見ずじまい。それからずいぶん西へ普通道路を走って福山西ICで山陽自動車道路へ入り、なぜか西向きの逆方向は大渋滞だった。福山 SAで尾道ラーメンを食べて昼食にして、以前福山へ短期駐在した時に見過ごした「鞆の浦」も見る時間はなかった。

岡山県。山陽道をさらに走ると岡山県に入り、倉敷のひとつ手前の玉島ICで出て、国道2号を走りながら倉敷へ行く道が多くあり迷ったが、何とか倉敷美観地区へ着いて、ドーミーインへ投宿。ドーミーインとかアパホテルとかは、東横インの次世代のホテルチェーンで、バスルームはシャワーだけだ(ただし、共同風呂・露天風呂付が別階にある)。さっそく美観地区をブラブラして、倉敷川の川船の予約をして、2時過ぎから大原美術館(1300円)を2時間、本館・東洋館/工芸館・敬倹堂/新渓園・別館の順に見て、まあ我々日本人が知っている西洋美術はエル・グレコ(「受胎告知」)にしろ、モディリアーニ(「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」)にしろ、大体この美術館所蔵だなと分かる。「受胎告知」については詳しい説明があり、エル・グレコがギリシャのクレタ島生まれだったとか、絵の斜線上にガブリエル・はと・マリアを配して、マリアは室内にいるか屋外にいるか判明できないようにしているとかの詳しい説明があり、不断絵画に興味がない私にも面白かった。本館以外は、中庭を中心に継ぎ足しの古い木造家屋で、これも面白かった。

外へ出たら、旧大原家住宅(400円)があったので入り、大原孫三郎はプロテスタントだったと分かり、書庫に聖書があるのをパチリ。17:00から倉敷川(運河風)の川舟(6人乗り、500円)に乗り、船頭さんが高砂橋で折り返し、中橋(大きな一枚石でできている)を通って今橋(菊のご紋章がある)で折り返し、よく説明して、よく質問に答えてくれて、「長持ち歌」まで披露してくれて、(冗談に)「乗客にも歌わしてくれるの?」と聞いた所で、たった15分の乗船は終わってしまった!6時半過ぎにレストラン「つる形」の鯛茶漬け(3000円)で夕食。オーナーらしき女性が倉敷について、お母さんが大阪からお嫁に来た時は駅前には猿回しがあるだけだったとか、この水路で泳いだとか、桃太郎の話とか、高梁川の水害は水害が少ない地域なので驚いたとかおしゃべりに乗ってくれた。まだ明るくて温度が下がってきたので、鶴形公園の阿智神社前を経て、アーケード街「えびす通り」商店街を通り散歩して、倉敷駅・天満屋を見に行った。7時過ぎにホテルへ戻り、共同風呂へ入って、9時には就寝。(2019.07.25.)

5)金曜日(5日目)は、薄曇り、時々晴れて暑い。朝食前に部屋の窓から昨日行った美観地区と阿智神社のある山を見下ろして、朝食後はすぐ出発し、ガソリン5リットル(137円/L)を足して、南下すると右に水島工業地帯が見えて、9時半には鷲羽山へ到着。50年前に川崎製鉄水島製鉄所の厚板工場を先輩が見学に連れて行ってくれた際に見たあの美しい自然がどう変わったか見に、第一・第二展望台、頂上まで登り、約1時間を過ごし、やはり橋がない昔の景色が多島海の自然でよかったなと思う。

香川県。児島ICから瀬戸中央自動車道へ入り、与島PAで10分ほど休んだが、景色はよくなく、つり橋に使ったケーブルと海中に投じたコンクリートに関する解説がある他は、大橋の橋げたが大きいので下をJR本四備讃線が通っているのが分る。坂出ICで自動車道を出たら通行料金が高かった(3,650円)。国道11号を東へ走り、12時過ぎに高松市内の栗林公園へ。ボランティア・ガイドの北村隆子さんが、おもに南庭を案内してくれて、庭内の松が手入れされてきれいで、紫雲山を写す涵翠池(かんすいち)を前にした掬月亭(きくげつてい)の大きな茶室がよかった。公園を池が巡っているので、その水は背後の紫雲山からの地下水かと思ったら、庭内の「吹上」という所で、現在紫雲山の東を流れている香東川が以前はここを流れていて、江戸時代に流れを変えた後にその伏流水が豊富に吹き上げているというのを見た。

駐車料金が時間制だったので、彼女に讃岐うどんは公園の外でどこがいいか聞いて、1時半に公園入口ほぼ向かいの上原屋本店で昼食(釜あげうどん650円)。時間があったのでさらにどこがいいか議論した後、市内の海辺近くの高松城跡(玉藻公園)を訪問。少し早かったが3時半には高松飛行場近くのトヨタ・レンタカーで車を返し(屋島がよく見えてそこへ行き損なったのは残念!)、総距離575kmを走り、ETC料金は合計1万円位、妻が全部運転してくれた。

高松空港5時35分発のJAL便(B737-800、座席3-3)が5分遅れで出て、iPadをいじっていてハッと気づいたら、飛行機の窓から瀬戸内海の島々(多分小豆島あたり)がきれいに見えて、陸地の上にかかると兵庫県加古川(河口左岸に私が以前働いた神戸製鋼所加古川製鉄所)、今回唯一渡らなかった「神戸淡路鳴門自動車道」の明石海峡大橋、神戸の人工島までがよく見えて、その後は紀伊半島に近づいている台風6号のせいか雲で下界は見えなくなってしまった。

大分経って飛行機が房総半島を北西へ向かう辺りで下が見え出し、東京湾の北端の三つの大河(江戸川・荒川・隅田川)が見える辺りから反時計回りに南へ向かって降下して、7時丁度に羽田着。急いだら20分後に出たバスに乗れて、モノレール駅から自宅への8分の歩きでは、始め小振りだった雨がすぐ本降りになり、傘をさしても濡れて閉口したが、夜9時過ぎに無事帰宅。(2019.07.26.)

Ehime Prefecture

Matsuyama City

愛媛県

松山城。四国本土へは一度だけ12時間くらい、松山市に上陸している。神戸時代に同期の同僚が松山城で土地の女性と結婚式を挙げ(宮内宏&翠さん)、営業所の仲間と汽車で広島へ行き、高速フェリーで松山港へ着き、翌日の結婚式が終るとすぐに神戸へ帰ったもの。

Kochi Prefecture

高知県

若いころカヌーをやっていて、清流・四万十川をカヌーで下りたいと思ったが、高知県は行ったことがない。

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Prepared by Yoshi MIKAMI on November 28, 2004. Last update: August 4, 2024.