Oceania - オセアニア

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オセアニア

オセアニア の目次

Hiking in Mount John, Viewing the Starry Skies of the Southern Hemisphere, and Playing with the Dolphines, in the South Island of New Zealand (2008)

ニュージーランドでハイキング、南天の星空、イルカと遊ぶ(2008)

2008年2月、中国の旧正月は家族の集まりなので、中国に家族のない私は2週間の休暇を取って日本へ帰り、そこから連れ合いとニュージーランド10日のきままな旅行にいってきた。2年前にオーストラリアのタスマニア島へいって、よかったので、似たような地域を選んだ。山でハイキング、夜は南天の星空を見て、あとは海でイルカと遊んできた。NZの緯度は北半球でいうとロシアのサハリン島くらいかなと思ったが、日本の東京から北海道の緯度くらいで、南極海流の影響か、山地をおもにめぐったせいか、気候は夏でも比較的寒かった。地殻的には、ニュージーランドはオーストラリ・プレートに東から太平洋プレートがぶつかってできた島で、地震も適当にあり、日本より小さな島国に400万人しか住んでいない。第2の都会、クライストチャーチの朝のラッシュアワーにも、車はスイスイ流れていた。


写真は左から、ロブ・ロイ氷河、最高峰・アオラキ山、母羊のお乳をねだる子羊

  写真アルバムはFacebookのAustralia & New Zealand 1989 & 20026/2008 (Part One)

第1日目はまず、夕方東京からAir New Zealandで出発し、第2日目の朝、NZ北島にある首都オークランドへ着いてた。ここはあまり面白くないと聞いていたので、スキップ。すぐ南島のほぼ南端、クイーンズタウン(Queenstown)へ飛んで、そこでレンタカーを借りて、まずWanakaという町に行き、泊まった。ここはLake Wanakaのほとりで、湖の向こう側の山に氷河が見える、以前カナダのロッキー山脈で見たLake Louiseと同じような風景。夜ホテルで、窓の外の夜空にオリオン座が見えたので、外へ出て、持ち合わせの簡単な星座版を参照して、南天の星空を楽しんだ。北の空にオリオン座が逆さに見えて、その右(東)に大犬座のシリウス(全天で最も明るい星)があり、そのあたりから南の地平線まで天の川が流れていて、頭上にりゅうこつ座のカノープス(全天で2番目に明るい星)がある。カノープスは中国では南の地平線上にかすかに見えて、赤い色に見えるせいだと思う、「老人寿星」あるいは「南極老人星」と呼ばれて、幸運をもたらす星。私は以前から「カノープス」(Canopus)をハンドル・ネームに使っているので、親しみがある。また、天の川にかかる南十字星(座)が簡単に見つけられる。天の川の南極と反対側に、エリダヌス座のアケルナル(Achernar)があり、多少曇りだったので、大マジェラン星雲・小マジェラン星雲は、見えたような気もするし、見えなかったかも。(ずっと以前オーストラリアのシドニーへ1度出張したことがあり、また2年前にタスマニア島へいったが、どうした訳か、これまで南天の星空を見る機会にめぐまれなかった。)

第3日目は、ここで山へハイキングして、Rob Roy Glacierという氷河を見にいった。途中牧場を通り、まあ、どこでも羊をみながらのハイキング。第4日目は近くの山へ登り、そこから4時間ほどドライブして、南島の南アルプス山脈の最高峰、マオリ語でアオラキAoraki山(英語名でMount Cook)のふもとの、Aoraki Alpine VillageでThe Hermitageホテルに泊まった。この山は富士山より少し低いが、夏でも雪が残っていて、登山は特殊な器具と経験が要り、夏は誰でも上れる富士山とは大分違う。ホテルに着いて、周りを散歩して、写真を撮ったりした。Aoraki Alpine Villageのホテルにプラネタリウムがあり(投影機は日本製ではなくて、アメリカのSkyScan社製)、そこで夜10時から$20で「アオラキの夜空」と「ブラック・ホール」を見て、南十字星座のすぐ下のケンタウルス座のαとβを結んで、その中間から垂直に直線引き、南十字座の2つの星(αとγ)を結ぶ線の延長線と交わったところが南極であることを、学んだ。

第5日・第6日、天候には小雨が降る日で、近くを散歩して、午後はさらに移動して、Tecapoといって、Lake Tecapoのほとりに2泊した。Lake Tecapoの周りの山、Mount Johnをハイキングして、これまた写真を撮ったりして、ここには1936年に立てられた石造りの教会、Church of the Good Shepherd(Anglican Church)があり、日曜の夕方礼拝に出たが、祭壇のところが窓になっていて、向こう側に湖が見えるすばらしいところ。第7日には、NZ第2の都会、クライストチャーチへ行き、街中で昼食、ぶらぶら歩いてIBMビルを見つけ(私とNZの関係は唯一、1980年代IBM JXの時代にクライストチャーチのIBMの女性にボランティア精神でパーツを届けた)、おおきな教会も見て、The Chateau on the Parkというホテルに泊まった。第8日は、国道1号線をさらに北へ向かい(ワイナリー地帯があり、また峠の途中で往復2車線の道路が橋のところで急に往復1車線になった!)、カイコウラ(Kaikoura)という海岸に行き、太平洋にいるイルカと遊んだ。Kaikouraには、前に述べた太平洋プレートに大きな海溝があり、これが陸にぶつかるところなので、海溝に沿ってイルカや鯨がエサを求めてきて、海溝が急に陸にぶつかるので、ここらあたりに浮かび上がってくるらしい。NZに滞在中、丁度NZテレビで、日本の和歌山県太市町の湾にイルカを追い込んで殺す場面を、自然愛好家が撮影して、こうした殺戮は許せないと主張していた。欧米人はギリシャの叙事詩「オデッセイ」の中で、海をさまようオデッセイがイルカに助けられて、陸に運ばれるエピソードのせいか、イルカは大好きだ。私の会社の欧米人も、イルカは利口だ、それを殺すなんて...ということで、議論は噛み合わない。ここではThe Old Conventという以前2人のシスターが学校を開いていたところに泊まり、夜は珍しく晴天になり、牧場の中のホテルだったせいもあり、もうこぼれるような星空を、1時間ほど楽しんだ。天の川の南極と反対側に、エリダヌス座のアケルナル(Achernar)があり、大マジェラン星雲、小マジェラン星雲もよく見えた。私は高校時代からの夢がかなって、大変満足!(「石炭袋」(Coal Sack)と呼ばれる銀河の割れ目は、見れなかった。)

第9日には、クライストチャーチへ山側の「Inland Scenic Route」と呼ばれる道路で移動して、クライストチャーチの少し北で1号線に入り、Waiparaでワイナリー2つ(The Mud HouseとPegasus Bay)に寄り、テイスティングをして、クライストチャーチの飛行場でレンタカーを返して、オークランドへ飛行機で飛び、飛行場のそばのThe Grand Chancellor Airportに泊まり、翌日(第10日目に)日本へ帰った。ちなみに、レンタカーはHertzでFord Focusを借り(宣伝ではToyota Corollaと書いてあった)、全体の走行距離は1,250kmだった。NZでは車は左の世界だが、長らく中国で暮らしたので、2回ほど少し右側を走行した。ただし、車専用高速道路もない国で、道路は大体往復2車線だが、橋のところで1車線になったり、小さな川や水たまりに「Ford !」(歩いて渡れる水溜り)と書いてあり、ジャブジャブと渡るという、おおらかな世界なので、心配はいらない。

NZの食べ物はイギリスの植民地だったので、たいしたものはなかった。その代わりワインがよくて、毎晩魚や牛肉や羊肉を食べて、2人でワインを1瓶空けた。出発の日が灰の水曜日で、断食の四旬節に入っていたが、神様かろお目こぼしを願った。NZいうと、南島の西岸にMilford Soundというところがあり、ハイキングファンには有名なところがあり、大きなフィヨルドの周りの山へ登るのだが、今度の旅行のプランを立ててくれた連れ合いが適当なホテルの予約ができなかったそうで、残念ながら行けなかった。また、大連へ来てニュージーランド生まれの友人が、山登りが好きで、いまはオーストラリアのケアンズあたりに家があるが、NZはマオリ原住民とその後の白人を中心とする移民との人種争いがあり、将来はない、というようなことをいっていた。南島ではマオリ人はほとんどみかけなかったが、オークランドの飛行場のホテルに泊まったら、マオリ族の人々が多く働いていて、旅行者にはこうした争いは分からなかった。

また、中国の方々は結構NZへ留学にいっていて、私の同僚のひとりもオークランドの大学院で学んできた。彼はオークランドのスカイタワーの近くに住んでいたので、いったら写真を撮ってきてといわれたが、いかんせん、オークランドの町には行かなかった。もう1人の同僚は、お兄さんが留学後16年間も働いていたそうで、NZは国同士は知らないが、中国人には個人的に密接な関係にある。NZは自然が美しいところだが、文化と歴史がない。私も文明人のはしくれなので、やはり文化と歴史を学びながら旅をするのができないのは、さびしい。トレッキングで有名なMilford Soundに行けなかったのも多少残念で、首都オークランドも寄ってみればよかったと、いまは反省している。(2008.02.15.)

Tasmania, Australia (2006)

オーストラリアのタスマニア島で自然探索の旅(2006)

2006年1月に中国大連に滞在中、日本のお正月休みを少し延長して、オーストラリア大陸の南東に浮かぶタスマニア島へ連れ合いと行ってきました。東京成田からメルボルンへ飛び、そこからタスマニアのホバートへ飛び、そこからレンタカーで1週間島中を回り、海岸で散歩したり、海がきれいに見える山に登ったり、最高峰(Cradle Mountain)へ登ったりして、タスマニア島の主に自然を満喫しました。(全体の計画と、飛行機・ホテル・レンタカーなどの予約はワイフがインターネットでやってくれました。タスマニアは北海道より少し小さく、オーストラリアは全体的に感想しているが、唯一十分な雨が降り、すばらしい山と湖と森林があり、シドニーが東京、メルボルンが仙台に相当すると思うと理解しやすい。)

  写真アルバムはFacebookのAustralia & New Zealand 1989 & 20026/2008 (Part Two)

旅行の詳細を以下に書くと第1日に17:33にQuantas 180で東京成田を出発、第2日の08:40にメルボルンへ到着、入国審査で長い列に並び(審査官が9時に出勤するため、徐々に審査官が増えるのを観察し、もう2度とオーストラリアには来ないぞと思った)、Jetstar Airways 12:40に乗り、13:50にタスマニア島南部にある最大都市、ホバート(Hobart)の空港へ到着。すぐBudgetレンタカーで市内のホテル(Hotel Grand Chancellor、目の前がHobartの港)へ行き、近くのビジターセンター(Visitor Center)へ行き、ワイフは翌日のツアーに申し込み、終ってさらに近くのサラマンカ通り(Salamanka St.)の青空市場に行ったがほぼ終っていたので、レンタカーで町を見下ろすウェリントン山(Mt. Wellington)に登り、快晴の日でもあり、しばし絵のようなホバートの町の眺めを楽しんて、夕食はホテル前のタスマニア港のビクトリア・ドック(Victoria Dock)というよっとハーバー脇の寿司屋「折り鶴」で。3日目は日曜日なので、私はホバートのすぐ南のKingstonという町の聖公会教会(St. Clement's Anglican Church)へ前日飛行機で隣りに座っていた人(Nik)に案内してもらい行き、9:30の礼拝に出て、終って彼の新しい教会にも行き、それからその教会のリーダー(Gary)の家でのランチパーティーに参加し、中国の教会の話もしてあげて、日本語を勉強している学生に持参の日英2か国語聖書を贈り、午後ホテルに帰ってワイフと合流し、夕方は電話帳で見つけたサラマンカ通りのギリシャ料理店(Mezethes)で夕食(オーストラリアには英国人以外にイタリア・ギリシャからも多くの人が移住し、イタリア料理・ギリシャ料理が本場並みにおいしい)、そのあと街中の聖公会大聖堂(St. David's Cathedral)に行き、内部の石壁が当時の囚人により手斧で削って建設された模様も見た。4日目は島の東海岸へ移動し、途中リッチモンド牢獄(Richmond Gaol (Jail))というタスマニア島初めての囚人牢獄(1825年)を見て、Triabunna、Bolton Beachなどに寄って、スワンシー(Swansea)のホテル(Freycinet Waters)に到着し、眼前の海の対岸にフレシネ(Freicinet)半島が見えるのを確認。近くのNine Mile Beachを見にいって、夕食はオーストラリア・ワインでステーキを食べた。

5日目は、フレシネ国立公園(Freycinet National Park)に行き、お店でランチを買って、タスマニア島自然探索のハイライトの1つ、ワイングラス・ベイ見晴台(Wineglass Bay Lookout)に登り(すばらしい景色のワイングラス・ベイ Wineglass Bayが見下ろせる)、ワイングラス・ベイに下り、そこでランチを食べ、ハイキング(オーストラリアではブッシュ・ウォーキング Bush Walking と呼ぶ)を続け、海岸を歩いた。そこを出て、東海岸をさらに北上、ビチェノ(Bicheno)のホテル(Diamond Island)へ。夕食にまたステーキを食べて、このホテルは敷地内の海岸で、夕方暗くなって(21:00ごろから)小さなペンギンが海から上がり、海岸の穴の巣に来るのを観察(ツアー料金1人$16)。6日目は前日深夜に大雨が降り、その続きで小雨になり、タスマニアの北部にある第2の町、 ローンセストン(Lawnceston)ヘ寄り、街中でランチを食べて、さらに東にあるスコッツデール(Scottsdale)を通り、NabowlaにあるBridgestowe Estate Lavender Farmにラベンダーの花を見にいって(小雨でいい写真が撮れなかった)、またローンセストンに戻り、そこのColesというスーパーで翌日以降の自炊用の材料を買い込んで、いよいよタスマニア島自然探索の旅の最大ハイライト、クレードル・マウンテン(Cradle Mountain)国立公園へ向かい、夕方国立公園の入り口のすぐ外にある山荘(Cradle Mountain Wilderness Village)へ到着。夕食は自炊で、食事後ダヴ湖(Dove Lake)へ動物を見に行ったが、不発。

7日目は朝うす曇り、のち快晴、ビジターセンターへ寄っていい登山道を聞き、Ronny Brookで駐車、夢のようなクレーター湖(Crater Lake、標高1035m)へ登り、さらにMarions Lookout(1223m)を経て、高原の湿地帯を歩き、Kitchen Hutという所でしばし休んでからクレードル・マウンテン登山を開始(11:30)、眼前の山を右回りで登り、途中から岩を這いつくばる登山になり、岩が切り立っている所で昼食(12:45)、ワイフはそこに残り、私は頑張って頂上(1545m)に達し(14:00)、しばし休んでから下山開始、Kitchen Hutの手前でワイフと合流し、急に風邪が出て空があやしくなったので、Little Horn(クレードル・マウンテンに向かって1番左の峰)のふもとで通常北へ尾根伝いに行くのを止め、東へLake Wilksへ下りて、さらにダヴ湖の南端へ下りて(16:20)、湖の西側を北へ向かい、小雨の中をやっとダヴ湖の北端の駐車場に達し(17:20)、バスでRonny Brookの駐車場へ行き、そこから山荘へ帰った(18:10)。少し無理な行程でした。夕食後、私はVisitor CenterでMacquarie Island(オーストラリアの南極海の島で、気象観測所がある)の自然に関する写真のプレゼンテーションがあったので、参加した。第8日目は朝は曇り、のち夜まで快晴、前日の反省でゆっくりとブシュ・ウォーキングをすることにして、Ronny Brookで駐車したあと、Wombat Peakへゆっくりと登り、途中私らより5歳くらい上のご夫婦が山と渓谷社の「世界の登山50選」の本を見てスイス・ニュージーランドの山などを登った話などをしてくれて、分かれて私らはCradle Lakeへ下りて、またダヴ湖へ出て、クレードル山の景色を十分楽しんで、午後早くホテルへ戻った。少し休んでから、ビジターセンター近くのEnchanted Walkという小川沿いの散歩をして(Echidnaという大きなねずみを見た)、そのあとKing Billy Trackという小山の散歩もして(途中、King Billy Pineという巨大な松の木の林を見た)、ワラビーが出てきたので写真を撮ったりして、夕食後またEnchanted Walkに行ったが、動物は出て来ずに、空振り。

9日目には、まずビジターセンターへ寄り、ホバートへ行くのに西回りは地図上では近いが、道路が歪曲しているので時間がかかることを確かめ、東回りのローンセストン経由で行くことにして、ローンセストンの手前でホバートへ行く公路に入り、途中ロス・ビレッジ(Ross Village)で Ross Village Bakeryで昼食を食べて、この典型的な農村のダウンタウンを見学して、買い物もして(私はオーストラリアの松の木の石鹸を買った)、午後2時ころホバートに戻り、1週間前にサラマンカ通りの青空市場を十分見れなかったので、ゆっくりと見て、買い物もして(私はグリーンパーティーのブースで、Blue Hills HoneyというLeatherwoodの蜂蜜を買った)、ホバート空港でレンタカーを返して(街でガソリンを入れず大失敗、走行距離は全部で1,343km乗った)、Jetstar Airline 16:55発の飛行機に乗り、メルボルンで19:00発の飛行機に乗り(空港でオーストラリア歌集CDを買った)、シドニーでQuantas 21(22:15発)に乗り(この便で私の席の天井から水が降ってきてズボンが水浸しになったので文句をいったら、湿度が高く水分が凝結して露になってが降ってきただけで日常のことと、あやまりもしないので、飛行機のメンテナンスが悪いと再度文句をいったらSteven SorokaというCustomer Relations Managerが名刺を持ってあやまりに来て、Chapel Hillの高級レッドワインとDuty Free Spree券$50をくれて、さすが客扱いがうまい)、翌朝第10日目に東京成田へ到着して、全8日半に及ぶ夏のタスマニアの旅を終えた。オーストラリアの夏は2月末が一番暑いそうで、1月始めこの時期のタスマニアは山へ行ったせいもあり、すこし寒かったが、すばらしい自然でした。(2006.01.15.)

Australia via Hong Kong and Singapore on Business (1989)

Went to Sysdney on business.

香港・シンガポール経由でオーストラリア出張 (1989)

勤めていた会社の社内オフィスシステム担当者のアジア太平洋地区の会議があり、会の前に香港とシンガポールでそれぞれ一泊して遊んでから、シドニーへ行きました。香港ではケーブルカーに乗ったり、プラネタリウムを見たりして、シンガポールでは屋台料理へ寄り、プラネタリウムも見て、セントサ島でシンガポールの歴史館を見たりしました。この歴史館には第2次大戦中の日本軍の歴史場面があり、私はこういうのは始めて見るので、非常に印象的でした。シドニーでは会議が主でしたが、コアラのいる公園へ行ったのと、夜ホテルのプールで南十字星を眺めたりしたのを覚えています。シドニーについて、詳しくはここ

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Prepared by Yoshi MIKAMI on October 20, 2009. Last update: October 20, 2009.