今 週 の 日 課 表
2000年 8月6日〜13日
ひとりで、家族またはグループでお祈りする場合、下記聖書箇所・
使徒信経・主の祈りに次いで種々の祈りを適当にお用いください。
なお時間の余裕のあるときは、代祷(祈祷書105〜137参照)
をなさる事をお勧めします。
表中の頁数は新共同訳1989年版以降による、( )頁数は1987年版による
日/ |
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朝 の 日 課 |
夕 の 日 課 |
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曜 |
教会暦日名 |
詩篇 |
第一日課 |
第二日課 |
詩篇 |
第一日課 |
第二日課 |
6 / 日 |
主イエス 変容の日 |
2 24 |
出エジプト 24:12〜18 P155 |
Uコリント 4: 1〜6 P381 |
72 |
ダニエル 7:9〜10,13〜 14 P1612 |
ヨハネ 12:27〜36a P223 |
7 / 月 |
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80 |
士師記 6:25〜40 旧P391 (P451) |
ヨハネ 1: 1〜18 新P163 (P189) |
77 (79) |
サムエル下 7: 1〜17 P490 (P566) |
使徒 2:37〜47 新P216 (P251) |
8 / 火 |
※1 司祭 修道士 ドミニコ |
78:1〜39 |
士師記 7: 1〜18 旧P392 (P453) |
ヨハネ 1:19〜28 新P163 (P190) |
78:40〜72 |
サムエル下 7:18〜29 P491 (P567) |
使徒 3:1 〜11 新P217 (P252) |
9 / 水 |
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119:97 〜120 |
士師記 7:19〜8:12 旧P393 (P454) |
ヨハネ 1:29〜42 新P164 (P190) |
81 82 |
サムエル下 9 P493 (P570) |
使徒 3:12〜26 新P218 (P252) |
10 / 木 |
※2 殉教者 執事 ローレンス |
(83) または 145 |
士師記 8:22〜35, 旧P395 (P456) |
ヨハネ 1:43〜51 新P165 (P191) |
85 86 |
サムエル下 11 P495 P572 |
使徒 4:1 〜12 新P219 ( P254) |
11 / 金 |
※3 修院長おとめクララ |
88 |
士師記 9: 1〜16,19〜21 旧P396 (P457) |
ヨハネ 2: 1〜12 新P165 (P192) |
91 92 |
サムエル下 12:1〜14 P496 (P574) |
使徒 4:13〜31 新P219 (P254) |
12 / 土 |
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87 90 |
士師記 9:22〜25,50〜57 旧P397 (P459) |
ヨハネ 2:13〜25 新166 P(193) |
136 |
サムエル下 12:15〜31 P497 (P575) |
使徒 4:32〜5:11 新P220 (P256) |
13 / 日 |
聖霊降臨後 第9主日 |
66 67 |
士師記 11: 1〜11, 29〜40 旧P401 (P463) |
マルコ 4:35〜41 新P68 (P79) |
19 46 |
サムエル下 13: 1〜22 P498 (P576) |
Uコリント 11:21b〜31 新P238 (P392) |
※1司祭修道士ドミニコ (1222年)彼は1170年にスペインで生まれた。14歳のときバレンシヤ大学に入学し、司祭として生涯を神にささげる決心をした。司祭に叙任された彼は敬虔と熱心とをもって知られた。やがて異教徒改心のために説教者の一団、ドミニコ修士会を組織して各地の伝道に努めた。アシシの聖フランシスコと同時代で、共に修道生活と伝道に新しい紀元を画した。ドミニコとは「主に属する」という意。
※2殉教者執事ローレンス (258年)
彼はサラゴサで教育を受けたスペイン人であるが法王によってローマの7人の輔祭の長に任ぜられ、貧民の救済に力を尽くした。迫害が激しくなって法王
が捕らえられた時、彼も共に殉教したいと願い出たが、法王はそれを許さずに、貧民や病人ばかりでなく、迫害されている者や殉教者の家族の世話を彼に 命じた。彼は法王に最後の別れを告げようとした時に捕らえられた。役人から3日以内に教会の宝物を全部提出することを命じられたが、彼が3日間に集めたものは金銀でなくて、不具者と貧民であった。 これを見て怒った皇帝は、すぐ彼を火刑に処した。コンスタン大帝はこの聖人の墓の上に立派な聖堂を建てて彼の記念とした。ライレンチウスとも言う。「月桂を戴いた」という意味の名である。
※3 修院長おとめクララ 処女(1253年)
アシジの聖フランシスコのことが語られるときには、その最初の女弟子、聖クララの美しい生涯も語り伝えられる。彼女は1194年にアシジの名家に生まれ、早くからその美貌をたたえられていた。彼女が18歳のある日、聖フランシスの説教を聞いて感動し、両親の反対を押し切って彼の弟子となった。のちにその妹アグネスも母も他の婦人達も彼女に加わり、聖ダミアの聖堂の近くに修女院を設け、共に聖フランシスの精神に従って生涯を神にささげた。クララとは「輝ける」との意。英語ではクレーアともいう。 (公会の祝祭日 聖ヨハネ修士会より)