今 週 の 日 課 表
2000年 6月11日〜18日
ひとりで、家族またはグループでお祈りする場合、下記聖書箇所・
使徒信経・主の祈りに次いで種々の祈りを適当にお用いください。
なお時間の余裕のあるときは、代祷(祈祷書105〜137参照)
をなさる事をお勧めします。
表中の頁数は新共同訳1987年版以降による。日/ |
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朝 の 日 課 |
夕 の 日 課 |
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曜 |
教会暦日名 |
詩篇 |
第一日課 |
第二日課 |
詩篇 |
第一日課 |
第二日課 |
11 / 日 |
聖霊降臨日 |
118 |
申命記 16: 9〜12 P355 |
ヨハネ 4:19〜26 P196 |
145 |
イザヤ 11: 1〜9 P1248 |
使徒言行録禄 4:18 〜21, 23〜33 P255 |
12 / 月 |
※ 1使途聖バルナバ日
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15 67 |
シラ書 31: 3 〜11続 P276 |
使徒言行録 4:32 〜37新 P256 |
19 146 |
ヨブ 29: 1 〜16旧 P938 |
使徒言行録 9:26 〜31新 P267 |
13 / 火 |
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61 62 |
コヘレト 8:14 〜9:10旧 P1208 |
マタイ 15:29 〜39新 P35 |
68:1 〜20(21 〜23)24 〜36 |
申命記 30:11 〜20旧 P381 |
ガラテヤ 4:21 〜31新 P404 |
14 / 水 |
※2 主教教会博士バジル 夏季聖職 按主節 |
72 |
コヘレト 9:11 〜18旧 P1210 |
マタイ 16: 1 〜12新 P35 |
118:73 〜96 |
申命記 31:30 〜32:14旧 P384 |
ガラテヤ 5: 1 〜15新 P405 |
122 |
列王 19:1 〜18旧 P653 |
Tコリント 2 新 P349 |
84 |
知恵の書 9 続 P195 |
Tコリント 3 新 P350 |
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15 / 木 |
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(70) 71 |
コヘレト 11: 1 〜 8旧 P1212 |
マタイ 16:13 〜20新 P36 |
74 |
シラ書 44:19 〜45: 5続 P304 |
ガラテヤ 5:16 〜24新 P406 |
16 / 金 |
夏季聖職 按主節 斎日 |
69:1 〜22(23 〜29)30 〜37 |
コヘレト 11: 9 〜12:14旧 P1212 |
マタイ 16:21 〜28新 P37 |
73 |
申命記 45: 6 〜16旧 P304 |
ガラテヤ 5:25 〜6:10新 P406 |
125 |
民数記 11:16 〜30旧 P267 |
Uコリント 5:14 〜6:11新 383 |
43 134 |
エレミヤ 31:31 〜34旧 P1431 |
Uコリント 3 新 P380 |
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17 / 土 |
夏季聖職 按主節
前夕 |
75 76 |
民数記 3 : 1〜13旧 P247 |
マタイ 17: 1 〜13新 P37 |
104 |
シラ書 42:15 〜25続 P299 |
エフェソ 3:14〜21 新 P412 |
19 |
民数記 27:15 〜23旧 P302 |
マタ 9:35〜10:20 新 P19 |
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18 / 日 |
三位一体主日 聖霊降臨後 第1主日 |
148 147 |
ヨブ 38: 1〜11,42:1〜5 旧P955 |
ヨハネ 1:29 〜34新 P190 |
111 112 113 |
シラ書 43: 1 〜12,(27 〜33)続P300 |
黙示録 19: 4 〜16新 P551 |
※1 使徒聖バルナバ
「ここにクプロに生まれたるレビ人にて、使徒たちにバルバナ(慰めの子)ととなえられるヨセフ、畑ありしを売てその金をもちきたり、使徒達の足もとに置けり」これが聖バリバナにつにて使徒行伝にあらわれた最初の記事である。改心した聖パウロを使徒達に紹介したのも、パウロをタルソに尋ねて伝道の同労者にしたのもエルサレム会議で聖パウロと共に異邦の改心者に不必要な重荷を負わせないように主張したのも彼であった。 紀元48年頃第二回伝道旅行に出かけたが、ある事情のために聖パウロと別れて、故郷のクプロに伝道した。その後のことについて聖書は何も記録 していないが、伝記は彼のクプロにおける殉教を語っている。
※2 主教教会博士バジル(379年)
東部教会の四大公会博士の一人。幼いときから祖母マクリナより信仰を教えられた。アテネの大学で勉強中にいろいろの疑問をいだいたがそれは結局、机の上で神の真理を知ろうとしたからであると悟った。 彼はこの世を捨てて荒野の聖者から生きた真理を学ぼうとした。そしてエジプトの各地、パレスチナ、小アジヤの各地をめぐって聖者の教えを学ぶと共に、その生活を良く観察した。帰ると生まれ故郷に近いイリス川のほとりに修道院を建てて静かな、厳格な祈りの生活を始めた。彼の書いた修道院生活規範は今でも東部教会の修道院でまもられている。彼はやがてカイザリヤの主教に選ばれ、十年間その務めを忠実に果たし、正統信仰のために貴重な文献を残した。多くの人からその学識と徳とを慕われ「大バシル」と呼ばれるようになった。バシルとは「王の如き」の意。
(公会の祝祭日 聖ヨハネ修士会より)