今 週 の 日 課 表

1999年 12月5日〜12日

       ひとりで、家族またはグループでお祈りする場合、

       下記聖書箇所・使徒信経・主の祈りに次いで種々の祈りを適当に

       お用いください。なお時間の余裕のあるときは、

       代祷(祈祷書105〜137参照)をなさる事をお勧めします。

       表中の頁数は新共同訳1989年版以降による。 また( )頁数は1989年版以降による

日/

 

朝 の 日  課

夕 の 日 課

教会暦日名

詩篇

第一日課

第二日課

詩篇

第一日課

第二日課

5

降臨節

第2主日

148,

149,

150

アモス

旧P1436

ルカ

1:57〜69

新P101

114,

115

イザヤ

5: 1〜7

旧P1067

Uテサロニケ

1: 5〜12

新P380

6

※1 主教

ニコラス

 

25

アモス 

7: 1〜9

旧P1437

マタイ

22:23〜33

新P43

 

9

15

イザヤ

5: 8〜12,

18〜23 旧P1067

黙示録

1: 1〜8

新P452

7

※2 主教教会博士アンブロシウス

 

26,

28

 

7:10〜17

旧P1438

 

22:34〜46

新P44

 

36,

39

 

5:13〜17,

24〜25 旧P1067

 

1: 9〜16

新P452

8

 

 

38

 

旧P1439

 

23: 1〜12

新P45

 

119:

25〜48

 

旧P1069

 

1:17〜2:7

新P453

9

 

 

37:

1〜17

 

9:1〜10

旧P1440

 

23:13〜26

新P45

 

37:

18〜40

 

7:1〜9

旧P1070

 

2: 8〜17

新P453

10

 

 

31

ハガイ

旧P1476

 

23:27〜39

新P46

 

35

 

7:10〜25

旧P1071

 

2:18〜29

新P454

11

 

 

30,

32

 

2:1〜9

旧P1477

 

24:1〜14

新P47

 

42,

43

 

8:1〜15

旧P1072

 

3:1〜6

新P455

12

降臨節

第3主日

63:1〜8,

(9〜11),

98

アモス

9:11〜15

旧P1441

ヨハネ

5:30〜47

新P173

 

103

イザヤ

13: 6〜13

旧P1080

Uテサロニケ

2:1〜3

13〜17 新P381

※1主教ニコラス (326年頃)

彼は小アジアに生まれ、幼いときに主教である叔父から、この子は将来「悩める者の慰めとなるであろう」と言われた。のちにリキアのミラの主教に選ばれた彼は、貧しい人、悩む人の為に尽くした。あるとき貧しさのために三人の娘を売ろうとする人のことを聞いて、その家の窓から金袋を投げ入れた。爐辺でそれを発見した両親はそれを神よりの賜物として感謝するとともに、間違った考えを深く悔やんで恐るべき罪から救われたという。 サンタ・クロースとはこの聖人の名であるが今ではキリスト教に関係のない年末売り出しの神様みたいにされしまったのは遺憾である。 ニコラスとは「戦勝軍隊」という意味


※2 主教教会博士アンブロシウス (395年)

アンブロシウスは、340年ドイツのトリールに生まれ、父の死亡後、母に連れられローマに行き、法律を学んだ。皇帝は彼をリグリアとエミリア両州の長官に任命して、主都ミラノへ送った。374年ミラノの司教が亡くなった時、大混乱が起きて 市民が分裂した結果、新司教として選ばれるべき人物は強い性格の持ち主で、また慈愛深い人であることが要求された。その時、アンブロシウスはまだ信者でなかったが、民衆によって無理やりに司教に選出された。彼が受洗して司教になったのは374年12月7日であった。390年、ギリシャのテサロニケの住民が 占領国ローマに反抗して、皇帝と皇后の肖像を泥の中に投げ込んだので、皇帝は怒りに燃えて、そこの住民7千人を皆殺しにした。これを知ったアンブロシウスは皇帝に書を送って痛悔と償いを勧めた。皇帝は謙遜に司教の勧めに従って罪の赦しを得て、人々から尊敬されるようになった。アンブロシウスは、異教徒の 元老院議員がローマに勝利の女神の新しい像を立てたいと望んだ時、皇帝に頼んで反対させた。また、 アリウス派の異端者に教会を1つ与えることも、摂政のユスティナの命令にもかかわらず拒絶してキリスト教の立場を明らかにした。司教になった時からアンブロジオは聖書と教父の著作を深く研究し、自らも多くの名著を残した。自分の財産は全部施して清貧の生活を送り、すべての人に大きな慈愛を示し、信者たちをよく指導したが、聖女モニカもその1人であった。彼女が息子のアウグスチヌスについて相談した時、「ご安心なさい。あなたの涙ながらの祈りで、その子は決して滅びませんから」と彼女を慰めた。その言葉 どおり、アウグスチノはアンブロシウスの説教を聞いて回心の一歩を踏み出し、ついに偉大な聖者になった。 このように神のため、隣人のために全力を尽くして働いたアンブロシウスは、ついに精魂尽きたかのように、397年57才でこの世を去った。

(公会の祝祭日 聖ヨハネ修士会より)

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