今 週 の 日 課 表

'99 12月23日〜30日

ひとりで、家族またはグループでお祈りする場合、下記聖書箇所・

使徒信経・主の祈りに次いで種々の祈りを適当にお用いください。

なお時間の余裕のあるときは、代祷(祈祷書105〜137参照)

             をなさる事をお勧めします。

       表中の頁数は新共同訳1989年版以降による。また( )頁数は1987年版による

日/

 

朝 の 日  課

夕 の 日 課

教会暦日名

詩篇

第一日課

第二日課

詩篇

第一日課

第二日課

23

顕現後第3

主日

63:1〜8

(9〜11)

98

創世記

13:2〜18

旧P16 (P19)

マルコ

 7:31〜37

新P75 (P87)

 

103

イザヤ

47

旧P1138 (P1318)

ガラテヤ

 2: 1〜10

新P343 (P398)

24

 

 

41

52

創世記14:(1〜7), 8〜24  

旧P17 (P20)

ヨハネ

 4:43〜54

旧P171 (P198)

 

44

イザヤ

48: 1〜11

旧P1140 (P1320)

ヘブル

 8

旧P409 (P473)

25

※1 使徒

聖パウロ

回心日

 

19

イザヤ

45:18〜25

旧P1136 (P1316)

ピリピ

 3: 4〜11

旧P364 (P422)

 

119:89〜

112

シラ書

39: 1〜10

続P254 (続P292)

使徒

 9: 1〜22

 旧P229 (P266)

26

※2 聖パウロの協力者

聖テモテ・聖テトス

 

119:49〜

72

創世記

16: 1〜14

旧P20 (P23)

ヨハネ

5:19〜29

旧P172 (P200)

 

49

(53)

イザヤ

49: 1〜12

旧P1141 (P1322)

ヘブル

9:15〜28

旧P411 (P476)

27

※3 主教教会

博士ヨハネ・

クリストム

 

50

創世記

16:15〜17:14

旧P21 (P24)

ヨハネ

5:30〜47

旧P173 (P200)

(59,60)

またわ

118

イザヤ

49:13〜23

旧P1143 (P1323)

ヘブル

10: 1〜10

旧P412 (P476)

28

※4 司祭教会

博士トマス

アクイナス

 

40

54

創世記

17:15〜27

旧P22 (P25)

ヨハネ

 6: 1〜15

旧P174 (P201)

 

51

イザヤ

50

旧P1144 (P1325)

ヘブル

10:11〜25

旧P413 (P477)

29

 

 

 

 

55

創世記

18: 1〜15

旧P23 (P26)

ヨハネ

6:16〜27

旧P174 (P202)

138

139:1〜18

(19〜24)

イザヤ

51: 1〜8

旧P1146 (P1326)

ヘブル

10:26〜39

旧P413 (P478)

30

顕現後

第4主日

 

24

29

創世記

18:16〜33

旧P24 (P27)

マルコ

 8:22〜30

旧P177 (P189)

 

8

84

イザヤ

51: 9〜16

旧P146 (P1327)

ガラテヤ

5:13〜25

旧P349 (P405)

  • 1 使徒聖パウロ改心日

キリスト教の熱心な迫害者であった彼が、ダマスコの途上で改心したことを記念する。使徒行伝の後半は伝道者としての彼の活動を伝えている。異邦人の使徒となった彼は偉大な神学者であった。彼自身から、また彼の手紙から私達の学ぶべき事は多い。パウロとは「小さい」との意。パウロから来た男性名はポーリナスであり、女性名はポーラ、ポーリナである。

  • 2 聖テモテ 主教・殉教者(第一世紀)使徒聖パウロの同労者。

リストラのラオデキヤの生まれのギリシャ人で、祖母は敬虔なユダヤ人ロイス、母はユニケ。幼い頃から聖書を良く学んだ。聖パウロは彼を「我が真実の子」と呼んだ。聖パウロの殉教後、彼はエペソの主教となり、エペソの女神ダイアナの祝日に福音を伝えようとして、群衆に石で打ち殺されたと伝えられる。テモテ とは「神を敬う」との意。

  • 3 主教教会博士ヨハネ・クリソストム(407年) 

紀元347年頃アンテオキヤで生まれた。彼の博学と雄弁とはアンテオキヤの信徒に非常な感化を与えた。彼は最も偉大な説教者と言われ、キリソストム(金口)と呼ばれるようになった。のちにコンスタンチノーブルの総主教に選ばれたが、罪悪と異端に満ちた首都を改革しようとした彼の生涯は、初めから反対と迫害の連続であった。

あるとき彼は、断食しない信者に聖体を授けないといって激しく責められた。彼は絶対そんなことない、もしそれが真実なら自分に主教の資格がないと断言した。彼の最大な敵は異端者ユウドキシャ皇后であった。彼はポント地方に追放せられ、3年の流浪生活ののち寂しく世を去った。彼は聖アタナシオ、ナジアンゼンの聖グレゴリー、聖バシルと共に東部の四公会博士と呼ばれている。

  • 4 司祭教会博士 トマス・アクイナス証者・博士(1274年)

彼は学者のうちで最も偉大な聖人、聖人のうちで最も偉大な学者と言われる。彼はアクィノ侯の子として1226年に生まれ、幼くして教育のためにモント・カシノ修道院に送られた。16歳の時ドミニコ修士会に入って修士になった。彼の不朽の名著スヌマ・テオロジカ(神学大系)は最後の7年間、多忙の生活の内に執筆され、完成し得ずに第3部第9問で終わったが、スコラ神学のピラミッドとして、今日でも神学の重要な文献となっている。 

(公会の祝祭日 聖ヨハネ修士会より)