今 週 の 日 課 表
2000年
1月16日〜23日ひとりで、家族またはグループでお祈りする場合、下記聖書箇所・使徒信経・主の祈りに次いで種々の祈りを適当に
お用いください。なお時間の余裕のあるときは、代祷(祈祷書105〜137参照)をなさる事をお勧めします。
表中の頁数は新共同訳1989年版以降による。また( )頁数は1987年版による
日/ |
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朝 の 日 課 |
夕 の 日 課 |
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曜 |
教会暦日名 |
詩篇 |
第一日課 |
第二日課 |
詩篇 |
第一日課 |
第二日課 |
16 / 日 |
顕現後 第2主日 |
148 149 150 |
創世記 7:1〜10, 17〜23 旧P9 |
マルコ 3:7〜19 新P65 |
114 115 |
イザヤ 43:14〜 44:5 旧P1131 |
エフェソ 4:1〜16 新P355 |
17 / 月 |
※1修院長 アントニオ |
25 |
創世記 8: 6〜22 旧P10 (P10) |
ヨハネ 2:23〜3:15 新P166 (P193) |
9 15 |
イザヤ 44: 6〜8,21〜23 旧P1132 (P1311) |
ヘブル 4:14〜5:6 新P405 (P469) |
18 / 火 |
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26 28 |
創世記 9: 1〜17 旧P11 (P11) |
ヨハネ 3:16〜21 新P167 (P194) |
36 39 |
イザヤ 44: 9〜20 旧P1133 (P1312) |
ヘブル 5: 7〜14 新P406 (P470) |
19 / 水 |
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38 |
創世記 9:18〜29 旧P12 (P12) |
ヨハネ 3:22〜36 新P168 (P195) |
119:25 〜48 |
44:24〜45: 7 旧P1134 (P1313) |
ヘブル 6: 1〜12 新P406 (P470) |
20 / 木 |
※2 殉教信主教 ファビアン |
37:1〜17 |
創世記 11: 1〜9 旧P13 (P15) |
ヨハネ 4: 1〜15 新P168 (P195) |
37:18〜40 |
イザヤ 45: 8〜17 旧P113 (P1315) |
ヘブル 6:13〜20 新P407 (P471) |
21 / 金 |
※3 殉教者 おとめ アグネス |
31
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創世記 11:29〜12:8 旧P15 (P17) |
ヨハネ 4:16〜26 新P169 (P196) |
35 |
イザヤ 45:18〜25 旧P1136 (P1316) |
ヘブル 7: 1〜17 新P407 (P471) |
22 / 土 |
※4 殉教者 執事ビンセント |
30 32 |
創世記 12:9〜13:1 旧P15 (P18) |
ヨハネ 4:27〜42 新P170 (P197) |
42 43 |
イザヤ 46 旧P1137 (P1316) |
ヘブル 7:18〜28 新P408 (P472) |
23 / 日 |
顕現後第3 主日 |
63:1〜8 (9〜11) 98 |
創世記 13:2〜18 旧P16 (P19) |
マルコ 7:31〜37 新P75 (P87) |
103 |
イザヤ 47 旧P1138 (P1318) |
ガラテヤ 2: 1〜10 新P343 (P398) |
※1 アントニオ修道院長 276年、アントニオの両親は莫大な財産を残して亡くなった。 彼は、イエスが裕福な青年に、すべての持ち物を売って貧しい人々に与えるように言われたことを聞いてその通りに実行し、砂漠に行って孤独の生活を始め、祈りと苦行をした。 アントニオは度々悪魔の誘惑に苦しめられたが、常に打ち勝った。 長年の間に彼が会った唯一の人は、6ヶ月に1度彼の所にパンを持って来た人であった。 彼は孤独を愛していたが、彼の教えを受けるために集まった多数の人々のために修道院を設立し、105歳で亡くなった。孤独な静かの生活をする者は、三つの戦いから逃れたのである。それは聞くことと、話すことである。 しかし彼は絶えず一つのこと・・・・すなわち自分自身の心に対して戦わねばならない※2 聖ファビアン 主教・殉教者(250年) デシウス皇帝のキリスト教徒迫害のときに殉教したローマの主教。聖シプリアンは彼を比類無き聖者とほめている。ローマを七区に分け、七人の輔祭をたてたのも彼であり愛と徳とをもって良く教会を治めた。ファビアヌスとも呼ばれる。 |
※3 殉教者おとめアグネス (30年頃) ローマの貴族の家に生まれ、十三歳のとき信仰と貞潔を守るために殉教した。彼女は多くの人の前で火刑に処せられたが、激しい火も彼女を殺すことが出来なかった。打ち首という事になったが、白い衣を着て祈りつつひざまずく少女の後ろにたった首切り人の手はくるった。二度目の太刀でようやく首が落ちたという。彼女の信仰と純潔と勇気は多くの信者を励ました。コンスタンチン帝のとき彼女の墓の上に壮麗な聖堂が建てられ、この若き聖女の記念としてささげられた。聖アグネスの像や画に子羊がついているのは、彼女の清潔を現すためである。少女の守護聖人と仰がれている。 ※4 殉教者執事ビンセント 輔祭・殉教者(304年頃)聖アグネスと共に、第四世紀のはじめの最有名な殉教者。スペインのサラゴサで生まれ、わかくて輔祭に任ぜられ、ディオクレシャン帝のとき二十二歳で殉教した。彼の信仰と勇気は獄の役人も驚き、改心して彼を看護したと伝えられる。聖アウグスチヌスはこの聖人をほめて「力と純潔とを与える酒(聖霊)と酔って、ビンセントはキリストの御国を滅ぼさんとする暴君に勝った」といった。ビンセントとは「勝つ」という意味。ビンセンシウスとも言う。
(公会の祝祭日 聖ヨハネ修士会より) |