今 週 の 日 課 表

2000年 5月28日〜6月4日

ひとりで、家族またはグループでお祈りする場合、下記聖書箇所・

使徒信経・主の祈りに次いで種々の祈りを適当にお用いください。

なお時間の余裕のあるときは、代祷(祈祷書105〜137参照)

             をなさる事をお勧めします。

       表中の頁数は新共同訳1989年版以降による。また( )頁数は1987年版による

日/

 

朝 の 日  課

夕 の 日 課

教会暦日名

詩篇

第一日課

第二日課

詩篇

第一日課

第二日課

28

復活節

第6主日

 

93

96

レビ

25: 1〜17

P233

ルカ

12:13〜21

P156

 

34

シラ書

43: 1〜12

27〜33 P300

ヤコブ

1: 2〜8

16〜18 P487

29

昇天前祈祷日

 

 

 

80

レビ記

25:35〜55

旧P204  (P236)

マタイ

13: 1〜17

新P24 (P27)

 

77

(79)

申命記

8: 1〜10

旧P294 (P340)

コロサイ

1: 9〜14

新P368 (P426)

30

昇天前祈祷日

 

 

 

78:1〜39

レビ記

26: 1〜20

旧P205  (P237)

マタイ

13:18〜23

新P25 (P28)

 

78:40〜72

申命記

8:11〜20

旧P294 (P341)

 Tテモテ

2: 1〜 6

新P385 (P445)

31

※1 おとめ

聖マリアの

訪問(昇天前

祈祷日)

 

118:97

〜120

レビ記

26:27 〜42

旧P206 (P238)

マタイ

22:41〜46

新P44 (P51)

 

68:1〜20

列王記下

2: 1〜15

旧P577 (P610)

黙示録

5

新P458 (P531)

1

※2昇天日

 

 

 

8

47

ダニエル

7: 9〜14

旧P1392 (P1612)

マタイ

28:16〜20

新P60 (P69)

 

24

96

エゼキエル

1: 1〜14,22〜28b

旧P1296 (P1501)

ヘブル

 2: 5〜18

新P402 (P465)

2

 

 

 

 

85

86

サムエル上

 2: 1〜10

旧P429  (P497)

マタイ

 7:22〜27

新P12 (P14)

 

91

92

エゼキエル

1:28c〜3: 3

旧P1297 (P1502)

エフェソ

 2: 1〜10

新P365 (P409)

3

※3

アフリカの

殉教者

 

87

90

民数記

11:16〜17,24〜29 旧P231 (P267)

マタイ

7:28〜8: 4

新P12 (P14)

 

136

エゼキエル

3: 4 〜17

旧P1298 (P1503)

エフェソ

2:11〜22

新P354 (P410)

4

復活節

 第7主日

(昇天後主日)

 

66

67

出エジプト

3: 1〜12

旧P96 (P112)

ルカ

10:17〜24

新P126 (P145)

 

19

46

エゼキエル

3:16 〜27

旧P1299 (P1523)

ヘブル

12:18〜29

新P418 (P483)

※1 おとめ聖マリアの訪問

 御告げを受けて間もなく、聖マリアがユダヤの山里に聖エリザベツを訪問したことを記念する日。「わが主の母われに来る。われ何によりてこれを得し。見よ。なんじのあいさつの声わが耳に入るや、わが子胎内にて喜びおどれり」と若いいとこを迎えた老聖母と、「わが心、主をあがめ、わが霊はわが救い主を喜びまつる」と神を賛美する聖処女。山里の祭司の家における両聖女は美しい画題でもあるり静想の良い主題でもある。

※2 昇天日

昇天の日時、場所、その状態などをめぐって、しばしばルカ24:51と行1:9が問題とされる。両テキストとも本文批評の上から種々問題があるが、昇天を単なる神話として片付けてはならない。天は3階層に分けられ、第一は恒星までの地上の空間、第二は神の被造なる天使・魔物が住む領域、第三はそこに神が位し、天地万物を支配するところである。従って、キリストが雲の中に挙げられた(行1:9)、神の右に座す(マコ16:19,ヘブ8:1,コロ3:1)とは、この第三の天への昇天である。そしてこの「神の右」とは場所よりも機能を意味している。しかし昇天は復活と同じではない。復活と密接に結合されつつ区別され(ロマ8:34)、それ自体の意味をもつ。すなわちキリストの歴史的受肉における下降に対して栄光の位への高揚が語られる(ピリ2:9,エぺ4:9)。そこに御子の十字架の死と復活による、神の救済の業が完結され、キリストは万物の主とされている(エペ1:21)。かくして信仰者も天の祝福にあずかる唯一の道がそなえられ(ヘブ10:19〜20)、更にキリストの再臨を待ち望む希望を与えられている(行1:11)。

※3 アフリカの殉教者

1886年6月3日に ウガンダのナムゴンゴという所で 33人のウガンダの若者が キリスト教の棄教を拒み 焚き殺されたと バガンダのムワンガ王宮廷に 記録されている。その後の数ヶ月間 国内で数々のキリスト教徒が 槍や突き殺されたり 焚き殺されたりした。 しかしながら かえってそれがウガンダで キリスト教徒が増える原因となった。勿論1877年以降の 僅かな聖公会やローマカトリックの伝道師達の貢献も 見逃せられない。しかし むしろ白人より黒人達の 主を賛美しながらの殉教して行った影響が大きく 次々とキリスト教徒が増え ついにはアフリカ1のキリスト教徒が多い国となった。 近年では 1970年に 元アミン大統領により数千人の キリスト教徒が逆殺され、その中にローマ・聖公会 大主教ジャナニ・ルウムもいる事を記憶して頂きたい。

 

(公会の祝祭日 聖ヨハネ修士会より)