Yamagata Prefecture, especially its Yonezawa region, is rich in its oral literature. Dr. Tadashi Takeda, at that time a teacher at Yonezawa Higashi Senior High School, collected many of its folklore since 1962. Nan-yo City, in the northern suburbs of Yonezawa, has recently established the Evening Crane Hall, after the famous "Evening Crane" story at the nearby Hozoji Temple.
ここ置賜地方(米沢市を中心とした近隣地域)は日本の中では豪雪地域。吹雪が一晩続くと、2メートルも積もって家をすっぽりと包んでしまうことも珍しいことではない。そんな晩は暖炉を囲んで、祖母の語る民話に耳を傾ける。聞き手の子どもたちは外の寒さも忘れて、うっとり温かい民話の夢幻の世界に誘われる。
「秋餅むかしの正月ばなし」という言葉がある。「秋の収穫が終わったら、楽しい昔話をしてあげよう。雪の正月を迎えたら、おもしろい話しをいっぱいしてあげよう」という言葉である。祖母の頭の中にはいっぱい民話が詰まってあり、子どもたちのほしがる目を見ながら、次々に話しの環が広がっていく。
子どもたちの民話との出会いは2、3歳に始まり、12、3歳まで続く。この10年間の間に人間としての基礎能力、人間性の基盤ができあがるといわれている。だから、民話にはそれぞれの年齢に応じた教育的役割もじゅうぶん考慮されたモチーフが用意されている。2、3歳の子どもには「サルカニ合戦」のような動物民話、4、5歳では主人公が人間になり、共同体の基礎的枠組み、7、8歳以上の子どもには「愚かばなし」のような知恵が足りなかったために失敗する話しが好まれたようだ。
置賜地方では男15歳で成人とみなされていたから、15歳になる準備として木小屋(けごや)と呼ばれる農家の小屋に集まって共同作業をやったり、藁仕事に縄やワラジ、ゾーリなどを作ったりしたものだが、その合間に「愚か村ばなし」などを語り合ったりして、民話が伝承、伝播されていったのである。
また、置賜地方は四囲を山に囲まれているから、どこへ行くにも「峠」を越えなければならなかった。峠という境界には妖怪や鬼とか山姥がいて、そこを通る村人を襲ったりするのだが、鬼や山姥とは自然に対する当時の村人の畏怖が生みだしたものだったろう。そういった意味でも、自然と共生することを民話が暗示してくれていたものと考えられる。民話を大切にしていこうという置賜地方の人々のこころのなかには、自分たちを育む自然を大切なものとしていこうという心が今でも生き継がれているといってもよいだろう。
次ページより武田正さんが採取した米沢民話(山形新聞の日曜版に掲載、1996年3月〜9月)を載せています。採取者・著者、挿絵画家、新聞社から当ホームページへの許可(1996年8月)を得ています。
日本の近代の民話・口誦文学研究は柳田国男の「遠野物語」(1910年)に始まり、特に第2次大戦後に筑波大学、国学院大学、東京女子大学、京都女子大学、白百合女子短期大学などで盛んに行なわれました。山形県の米沢地区に関しては、武田正さん(山形市生まれ、当時米沢東高等学校教諭、後に筑波大学講師、文学博士、現在南陽市在住、山形女子短期大学教授、「夕鶴の里」資料館顧問)などが、昭和37〜8年(1962〜3)頃より民話の採取を精力的にしました。
また東京・渋谷の小劇場「ジァン・ジァン」(電話:03-3462-0641)では年に1、2度、松尾敦子(あつこ)さんの米沢民話も含めた「独り語り昔話」が定期的に行なわれています。
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