また、中国の他の市の武漢"光谷"、天津、蘇州ソフトウェアパークなどについても、下の方に書いておきます。(2006.12.30.)
参考書: a) 私の友人がいい本を書きました:何徳倫著「大連は燃えている、大連のソフトウェア開発実情」(出版:エスシーシー(SCC)、2005年4月1日、ISBN 4-88647-819-0、1800円、250頁)。内容は 各章にエピソード(私のは第4章、p.94)も入っていて楽しい本で、また中国の様々な統計もあり、最後の章には大連の10社のインタビュー記事もあり、大変いい本です。(はい、著者は私の15年来の友人なので、私の個人紹介もp.94でしていただいています!)ぜひ日本の書店で求めて読まれることをお勧めします。(2005.04.28.)
- 序言:夏徳仁大連市長
- 序章:日本人に懐かしい大連
- 大連―中国最大の対日オフショア
- 大連ソフトウェアパーク
- 大連へのオフショア開発を目指す日本企業
大連へのオフショア開発の実務 中国のソフトウェア産業概観 中国ソフトウェア産業の現状 大連に賭ける日本企業 付録資料 b) 続いて、日経コンピュータ 2005年5月2日号で、大和田尚孝記者の「みなぎる中印ITパワー、日本を飲み込む105万人のエリート集団」という特集記事(全20ページ)を載せています。インドは日本語は比較的不得意なので、タイトルが中国・インドと平等に扱っているので多少誤解が生ずるかも知れませんが、全体的に非常にいい特集だと思います。(2005.05.15.)
c) また日本出張の中、パシフィコ横浜でのET(組込みソフトショー)の際、どなたかが次の本も紹介してくれました:ソフトウェア海外調達研究会 著『中国オフショア開発ガイド』〜ソフトウェアの海外調達法〜 (コンピュータ・エージ社、2005年5月、ISBN 4-87566-312-9、税込み2,415円)。中国の調達先都市の1つとして合肥があるのは大変唐突な気がしますが、日中IT用語集もあり、全体的にいい本だと思います。(2005.11.18.)
d) 経営労働協会監修、(一橋大学教授)関 満博編「現代中国の民営中小企業」(新評論、2006年2月)4-7948-0692-2 が発刊され、全715ページのうち100ページが大連の企業(おもにIT企業)の紹介されています。
関 満博 編「中国の産学連携」(新評論、2007) 978-4-7948-0730-4 第3章:瀋陽/東北大学と東軟集団、第4章:大連/ソフトパークと東軟情報学院、第5章:大連理工大学の展開、などが参考になる。
大連は中国の東北地方(旧満州)の最南部にある遼東半島の最南端にあり、緯度は日本の仙台のすぐ北のあたりです。冬は寒いが、さらに北の瀋陽(もとの奉天)、長春(もとの新京)、ハルビンなどと較べれば比較的暖かく、夏は暑いが湿度が低いので過ごしやすいところです。
日清戦争1894-95後にロシアが租借地として建設を始めたのを、日露戦争1904-05後に日本が引継ぎ、日本の満州侵略の基地となったところで、戦前大連で生れた日本人も多く、1989年に大連市の北に開発区ができて、日本のおもな製造業企業が進出しています。
大連外国語大学(大外 ターワイ)の存在が大きいと思います。はじめ1964年に周恩来首相のお声がかりで大連に日本語専科学校、上海に英語専科学校、北京にその他の語学専科学校(ロシア語など)ができて、その後大連日語専科学校は文化大革命後の1978年に英語学部その他の学部を加え大連外国語学院と改名しています。創立当時は日本共産党と中国共産党の蜜月時代で、日本共産党の方々が日本語教師として活躍して、南山賓館に滞在していたと聞いています。大外はいまも中国における日本語教育の中心で、雑誌「日語知識」を発行し、毎夏「中日日本語フォーラム」を開催しています。
その他に、遼寧師範大学、東北財経大学、大連理工大学、鉄道大学、大連大学などに日本語学部があり、日本人による日本語教師の会も作り、研鑚を重ねています。かつ大連には、上に述べた開発区を中心に日本企業が多く集まっており、これら企業の従業員にとっては、日本語は欠かせないものです。日本人と家族が3千人住んでいるといわれているので、大連の日本語人口が2万人、あるいは5万人というのは誇張でないと思います。
瀋陽日本領事館大連出張所に届出がある日本人は大連に3000人いるといわれていて、また多くの日本人留学生が主に大連外国語大学、遼寧師範大学、大連理工大学、東北財経大学、鉄道大学、海事大学などで中国語を学んでいます。
中国を旅していて、あるいは中国で働いていて、日本人はよく突然戦争中のできごとを思い出さされて、予期せぬ思いをすることがあります。中国人は大人なので、面と向かって日本人を非難することはしないのですが、日本人はやはり戦争の重荷を背負って中国で暮らしているというのが現状と思います。
その中にあって、大連では日本企業が活躍しており、給料もほかよりは高く、雇用も増やしていて、日本人は全体的にいい印象で迎えられています。これが、大連は親日的だといわれる原因だと思います。日本人も、この評判を壊さないように、慎重に行動しているといってよいでしょう。
日本人が住む所として、大連は大変いいところです。日本語ですべてを済ませようとすれば、Imperial Tower、スイスホテル・レジデンス、博愛大厦などがあり、買い物はスーパー「マイカル」や他の商店で日本の食材は手に入り、米国のウォルマート、フランスのカルフール、ドイツのメトロ、地元の大商などの国際色豊かなショッピングが楽しめます。私が一番好きなのは大連郊外で、大連山の会でハイキングや温泉旅行も楽しんでいます。
大連市の中心から901路または26路バスで西南へ30分くらい行ったところ、丁度大連理工大学の北側の土地を造成し、1998年から大連軟件園(Dalian Software Park)の建設を開始、翌年国家たいまつ計画(火炬計劃)・軟件園の1つとして認定され、現在は国家レベル・ソフトウェアパーク11か所(大連、北京[北京中関村軟件園など]、上海、済南、西安、蘇州[蘇州工業園区内]、成都、南京、杭州、長沙、広州)の先鋒をいっています。国内、国外のソフトウェア開発企業を多く誘致していて、特に日本の企業にきてもらうために、2001年4月と2002年8月に東京・全日空ホテルで大連市長による説明会も行ないました。
すでに120社が入居しており、日本企業もそのうち3割です。松下通信、オムロン、ソニー(シンガポール)など大企業から、メタテクノ、アクティブ・ワークなど中堅どころまでさまざまです。大連在住の日本語を話す有志により「大連ITクラブ」も発足しています。
大連ソフトウェアパークの特徴は、教育を重視していることです。園内に東北大学東軟信息学院(Newsoft Institute of Information)があり、また国家重点大学である大連理工大学が隣りにあり、近くに東北財系大学、海事大学、医科大学や中国科学院の化学物理研究所などがある学術研究地区にあります。
雑誌「日経コンピュータ」2002年6月3日号に「どうする,ニッポンIT――ここまで来てしまったソフト開発の中国シフト」という特集があり、次のような「中国のソフト会社の月給相場(北京・上海・大連、2002年5月調べ)」を書いています。
大学新卒者* | 2,000〜3,000元(3万2000〜4万8000円) |
プログラマー(PG) | 4,000〜5,000元(6万4000〜8万円) |
SE(PL) | 6,000〜8,000元(11万2000〜12万8000円) |
マネジャー(PM) | 9,000〜1万5000元(14万4000〜24万円) |
中国ではハイテク企業に対する優遇政策としては、利益がでた年から(累積赤字を解消する年から)、法人所得税「2免3減」の税金優遇策を受ける(2年免除、3年半減)。輸出額が全収入の70%を越えれば、法人所得税は10%(通常は33%)などがありますが、大連市ではソフトウェアパークおよび高新技術園区にあるソフトウェア開発企業に対する優遇制度として、1)企業が支払う年金(養老費)、2)個人が支払う所得税を大幅に減額することを2004年から実施しています。。
事務職労働者のコストについて、大前研一「チャイナ・インパクト」(講談社、2002年3月)4-06-21152-7のp.150には次の表があります。
場所: | 東京 | 北海道 | 沖縄 | 沖縄(30歳未 満、補助1/2) | 大連(日本語 できる管理者) | 大連(日本語 できる大卒) | 大連(工場 労働者) |
コスト(1000円): | 268 | 201 | 186 | 93 | 30 | 20 | 8 |
さらに中国都市別投資コスト比較については、p.151に次のデータがあります。
都市 | 上海 | 深土川 | 北京 | 大連 | 天津 | 広州 | 青島 |
労働者人件 費(円/月) | 1,500 | 1,200 | 800 | 760 | 720 | 700 | 520 |
都市 | 上海 | 深土川 | 北京 | 大連 | 天津 | 広州 | 青島 |
土地代金 ($/平方m) | 361 | 119 | 85 | 55 | 55 | 48 | 25 |
これを見ると、大連のコスト的優位は十分お分かりのことと思います。
大前研一がいっていることは本当? いま日本の本屋のビジネス書コーナーでは、中国ビジネス書が花盛りですね。そのなかにコンサルタントの大前研一さんの「チャイナ・インパクト」(講談社、2002年3月) 4-06-211152-7 はベストセラーにもなったようですね。(このあと、雑誌「SAPIO」に載った記事に加筆して「中国シフト」(小学館、2002年7月)4-09-389606-2も出版されています。)「チャイナ・インパクト」の内容は、中国はもう1枚岩の国ではなく、6つのメガリージョン Megaregion(珠江デルタ、長江デルタ、北京・天津デルタ、山東半島、福建省、東北3省)からなる合衆国で、各地が勝手に動いている動的な地域連合になっていると主張です。共産党が近々消滅するとか、アジアのEU化が近いとか行過ぎた議論もありますが、コンサルタントとしての彼なりのデータもよくそろえたいい本だと思います。
はじめから独立した会社を作るのでなければ、大連には比較的大きなソフトウェア開発会社
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など、組み込みソフトや研究・開発(R&D)の会社としては(参照:中日組込みソフト・セミナー)
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など、データ入力やコールセンターなどの情報サービスの会社
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プリント基板・IC設計会社では
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また会社によっては日本に支社を持っているところもあり、きっといいパートナーとして十分協力してくれるでしょう。(この他の企業については、大連ソフトウェアパーク・ホームページの園企風采、大連軟件行業協会ホームページの協会会員に中国語で載っていますので参考にしてください。)
独立した会社にするには、合弁会社もいいし、独資(100パーセント子会社)は外資は10万米ドルから許可され、手続きは大連ソフトウェアパーク(株)が代行してくれて、新会社設立にはわずか1か月しかかかりません。中国の会社経営の一般常識は中国進出検討から法人運営までをサッと読むと参考になると思います。
大連のソフトウェア会社の社長、セールス、技術者の中心は、日本の大学を卒業したか、卒業した後日本の会社に勤めた人たちが多いので、日本の会社は最後まで仕様の変更が続くことは十分分かっているので、こうした日本の特徴はよく知っています。
注:中国のソフトウェア会社を東軟集団(日本支社はNEUソフト・ジャパン)について見ると、この会社は1991年に瀋陽の東北大学の教授だった劉積仁博士が創立したもので、現在の年間の売上高は38億元(2002年)です。社員数は5300人で(日本向けソフトウェア開発は1000人位)、瀋陽を本社として全国47か所に支店を展開し、電力・電気・保険会社などにおもにシステム・インテグレーションの仕事を請け負っています。利用ソフトはOracle、SAPなどの欧米を中心としたものだけでなく、自社が開発したOpenBASE数拠庫(中型企業向けのデーサベース製品)、NetEye防火[土嗇](中国で賞ももらったファイアウォール製品)なども組み合わせているのが特徴です。開発拠点は、瀋陽、大連、南海(広州)にあります。競争相手は多数あるが、大ソフトウェア・サービス会社としては、華為技術(Huawei Technologies、本社は深セン)、中訊軟件(SinoCom Software、本社は北京)などです。(売上高としては微々たるものであるが、独自技術によるCTスキャナーも製造していて、これを元に医療関係の機関へのシステム・インテグレーション事業の足がかりとしているようだ。)東軟の株価は1996年にソフトウェア会社としては始めて上海株式市場Aに上場され、2000年ころに一時は36元くらいになったが(創業当時安く買った人もいるし、この高値で自社株を買った人もいる)、現在は13元くらいです。
中国では、大連市ほどこうしたハイテク企業の誘致に協力的なところはないでしょう。科学技術局から最近独立した信息産業局がめんどうをみてくれ、会社設立は30日以内にできます。民間の大連軟件行業協会もあります。また、大連市はその日本語人材を生かしてバックオフィスやコールセンターなどの情報サービス業務にも力を入れはじめていて、GE Capital、Dell Computer、Accenture、CSKなどがすでに開業しています。2003年からは大連市の主催で、中国(大連)国際ソフトウェア・情報サービス交易会が毎年7月末に開催されています(2003年のもSARSの影響で9月に行なわれた)。
Aくん(代表的と思われる架空の人です)は4年前に大学を卒業して、プログラマー暦4年の優秀なプログラマーで、彼とはこのあいだ彼の友人たちと一緒に海へ泳ぎにいって知り合いました。月収は6千元、未婚で、特に興味のあるというものはなく、このあいだ車「奇瑞Cherry」を買い(約100,000元)、会社に車で出勤し、土日には郊外を友達とドライブするのが趣味です。(上海奇瑞汽車は安徽省にある中国の自動車会社。)私自身、1960年代後半にコンピューター業界に入り、翌年あたりに日産のサニー、トヨタのカローラが発売されて、自宅から通っている者はみな車を買いだした時期を経験しているので、そんな昔を思いだしています。
米国のソフトウェア技術の構成が続く中、日本は組み込みソフトの分野ではTRON(中文版「日本瞭望」2002年7月号=「Look Japan」の英文記事、T-Engine Forum)などで中国でもアプリケーションの開発が行なわれており、こういった分野でもっといい貢献ができればと思います。
これと、中国の低コストはいつまで続くのというのは、よく受ける質問です。私自身、1990年に台北のソフトウェア会社に駐在し、台湾のコストが急に上りだして、2年予定の滞在を早めて帰国した苦い経験があります。ただし中国は、中国の沿岸地区は西部という後背地に膨大な人材を控えていて、大連では遼寧省の北に吉林省・黒龍江省の後背地を控えていて、あと10年は安定した、大きなインフレがない経済発展が続くのではないでしょうか。参考までに「2002年度 中国企業情報」(中経出版、p.9)にある「高度成長前夜・家電普及率から見る日本と中国の比較」の表を挙げて置きます:
項目 | 1人当りGDP | 五輪 | 万博 | 自動車 | 冷蔵庫 | 電子レンジ | エアコン | パソコン | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中国 | 都市部の実数値 (始め3つを除く) | 850ドル | 2008年北京 | 2010年上海 | 0.50% | 80.10% | 17.60% | 30.80% | 9.70% |
日本 | およその 同水準年度 | 1964年 | 1964年東京 | 1970年大阪 | 1961年 | 1969年 | 1976年 | 1980年 | 1988年 |
2003年5月、新型肺炎対策の真っ只中、大連市が今後大連から旅順の黄泥川、龍王塘、塩場(塔河湾)にかけての黄海沿岸地帯に、高新技術園区を拡張してゆくことが発表され、6月11日には旅順南路ソフトウェア産業帯と大連ソフトウェアパーク2期の起工式が行なわれました。大連第2ソフトウェアパーク2期というのは、いま旅順南路の料金所がある小平島と呼ばれているあたりの山側を東区とし、黄泥川トンネルの手前の山側(ダム湖の対面)が西区になります。より多くの日本企業に来てもらうために、開発区でやった日中合弁大連工業団地(英語版)のような協力関係も検討されてもいいと思います。(2003.05.31.) 2期東区の開発は大連軟件園鰍ニシンガポールのAscendas社(騰飛)との合弁で行われ、2007年5月には大きなビルが完成の予定。(2007.02.27.) 大連アセンダス・ソフトウェアパーク(大連騰飛軟件園)には、すでにコニカ・ミノルタなどが入園し、2007年9月5日には開業式が行なわれ、またまもなく当社と香港・瑞安集団(Shuion Group)が合弁で、大連新天地&瑞安軟件園の建設を始めます。(2007.09.05.)
大連ソフトウェアパーク内のレストラン
いま思いつくレストラン類は、以上です。(2007.02.27.)
中国には国家級ソフトウェアパークが11か所あるとも約30か所あるともいわれています。大連ソフトウェアパーク鰍ナは今までの経験をもとに、各地の高新技術園区管理委員会と協力して、武漢ソフトウェアパーク、天津ソフトウェアパーク、蘇州ソフトウェアパークなどへ進出しています:
A new software development location in Dalian City, China:
Dalian Software Park
Investment Promotion Bureau, Dalian High-Tech Industrial Zone
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