大黒山
中国の少数民族は、満州族と朝鮮族がいますが、前者は漢化が進んでいて、後者はまだ大多数が家庭内では朝鮮語を話し、独特の文化を保っています。。研究の動機
2000年4月、瀋陽へいったときに、西塔というところへ行く機会がありました。ここは多くの朝鮮族が住んでいるところで、まわりの店の看板はすべてハングル文字にあふれていて、そこの西塔教会というキリスト教会では韓国から送られた韓国語聖書と賛美歌集を使っていました。調査
雑記長風に書くと
- この中国・東北地方は、始め人口はまばらで、もともとむしろ朝鮮族の人々が住んでいた
- 唐代の初期、李世民が朝鮮半島の征服に、この地を通過し、用いた
- 668年に高句麗が新羅に滅ぼされたとき、高句麗系の大祚栄(だいそえい)は698年に独立して建国した。はじめ震国といっていたが、713年に唐の玄宗皇帝から渤海郡王とされたときに、渤海国と改めた。続く武王・文王のときに唐の律令制にならって官僚組織を作り、5つの都は唐の長安を模して建設された。日本海を越えて、日本とも交易した。926年に契丹族の耶律阿保機に滅ぼされた。
- 19世紀後半にまだ朝鮮が鎖国状態であったとき、プロテスタントの聖書はスコットランド長老派教会の宣教師により朝鮮語に翻訳・出版されて、秘密裏に朝鮮へ持ち込まれた
- 1928年創立の玉光礼拝堂(もとの大連聖公会)では、日本語礼拝のときに入り口の右側の部屋で、朝鮮族の信者の集まりがあった
- 1992年に中国と韓国の国交が回復されると、韓国のビジネスマンと学生が多く東北地方を訪れている
- 今でも多くの北朝鮮の人々が国境を越えて、中国東北部の朝鮮族と行き来しているらしい
- 厳聖欽「朝鮮族的貢献」(各民族共創中華、東北内蒙古巻、中冊;甘粛文化出版社、1999)7-80608-472-X を大外図書館(G333.3 36-1-2)で見つけた。
- 中国の歴史書「史記」、「三国志」などには、まず「夫余」が出てくる
- 朝鮮は方言があり、東北方言(咸鏡南北道)は吉林省延辺朝鮮族自治州と黒龍江省牡丹江地区に、西北方言(平安南北道)は遼寧省東部に、東南方言(慶尚南北道)は黒龍江省西部と吉林省中部に、中部方言と西南方言は東北各省にちらばっている
- 「朝鮮族簡史」(延辺人民出版社、1986)
- 韓景旭(Han Jingxu)さんの中国の朝鮮族とその宗教(キリスト教など)
- 天池クラブ(日本の中国朝鮮族親睦団体)
大阪・聖公会生野センターの延辺朝鮮族自治州成立50周年祭典参加ツアー(2002年8〜9月)および高仁鳳さんのレポート
朝鮮半島向け初めての聖書
韓国語 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000990148/ 北陸学院短期大学紀要 韓国語聖書翻訳にいたる初代宣教師達の活動 後藤田 遊子 1 John Ross 約 羅斯 徐相崙 李樹廷
- きのう日曜礼拝の際に、北朝鮮・平壌で1番いい大学は、戦前崇実大学校と呼ばれた金日成大学校、金哲興行大学校で、ソウル(首尓)ではソウル国立大学、延世大学/梨花大学、高麗大学がいい、だという話を聞いて、次のような話も聞いた。
- 2008年の韓国では、韓国・朝鮮語の聖書ができてから丁度100年経ち、100周年記念祭が祝われている。19世紀の後半、朝鮮はまだ鎖国状況にあったが、中国の宣教開始に成功した欧米のプロテスタント教会諸派は、スコットランドの長老派、カナダのバプティスト派、米国LAのメソディスト派、アトランタのxx派などが朝鮮半島の宣教を狙っていた。中国の北京・上海・奉天(現在の遼寧省瀋陽市)から朝鮮半島へ入ることを計画し、1番成功したのが朝鮮族の人々が多く住む、奉天を経由したものであった。奉天には奉天神学校が作られて(現在の東北神学校)、ここから平壌・ソウルにそれぞれ平壌教堂・永楽教堂が作られて行く。スコットランドの長老派のジョン・ロス(John Ross, 中国語名:羅(斯)約翰)牧師が中国遼寧省栄口に派遣され、奉天に移って東関教会で徐相崙と共に朝鮮語に翻訳をし、3000冊を印刷して平壌(の張志憲教会?)へ運んだ。また、李樹廷は...その後、1908年に平壌の李xxが課長戦後役聖書を作った。(2008.06.30)以上に多少の誤りがある。
続く...
Dahei Mountain
The Korean Nationals in China are an interesting subject for me.Initiation
My Research