大連へ来て9ヶ月、中国語は半分くらい分かるようになり、話すのも少しできるようになりました。しかし、タクシーに乗った時、運転手が無線電話の連絡で話す言葉は少しも分かりません。これは、彼らが話すのが早いからだけでなく、大連方言を使っているからだと最近思うようになり、大連方言を少し調べてみました。
大連方言は中国語7大方言のうちの、北方方言の東北地方方言に属しています。北方方言というのは、北は黒龍江省から南は安徽省・湖北省まで、東は山東省・江蘇省から西は甘粛省まで、広い範囲で話されていて、それぞれの地方独特の多くの方言(土話)があります。その中で、東北地方方言は黒龍江省・吉林省・遼寧省(大連を含む)で話されている方言の総称で、この地方は新しい地方なので、他の方言に較べて普通話に比較的似ていて、例えば黒龍江省の省都・ハルビンと吉林省の省都・長春の人々は、ほぼ標準語(普通話)を話すといわれています。
大連方言について話す前に、大連の歴史を簡単に理解しておきましょう。大連は遼寧省の一番南にあって、1998年に百年祭を祝った比較的に新しい町です。日清戦争(1894〜95年)以降、旅順の軍港を租借したロシアが、当時青泥窪(チンニーワー)と呼ばれていた小漁村に大連の商業港と町の建設を始めました。まもなく日露戦争(1904〜05年)が起こり、日本がその後40年間大連の建設を続け、大連は日本の満州国の基地となりました。このころ多くの山東省人も煙台〜大連間の連絡船を利用して大連にやってきて、大連人の大多数は山東省出身といわれています。1945年の日中戦争終了から1960年代は、中国東北地方の解放を助けたロシア人が大勢大連と慮順に滞在しました。
巻き舌音の重zhong4はzong4と巻き舌なしに発音され、同様にして大厦da4-sha4はda4-sa4と発音され、この種の発音は瀋陽など遼寧省全体でおこなわれています。大連独特の発音としては、「吃薬chi1-yao4」(薬を飲む)はchi1-yue2と、「鑰匙yao4-shi」(鍵)はyue2-siなどもあります。
用語の用法について、中国語には「我々」という言葉に、自分たちだけの「我イ門wo3-men」と相手を含むことを強調する「?イ門zan2-menの」がありますが、大連や瀋陽などでは後者が前者の意味で使われ、また前者に俺イ門a1-menという言葉も使います。
日本語の影響も、大連には多少残っています。Wan3-xia2-ziとはワイシャツ(襯衫)のことで、muo2-jiはおもちのことです。ロシア語の影響はほとんどなくて、斯大林広場からスターリンの像が取り払われて人民広場になった現在は、高尓基路(ゴーリキー通り)が唯一のロシア語名が残る地名になりました。大商デパート1階でロシア・パン「大列巴da4-lie4-ba1」(ロシア語の хлеб フリェープから)を売っていて、外見は丸くて茶褐色でロシアの黒パンですが、実際は甘くて黒パンとは似つかない味です。Vei4-de-luo2は水が入ったバケツ(水桶)のことで、ロシア語のведроヴェドローから。
以上は、漢学院・口語授業(趙芳先生)の私の作文として書いたものです。調査に当ってお世話になった、柳桂鳳先生(大連出身)と呉麗鳳さん(瀋陽出身)に感謝します。
リンク:
大連方言(中国語で)
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